岩室観音堂は武蔵松山城の一画に有り弘法大使が岩窟を選んで高さ一尺一寸(36.4cm)の観音像を彫刻してこの岩窟に納め名前を岩室山と号したと伝えられています。松山城城主が代々信仰し護持したと伝えられています。天正18年(1590)豊臣秀吉が関東に出陣した際に松山城が落城、建物がすべて焼失してしまいました。
現在のお堂は江戸時代の寛文年間(1661~1663)に龍性院第三世堯音が近郊の信者の助力を得て再建したものと伝えられています。お堂の造りは懸造りと呼ばれ、江戸時代のものとしては珍しいものです。
ここには88体の石仏が納まっています。これは四国88か所の霊地に祀られた本尊を模したものです。
お堂の奥には胎内くぐりが出来るところが有ります。ここをくぐると諸難を除き安産その他の願いが叶うといわれています。お堂の奥の岩の左側の鎖を手繰って登っていきます。ハート形をした岩をくぐり抜け岩の右側に降りてきます。滑りやすいので注意が必要です。(写真は出口側です)
お堂の二階には本尊の観音像が祀ってあります。左側に般若心経の276文字を一字づつ描いた折り紙が置いてあります。これを折鶴にして納め願い事をすると願いが叶うと言われているそうです。
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