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フーちゃんのカメラウオッチング

日々、カメラでウオッチングしたネタを写真を添えてコメントします。

浜松に何故置かれているのか? ダグラスDC-3型飛行機。 (浜松市)

2020-09-30 14:55:06 | 公園・モニュメント

舘山寺経由で浜松に向かう帰り道、はまゆう大橋の西側に飛行機が置かれていることを聞き現地を訪ねてみました。

▽グーグルアースにも写っていました。

「はまゆう大橋」を渡ってしばらくすると左手に大きな飛行機が突然現れます。

飛行機の目の前は駐車場があり、道路の北側には浜名湖グラウンドゴルフパークがありました。

 

なお、飛行機が置かれた場所の中には入ることが出来ませんでした。

 

帰宅してからネットで調べてみると、この飛行機は「飛べ、ダコタ」という2013年に公開された日本映画で使われた飛行機だとわかりました。

この映画は戦後の佐渡島を舞台にした映画のようです。

何故浜名湖とは関係のない映画の飛行機がこの場所にあるのか?

とても不思議に感じましたが、映画の撮影後に浜松の法人が買い取ってこの場所に置かれたようです。

  • 立て看板内容です。

終戦からわずか5ヶ月、貧しく混乱が尾を引く昭和21年に起きた英国機の不時着から離陸までの実際に佐渡で起こった心温まる人情物語がありました。

あれから60余年が経ち、豊かで不自由のない時代となった一方当時を知る人は少なくなり、人々の記憶からこの物語が消えつつありました。

そんな中、佐渡市フィルムコミッションの呼びかけにより「飛べ!ダコタ」というタイトルで映画化されることが決まりました。

当時、降って湧いた出来事に村人は大騒ぎとなりましたが、困っている人を助けるのは世の常道。住民は8人の英国人登場者を温かく迎え入れ、一丸となった協力と支援の下、海岸に手づくりの滑走路を完成させ、“ダコタ”を再び大空へ飛び立たせました。

株式会社アッシュジャパン、株式会社川嶋、佐渡市

撮影年月日 2020/09/27

 


山梨祇園祭のからくり時計を見る。 (袋井市)

2019-09-13 06:22:45 | 公園・モニュメント

袋井市上山梨の祇園通りに祇園祭のからくり時計があることを思い出し、たまたま近くを通ったので立ち寄ってみました。

 

演奏前のからくり時計ですが、この時計は上山梨下町地区の区画整理の完成を記念で作られたものです。

 

この時計は、通常、午前10時、12時、15時、18時になると、時計の上部がせり上がって、 山梨祇園祭の屋台が回転してお囃子が鳴り響き、若衆の人形が左右に回りながら勇壮な練りを披露してくれます。

 

演奏時間外は屋根部分と時計だけしか見ることが出来ませんが、からくり時計はとても精巧に出来ていました。

撮影年月日 2019/09/11


復元されている一里塚を見る。その2、「木原一里塚」 (袋井市)

2019-06-02 06:00:00 | 公園・モニュメント

 一里塚とは、一里(約4km)ごとに街道両側の土を盛り上げて目印にした塚のことで、昔、袋井市内に「久津部一里塚」と「木原一里塚」の 2ヶ所、計4基造られましたが、現在は一つも残っていません。

袋井市内では2か所目の復元された「木原一里塚」を尋ねました。

その2、「木原一里塚」 (袋井市)

昔の文献などには塚の上に松や榎が描かれています。本来のあつた場所から60mほど東にあったようです。

 

撮影年月日 2019/05/30

 


復元されている一里塚を見る。その1、「久津部一里塚」 (袋井市)

2019-05-31 06:00:00 | 公園・モニュメント

昔、袋井市内に「久津部一里塚」と「木原一里塚」の 2ヶ所、計4基造られた江戸時代の一里塚は役割を終えて削り取られ、今では一つも残っていません。

その一里塚が復元されていることを最近知り、現地を訪ねてきました。

その1.「久津部一里塚」

久津部一里塚は江戸からちょうど60里にあたり、明治時代までは老松が立っていました。現在は街道両側の塚とも残っていませんが、現在地付近がその跡と言われています。

昭和47年に袋井東小学校創立百年を記念して同校の校地に久津部一里塚の南側の塚が復元され現在に至っています。

 

袋井市立東小学校の正門

 

一里塚とは?

街道の両側に1里ごとに築かれた塚。塚上にはエノキなどの樹木が植えられていた。

織田信長、豊臣(とよとみ)秀吉により始められたといわれるが、1604年(慶長9)江戸幕府により東海・東山・北陸道をはじめ、全国規模での設置が始まった。旅行者の便、運賃決定の目安、度量衡統一政策の一環として設置されたが、街道の付け替えなどにも旧位置を動かず、修理もほとんど行われなかったため、近世後期には荒廃した。

塚には榎を植えたものが多いが、松などもある。天保(てんぽう)(1830~44)末年東海道品川―京都間には104の塚が現存した。

明治以降、敷地の民間への払い下げや道路拡張により大部分が取り壊された。

保存の良好なものは国の史跡に指定されている。

出典:日本大百科全書(ニッポニカ)

 

撮影年月日 2019/05/30

 


岩屋緑地公園の展望台に登ってきました。 (豊橋市大岩町)

2019-05-15 07:21:42 | 公園・モニュメント

豊橋のお墓参りの帰り道、前方の山頂に展望台らしきものが目に入りました。以前からこの山続きにある岩屋観音像は目にしていましたが、この展望台のことは知りませんでしたが、少し時間があったので寄り道をしてきました。

 

東海道岩屋山古道と書かれた場所から、少し進んだところの駐車場に車を置き山頂を目指しました。

ゆっくり歩いて約20分位で標高113mに建つ木製の展望台にたどり着きました。

 

この日は天候も良く、眼下には豊橋の市街地一円を見回すことができ、遠くには渥美半島や本宮山方面まで素晴らしいパノラマを楽しむことができました。

 この岩屋山は、山頂に岩屋観音像が安置されている岩山で洞くつなどもあり地形を観察することもでき、山全体が岩屋緑地として整備されていて市民の憩いの場となっているようです。

 

展望台から眺めはとても素晴らしく、南側にはJRの線路と国道1号線、のんほいパーク、豊橋総合動植物公園などが見えました。

 

南東は二川駅周辺が見えます。

 

南西には渥美半島の蔵王山などが見えます。

 

北は、本宮山方面が見えます。

 

北東は豊橋駅方面が見えます。

 

撮影年月日 2019/05/11