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魚止滝のずっと手前で竿をほっぽり
ザックの中身をガサガサまさぐる男の日記

乗り鉄ひとり旅も楽しんでいます

根岸競馬場跡地

2012-05-28 11:11:38 | その他・・・

北海道から横浜へ越して間もなくのことだった。クラスの友人から誘われ、どこに行くのかもわからないまま日曜の朝早くから急坂の多い道を自転車で漕ぎ続けた。やっとたどり着いた場所には背丈よりも高い夏草が生い茂る草原と大きな古い建造物があった。立ち入り禁止の柵を乗り越え屋内にしのび込むと屋上からは行きかうタンカーや貨物船の停泊する港の風景が遠くに見渡すことがでた。それからキリギリスやトノサマバッタを捕まえたり、かくれんぼをして夕方まで汗まみれで遊んだ。あの時、草原はどこまでも永遠に続いていると思った・・・もう40年も前の記憶だ。その思い出の場所へ久しぶりに訪ねてみたくなった。

まずは根岸駅から15分ほど歩き『浜マーケット』へ向かう。青果、鳥肉、精肉、惣菜、菓子、漬物、パン、うなぎ、生花、金物、そしてクリーニング店と何でもそろう浜マーケットは戦後闇市から発展した昭和の趣きそのままの狭いアーケード型商店街だ。ここには横浜の商店街で一番美味しいとされるコロッケがあるのでコロッケとメンチカツ、チーズ竹輪フライを3個ずつ購入する。店には地井さんの写真が飾られていた。

次に向かったのは山元町商店街だ。根岸駅から路地裏の坂道をのぼり山手のドルフィンを通り過ぎひたすら歩くと商店街に到着。ここにも地元で評判のフライ屋がある。この店は客の注文を聞いてから揚げるのでショーケースなどないのだ。甘辛ソースにくぐらせたコロッケとメンチカツ、モツ串フライを3個ずつ注文。要は思い出の場所でコロッケとメンチカツの食い比べをしようと言うだけのことなのだ。

その前に腹が減り過ぎた。ちょうど僕好みの食堂を見つけ店に入った瞬間、なぜだか懐かしさがこみ上げてきた。『おかめ』は80過ぎの老夫婦と娘さんが笑顔いっぱいに商う大衆食堂だ。聞けば市電が走っていた頃はこのあたりが終点だったそうだ。あの頃は父親に連れられよく市電に乗せてもらったので、もしかしたら本当にこの店に来たことがあるのかもしれない。この『おかめ』は創業50年を超える老舗食堂だ。「スープは鶏と豚ガラ、昆布、他いろんな出汁からとってるんだよ。チャーシューを煮た醤油をラーメンにも使うから本当の昔の中華そばなんだよ。カレーだって市販のルウなんて使わないよ。玉葱や人参、いろんな野菜をすりおろしてチャツネを入れるんだよ。あたしの実家は神田駅前の和菓子屋でね、だからこの店でも和菓子を売ってるんだよ。朝5時から仕事初めて6時にはもう近所のお客さんが買いに来るんだよ。食べログちゅうのでは横浜で8番目に美味しいラーメン屋に選ばれたし、昨年は朝日新聞に紹介されたし、この前は15分間もラジオ日本で話したんだよ」 とにかく元気なおかあさんと、おかあんの話を嬉しそうに聞きながら優しく笑うおとうさん、テキパキと働く娘さん・・・『おかめ』のラーメンとカレーライスには懐かしさの旨味エキスが凝縮していた。いや、それだけではない、懐かしさを省いても本当に美味しいラーメンとカレーライスだった。おかあさんが厨房の中を見て行けと言う。「餅はこねちゃダメなの、ちゃんとつかなきゃ美味しくならないんだよ」と年代物の自慢の機械を見せてくれた。娘さんが妻に「旦那さん、つかまっちゃったね」と小声で話しているのが聞こえた。これはもう大福餅も買うしかない。午後5時までの営業だが酒類も置いてある。“本来の目的”を忘れ日本酒を注文したかった僕を制止したのは、妻だ。偶然だったけど良い店に出会えたと思う。次は絶対に日本酒呑んで〆にチャーシューメンだな。

 

目的の場所へ向かうと、大きな建造物は思い出のままの姿で残っていた。懐かしい、本当に懐かしい。蔦に覆われた外見は、なぜか自分の重ねた年輪のようにも思えた。その昔、僕らはこの場所を根岸競馬場跡地と呼んでいた。

根岸競馬場は明治維新前の幕末1866年に設立された。以降1930年に米国人建設課の設計に寄り竣工された一等馬見所という観客スタンドがこの大きな建造物だ。戦前には天皇賞や皐月賞などのレースも行われるほど華やいだ競馬場だったが太平洋戦争が激化すると1942年に競馬の開催は中止された。その後米軍に接収されその管理下に置かれた。接収中は米軍専用のゴルフ場として使用され、現在の芝生はその名残りだそうだ。1969年には馬見所以外の接収は解除され、横浜市の整備により1977年根岸森林公園の名称で市民の憩いの場として解放された。馬見所の接収解除は1982年と言うことなので、僕らがしのびこんだ建物内部はまだ日本ではなかったのだ。柵を乗り越え廃墟化した建物内部はまるでお化け屋敷のようだった。友人のひとりが「お化けが出たあ~!」と冗談で叫ぶや怖さのあまり皆が外へ飛び出すとすぐに米軍の水兵さんに捕まり説教されたっけ。僕らはあの日、“AMERICA”で遊んでいたのだ。 

   

FENCEで仕切られた向こう側は外国人居住地だ。カメラを向けると Hey you do not эёξζ¶☆÷Ψδж∮ と怒鳴られたので Wou ssey bakaching と言ってやった。 こっからこっちは日本でこっからあっちはアメリカなのだ。

 

昔はこの丘から海が見えたが、今では住宅や高速道、ビルに遮られ、やっと見つけた海も、小さく、狭く、遠く感じた。それでもこの根岸森林公園は気持ちの良い場所だった。木陰を選び芝の上に寝っ転がると思わず口ずさむ曲は『FENCEの向こうのアメリカ』 

石畳の坂を登れば 海の見える丘に出た

防波堤に当たる波間に 俺を呼ぶ声が聞こえた

どんなに離れても 決して忘れなかったよ

朽ち果てた俺の家と 鉄のFENCE

AREA ONEの角を曲がれば おふくろのいた店があった

白いハローの子に追われて 逃げてきたPXから

今はもう聞こえない おふくろの下手なBLUES

俺には高過ぎた 鉄のFENCE

あばよのひと言もなく 消え失せたあの頃

帰りたい HOME TOWN SUITE  HOME TOWN SUITE

今はもう聞こえない おふくろの下手なBLUES

俺には高過ぎた 鉄のFENCE

せめて肩の重荷 降ろすことが出来たら

帰りたい HOME TOWN SUITE  HOME TOWN SUITE

ネオンライトの空に飛び交う 黒い懺悔のハーモニー

銅鑼とJEEPの吠える声は 昨日と今日の道標

今はもう流れない 潮風と赤いCANDY

高いFENCE 越えて観たAMERICA

もう 流れない 潮風と赤いCANDY

高いFENCE 越えて観たAMERICA

高いFENCE 越えて観たAMERICA

この曲は歌詞カードなど見なくとも歌えるほどに好きな曲だ。柳ジョージさんの訃報に絶句したあの日から、カーステレオにはアルバム『Y.O.K.O.H.A.M.A』が入れられている。僕の『FENCEの向こうのアメリカ』はまさにこの場所そのものだ。 赤いCANDYにも懐かしくほろ苦い初恋の思い出がある。丸くてちっちゃくて三角のミルクキャンディを見つけたら必ず買ってしまうほどの特別な思い出があるのだ。

少し眠ってしまったようだ。妻は勝手にコロッケとメンチカツの食べ比べを始めてやがる。クーラーバッグからキンキンに冷えた缶ビールを取り出し急いで参戦。浜マーケットのコロッケが一番美味いと僕と妻の意見が一致した。

「桜の季節に、また来ようね」と妻が言う。幸せってこれぐらいが良いのかもしれないと、ふと思った。

   

 ちなみに食べきれなかった残りは、その日の晩飯になった。

僕のノルマは多過ぎるぞ、ゲップ・・・

 


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
奇跡 (高崎)
2012-05-30 22:58:29
商売を始めて10年続くのは2%と言われてる。
店構えは古ぼけても婆ちゃんは年をとっても
代々続いて同じ味を作り続けていることそのものが奇跡なんだね。

人間も建物もいずれは朽ち果てるけれど
また次の世代が作り変えて同じ味を守り続けるんだろうね。

ところで君のお店は何年続いてる?
メンチとコロッケを喰いながら気張れよ!

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>奇跡 (ホリャ)
2012-06-01 09:13:04
継続は力なり!
この『おかめ』さんのようなお店、大好きなんです。豚骨ブームの昨今、正統派の中華そばは少なくなってきました。『おかめ』のご夫婦にはまだまだ元気に頑張ってもらいたいものです。磨きこまれたテーブルのてかりはどんなに修行したって一瞬じゃあ醸せません。

ところで10年2パーっすか?
ウチは自分でも信じられないほど、あっという間の17年目です。とにかく横も上下も気にせずにやってきました。僕には仕事上のライバルはいないのです。ライバルだとも思われちゃいないのです。ひゃっひゃっひゃっ
メンチとコロッケ、フライモノはとうぶん見たくありません。新鮮な刺身がくいて~
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