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備忘録

そりゃメモ書きにきまってるさ

アムステルダム

2014年02月27日 | 読書一般
1999 新潮社 イアン・マキューアン, 小山 太一


生きている人は、みんな死を待っているわけですが、それをどのように待つのかについては、まさしく千差万別で、物語の種が尽きる見込みもありません。

神は与え、奪う。


その神を失った世界がどうなるのか?

神の生前の物語が『聖書』なら、これは、その死後の物語の始まりなのかもしれない。

それほど大きく話が違ってしまったわけでもないけれど。

一寸先は闇がいい(山本夏彦)

2014年02月27日 | 読書一般
これが絶筆になった、最後のコラム集らしい。

 10歳の時に、この世はムダとダメと悟って、それを作文に残し、10代で自殺をはかったが死ねず、80何歳かでなくなるまで、コラムを書き続けた。

 『室内』という建築インテリア雑誌の発行人兼編集人でもあった。

 つとに編集者は引退していたが、編集長辞任に伴い復帰し、たちまち部数を拡大させたツワモノでもある。

 ダメとムダと言いながらなかなか抜け目なくちゃっかりと仕掛けを弄するやり手爺でもあったのだ。

 さすがに、癌を発病し、体調も優れなかったせいか、短文も以前のような切れがなく、わかる人にはこれでわかるというのも少しわかりにくくなっていたが、夏彦節のようなものはあいかわらず健在だったと思う。

 先々が不安でたまらない人には一読をお勧めする。

神聖喜劇  大西巨人 をETVで見た。

2014年02月27日 | 読書一般
 軍隊という不条理と無責任の世界に投げ込まれて、それに抗らいつつも、またその中で生きる意味ややりがいを見出していく東堂は、大西の軍属当時の姿に重なることを報じていた。

 中でも、知らされていなかった規則に反して、「知りません」と答える事を許さない。「忘れた」と言えと強制されることへの徹底抗戦は見もので、朗読者たちの演技も見事だった。

 東堂に呼応して、同じく「知らなかった」と訂正する冬木は被差別出身で、かつて恋人とわが身を守るために傷害致死事件を起こしていた。

 差別は軍隊にもあって、事毎に他を上回る理不尽を強要されていたが、にもかかわらず、節を曲げない度胸のある男だった。(これに「電車男」の俳優を振ったのは、まあ、うなづけなくもないが、ちょっと違うような気もした)

 アメリカも太平洋戦争での激戦地には移民や黒人を当てて露骨なまでの差別ぶりだったという。
 指揮責任系統はどうだっただろうか?

 大西自身二人の子供は血友病を患っており、極貧の中で差別とも闘わなくてはならなかった。
 高校に合格した息子が受け入れを拒否されたのだ。
 これも万一事故などがあった場合責任をとれないなどの言い訳があったであろう。
 「お前に責任がとれるのか?」
 と、説教されたことがあったが、
 「では、あなたは具体的にどう責任を負うのか?」
 と、問い返して、返答がなかったことからすると巨人の言う無責任世界は何も変わってはいない。

 それがわが国というものであるのは非常に残念だが、責任を神に負わせればそれですむというのにも感心しない。

 とれない責任をむやみに追及してもせんなきかたと言うしかないが、非難追求したがる心情はわかる。

 ゆえに、最終的には「しかたない」という言葉を根底において事に処するのが賢明かなと思っている。
 最初から投げやりというのではないので念のため。

 どうやら、そういうことを2000年前くらいに仏教は教えていたらしいのだが。
 
 
 
 追記:聞き手:作家とはどういうものですか?
    大西 :俺のようなものだ。

 これが番組の最後だった。