2025年3月29日、伏見城から降りてきて前回は行かなかった場所へ行ってみました。
前回は御香宮神社に行ってきました。
今回は、伏見界隈のもう少しディープな場所に行ってみます。
御香宮の前を通ると、気づかなかった表示がありました。
酒は飲め飲めの黒田節、広島か福岡が発祥の地と思っていましたが、何と伏見の福島家屋敷だったそうです。
言われてみれば、伏見が外交の中心地ですものね。
日本号、見たことがありません。また福岡に行ったら見ないといけません。
桃山御陵駅、御香宮からほどなく伏見奉行所跡へ。
今は団地になっています。
何となく壁が土倉風になっていますね。
幕末の鳥羽伏見の戦いでは、ここまで御香宮に本陣を構えた官軍の砲弾が飛んで来たそうです。
ん?
御香宮は北側、伏見奉行所は南側。
何で幕軍が南にいるのだろう、と思ったら、大阪城に入っていた徳川慶喜が幕臣たちが朝廷への嘆願と討薩摩、長州を企てて、やむを得ず、進軍を許可してしまったのです。
本人は乗り気ではなかったのに、部下たちは怒っていて止められなかったんでしょうね。
ですから大阪から北上した幕軍が伏見奉行所を本陣として構えた、なるほど合点がいきました。
ちなみに伏見の幕軍指揮官は竹中重固さん、この人は名軍師竹中半兵衛重治の子孫ですが、鳥羽伏見の戦いで惨敗してしまいます(´・ω・`)
このまま西に向かいます。
近鉄、京阪の線路を越えたところで見事な桜が見えてきました。
いやあ、見とれてしまいます、ウットリ。
ゴージャスな桜、ヒガンザクラと書いてありました。
伏見南浜小学校周辺です。
しかし、うーむ、お酒の匂いがしますです。
月桂冠さん、小山本家酒造さん、黄桜酒造さん他の工場があるのですよ。
酒造メーカーの蔵です、この川を使って流通していたのです。
カッパカントリー!!
♪カッパッパ、ルンパッパ、河童黄桜♪
黄桜酒造さんも伏見でしたか。どうしても月桂冠さんのイメージが強くて、どうもすいません。
そしてもう少し進むと……
2つの寺田屋事件で有名な寺田屋さんに到着です。
旅籠と記してありますが、今は宿泊はやっていないはずです。
しかし、残念ながら坂本龍馬が泊まっていた当時のものではありません( ;∀;)
鳥羽伏見の戦いで焼けてしまい、写真の建物は当時の建物の西に建てられたそうでした。
いつ再建されたのかは不明ですが、鳥羽伏見の戦いは1868年慶応4年1月、寺田屋営業再開は同じく同年には営業を再開していた、らしいですよ( ゚Д゚)
しかし龍馬人気か、凄い人出です。
龍馬先生遭難址ですって。
石碑がありました。横たわっています。
贈正四位坂本龍馬君忠魂碑ですって。
他の文は読めませんでした(´・ω・`)
井戸なんかもありました。こちらは当時のものですって( ゚Д゚)
坂本龍馬さん、写真のポーズで立っておりますよ。
参観料は大人600円で乳幼児お断りの注意書き。
混んでいましたので止めました。
寺田屋を出て川の上を渡ります。
昔は、この川の上を船で行き来していたのでしょう。
京都市土木管理事務所はかつては伏見長州藩邸があった場所です。
船宿寺田屋から徒歩2、3分の距離。
大阪から船で登ると、商人は伏見の宿、雄藩は伏見にあったそれぞれの藩邸で休息するのも納得できます。
先ほどの川、大阪方面は桜が咲いていました。川沿いを散歩する人々は楽しそうでしたよ。
いつもは日曜は大体のんびりするのですが、この時期は探訪に向かいたいです。
明日はどうしようかしら。明日の風に任せて、何ちて。
でわ。
両岸、満開の桜のなか、舟で花見酒…いいですね~!
福島正則…槍どころか、城まで失ってしまいましたよね…いい意味で大きな人だったのでしょうか、、、家来はたまりませんが
寺田屋…再建といってもかなり古いということですね。
かっぱのCM…子供の頃はずかしく見てましたが…現在はやってませんよね?
川沿いの造り酒屋、カッコいいです。
「食らわんか~」
と叫ぶのだそうです。
買わないと途轍もない暴言を吐いて去って行くんですって(笑)
福島さんは酒乱気味の傾向がありますね。
酔っぱらって部下の不始末に切腹を申しつけて、お酒が醒めた後に、
「何々はどうした」
「!!殿が切腹を命じられたので、とっくに腹を召されました」
「なぬー!」
という話があるとかないとか。
部下はたまったものではありませんねえ。