2023年7月1日古淀城に登れませんでした( ;∀;)
古淀城はこんなトコなんですが。
淀城から淀駅に戻ってきました。
周辺観光図ですが、ここには古淀城の表示がありませんね。
唐人雁木跡なるものがありますが、これは朝鮮通信使が上陸した船着き場のことです。
本題の古淀城。
秀吉が側室の茶々を住まわせた場所なのです。お茶々はこれにより淀殿と呼ばれるようになった訳ですね。
先に寄った淀城は違う「淀」なのです、面倒なお話。
あんまり遺構が残っていないそうですが、妙教寺なるお寺がそれらしいということですので、向かいます。
競馬場の治安を守る警備員さんに誘導されて交差点を渡ると、すぐに見えました。
妙教寺ですよ~
お寺がたくさんあります、あ、妙教寺さんですよ。
詳しい説明です。
城の中にあったお寺が妙教寺で、淀古城の名残りが妙教寺ではないのですね、勘違いしていました。
さあ、登城しますよ、と思ったら……!!
やられた!! 結界が張ってあり入ることができません。
残念(´・ω・`)
撤収します。
帰り道に見つけた京都競馬場の騎手バージョンの飛出しボーイ。
君だけが傷ついた私の心を癒してくれるのだわ。
でわ、小雨の中、撤退します、また。
現在の淀城は淀古城の南約500メートルの一二あったのですね。
淀古城はかって秀吉が側室茶々の産所として築かせた城。
豊臣秀次が謀反の疑いを掛けられた際、城主であった木村重茲の
連座とともに廃城とされたそうです。
いや~勉強になりました。
淀や水口は間違えやすいですね。ややこしや。
気づいて調べたりするのもなかなか楽しい訳ですが。
またお越し下さい。