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馬鹿琴の独り言

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超意訳:南総里見八犬伝【第十五回 金蓮寺に大塚番作、仇を討つ/拈華庵に手束、客を留める】

2024年09月08日 | 南総里見八犬伝

 前回までにすでに説明を終えていることだが、伏姫が富山に入ったころは、十六歳の時であり、1457年長禄元年の秋である。
 また金碗入道ヽ大坊は、1441年嘉吉元年の秋、父孝吉が自決した時はすでに五歳であったので、1458年長禄二年富山での伏姫昇天の憂いごとに関わり、俄かに出家して身も心も雲水に任せつつ、仏門修行の門出を出発した。この時二十二歳である。伏姫は年齢わずかに十七で昇天したので、ヽ大坊は姫より五歳年上ということだ。

 長禄という元号は三年にして寛正に改まり、また六年にして文正と改元される。そして文正も元年だけで、また応仁と改められる。これもたった二年にして、文明と改元されてしまった。
 応仁の乱が治まって、軍馬の蹄の跡もようやくなくなり、名前だけの花の都は、元の春のころに立ち返りつつあり、のどかになっていくも、このころのことと言えば、

【1473年文明五年春三月に西軍の山名宗全が病で亡くなり、五月に至って東軍の細川勝元もまた病で亡くなった。ここにおいて東軍西軍の合戦は、決着が着かずに終わった。これを応仁の乱と言う】

 文明という年号のみ長く十八年まで続いた。ここで年月を数えれば、伏姫のことがあってヽ大の行脚の出発した前回、1458年長禄二年から今文明の末までおおよそ二十余年及んでいる。この期間の、犬塚信乃が生まれる前のことを述べよう。今回はまた1441年嘉吉に始まって1487年文明のころに至る話である。

 後土御門天皇の御代、常徳院足利義尚公が将軍であった寛正か文明のころと思われるが、武蔵国豊島郡、巣鴨(すがも)と大塚の里外れに大塚番作一戌(おおつかばんさくかずもり)という武士の浪人がいた。その父匠作三戌(しょうさくみつもり)は鎌倉公方、足利持氏の近習であった。1439年永享十一年足利持氏自害の時に、大塚匠作は忠義の近臣たちと謀って、持氏の子息である春王、安王の二人の若君を守って鎌倉を脱出した。
 そして下野国に行き、結城氏朝に招かれて、主従ともども城に立て籠もり、寄せ手の大軍を引き受けたのである。防戦一方であったが、年を重ねても士卒の心は一致して、弛む気配はなかった。しかし、1441年嘉吉元年四月十六日に巌木五郎の裏切りにより、思い掛けなくも攻め破られてしまった。
 大将結城氏朝父子はもちろん、味方の諸将から恩顧の士卒に至るまで、わき目も振らずに出撃して、奮戦するものの、時が経てば一人も残さず討死し、二人の若君も生け捕られてしまった。

 この時、大塚匠作は今年十六歳の一子、番作一戌を呼んで、すぐにこう言った。
「寄る年波の老いた身だが、生死のことは考えずにここまで来た。百年千年後までもとお守り致そうとしていた両公達もご運つたなく、防戦するも遂に思うようにならず、諸将も死んでしまい、城は落ちようとしている。主君もこのままでは辱めにあうだろう。臣たる者、死すべき時が来たのだ。しかしお前は部屋住みだ。まだお仕えしていない身の上であるから、ここで犬死にすべきではない」
 同じ様な会話が、近くで繰り返されているのかもしれなかった。
「先に鎌倉を落ち延びた時、お前の母と姉の亀篠(かめざさ)は、わずかな縁を頼りに武蔵国豊島の大塚に忍んでいる。あそこはお前も知っている通り我が先祖の生国であり、すなわち大塚の荘園であるが、今はもう名前だけですべて他人の土地である。誰が母と姉を養ってくれるだろうか。これもまた苦しいことだ。お前は生き永らえて、大塚の里に行き、父の最期を告げて、母に仕えて孝行を尽くせ」
 大塚番作は身を震わせて父の言葉を聞いた。
「しかしながら私も犬死にはせず、若君が捕らわれなさったと言っても、柳営、すなわち幕府のご親族だ。さすがにご一族であれば、そう簡単にはお命には及ぶまい。私もどうにか切り抜けて、密かに後を追い、どうにか若君たちをお救いしようと思う」
 後に幕府の裁定は、そんなに甘いものではないと気づかされることになる。
「しかし大きな建物が傾く時、一木では支えることは難しいものだ。お救いできない時には討死して、黄泉路のお供をするつもりでいる」
 匠作は息子に刀を見せた。
「これは主君重代のご佩刀、村雨と名づけられたものだ。この刀については、様々に不思議な話があるのだが、殺気を含んで刀身を抜けば、刀の根本から露を滴るのだ。まして人を切る時には、露の滴りがますます強くなり、刀身の鮮血を洗って流し、刃をきれいにする。例えば、強く降ってすぐ止む雨、すなわち村雨が葉の先端を洗うのと似ている、というところから村雨と名づけられたのだ。実に源氏の重宝であるから、先君足利持氏公が、春王君に早くから譲られなさって、護身刀にされた。若君は捕らわれなさり、今ご佩刀は我が手にある。私が本意を遂げられず、主従が落命してしまえば、この刀は敵に取られてしまう。それではますます残念なことになる。従ってお前に預けようと思う。若君がこの危機からお逃げになることができ、再びこの世に立身なされた時には、一番に馳せ参じてこの宝刀をお返しせよ。また若君も私も討たれてしまったら、これは君父の形見となる。宝刀を主君と見立てて、菩提を弔うのだ。決して粗末に扱ってはならない、良いな、分かったか」
 と説明し、錦の袋に包まれたままの腰に帯びていた村雨の宝刀を我が子に渡すのだった。

 大塚番作は十六歳の少年ではあったが、心意気は逞しく人並み以上に勝っているので、尚も思うことがあった。一言一句も父に逆らうことなく、うやうやしくひざまづいて宝刀を受け取り、
「ご安心下さい、ご教訓、ありがたきまでにかたじけなく、すべて忘れません。小禄のご身分であっても我が父は鎌倉殿足利持氏公の家臣でございました。私は本当に不肖な息子ではございますが、ご主君と父の必死のご奮闘を外から見て、逃げろとのご命令をを喜びましょうか。しかし名を惜しんで誹りを顧みて、父子が一緒に死んでしまえば、それは名声に似て、実は君父にまったく利益がございません。生き延びて母と姉を養えとおっしゃる父のお慈しみは、私だけのことではなく、親子三人の身の上に関わることであり、どうして断るができましょう。とは言え」
 大塚番作は笑おうとしても笑えないでいた。
「再会はきっとかなわないでしょう。ここでお別れでございますので、私、先鋒を仕ります。せめて親子一緒に虎口を逃れましょう。父の鎧の縅毛は派手で目立ちます。雑兵の革具足の袖を外しますので、それにお着替え下さい」
 と父を慰めながら甲斐甲斐しく、逃げ延びる支度を急がせる。
 父は涙で乾かない眼尻を拭いもせずににっこりと笑った。
「番作、良く言った。お前はひたすら血気に逸り、一緒に死にましょうと言って言うことを聞かず、また言いつけを守らないだろうと思っていた。この父親も恥ずかしくなるほどの親孝行者である。元から覚悟はできているので、私も雑兵らに混じって、ひとまず虎口を逃れよう」
 父は息子の進言を聞いてくれたと、大塚番作は少しだけ安堵する。
「しかし共に親と子が一緒に走れば、策略がないも同然。お前は先に落ちるのだ。私はまた搦手から道を変えて走って行こう。急げや急げ」
 と焦燥する声も激しくなった矢の音、戦場の声に紛れていく。攻め入る敵軍、必死の城兵、討たれるもあり、討ち取るもあり、名もなき城方の端武者は足に任せて、風に落葉が舞う様に塀を越え、堀を渡って、道なき道を求めながら、散り散りばらばらに逃亡していく。
 それに紛れた大塚親子も辛くも城中から脱出し、親は子を見つけようとするが、遂にその姿も影も見ることができなかった。子もまた親を探そうとするが、逢うことは決してなかった。

 そもそもこの下りは、第一回の巻頭に描写された結城合戦の落城の時、里見季基が遺訓を伝えて嫡男義実を落とした時と同日のことだ。里見季基は義を重んじる智勇を備えた大将、大塚匠作は誠忠に満ちた譜代の近臣、官職には差があったが、述べることは私事に及ぶものの、恩義のためにその身を捧げ、我が子のために教えを残すという、両者の心は符節を合わせたかの様である。
 人の親としての慈しみは、おのずから出た誠だった。

 こうして大塚番作は、父の必死の戦いを見ながらも、生き延びることは難しいと思った。
 しかし今は火急の時である。父の願いをかなえるのであれば、その今際に思いを馳せ時間を掛けている間に、父子が捕らわれては後悔も立たないことになる。
 一旦悩んだが思いを断ち切って、大塚番作は城中を逃れ出た。袖の印を捨てて、髪を振り乱し、顔を隠して、敵兵の中に紛れていく。そして二人の若君の行方を探すことにした。

 二人の若君を思う心は、父の大塚匠作も同じであった。彼も敵陣に忍び込み、ことの次第を窺うと、春王、安王の兄弟は関東管領上杉清方の部下である長尾因幡介の手中に捕まり、征討軍解散後に鎌倉へ送付される予定と分かった。
 大塚匠作はなおも姿形を変え、成行きを見ようと、結城城落城後一か月後の五月十日過ぎに以下のことが分かった。
 上杉清方は長尾因幡介を警固使として、小笠原信濃介政康を副使として、二人の若君を粗末な駕籠付きの輿に乗せて、京都へ登るというのだ。
 大塚匠作はこの時も小笠原政康の従卒に成りすまして、陰ながら若君たちの供をして、何とかして都への道中の間に救い出そうと考えた。しかし警固の軍勢二百余騎が四方八方を取り囲み、夜も徹夜で本陣にかがり火が灯され、幾つもの隊の指揮官が交代で警備をしており、少しも油断がない。匠作はいろいろと手立てを考えたが、まったく隙がないのだった。

 二人の若君を護送する旅は、五日六日と日を重ねていくうちに、五月十六日に美濃の青野ヶ原を過ぎた。そこへ京都の将軍の使者が訪れて、
「両公達を今更都へ入れずに、路地にて早く処刑せよ。首のみ都へ運べ」
 と固く命令を下した。
 長尾因幡介たちはこれを受けて、美濃路垂井の寺院の金蓮寺に駕籠輿を運び入れた。その夜は住職を戒師として、形式的ではあるが手続きを取った。矢来の四面にかがり火を焚き、春王と安王を敷革の上に座らせて、最期のことを告げた。
 長尾がため息を吐いて退くと、住職は数珠を鳴らし、若君たちにの間近に進んで、静かに丁寧に、仏の道を説いた。春王はおとなしく、弟の安王に対して、
「捕らわれたその日から、いつかこうなると分かっていた。思えば先月結城にて結城氏朝を始めとして、我らのために討ち死にしたたくさんの武士の月命日を迎えるところに、私たち兄弟がその日に死ぬのはせめてもの罪滅ぼしになる。嘆くことはない」
 と慰めると、安王はただうなずき、
「西方とやら、浄土とやらに父君も母君もいらっしゃると人々が教えて下さいました。ですから死して再び亡き親にお逢いできるので悲しいことなどありません。でも冥土の道を良く知らないので、それだけが心細いのです。気後れなさいますな」
「分かった、気後れはすまい」
 とお互いを諫め、励まし合い、泣き騒ぐこともなく、小さな手を合わせて早くも眼を閉じてその時を待つのだった。
 長尾の老臣である牡蠣崎小二郎(かきさきこじろう)、錦織頓二(にしごりとんじ)が刃を持って後ろに立った。これを見た長尾も小笠原も、痛ましいことよと涙ぐみ、雑兵まで鎧の袖を濡らした。
 人々の後方でこれを見る大塚匠作は声も出ず、涙だけは泉の様に湧き、胸は潰れそうになり、そのはらわたはちぎれた。

 私はここにおりますと名乗れるならともかく、名乗られず、深い主従の暇乞いを迎えて、何も言えないのだ。何もできないのだ。
 憤然として思うのは、阿修羅の様に三面六臂があっても、この期に及んで若君をお救い出すことができない、ということだ。殉死して追い腹を切ることはたやすいが、せめて当座の仇敵である長尾を討って私も死のう。いやここは遠すぎる。もし仕損じてしまったら、無駄だ。
 よし牡蠣崎、錦織たちであれば、主君の仇としては一緒だ。奴らを討ち果たして、黄泉路への道しるべを仕ろうと、腹の中で思案し、臍を固めて、刀の目釘を口で湿らした。若君たちの西を巡り、東に行き、少しでも近づこうとしていると、二人が太刀を取り、声とともに刃の光が煌めいた。
 憐れむべきことに、二人の若君の首ははたと地面に落ちていた。
 大塚匠作はああ、と叫び、取り囲んでいた警固の武士を踏み越えて、処刑場の中に躍り入った。
「若君たちの世話役、大塚匠作、ここにあり。恨みの刃を受けよ」
 と怒りの大声で名乗り、二尺九寸(約87センチ)の大業物の刀を抜いて、鋭く振った。刃は、錦織頓二の肩先から胸までをばっさりと切り倒した。
 牡蠣崎小二郎はひどく驚いて、さては曲者め、逃がすものか、と首を切って血に濡れたままの刀を閃かして、素早く振った。それは大塚匠作の右の腕を一瞬で切り落とし、弱ったところを畳み掛け、次に牡蠣崎小二郎は細首を落としてしまった。

 その途端、陣笠を被った一人の雑兵が、群がって騒いでいる兵士たちを押し分けて、やはり処刑場の中に飛び込んできた。そして二人の若君の首を髻こと左手で掴み、更に大塚匠作の首を拾い上げた。匠作の首は髷を口で咥えて、都合三つの首を持ったことになる。
 陣笠を被った雑兵は、腰刀を片手で抜く手も見せず、牡蠣崎を唐竹割に切り伏せた。思いもがけないことに、二百余人の兵士たちは、あれはあれはとどよめくのみである。近くにいた者は呆れるばかりでなすすべもなく、遠くにいた者は手前で騒ぐだけの者に遮られてどうしても進むことができない。
 その隙に例の陣笠の男は、顔を隠していた陣笠を破って捨てて、
「足利持氏朝臣恩顧の近臣、大塚匠作三戌が一子、番作一戌十六歳、親の言いつけを断ることができず、戦場から逃れ出た。父には知らせず、私もまた君父の先途を見果てるつもりで、ここまでやってきたのだ。その甲斐あって、親の仇は討ち取った。我と思わん者は、捕まえてみよ」

【怨みを報いて大塚番作、君父の首を隠す】

奮戦する大塚番作君16歳。

左手に両若君の首2つ、口にお父さん匠作さんの首を咥えて無双中。

若君の仇の錦織頓二さんはすでに首だけになっています。牡蠣崎小二郎さんは唐竹割りにされて、昇天中。

 

 と叫ぶと、長尾因幡介はきっと睨み、
「さては結城の残党がいつしか紛れ込んでいたぞ。あれは二十歳にも至らない童の分際で、何ほどのことができようか。奴を生け捕れ」
 と命令を下した。
「承った」
 数多くの士卒が乱入者を捕まえようと処刑場の中に入ろうとするところを、大塚番作は、真向から梨割り、横から薙ぎ払う車切りといった秘術を尽くして迎え撃つ。その太刀風は草が風になびく様に、紅葉が散る様に、その切っ先に立ち向かう者は皆、深手を負うのだった。
 それは大塚番作の刀が名にしおう村雨だからである。刀の奇瑞は間違いなく発現し、振るたびに切っ先から湧き出る水が霧の様に四方八方に降り掛かるのである。燃えていたかがり火が打ち消されていく。時は皐月(五月)の空であったが、昼の雨雲が更にどんどん重なり、十六日の月がまったく見えず、真っ暗闇となってしまった。
 長尾因幡介の士卒は同士討ちをしてしまい、手傷を追う者が増えていくばかりである。
 大塚番作は、この光景を見て天の助けと更に気合が入る。敵を打ち倒し、切り開き、処刑場の外に出ることができた。そして大勢の敵兵の中に割って入り、隙を窺って金蓮寺の墓場から藪を抜けて、堀を飛び越え、行方知れずとなった。

 油断大敵とは正にこのことであった。世間に慣れた長尾因幡介ではあったが、名剣の奇跡発現によりかがり火を消されてしまい、曲者を捕まえることができず、あまつさえ春王と安王の首を奪い取られ、面目を失うことになった。
 しかしそのままにしておけないので、京都へ使者を走らせて、まず室町将軍へ事件の報告を行い、その夜から四方八方へ手分けして大塚番作の行方を探索させた。だが遂に分からず、いたずらに日々を送るだけであり、京都へ送った使者が帰ってくる始末であった。
 帰ってきた使者が将軍の御教書を取り出し、長尾因幡介はうやうやしく受け取り、中を見た。大略として以下のことが書いてあった。

 春王、安王の首を奪い取られたことは大きな失態ではあるが、すでに処刑しているので、首を盗んだ者には利益もなく、国家に取っては実害はない。
 よって長尾因幡介の今回の軍功に替えて、と幕府は考え、その罪を問わず寛大な処置を取る。
 鎌倉へ向かって、関東管領上杉清方にその旨報告し、残党を捜索せよ。
 
 よって通達、件の如し。

 1441年嘉吉元年五月十八日。
 斯波義淳(しばよしあつ、室町幕府管領)ら献上する。

 これを読むや否や、長尾因幡介一党はようやく微笑み合い、初めて安堵した。
 やがて二人の若君を棺に納め、また処刑場で亡くなった士卒の亡骸と一緒に金蓮寺に埋葬し、次の日垂井を出発して鎌倉に向かって帰投した。
 長尾因幡介の話はこれでお終いである。

 それはさておき、大塚番作は必死の覚悟で、忠考の誠を守って下さる神明仏陀のご加護もあって、辛くも一筋の血路を切り開いて金蓮寺を脱出し、東を目指して夜もすがら走るのだった。
 名も知らない山道に分け入り、木こりの通う細道をたどって、夜を明かした。次の日も休まずひたすらに走るうちに、十七日の黄昏には、木曽の神坂峠手前の夜長嶽の麓に出ていた。
 この道のりを数えると、垂井から二十余里(80キロ)、と言うより三十里(120キロ)に近かった。ここまで来れば追手は来るまいと思った途端、安堵したせいか手足の痛みが酷くなった。自分の身体を良く見れば、浅傷ばかりではあったが、鮮血が衣服を五六箇所真っ赤に染めている。
 それだけではなく、昨夜から飲まず食わずで走っていたので、心身共にひどく疲れている。これ以上は一歩も動けまいとは思ったが、どうにか父の志を思い出して、自らを励ましてまた歩き出した。道中休まず、君父の首を隠す場所を探そうと、苦痛に耐えながらあちこち適当な場所を探してみるが、この辺りは人里も遠く、山々の奥であるから雲は近く、峰は翠、水は白く輝いていた。
 見上げれば青い壁、刀で削った様である。見下ろせば青い谷底、ノミで穿った様に見える。素晴らしい眺めではあるが、いろいろ考えなくてはならない身では、眼に留めてもいられない。風が吹けば追い掛けてきた敵の声と疑い、騒がしく鳴く鳥の声は一人旅の憂いを慰めてもくれないのだ。

【関連地図】

参考までに美濃付近の地図。

番作君、健脚過ぎませんか?

 

 道を歩き今日も十七日の月の影が山の端に登るころ、生け垣で張り巡らせられた白い茅で屋根をふいた貧しい家の近くに出た。門の扉は半分朽ち果てて、荒れた一軒の家である。
 今宵はここに足を休めて一碗の飯を乞おう、と思って庭に進み入り、月の明かりを照らしてみると、ここは田舎寺で持仏堂である。屋根に檜の丸板を額にして、粘華庵(ねんげあん)の三字が掛かっている。それすら漏れた雨に摩滅して、かすかにしか読めない。この辺りは墓所であり、墓石が数多く立っている。

 大塚番作は良く考えた。君父の首を埋葬するのにここはちょうど良い場所だが、二人の若君と父のことを明白に説明すれば、庵主は恐れて必ず受けてくれないだろう。庵主には内緒にして、埋葬した後に宿を頼もうと思案したのだ。
 足をつま先立てて忍び足であちこちを覗くと、持仏堂の片隅に鋤が一丁見つかった。これは良い物を見つけたと肩にかついで、墓所に行き、さあどこに埋めようと周囲を見渡すと、最近埋めたばかりの墓と思われる塚があった。まだ墓石がない。
 この辺りの土はまだ柔らかく、掘り起こして埋めるにはちょうど良いと考え、早速思うがままに穴を掘っていく。新しい仏と並べて三つの頭を埋めて、元の様に土で覆い隠し、大塚番作は跪いて合掌し、念仏を唱えた。
 君父の菩提を文字通り弔ったのである。

 身を起こして鋤を元の場所へ戻したが、相変わらず庵の中には人の気配がなく、大塚番作を咎める声もない。厨房の方に立ち寄って戸を叩き、
「こちらの庵主に申し上げる。私は山道で日が暮れてしまい、飢えて疲れた旅人でございます。憐れみ、お助け下さるお寺とお見受けいたします。今宵、どうかお泊め下さいませんでしょうか」
 と話し掛けて扉を押し開くと、庵主と思われる僧は見当たらなかった。それどころか、思いもよらず一人の婦人がいた。年の頃は十六歳ばかり、素朴な感じはするが、気品にあふれている。露を含んだ野の花が匂いこぼれる風情である。婦人は独り、一本の蝋燭に向かって座っていて、誰か人を待ちわびている面持ちだった。
 大塚番作が声を掛けて扉を開けて進むと、待ち人と違ったためか驚き、そして恐れて、返答しなかった。番作も困り果てていると、婦人も堪えられなくなったのか、つと立って納戸の方へ逃げようとする。
 大塚番作は慌てて呼び止めた。
「お女中の方、そんなに驚かないで下さい。私は山人でも夜盗でもありません。昨日、実はあるところで親の仇を討ち果たし、更に仇の一党を切り抜けて来たのです。昨日から何も食べておりませんので、飢えて、疲れてもうどこにも行けません。せめて一碗の飯をお恵み、宿をお許し下されば、私は生き返りますし、そのご恩は決して忘れません。私には決して悪気はございません、お疑いをどうかお解き下さい」
 と言い、腰の刀を右手に取って、後ろに押しやって、部屋の中に入った。婦人は恐る恐る行燈の明かりを向けて、大塚番作のの姿をつくづく見てため息を吐き、
「まだ年若き方の仇を討ちなさった道中のご難儀を、お救いすることができないのでございます。ただ一碗の糧を惜しんでつれなくする訳ではないのですが、ここは私の宿所ではございません。ご覧の通り寺院ですが、元から田舎のことでございますので、庵主の他には守る人はおりません。私は亡き親の墓参りに参ったのですが、庵主に呼び止められたのです。良くお参りに来すった、私は大井の里まで行く用事があり、黄昏には帰って来るのでしばしの間留守をして欲しいと」
 どうやら事情がある様だ。
「そう言われましたので断れずに、仕方なく留守を預かって今か今かと待っておったのですが、日も暮れてしまい、しかし勝手に帰る訳にも行かずなすすべもなく待っておりました。飯はある様ですが、私が勝手にする訳にも参りません」
 と言うので空腹だった大塚番作はすかさず、
「あなたが言われること、すべて道理ではございますが、庵主のお帰りを待つと言って、車輪の跡で苦しむ鮒の困窮を救わなければ、私はもう市場で売られる魚の干物になってしまいます。つまり、私はひどく空腹なのです。人を救うことは出家の本願、庵主にお断りなされなくても、そこまで咎められることがあるのでしょう。もしお帰りになられて、腹を立てられて飯を惜しんであなたをお叱りになるのであれば、私がよろしく事情をお話ししましょう。どうか曲げて私の飢餓をお救い下さい」
 その乞いにとうとう負けてしまった婦人は、白木の盆に麻の布巾を掛けて、庵主の碗を乗せて、それを大塚番作の近くに置いた。また檜の飯櫃を引き寄せて、飯をうず高く盛って出してやった。干した野菜混じりの粗麦も時にはご馳走となり、皿に盛られた味噌玉は、番作の口を湿らす箸休めとなった。
 大塚番作は、櫃の中の飯が尽きるまで満足するまで食事を終えて、礼と美味かった旨を述べた。膳を押すと、婦人はそれを受けてからこう言った。
「さあ旅のお方。飢えをお救いいたしました。庵の留守に、お若い方と一緒に今宵を明かすことになれば、余人のお疑いを招いてしまいます。一刻も早く出て行きなされ」
 連れない返事にも耳を掛けず、袖を巻き上げて己の肘を差し伸べて、
「これを見て下さい。この様に数か所の生傷がある者が、同じ寝所で寝たとしても何も起きません。それにそんな疑いは人によるでしょう。どうか曲げて一夜を明かさせて下さい。飢えていた腹を満たしたら、今ひとしおに疲れをしまい、一歩たりとも動けません。夏の夜は短く、間もなく庵主はお帰りになるでしょう。曲げて一晩泊まらせて下さい」
 と打ち解けた口調で言われてしまい、婦人はまたもそれ以上言えず、ため息を吐いて、
「具合が悪いことではありますが、私とて主ではございませんので、この上はともかくもあなた様のお望み通りにどうぞ。しかしこんな山寺でございますので、客殿というものはございません。枕を見つけて、ご本尊の御前で今宵を明かし下さい。山里の取り柄は、蚤や蚊がいないことですが」
 大塚番作は笑って、
「無理を言って泊まることができました。喜ばしいことこの上ありません。お礼を申し上げるのに、短い言葉では言い尽くせませんが、誠にお女中のおかげでございます。どうか非礼の段、お許し下さい」
 と話し掛けて、ようやく立ち上がった。婦人は短い蝋燭を渡して、
「これを持ってお行きなさい」
 と差し出すのを、かたじけありません、と礼を言い、右手で受取って、左手で障子を押し開き、持仏堂で寝ることにした。

(続く……かも)

 


超意訳:南総里見八犬伝【第十四回 駕籠を飛ばして侍女、谷川を渡す/錫を鳴らして丶大、数珠を探す】

2024年08月28日 | 南総里見八犬伝

 そばにいた堀内貞行らは伏姫の自決を止められず、あえなくも美しい花を散らせてしまったことが残念で仕方がなかった。
 そんな中に金碗大輔孝徳は、男に勝る姫君の末期の一句に奮わされて、身を置くところがなくなったのか、亡骸の近くに落ちていた血に染まった刀を拾った。そして再び腹を切ろうとする。
 その時、里見義実は大きな声を出して、
「大輔よ、うろたえたか。その身に大きな罪がありながら、私の命令を待たずに自害しようとは奇妙なことをするものよ」
 金碗大輔は震えた。
「伏姫が一旦蘇生したので罪を一等減じることができるが、この山に入る者は首を刎ねよと掟を定めているので、法度を曲げて私が決めるのだ。腹を切ることは許さんぞ、観念せよ」
 と進んで近づき、刃を引っ提げて立った。
「願うところでございます」
 金碗大輔は、居直って合掌しうなじを伸ばす間もなく、煌めく刃の稲妻。はっしと打った太刀風は、思い掛けなくも大輔の髻だけを切り捨てていた。
「これは」
 と見返る罪人も、諫めることができずに呆然としていた堀内貞行も驚き、そして仁君の恩義に大いに畏まった。

 里見義実は氷の様に輝く刀をいきなり鞘に納めて、堪えていた涙を振り払い、
「蔵人、見ろ。私がみずから罪人に刑罰を与えた。法度は主君の制定するところ、主君がまたそれを破るというのは昔の人の金言、もっともなことだ。私がもし皆と今日この山に登らなかったら、大輔に咎はなかった。その首に代えた髻は、大輔の亡父へのわずかながらの厚意である。幼い時から名を大輔としたのは、大国の補佐の臣になれ、と行く末を期待し、私の官職もようやく進んで治部大輔となった。読み方こそ異なるが、文字面は変わらず、主従は同名だ、だからこそ主人である私の身が受けるべき祟りをその身に受けてしまったのかもしれない」
 星祭りの苦い思い出が里見義実に甦る。
「未来洋々たる若者が世の中の埋もれてしまうこと、返す返すも不憫である。親の八郎孝吉は大功があり、大輔も忠がある。親といい子といい、勲功あるが行賞を受けずに、死に臨んで罪に陥ることになっては、主人の私も助けられないなど、我が子の不幸にまして、哀傷の涙を堪えきれない」
 改めて大輔をきっとにらんだ。
「良いか、大輔よ、孝徳よ。我が心を良く悟って、亡き親のため、姫のために、命を保ち、自分自身を愛し、仏に仕え苦行して高僧となって知識を蓄えよ、良いか、心得たか」
 と丁寧に諭すので、金碗大輔は主人の優しさに対し、地に伏して、返答しようにも落ちる涙にむせび、声が出ない。仕方がないとばかりに、堀内貞行は鼻をかんでから進んで前に出てこう言った。
「今に始まらず、主君の仁のお心、大輔、お主の身に取っては、一郡の守護になるより、あるいは万貫の禄をいただける様になるより、満足であろう」
 と言われてようやく頭をもたげ、
「私は真に不肖ではございますが、如是畜生も菩提に入りました。今より日本を回国して、霊山霊場を巡礼し、伏姫の来世を弔い、我が君ご父子の武運をお祈りします。姫上のご落命も剃髪も、みんな八房が原因でございます。犬という字を二つに割り、犬にも及ばない大輔が、大の一字をそのまま、犬の点をいただいて、ヽ大(ちゆだい)と法名にいたします」
 金碗大輔がそう言うと、里見義実は叫んだ。
「良く言った。件の犬は全身に黒白の八つの斑があったから八房と名づけたが、今から思えば八房の二字は、つまり一尸八方に至るという意味だ。一尸は一人の屍。それだけではない、伏姫は亡くなる間際、傷口から白い煙がたなびき、仁義八行の文字が現れた。百八の珠が閃き、文字のない珠は地に落ちて、残りの八つは光を放ち、八方へ散ってとうとう消えてしまった。それには理由があるはずなのだ」
 言い聞かせるように続けた。
「後になれば分かることもあるかもしれない。菩提の門出の餞別には、この数珠の他にはない。大事にするのだぞ、ヽ大入道」
 主君が諭して幾つかの数珠を与えたので、金碗大輔は手で受けて、再三大切に額にかざすのだった。
「これはありがたき我が君の賜物、今から諸国を遍歴して、飛び去った八つの珠の落ちたところを尋ね求めます。元の様に数珠を繋ぎ、百八の数に満たなければ、安房に帰りませんし、お会いいたしません。何年かたっても音沙汰なければ、旅から旅の野ざらしになり、亡骸は飢えた犬の腹を肥やしているとお思い下さい。今日こそ今生のお別れでございます」
 と決心して返答した。
 
 すでにこの時日は暮れて、夜は早くも初更(午後七時ごろ)を回っていた。
 しかし昼よりもなお明るい月には雲もなく、山にはたくさんの木々の影があった。激しく流れる水の音、強く吹き松を揺らす風の声は、断腸の思いを一層悲しくさせた。更に鹿は山の上で鳴き、白露が霜となっていく寂しさ。猿は深山幽谷に叫び、孤独の旅の宿を寒くさせていく。
 滅多に来たこともない者でも訪れれば寂しく感じる深山幽谷である。こんな山奥で、ただ独り心強くも菩提に努めた伏姫のことを考えると、里見の主従はしきりに嘆いた。

 堀内貞行は金碗大輔と話していた。
「姫上の自決で思わぬ時間が掛かってしまった。日は暮れてしまい、山道は険しく、下山は不安である。しかし夜をここで明かすのであれば、姫上の亡骸をいかがいたそうか。毒蛇や猛獣の心配がないとは言えないぞ。進退は困難だが、お主はどう思う」
 と問われて、しばらく考えていたが、金碗大輔は、
「おっしゃることはごもっともでございます。ここで夜を明かすことは配慮がないと言えます。あなた様と私で姫の亡骸をお運びし、我が君にはみずから松明をお持ちいただき、急いで下山いただきましょう。麓にはお供の人々がいる、と承っておりますので、お迎えに参ることでしょう。例え迎えの者たちが怖がって谷川を渡らなくても、向こう岸から会うことができます。この手段はいかがでしょう」
 と語り合う。
 これを聞いた里見義実は、
「伏姫ですらただ独り去年からここにいたものを、弓矢取る身分の主従三人が毒蛇、猛獣を恐れるあまり、一晩亡骸を守ることもかなわず、慌てて麓に下るというのか。それを聞いて姫を思うと、伏姫の覚悟の立派さを知らなかった親として、恥ずかしいものがある。ああ、姫が男に生まれて来れば良かったと思う。妻の五十子に泣き立てられて、心弱くもはるばると自分から姫を訪れたことは、今更ながら慚愧に堪えない。だからこそ、今その死に及んでも私は一滴の涙も出ない。もし姫の魂が未だここを去っていなければ、お前たちの議論は女々しいと、伏姫に笑われてしまうぞ。枝を折って火を焚きつけよ。今更だが私も弁当箱を開こう、急ぐことはない」
 と言うので、堀内貞行と金碗大輔は感激して、まず伏姫の亡骸を洞の中へ入れた。
 主従は入口近くの木の下で車座に座り、静かに夜明けを待った。

 その時、向かいの岸に数多くの松明が閃くのが見え、人々の声もかすかに聞こえてきた。
 堀内貞行は遥かにこれを見て、
「ようやくお供の方々がお迎えに参りましたぞ。さあ、この瀬を渡ってもらおう」
 と言って、すぐに水際に走り寄って、
「そこにおいでの松明は、お迎えの方々か。殿はこちらにいらっしゃいますぞ。私はすでにこの川を渡りました。風聞とは反対に、意外と流れは緩く瀬は浅うございます。早くお渡りなされ」
 声を限りに呼び掛けた。折よく追い風となり、その声は確かに向う側に届いた様である。
 松明があちこちで閃き、坂を下って岸に降り立つと思われる者、先に進む者、後に続く者、声を合わせて馬を引入れながら、多くの人が渡って来る様であった。
 こちらの岸に近づくのを見てみると、思いがけずも現れたのは、釣台にくくりつけられた婦人用の駕籠である。体格の良い男が七八人、赤裸になって駕籠を運んでいた。その他は、麓に残されていた従者や新たに滝田からやってきた者もいた。
 堀内貞行はそれを見て不審に思い、
「あれは何だ」
 と問うと、男たちは水際で駕籠を降ろすと、こう返答した。
「我々は申し合わせておりました。日が沈むまでに殿がお帰りにならなければ、途中までお迎えに参ろうとしていたのです。出発したところに、奥方様から火急のお使いが参られました。そこで一緒に山に入り、急いで向かったものの、しばらく行くほどに日も暗くなり、何とかあちらの岸まで参りました」
 堀内貞行はうなずいて先を促せた。
「そこでお声を掛けていただいたのですが、我々だけで川を渡す手段もございませんでしたので、雨具と松明などを乗せてきた釣台に奥方様からのお使いの駕籠をくくりつけ、どうにか渡らせたのでございます」
 再び堀内貞行はうなずき、
「それは良く話し合ってきたものだ。さあ、使者よ、こちらへ急ぎ参られよ」
 急がせると五六人が立ち上がり、手早く細引きの麻縄を解いて、駕籠の戸を引き開けた。中を見ると、使いの者は侍女の長で年のころは四十あまり、名前を柏田(かへた)といった。かつて伏姫の安否を知るために、使いの命を受けて、向かい側の岸までやってきた者であった。

 火急の使いであったので、道すがらずっと駕籠を担ぐ者たちを急がせてやってきた。駕籠の中には三尺(約90センチ)あまりの白布を結んでおり、その身には衣服の下に帯からみぞおち辺りまで白い練り絹を何周にも巻き、身体を締めている。鉢巻も捩じり巻いていた。
 これは俗に駕籠を早く走らせる早打ちというもので、大変厳しいものだ。長い距離を揺られて来たので、柏田はめまいを起こして、左右の介添えがなければ立つことができないでいた。男たちは、柏田を助けて外に出してやった。
 堀内貞行はまず里見義実の近くに行って、状況を伝えると、柏田も後について里見義実に目通りを行った。
「何の用件で来た。気がかりであるから、早く申してみよ」
 訪問の理由を問えば、柏田は臆することもなく、頭を上げて返答した。
「殿には今朝早く館を出発なさってから、奥様の具合がますます重くなられました。殿はお帰りにならないか、と何度も聞かれ、あるいはうわごとでございますが、姫上がすぐそばにおいでになるような感じでお話になり、そしてお嘆きになるのです。私には奥様が痛ましいこと、限りなく思えました。他の侍女も姥たちも言うまでもありません。義成御曹司もとうとうお慰めに困りなさって、実は父上は姉上を自らお訪ねなさって富山に行かれております、明日は必ず姉上を連れてお帰りになりますとなだめられたのですが」
 柏田は言葉を切って里見義実を見た。しかし何も言わないので続けるしかなかった。
「奥様はひどく驚きになって、富山は名だたる魔所と聞く、殿がそこへ行ったのなら何かが起きずにお帰りにならない、すぐに呼び返してあげなさいとご機嫌悪くされました。これにはいよいよ義成御曹司もなすすべもなくお困りになりました。柏田は富山の案内を知っていると聞いた、と御曹司は言われました。父上が出発なされてからまだひと時も立っていない、急げば途中で追いつくかもしれないので、今すぐ行って事情を話してくれ、とおっしゃいましたので、とりあえず慌てて館を出たのです。一緒に参った者が疲れれば、里々で駕籠を担ぐ者を替えて、歩みを急がせ、辛くもここに参りました」
 と言ったところで、外にいた従者たちが騒ぎ出した。
「向かいの岸にちらちらと見える火の光が見えていたが、今はもう水際に来ている。まさしくあれは駕籠だ。そうであろう、それとも違うのか」
 とばかりに、大きな声でうるさいのである。
 堀内貞行と金碗大輔は聞いた途端、走り出て川岸を見た。
「再度の早打ちか、心もとない様子だ。こちらからも助けてやり、川を渡れる様にせよ」
 そう命じすると、屈強な下僕たちは承ったと返答した。十人ばかりで例の釣台を抱え上げて、川の流れを切り、石を踏み避けて、向う側に行った。

【使者の早打ち、夜に水を渡す】

扇子を持った堀内貞行さんと馬。

左の川の中には駕籠が見えますが、何かあっぷあっぷしてそうで怖いです。

ちょっと激流すぎませんか?

 

 柏田の時と同じ様に新しい駕籠と釣台をくくりつけ、従者とともにやがてこちら側に渡ってきた。駕籠を下ろして戸を開くと、中からまた一人の侍女が現れた。年頃はまだ二十になっておらず、名を梭織(さおり)と呼ばれる者である。艶やかで美しい髪と額にねじ切りの鉢巻きをして、強そうに見える格好は、柏田よりも見映えがした。
 梭織は駕籠を出た途端、気絶してしまい、たちまち倒れてしまった。堀内貞行と金碗大輔孝徳は驚きながらも、顔に清水を注ぎ、薬を飲ませてやった。
 介抱しているとやがて梭織は我に返り、二人に礼を言い挨拶をした。元から使いの役に選ばれた者であるから、長駆の疲れをものともせず二人に誘われて、里見義実の前に出た。
 里見義実は声を掛けて、
「一度ならず再度の使いとはいよいよ気がかりなことだ。五十子はいかがした」
 と聞けば、梭織ははらはらと流れる涙を拭わずに、
「奥様は今朝、巳のころ(午前9時から午前11時の間)に」
 最後まで言えずに沈黙してしまえば、先に来ていた柏田が泣き出してしまった。
 里見義実は嘆いて、
「こと切れたか」
 梭織はわずかに頭をもたげ、
「ご臨終のことをお話いたしますのは、容易なことではございません。柏田がお使いに出発した後、すぐにお亡くなりになりました。義成御曹司が言われるには、騎馬でこのことをご報告するのは簡単だが、お忍びのご入山であるので差しさわりがある。お前は以前に柏田とともに密命を受けて富山に行ったことがあると聞いているので、山に向かって父上にお伝えして欲しい。今晩を過ごすな、早く行けとお急がせになるので、そのまま駕籠に担がれて参りました」
 と言ったので、金碗大輔と堀内貞行は顔を見合わせてから、頭を垂れてため息を吐く。
 里見義実は子細を聞くと、
「五十子の今際の願い、聞き届けられなかったことを残念に思うが、娘の末期に逢えなかったのも幸いなのかもしれん。もしも明日まで生き永らえたとしても、姫が帰っても何と言うべきだろう。お前たち、あれを見よ」
 侍女たちは、里見義実の指し示す洞穴を見て、置かれている亡骸に気づいてしまった。柏田と梭織は胸を騒がして、差し込む月の明かりを頼りに、洞穴の中を何度も見て、等しく同時に声を出していた。
「これは姫上におわします。猛獣に傷つけられなさいましたか、そうでなければ刃で果てなさいましたか。何という浅ましいことでございましょう、お痛ましいことでございましょう」
 亡骸の周囲で二人は伏して、涙でむせ帰る様に泣いた。
 さすがの里見義実も見ておられずに、堀内貞行らに言う。
「義成がさぞかし待ちくたびれてことだろう。人々がたくさんいるので、朝に掛けて山を下ろう。金碗大輔は十余人の下僕とともに留まって、明日は伏姫の亡骸をこの辺りに埋葬せよ。また犬の八房も埋めよ。思いもがけず姫が話し相手を得ることができた。柏田も梭織もこのまま、今宵一夜は残ってくれ。母の使いを今は亡き姫の御霊に手向けとして、通夜をせよ。埋葬の儀はこの様にせよ」
 と、丁寧に指示し、侍女たちを労い、従者たちをも賞してやった。そして従者が引いて来た馬に乗り、川岸に向かっていく。
 残った者は金碗大輔とともに主人を見送り、主人に従う者は堀内貞行とともに松明を照らして、川の瀬踏みをしつつ渡って行った。

 次の日昼過ぎになって、富山の麓の村長は、僧侶と百姓とともに棺を担いで、喘ぎながら洞穴を目指してやってきた。明け方に里見義実は滝田へ帰城の折り、途中で堀内貞行に命じて、麓の村長らに俄かに棺と葬式の道具を作ることとそれを山中の金碗大輔に渡すことを行わせたのである。
 またこの日から木こり、炭焼き人の他すべての山で生活する者に、富山の出入りの自由が許される様になった。

 こうして入道となった金碗大輔は、村長から棺を受け取って、まず伏姫の亡骸を納めてやった。洞穴を浄めて墓所とする。しかし墓のしるしとなるものがない。ただ松と柏の常緑樹が繁っていて、それが自然と墓標となった。
 後に麓の人々が伏姫のことを伝え聞き、これを呼んで義烈節婦の墓と言う様になる。

 また八房も土葬にした。八房の亡骸は厨子に納めて、敢えて棺を用いなかった。
 そしてその厨子を、伏姫の墓から三丈(約9メートル)ばかり戌の方角(西北西)、ひのきの老木の下に埋めた。人々はそれを呼んで犬塚と言う。
 葬送がこの様にすべて質素に行われたのは、里見義実がかねてから金碗大輔に命じたためである。姫の志を汲んだのだ。

 すべてが終わってから柏田と梭織は、下僕たちを連れて泣く泣く滝田へ帰っていく。麓の村長や法師たちもそれぞれの里へ帰っていく。
 その中で金碗大輔孝徳は、円頂黒衣、つまり髪を剃り、法衣を身にまとって、ヽ大坊と法名をつけてしばらく山に留まることにした。伏姫の遺した法華経を読んで唱えること、一日一夜も休むことなく四十余日に及んだのである。

 滝田では奥方五十子の葬式が執り行われ、亡き人々のためにお布施の米がふるまわれて、貧しい民を賑わせた。また洲崎の行者の石窟へ堀内貞行を遣わして、寄進をして、参詣者のために参道の整備を行った。
 人は皆、この上ない功徳であると言った。 
 
 早くも五十子と伏姫の四十九日が近づくと、里見義実の嫡男義成を施主として、滝田の菩提院で大斂忌の四十九日法要を行うと人々は囁いた。
 里見義成は、この法要にヽ大坊を呼べ、と使いの者を富山に遣わしたが、ヽ大は山には不在であった。尚、あちこち探す中で、木こりらが以下の様に言った。

 例の法師は前から準備をしていた。仏具を入れた笈の箱を背負い、錫杖を衝き鳴らして、今朝山を下る時、木こりたちを見返って、滝田の殿からこの入道をお尋ねになることがあれば、その様に申せ、と言ってどこかへ出て行ってしまった。
 お待ちになられても、きっと法師はお帰りになりません。

 成果なく戻った使者は、滝田へ立ち返り、木こりから聞いた話を報告すると、里見義実は感心した。
「大輔は、いやヽ大は、以前、六十余国を遍歴して、飛び去った八つの珠を繋げなければ生涯安房には帰らないと誓っていた。再会は恐らく無理であろう。残念であるが」
 そう呟いて、二度と行方を探さなかった。
 しかし心には絶えず気に留めていたのだろう、ヽ大坊が無事に帰ってくることがあれば、と身を寄せる場所として、翌年伏姫の一周忌のころまでには、富山に一棟の観音堂を建立した。伏姫の生涯、八房のことさえ書き記して、姫の遺書とともに厨子の中に納めたのだ。
 今なお富山に観音堂がある。
 こうして何年経っても、ヽ大坊は音信はなかった。結局、ヽ大法師の行方はどうなったのか。それは後々の巻で明らかとなる。

 作者曰く、この書の物語の第一巻から今この巻までは、すなわち一部小説の開幕部分であり、八士出現の発端である。これより次の回は年月は続くことがなく、大分後のことに及んでしまう。
 その間に物語はない。例えば水滸伝で、龍虎山において洪信たちが石碑を開くところから、林冲たちの出現までの間は数十年、物語はないに等しい。

 またこの回の挿絵で金碗大輔孝徳が川を渡る図は、文外の画、画中の文である。この挿絵に頼らなければ、突然、雲霧が晴れていくことが分かりにくい。
 また侍女の早打ちに、柏田、梭織を描くのに、それが描かれているところを第十一回で表し、実際に登場するところを後に、今回の第十四回で出した。侍女たちの小伝、来歴、後に登場人物の口から語ることもある。出演を先にして、経歴を後にすることもある。
 挿絵もそれに従うのである。しかし挿絵画家は絵を描くのが主であるから、作者の意を捉えられないこともある。時には齟齬があるものだ。
 読者もよろしく察して欲しい。

 

(続く……かも)

 

 

 

 


超意訳:南総里見八犬伝【第十三回 文を残して因果を自ら訴える/雲霧を払って、妖魔初めて止む】

2024年08月10日 | 南総里見八犬伝

 長く暗い無明の眠りから、伏姫は覚めた。

 昨日、童子から思いがけずも話を聞かされたが、あれは夢ではなかったのか。童子の言葉の怪しさを疑う間もなく、思い出すと涙の雨にあふれるのだった。
 袖だけではなく、はらわたを絞る様に泣き、むせかえり、嘆き、そして沈んだ。しかし心映えは人並み以上で、日頃から雄々しい伏姫ではあったが、騒ぐ胸を押し鎮めて、顔に掛かる黒髪を掻き揚げて眼を拭った。

「情けない、前世の罪の軽重は分からないけれども、とうとうこの身に報いが来て、ここまで思い悩ませる恨みの執念の深さが怖い。親の上に降り掛かるはずだった祟りを負った、と聞かされては、この世は、そして来世まで奈落の底に沈もうとも、悔しくはない。ただ恥ずかしく、悲しいのは、親のため、人のため、邪まな心など持ってもいないのに、どうして犬畜生の気を受けて八つの子を身に宿しなくてはならなかったのか」

 姫は嘆いた。

「そもそもこの山に入った日から、お釈迦様が入滅なさった林に分け入り、お釈迦様が法華経を説いたという霊鷲山を仰ぎ、不退転の決意で読経の他は何も考えずに生きてきた。なのに仏もお救い下さらない、神さえお助け下さらない。身籠ったのが本当ならば寝所を別にしていても、それを証明する証はない。私だけではなく親の恥、九世輪廻転生をしたとしても、遂に潔白を示すことはできずに、ただ犬畜生の妻と言われ続けるだろう。生きてこの恥辱、死んでからの恨み、例えられるものがない。こうなるとは、露ばかりとも思わなかった」
 苦悩して、惑うのである。
「滝田にいた時に犬を殺して、私も自決しなかったことが悔やまれる。死すべき時がありながら、死に遅れたのも前世の罪の罰か。仏の教えにある善巧方便、臨機応変に手だてを講じて人を導くことと教えにある通り、因果応報というにもあまりな所業。子供が生まれるからと言って、父母や実家の幸福だとしても、犬の子供の出産では恥にしかならない、悲しいことに」
 と声を立てて、傍らに人がいるかの様に呟いた。賢しい心は乱れつつ思い悩んで、すすきの野原の下に横になるのだった。

 秋の日陰は心地良かった。昼間には暑さの名残りがあって、岸で水浴びをしていた鴉が山の頂近くで鳴き、伏姫は寝そべったままきっと仰ぎ見た。

 私以外に人間は誰もいない、この地は真に畜生道、この身を引き裂く剣の山道に追い立てられて登らされる阿鼻地獄、来世もきっと思いやられるだろう。

「それにしても、あの童は不思議な子だった。私の過去と未来を隅々まで知っていた。天眼通の予知能力で見ていたかの様だった。それだけではなく、話し方もさわやかで、山を走る川の流れよりも澱みがなく、吉兆を見通す力が明白だった。昔の陰陽師や俯せの巫女であっても童子にはかなわないだろう。あの童子は神のような力を持っているとでも言うだろうか」
 
 元よりこの安房には、年齢数百歳になるという医師がいるとは知らなったので、仕える童子もいるとは思わなかった。
 或いはあの童子は嘘を言っており、単なる薬師の弟子に過ぎず、薬草採取を仕事にしている者なのかもしれない。住んでいるところも定まっておらず、この山の麓に住んでいると言い、或いは洲崎にもいると言う。あの言葉から考えると、これはまた役行者の奇跡なのであろうか。

 そういえば昔もこんなことがあった。幼い時のことで詳しくは覚えていないけれども、入手した数珠はいつも身から離さず、祈りと読経を怠らずに過ごしていたので、再び奇跡を見せてくれたのだろうか。しかし遂に逃れられない因果応報には、神と仏もなすすべがない。
 私の様な凡人の悲しさは、境地を悟ることがなかなかできず、迷いやすいということだ。
 私のお腹にいるという八子は、形を作らないでここに生まれ、生まれた後にまた生まれる、とはどういうことなのだろう。
 また子を産む時に親に会い、夫に会うとは、更に訳が分からない。かりそめにも許婚の相手はいないのだ。このことだけは当たっていないが、もし父上がはるばる会いに来て下さるというのなら、合わせる顔がない。身重になったことを家族に知られて恥ずかしい思いをするより、流れる水に身を投げて亡骸も分からない様にしてしまえば、死に恥も隠せるはずだ。ああ

 姫は自問自答し、ようやく決心した。折り敷いた草に膝を突き立てて身を起こし、水際に立ち、
「しかしこのまま川に身を投げてしまえば、川の向こう岸にまで侍女たちを遣わしてくれた母上の慈悲を知らなかったことが罪に等しくなってしまう。一筆残しておけば、因果応報と諦めてくださるだろう、読む人がいなければ私の文も朽ちてしまうだろうが、それでも構わない。文を書く間、命を少しだけ伸ばしておこう」
 と独り言を言い、折って捨てた花をすくい上げたが、ほろほろと落ちていく。
 散り際を決めた伏姫は、心も足も弱々しく、元の洞に入っていった。

 そのころ八房は、自然薯の山芋や枝つきの木の実など咥えて持ち帰り、姫の帰還を待っていた。
 姫の帰りを見て一反(約12メートル50センチ)あまり走って出てきた。その長い袂にまつわりついて、後につき、前に立ち、尾を振って鼻を鳴らすのである。
 姫を迎え入れて、採ってきた食べ物を勧めるが、当の伏姫は八房を見るのも嫌で疎ましく、言葉を掛けたりもしない。石室の端に座って、硯で墨をすりながら残り少なくなった紙のしわを引き延ばして、自らの身の上から役行者の顕現まで言葉短く道理をつくして一生懸命書くのだった。

 折しも、水の音が轟き、古代中国の楚の詩人、屈原の亡国の恨みを思わせた。松の木は、山の上で詩を吟じた我が国の有間皇子の無常の死を示すのである。
 有間皇子は、斉明天皇と中大兄皇子こと後の天智天皇に対し謀反を謀ったとされ、絞首刑に処せされている。その時の辞世の歌が、

 磐代の 浜松が枝を 引き結び ま幸くあらば また還り見む

「古から今の世まで、賢い者も愚かなる者も、正直な者も性根の曲がった者も、不幸にも屍を道や溝にさらされることがあるだろう。妻や子に至っては数え切れずさらしていることだろう。いろいろあるが、我が身は一つ、滅多にない理由で、骸も残さず死んだ、と聞けば、母上がお聞きになれば、そのまま母も息絶えておしまいになるかもしれない。そこまでいかずとも、愛娘を喪うという限りのない悲しみを、母に余計に与えてしまうかもしれず、それはまた不孝の罪であり、あがなう時はない。何度も死んでしまおうと思ったが、諦められないのがただ父母の恩愛の絆。どうかお許し下さい」
 と言えば、涙があふれ、遂には雫が川になるまでになった。深い思いを筆に言わせて記し、文を読み返し、文を巻きながらため息を吐いた。
 阿弥陀如来のお力を借りなければ、煩悩の手綱を断つことができはしない。冥土への旅の門出には、念仏の他にはないと思い返して、手折った菊の花に清水を注ぎ、仏に手向けようとした。
 そして襟に掛けた数珠を取って、押し揉もうとするといつもの音がしない。不思議に思って数珠を見返すと、如是畜生発菩提心の八文字は跡もなく、いつの間にか仁義礼智忠信孝悌に変わっており、その字は鮮やかに読むことができた。
 伏姫は奇跡を見ても尚疑いを解くこともなく、考え込んだ。

 この数珠には、始め仁義礼智忠信孝悌の文字があった。八房に伴われてこの山に入った頃、如是畜生発菩提心の八文字になり、文字通り八房もまたここに仏道に帰依した様である。しかしまた文字は変わり、元の様に人道八行たる仁義礼智忠信孝悌を示している。神仏のお導きは、自分の様な凡人には測りがたいのだ。あさはかな女の知恵で何と断じてわきまえてはいけないのだ。
 思うに私は犬の気を受けてただならぬ身となってしまい、遂に非業の死を迎えることは、畜生道の苦難の様だ。しかし仏法の功力にて、犬の八房さえ菩提に入った。来世は仁義八行の人間道に生まれることをここに示してくれたのだろうか。そうでなければ八房をも、我が手で殺してしまえば畜生の苦しみを取り除く手立てになる。
 いやそれは仁の道ではない。
 八房は、主人のため大敵である安西景連を滅ぼしたのだ。考えてみれば、これはこよなく忠の行為である。またこの山に入った私を去年から飢えない様にしてくれている。私を養ってくれた恩もある。来世、人と生まれて富豪の家の子になっても、忠を示して恩義がある者を、今無情にも刃で死に導くなど、忍びないことだ。
 今までの事情をありのままに話して、生死は八房自身に任せよう。
 
 そう思った伏姫は数珠を左手に掛けて、前足を突き立ててこちらを眺める犬に向かって、
「八房よ、私の言うことを良く聞きなさい」
 と呼び掛けた。
「この世に不幸な者が二人いる。一方幸福な者が二人いる。私とお前だ。私は安房国主の娘だが義を重んじた故に犬畜生に伴われることになった。これが私の身の不幸だ。しかし穢さず、犯されず、思いも掛けず世を逃れて、自得せねばならないところに仏のお導きを乞えば、遂には念願成就して、今日極楽浄土への往生の願いを遂げようと思う。これがこの身の幸福だ。またお前は犬畜生ではあるが、敵を倒した大功によって国主の娘を得た。人間と畜生の道は異なりお前の欲望は果たされることはないが、その耳に仏法の尊きを聞いて、遂には菩提の心を起こした。これがお前の幸福なのだ」
 伏姫は犬に言い聞かせる。

 しかし現世では命も形も変える方法がないので、四つ足の獣の苦しみから逃れられない。
 生きていてはそれ以上賢くなることもなく、死んでしまえば獣としてただその皮を剥がされるかもしれない。
 これはお前の不幸なのだ。
 八房が生まれて七八年、普通の犬や馬と比べればその命は短いとは言えない。
 いたずらに生を貪り、私が死んだ後に人里に戻れば、人々に疎まれ、嫌われ、鞭で打たれて、皆の呵責はたちまちお前の身に及ぶだろう。
 またこの山に留まるとしても、明日から誰がお前のために経を読むというのか。読経が耳に入らなくなれば、菩提の心を遂には失うかもしれない。

 もしかすると、生を終えて死を受け入れて、人間としての道を乞い願うなら、来世には人に生まれ変われるかもしれない。この道理を良く知ったのであれば、同じ流れに身を投げて共に彼岸に至るとしよう。しかし焦ることはない。私も浮世との別れが名残惜しい。

 まずお経を読んでから、心静かにあの世へ行くとしましょう。お前も良く経を聞いて、終わろうとする時に起き上がって水辺に赴きなさい。
 不覚にも命が惜しくなったのであれば、野原なり人里なり好きなところに行って老いて死ぬが良い。人道としての因果を得ることはできないけれど、その点は良く考えなさい。

 八房は伏姫の説教を聞きながら、頭を低くし憂いる様に、また尻尾を振って喜んでいるかの様に、そして感涙の涙を流している様にも見えた。
 伏姫は犬の有様をつくづく見て、八房が本当にある種の境地に達していると考えた。里見家を恨むものの化身であろうとも、すでに悟りを得たからには、弟の義成の子孫の代まで決して祟ったりしないだろうと。
 安心して、遺書と法華経の中の提婆達多品(だいばだったぼん)の一巻を手に取って、洞から少し出て、読経した。終わると遺書をお経に巻き、この石室に残すつもりで平らな石を机にして座り込み、遺書と経を額に押し当てて、しばらくの間念を込めた。
 また経を読むと、八房は耳をそばだてて一生懸命に聞くのである。その姿はどこか切なかった。

 そもそも提婆達多品は、妙法蓮華経の五巻にある。
 八大龍王の一人、娑竭羅龍王(しゃからりゅうおう)の娘が八歳にして賢くも聡明であり、深く禅定に入って仏門を悟り、菩提を得た話を記した経文なのだ。
 婦人には穢れがあり、元から仏道を極めることができない。またその身に五つのさわりがあるために悟りを得ることが難しいのだ。
 しかしこの八歳龍女は、幼いながらも完全なる悟りを得た。これは悟りを得た最初の女性なのである。

 伏姫はその最期に至って、自分のため、また犬のために提婆品の経を読んだ。今を限りと、声高く澄み渡り、流れる様に読む。蓮の糸を引くように極楽往生の縁を結ぶ様に。泉が走る様に美しく。
 山の峰を渡る松風は読経を助け、谷の木霊もそれに応じた。昔の僧は石を聴衆として、経を聞かせたと言う。伏姫は素晴らしい菩提心を持っていた。

 読経もそろそろ終わるころ、
「三千衆生発菩提心、而得受記、智積菩薩及舎利佛、一切衆生、黙然信受」(三千の衆生菩提心を発して授記を得たり、智積菩薩及び舎利弗、一切の衆会黙然として信受す)
 と読んでいると、八房がいきなり身を起こして、伏姫を振り返って見つめた。

 

【妙教の功徳、煩悩の雲霧を披く】

お、役の行者小角、神変大菩薩様と悪霊玉梓が並んでますよ。

 

 そして水際を指して歩くうちに、向かい側の岸から鉄砲の音が高く響いた。
 飛来した二つの弾の一つに八房は咽喉を撃ち抜かれて、煙の中にはたと倒れ込んだ。
 もう一つの弾は伏姫の右の胸を撃ち、あっと一声叫んで、経典を手に持ったまま、姫は横に転ぶのだった。

 昨年あたりから川より向うは靄が深く、晴れ間もなかったが、今の鉄砲の音とともに霧は晴れ渡って行った。その中から若い一人の狩人が柿色に染めた脚絆と甲掛けを身に着け、むしろで織った頭巾の緒を緩めながら、右手に鉄砲を持って現れた。
 狩人は向かいの岸に立ち、流れる水をきっと見て、浅瀬の見当をつけており、やがて岸から渡り出した。鉄砲は肩に掛けて、こちらを目指して歩くのである。
 川の流れは速かったが、思ったよりも底が浅く水は腿よりも低かったので、若者の狩人はますます勇んでいる。その勢いは猛虎が虎の子を背負っている様に、酔った象が牝の象を追っているかの様に、力強く足を踏み進めて、川幅十丈(約30メートル)あまりある流れを渡って、あっという間に岸に上がった。
 そして鉄砲を振り上げて、倒れた八房を五六十度も叩いた。骨を砕き皮は破れ、もう甦りそうもないのを見てから、若き狩人はにっこりと笑って、鉄砲を投げ捨てた。
 では姫上を、と石室の近くに進んだが、見ればまた伏姫も倒れており、息も絶え絶えだ。驚いて慌てて抱き起してみた。
 傷口を見ると、幸いなことに浅い様だ。狼狽して懐から薬を取り出して、姫の口に注ぎ入れ、しきりと名を呼び続けるが、手首の脈は絶えようとしており、全身は氷の様に冷たい。もし三国時代の名医華佗元化の医術を持ったとしても、助けられそうもない。
 若い狩人は天を仰いで、数回ため息を吐いて、
「悲しいことに私の行為も、考えるところも、ことごとく願いと食い違う。今までずっと晴れなかった霧もようやく晴れて、八房を撃ってみれば、あまった弾で、姫上さえ遂にこと切れてしまった。不意に出没する犬にも恐れず、元よりここは禁断の山と知りつつ身上を忘れて、命を捨てて姫上を救い出そうと思った忠義は不忠となり、また加えて万倍もの罪を犯してしまった。百回も悔い、千回も悔いても、今は覆すことができない。心ばかりの申し訳に、腹を掻き切って、姫上の冥土のお供仕ろう。お待ち下さい」
 と襟を開いて、腰の刀を抜いて手拭いを巻く。
 南無阿弥陀仏と唱えて、切っ先を脇腹へ突き立てようとした瞬間、誰が放ったか分からないが、常盤木の林から弦音高く放たれた矢が、狩人の右手の肘を射た。驚いて持った刃を落としてしまい、驚いて見返した。樹木の間から高い声で、


「むささびは木末求むとあしひきの山の猟夫にあひにけるかも」
(むささびが渡る梢を探していたら、山の猟師に出会ってしまった様だ)

 と万葉集の志貴皇子の古歌を口ずさむ声に、狩人は、
「これは誰の仕業か」
 と問えば、
「早まるな、金碗大輔、しばらく待て」
 そう呼びとめて、里見治部大輔義実が現れた。義実は熊の皮製の足を覆う毛皮を履き、豹の皮でできた太刀を雨露から防ぐ鞘、籠手を身に着けている。
 弓矢を携えて、木陰から進み出てきた里見義実には、後に従う従者はなく堀内蔵人貞行のみ従っている。堀内貞行は精悍な恰好であり、主人の左後ろに構えていた。
 里見義実は憂いた表情で、伏姫の亡骸を尻目にして、愛娘の最期のことについては何も言わないでいた。いち早く、辺りに落ちている数珠と遺書を見て、堀内貞行に拾う様命じた。
 堀内貞行は急いで拾い上げて、主人に渡した。里見義実は弓矢を捨てて、数珠を刀の柄に掛けて、まず遺書を一句一段嘆くことなく読み、堀内貞行にも見せた。
 その間、金碗大輔は慚愧し、その身を置くところがない。額には冷たい汗を流し、刃を膝の上に置き、ただ平伏するのみであった。
 里見義実は傍らの石に座り、金碗孝徳大輔に向かって、
「珍しいな、金碗大輔。お前は不覚にも法度を破ってこの山に入るどころか、今、伏姫と八房を撃ったのには訳があるのだろう。刃を収めて、詳しく話せ、どうだ」
 しかし金碗大輔は返事もせず、面目もない様子で、しばらくの間、頭も上げないのだった。
 この様子を堀内貞行は見かねて、
「大輔、殿の仰せである。まず刃をしまって、ご返答をいたせ」
 何度となく言われて、金碗大輔はようやく頭を上げて、刃を鞘に納めて脇差しとともに堀内貞行に渡した。少し引き下がって、堀内貞行に向かってこう言った。
「死に後れましたが、そのお陰で図らずも殿のご尊顔を拝し奉る喜びも、重ね重ねの落ち度ばかりで、今は後悔の他ございません。申し上げるべきたくさんのことも、この期に至っては詮なき所業、自分の非を飾る様ですが、ただひとくだりだけ申しあげます」
 金碗大輔と呼ばれた狩人の眼は、心なしか潤んでいた。
「去年安西景連に謀られて、救援のお使いの任を果たせず、逃れて帰る道すがら、追手の敵兵と戦いました。辛くも滝田へ立ち返りましたが、早くも安西の大軍が満ちておりました。幾重にも取り囲んで降りましたので、城に入ることは遂にかなわず、せめて堀内殿と力を合わして少しでも忠を尽くそうと思いまして、東條へ走りました。しかし、その甲斐もなく、東條も蕪戸訥平の大軍に囲まれていました。敵は城の虎口を退かず、夜はかかり火を灯し、番兵も油断せずにいました。翼なくしては城中に入ることができません。こうなれば一騎になっても敵陣へ突入して死のうと決心いたしましたが、よくよく考えてみれば、犬死は無駄なことと思いました。個々の力は一致団結した力に及ばないのです。滝田も東條も兵糧が乏しく、まことに蜀漢の諸葛亮が述べた通り、危急存亡の秋なのです。私は鎌倉へ推参し、鎌倉管領家へ急を告げ、援兵を頼んで両城の囲みを切り崩せば、と考えて」

 白浜から船に乗ったこと。
 鎌倉に赴いて事情を述べ、急を告げ、援兵を乞うたが、主君の書簡がないので信じてもらえないどころか疑われたこと。
 無駄な数日を過ごし、空しく安房に帰ると、仇敵安西景連がいつの間にか滅んでいたこと。
 里見の殿が安房一国を治める様になったこと。
 しかし喜んだものの、手柄もなくおめおめと帰参ができないこと。
 時節を待って必ず功を立てて、帰参するため、それまでの隠れ家として、故郷の上総にある天羽の関村に行き、祖父一作の親戚の百姓の家に身を寄せたこと。
 空しく年を越して、晩秋になったころ、姫の噂を聞いたこと。犬の八房に伴われ、富山の奥に入られたらしいということ。
 密かに富山に分け入り、犬を殺して姫上を救い出すことができるのであれば、前の失敗を償い、更に帰参できるはずだと思案したこと。
 隠れ家に戻って、準備した鉄砲を引っ提げて山に入ること五六日、姫上の行方をひたすら尋ねたが、岸は霧が深く、一日も晴れたことがないこと。
 水の音だけが凄まじく、広さも深さもまったく分からなかったが、聞いていた尼崎輝武の溺死のことを思い出し、この辺りに違いないと思ったこと。
 簡単には川を渡れないこと。川に隔てられてその奥を見ることができず、今日も空しく過ごすのかと苛立ったこと。
 とうとう疲れ果てて水際の松に腰掛けて眺めていると、見ようにも見えない谷川の遥か彼方から経を読む声がかすかに聞こえてきたこと。
 その声こそと騒ぐ胸を鎮めて、水際に進んで耳を澄ますと、やはり女性の声であること。
 疑うこともなく姫上に間違いない、と考えたが、いまだ姿を見ることができないこと。
 今こそ神明仏陀の助力を得なければと、安房の洲崎大明神、那古の観音大菩薩よ、この孝徳の忠義を空しくなさるな、この霧をどうか晴らして川をたやすく渡らせたまえと真剣に祈ったこと。
 しばらくして眼を開くと、不思議なことに今まで視界を隠していた川霧が拭われたかの様に晴れ渡ったこと。
 前方を遥かに眺望すれば、石室と思われた辺りに見えているのが、姫上だったこと。思ったより瀬は浅く、心が勇ましくなったこと。

 と今までのことを説明した。

「川を渡ろうとした時に、八房はこちらを見て、水際を目指して走って参りました。奴を近づけては都合が悪い。撃ち取ってから後で石室の方へ行こうと思い、鉄砲の狙いが良いところに来ました。持っていた鉄砲を構え直して、二つ玉を込めて狙い定め、火蓋を切れば、犬は水際で倒れました。狙い通りと流れの早い川の水より早く渡って、良く見れば姫上も玉に傷つけられて、犬と同じ様に倒られていました。しかし傷は浅く、何とかしてお救いできないかと心をつくし、手をつくしましたが、こときれてしまい、もはや手立てはござません。自分の不運とは言いながら、八房を倒すつもりが明らかに自分が失敗してしまい。後悔がもはや立ちませんので、せめて冥土のお供をしようとすでに覚悟をきわめたところに、思いがけなくも殿に止められました。死ねないのも天罰かもしれません。法度を犯してこの山へ忍んで入るだけではなく、姫上を失ってしまったことは、これ八逆の罪でございます。我が君が思うままに刑罰をお与え下さいます様乞い願う他はありません。堀内殿、どうかお縄をお掛け下さい」
 と背中に手を回して訴えた。

 堀内貞行は金碗大輔の真心を知り、言葉を聞くごとにうなづいた。そして主君の顔色を伺えば、里見義実の嘆きは大きかった。そしてしばらくしてから、口を開いた。成功と失敗は人間の力では何ともできず、凡人の知恵で図ってはならないのだ。大輔よ」
 里見義実は金碗大輔を見つめた。
「お前には罪がある。刑罰は逃れられないが、伏姫の死は天命である。もしお前に撃たれなかったとしても、姫は必ず身を川に投げていただろう。貞行、姫の遺書を読んで聞かせよ」
「承知いたしました」
 堀内貞行は、金碗大輔のそばで初めから終わりまで声を高くして読んだ。
 聞いていた金碗大輔はますます自分の行為を恥じ、伏姫の覚悟と気高さに涙をこぼしながら、ますます己の粗忽さを悔い嘆いた。
 遺書を聞き終えた里見義実は、また金碗大輔に向かって、
「伏姫の死を止めようとして、私はここに忍んで来たのではない。今回、五十子の病気は、伏姫を名残惜しんで心を病んでしまい、危篤なのだ。妻の願いはもちろんのこと、無事にこの山の奥を見れるかどうかが不安だが悩む折り、私だけでなく、堀内貞行ですら多くの奇跡を見たのだ。従者たちを麓に待たせ、私と貞行はこの山に登ったが、川を渡らずに遠く上流から巡ってこの石室の背後に到着したのだ。近づいた瞬間鉄砲の音がしたので驚いて、来てみれば、伏姫も八房も撃たれて倒れているではないか。折から川を渡る者がいて、聞かなくても伏姫の仇であると分かっていたので、しばらくの間木陰に隠れて様子を伺ってみれば、意外にも下手人は、いつも心に掛けていた金碗大輔であったとは」
 ため息を吐いた。
「お前は慌てた様な顔で、姫の手当てに手をつくしたが、とうとうかなわずに、自決の覚悟を決めていた。それは野心があって、姫を殺そうとしたものではないと分かったので、呼びとめたのだ。良く考えてみよ」
 金碗大輔は主人の顔を見上げた。
「犬を殺して伏姫を救えるものならば、この義実、こんな恥を忍んで、最愛の娘を山に捨て、今日までお前の手を待っていられるというのだ。賞罰は政治の要だ。論語に書かれている通り、言葉が一度出てしまえば、四頭立ての馬車も舌にはかなわない。戯れ言と言っても私は八房に伏姫を許してしまったのだ。この一言で強敵の安西は滅び、四郡は里見の領土になったことは八房の大きな功績であるから、私も約束を違える理由はない。姫もまた断らずに、そのまま犬に伴われて、深山に住むことになった。しかし」
 里見義実は声を振り絞って続けた。
「幸いにして姫は汚されず、読経の効力によって、八房はとうとう菩提の境地に入ってしまったのだ。それを伏姫は憐れんだが、憐れんだだけではなく心を深く合わせて、知らず知らずのうちにその気を感じ、身籠ってしまったのは、奇跡としか言い様がない。今、遺書の筆跡を見て、この災厄の原因、因果の道理に気づいた」
 過去を振り返るのだ。
「私が安房に義兵を挙げて山下定包を討った時、その妻である玉梓を生け捕った。あの女の陳謝弁明に一理があると思ったので、許してやろうと言ったのを、お前の父八郎孝吉が強く私を諫めて、玉梓の首を刎ねたのだ。これにより、あの女の怨恨が私たちに祟りをなしていると初めて分かったのが、八郎孝吉の自害の時、ぼんやりとしてはいたが、女の姿が我が眼に映ったのだ。あの玉梓の恨みはそれだけでは飽き足らず、犬の八房に生まれ変わり、伏姫を連れて山の奥深くに隠れて我らを悩ませ、その伏姫は思い掛けなくも八郎孝吉の子に撃たれた。皆これは因果があるのだ、ことの始まりは、ひとりこの私、義実の過ちから起きている。八房に伏姫を許したのは、許してはならなかった玉梓を助けてみてはどうかと言ってしまったこの私の罪。言葉の露の様なはかなさは、最後にはこの谷川に流れ落ちて、輪廻転生の苦しい海に向かっていく。しかし嘆いてばかりでは仕方がない」
 金碗大輔の頬を涙が落ちていった。
「神霊にはな、正しきものもあれば、邪悪なものもあるのだ。神の怒りは罰となり、鬼の怒りは祟りとなる。例の玉梓は悪霊なのだ。伏姫の死は祟りであり、大輔さえ逃れられず、罪を犯してしまった。悪霊のせいであるから、決して恨むではないぞ」
 と里見義実は自分自身を責めて、金碗大輔に丁寧に説明した。

 主人の叡智に感銘して、金碗孝徳大輔は思わず小膝を進めた。
「殿の仰せによって、父の自決も私の身の不運も良く分かりました。しかしまだ疑問があるのです。八房はすでに菩提を悟ったのであれば、悪霊の祟りには合わないのではありませんか。殿は神仏のお力によって姫上をお尋ねになったのに、例え因果応報であっても、今日一日は問題なく姫上はここにいたはずでございます。せっかく山に登られたのに、その甲斐なく、生前の姫とお会いできなかったのはどういう訳でございましょうか」
 と聞けば、堀内貞行も膝を打って加わった。
「大輔、良く申した。我が君だけではございません。一日たりとも晴れなかった川の霧がたちまち晴れたのは、大輔にとっても神仏のお助けがある様に思えましたが、実は違うのではないでしょうか。ああ、もう私には分かりません」
 そう真剣に言うので、里見義実はうなずき、
「神ではないから私にも確かには分からないが、禍福はあざなえる縄の如しと言う。人の命は天に定められているのだ。私がこの山に来れずに、このまま姫が死んでしまえば、ただの犬の妻と呼ばれてしまうに違いない。姫の純潔、志の高さと八房の菩提心を世の中に知らしめようと、神仏が導きなさったのであろう。そうでなければ、息があるうちに逢えなければ甲斐がない。また川の霧が晴れず、大輔に撃たれなかったら伏姫も八房も川の藻屑となっていた。例え遺書があっても、事情を知らない者に情死や遺恨が原因などと噂されてしまう。今更言うべきことではないが、大輔の父八郎は功がありながらも褒美を受け取らず、自害してしまったことは大変気の毒だった」
 父に触れて、金碗大輔は神妙な顔になる。
「何とかしてその子を取り立てて、東條の城主にして、伏姫を妻に取らせようと考えていた折から、大輔は使者に行ってとうとう帰ってこなかった。伏姫は八房に伴われて深山に入ってしまった。ここに至って、私の願望は絵に書いた餅になってしまい、恥ずべきものになった。伏姫と大輔の結婚は、いい加減に決めたものではなく、親である私が決めたものであるから、遺書に記された神童の言葉の親と夫に会うというのは、私とお前を指すのだ。しかしその結果、姫と犬は大輔に撃たれることとなった。神仏のなされ様の手際の見事さと言えば畏れ多い。この様な因果応報、誰を咎めて、誰を恨むというのか。弓の弦が強ければ必ず緩み、恨みが果たされば必ず無くなってしまう。今から我が里見家に悪霊の祟りはないはず、子孫ますます繁栄していくのかもしれん、そう思うとしよう」
 と諭すのだった。
 堀内貞行も金碗大輔孝徳も疑念の心がようやく消えて、共に落涙した。

 しばらくしてから金碗大輔は襟を合わせるなど、様相を改めて、
「身にも余る殿の厚恩、ご胸中にお隠しになっていた結婚のことなどは、承るももったいことでございます。事情を知らない人々は、許婚の姫上を救おうとしたなどと、後に言うかもしれません。どうか速やかに私の首をお刎ね下さい」
 とだけ言う。
 里見義実はそれを聞いてすぐに、
「おう、後でもちろんそうしてやろう。しかしながら良く見てみると、伏姫の傷は浅そうだ。もし蘇生することがあれば、お前を処罰するのは早過ぎるということになる。この数珠を良く見ると、如是畜生の言葉が最初に戻って仁義八行を示している。もしかしたら、霊験は失われていないかもしれん。姫が倒れた時には、数珠が身から離れていたので、浅傷だが息絶えたのだ。幼いころから、この数珠で危機を回避していたのだ。例え天命が尽きても、祈ればご利益があるかもしれないぞ。かなわずもそれは仕方がないことだ、やってみるとしよう」
 柄に掛けていた数珠を取って額に押し当てて、しばらく念じてから伏姫の首元にみずから掛けた。
 堀内貞行と金碗孝徳が左右から亡骸を抱き起して、役行者の名号である神変大菩薩を唱えて、ひたすらに祈った。するとすぐさまに伏姫が眼を見開いて、ほっと一息吐いた。
 堀内貞行と金碗大輔は歓喜の声を上げて、
「姫上、お気づきなさったか。堀内蔵人でございますぞ。大輔もおりますぞ。父君も来ておられます。ご気分はいかがでございますか」
 と聞かれて、伏姫は左右を振り返り、二人に取られていた手を振り放った。袖で顔を押し当てて、静かに泣いた。

 泣くのも当然と里見義実は近くに寄って、袖を取り、
「伏姫、その様に恥じらって泣くな。ここには主従三人しかいない。従者たちは皆麓にいる。この度は母の願いで、義実みずから来たのは偶然ではない。神仏の奇跡によるものなのだ」
 姫を落ち着かせるために里見義実は必死だった。
「お前の身に起きたこと、八房のこと、遺書を読んで分かったぞ。金碗大輔は去年から上総にいて、お前に起こったことを伝え聞き、ことの顛末も分からぬままだが、ただがむしゃらに救おうとして、私よりも先にこの山に入った。そして八房を撃った玉がお前にも浅傷を負わせたのだ。八房の死は不憫ではあるが、大輔に撃たれたことはまたこれも因果だ。私は彼を婿にしようと考えていた。だからお前が遺書に書き残した神童の言葉、親と夫に逢うというのはこのことなのだろう。さあ一緒に滝田へ帰り、病んでしまった母の心をどうか慰めて欲しい。さあ、伏姫よ」
 伏姫に優しく諭すと、堀内貞行も金碗大輔も一緒になって、
「ご帰還もことはもちろん、一度は義によって八房と一年あまり山に籠りなさったのです。約束は果たしたと考えてよろしいでしょう。いまだ遁世のお気持ちが深くとも、母上様への孝行には代えがたきことと存じます。さあ、帰りましょう」
 となだめすかして、姫を気づかった。
 伏姫はあふれ出る涙を何度も拭いながら、
「本来ならば、父上みずから迎えに来ていただき、その仰せに背くことなどできません。前世は山に棲む獣と違いがないというのに。鉄砲に撃たれてこの身を終えるのであれば、人並みから外れた私の罪の、罪滅ぼしになったでしょうに、それもかなわず恥ずかしいのです。この有様を親に見せ、人に見られて、おめおめとどこの里に帰れるでしょう。餌を求めて鳴く巣立ちのできない片羽の小鳥の可愛さも尚更に愛おしいとことわざに言いますが、本当でしょうか。あくまで私を慈しみ愛して下さる父母の嘆き悲しみは、とても深いものでございます」
 伏姫は濡れた眼で里見義実を見上げた。
「私は焼け野原で一人鳴く雉、涙の雨が降り、苦しいことばかりのこの世を今日抜け出そうと、筆に遺した遺書をご覧いただきましたでしょうか。火宅を出て、煩悩の犬を菩提の友として、この身は決して汚されず、犯されずに参りました。野山の暮らしで木の実を食べるうちに、心と心が結んだのです。帰ろうか、帰るまいか、いまだ決めかねているのです」
 苦しそうな声であった。
「また父上のご心中に、金碗大輔を婿にとお考えがあったとしても、この期になって、皆に言っては他人も知らない過ちを重ねるばかりではないでしょうか。例えば金碗大輔と夫婦になる話がなかったとしても、親の眼鏡にかなう相手ではなく、八房に従って山に入りましたので、女の生き方としてこの上なく不義になってしまいます。元より私は婿がいることを知りませんでした。私も金碗大輔も知らずに、父上ただお一人ご存じだったのであれば意味はございません。また八房を夫とするのであれば、大輔は私に取って仇になってしまいます」
 里見義実は思わず絶句した。
「八房は我が夫ではなく、大輔もまた夫ではありません。この身は独りで生まれ来て、人生は独りで帰る死出の旅。故郷へ帰ろうと誘って下さるのは慈悲深く、背くにはあまりにも情けなくなって参ります。もったいないほどの父上の恩、お迎えをお断りするのは不孝の上に不孝を重ねてしまいます。逢えなかった年月が長く、お眼に掛かれなかった父上の顔を眼にしながら滝田へ帰らないのは、とても重い罪。もはやどうしようもないことですので、どうかもう私をお見捨て下さいまし」

 伏姫はもう帰らないつもりなのだ、と皆は何となく理解した。

「私の言い分をどうか母上にお詫びを申し上げて、安房の百年の繁栄を願うのみなのです。とにもかくにもこの様に浅ましい姿をご覧になられたのなら、亡骸を隠そうとしても無益なことでしょう。死んだばかりの妊婦の亡霊は、皆血の池地獄に沈むと言います。それも逃れられぬ因果応報なのであれば、嫌がるのも仕方のないことでございます」

 姫は深く息を吸って続けた。

「この身に宿った種の父が誰なのか調べなくては。私の惑いも他の人々の疑いも解決しなくてはなりません、どうかご覧下さいませ」
 伏姫は持っていた護身刀を引き抜いて、腹へぐさと突き立て、真一文字に掻き切ったのだ。
 不思議なことに傷口から白い雲の様なものが閃き、襟に掛けていた水晶の数珠を包み、虚空へと登っていく。しかし数珠はたちまちふつとちぎれて、そのほとんどは連なったまま地上へ落ちていく。
 空に残ったのは八つの珠、それらは燦然として光り、飛び巡り入り乱れて、輝く光景は空に流れる星の様である。

 

【腹を裂いて伏姫、八犬子を走らす】

伏姫のお腹から8匹の仔犬が!!

金碗大輔、里見義実、堀内貞行がそれを見ております。

あれ?左のお婆さんは誰じゃろ?

 

 里見義実主従は今更に姫の自決を止められず、うわの空で蒼天を仰いで眼を白黒とさせている。あれよあれよと見るうちに、颯と山から吹く強い風が八つの霊光を四方八方に散らせていった。
 後は東の山に夕月だけが登っていく。

 正にこれは数年後、八犬士が現れて、里見家に集う兆しなのである。

 伏姫は深手にも関わらず、飛びさる霊光を見送って、
「良かった。私のお腹には、後ろめたいものは何もなかった。神仏が結んでくれた腹帯も疑いも解けました。もう心に掛かる雲もありません」
 姫にはもう何も見えないのだった。

「浮世の月を見残して、急ぐは西の空にこそ、導きたまえ阿弥陀仏」

 そう唱えると、鮮血に濡れた刃を抜き捨てて、そのまま倒れていった。
 心も言葉も婦人には相応しくないほどに逞しく、立派ではあるが、しかし最期は物悲しく寂しいものであった。

(続く……かも)


超意訳:南総里見八犬伝【第十二回 冨山の洞に畜生、菩提心を起こす/流水に遡って、神童未来果を説く】

2024年07月03日 | 南総里見八犬伝

 穢れが多く煩悩にまみれたこの世の中、心を惑わすものばかりの火宅から誰が逃れられるというのだろうか。
 祇園精舎の鐘の音には諸行無常の響きがあるが、人を愛する者は、恋人との後朝の別れを惜しむがために、時間が経過することを嫌う。
 沙羅双樹の花の色は盛者必衰の理(ことわり)を顕すが、その香りを愛でる者は、年月が過ぎて花が散ることを嫌がるが故に、一重に長く続く春を望もうとする。
 思い巡れば夢の世、思いを巡らせなくても夢の世、一体どちらが幻なのだろうか。
 心のうちに思いのある者は龍華の三会、弥勒菩薩が龍華樹の下で釈迦入滅の後五十六億七千万年過ぎてから衆生を救うために行う法会に臨めるというが、我々凡人は解脱する方法が良く分からない。
 惑いから覚めて悟った者は、虎穴や龍の巣にいても、心の平安をきっと得ることができるのだろう。

 かくしてこの世を捨てて、伏姫は富山の奥に二年の春と秋を送ったのである。

 里見治部大輔義実の娘、伏姫は、親のため、また国のために、言葉の真実を民衆に失わせる訳にはいかないとその身を捨てて、犬の八房に伴われて、山奥の日の落ちるところに隠れてしまった後は、誰とも会うことがなかった。

 川岸の埴生の小さい丘の洞に菅で作った筵を敷き、寝床を決めて冬籠りをして、春が去りまた春が来て、朝鳥が友を呼ぶころには、霞が八重にも立ち込めて、滝田での暮らしを懐かしく思う。
 弥生のころは里の雛祭り、着飾った少女が二人並んで、今朝摘んできたばかりのその名も懐かしい母子草。
 夏の夜には衣服のたもとにまで涼しい松風が吹き、風は髪を乱し、また夕立の雨に洗われて髪が乱れていく。
 秋となれば、いろいろな虫の鳴く音とともに、谷の紅葉が織った様に美しく、錦の床がかりそめの宿とは知らずに鹿も鳴く。
 山の沢はいつも時雨が降っていて晴れ間が見えず、果てには白雪も積もり、樹木も蔦も春になればまた花を咲かす。

 四季の眺望はあるが、侘しく過ごしているので敷物を敷いて外には立たず、後世のためとばかりに、経文を音読し、筆写をしていた。日数も経つうちに、心配ごとにも慣れて、心配ごととしなくなっていった。いつしか浮世のことは忘れ、鳥の音と獣の声さえ、姫は一念探求の友としていた。その心構えこそ見事なものであった。

 これより先、八房は伏姫を背に乗せてこの山に入った時、川の幅が広い山間に洞窟があった。石門は以前から彫刻された様であり、松や柏が西北にそびえて壁となっていた。この洞は南に向いていて、中は暗くはないのだ。
 犬が入口に留まって前足を折って伏せたので、伏姫はその意を悟って、静かに背中から降りて中に入った。
 中を見渡すと、ちぎれた敷物と焼き捨てられた灰がわずかに残っていた。
「世を捨てて、世に捨てられて、この山に山籠もりしたものは、私だけではなかったのだ」
 と独り言を言って中に入り、そのまま座ると、犬は姫の傍らに伏せた。
 滝田の館を出発した際、法華経八巻と和紙、硯を身から離さず、ここまで持ってきた。この夜は月下で読経し、何とか一日を明かすことができた。
 思いがけず手に入れた水晶の数珠は、今なお襟に掛けてある。頼むところは神仏のご加護のみなのだ。
 人の言葉を大体聞き分けているはずだが、もし八房が自分を騙して、山の奥に伴ったのだろうか。あるいは、犬が不覚にも情欲を起こして、最後には最初の誓いを忘れてしまったとしたら。

 浅ましい心で我が身に近づくのならば、主をあざむく罪は八房にあり。

 ただ一刀に刺し殺そう、と思い詰めて、胸騒ぎを鎮めて、ただ密かに護身刀の袋の紐を解いて右手に持ったまま、伏姫は読経を続けた。
 姫の心を悟ったのか、八房は近くにも寄らず、ただほれぼれと主人である伏姫の顔を伏せながら眺め、また起きては見ていた。舌を出して時にはよだれを垂らすものの、自分の毛と鼻を舐め、静かに息を吸っていた。
 こうして八房は伏姫を守りながら、夜を明かした。

 翌朝八房は早起きして谷を下り、木の実とわらびの根を取っては、姫君の元に運ぶのだった。
 この様に一日も怠らず、今日、明日と暮らして百日あまり経つほどに、八房はいつしか、姫の読経の声に耳を傾ける様になり、心を澄ましているかの様に見えた。また息を乱して、姫上を見ることもなくなった。

 伏姫は思った。
 栄花物語の第二十五巻峯(みね)の月に載っている関寺の牛仏の話である。関寺の造営に携わっていた牛が、ある日仏の化身であると夢のお告げがあり、噂を信じた関白藤原道長たちが次々と参拝する様になった。この牛を牛仏と呼んだ逸話を思い出したのだ。
 他にも犬が読経の声を喜ぶ話は、古い物語に良く見ることができる。御仏の慈悲は現世の我々をお救い下さる。空を飛ぶ鳥、地を走る獣、草葉の虫、川や海を泳ぐ魚まで、すべてのものを成仏して下さるのだ。
 今、この犬が欲を忘れて、読経を聞くことを楽しみ、徐々に仏道修行の友となっていくのは、すべて経文のお力による。しかしながら、私が幼かった時、宿世をお示しなさった役行者のお力こそ大事なものだとありがたく思って、いよいよ読経に励むのだった。
 明日には例の数珠を押し揉んで遥かに洲崎の方角に祈念し、ある時は父母のために経文の仏の功徳をほめたたえる詩を書き写して、前の川に流していく。春には花を摘んでは仏に手向け、秋には沈む月に向かって口ずさみ、気の向くまま西の空を西方浄土と思って眺めるのである。
 山の恵みである木の実が膝に落ちて変わり映えのしない朝の食事は、心変わりの秋風で飽きてしまう。
 しかしたき火は常に燃えていて、ほのかな月の晩を過ごす暖かい夜衣となって、寒さを防ぐ。山は険しいが、伯夷叔斉の兄弟が首陽山でわらびや山菜だけを食べて遂には餓死した様なことはなく、洞に梅が咲くのは遅くはあったが、匈奴に嫁いだ王昭君の様に異国の言葉を学ぶ悲しみはここにはない。

 姫は二十歳にならず、容貌は玉の様に美しく、古代中国の巫山の神女が雲となった逸話の夢の面影を伝えていた。小野小町が花にたとえた歌、「花の色は移りにけりな、いたづらにわが身世にふるながめせしまに」の風情を残していた。
 滝田の立派な御殿の中で過ごした日々はともかく、今の山籠もり生活が長くなっていくに連れて、衣装は汚れ、破れたところも出てきた。しかし肌は残雪よりも白くなり、黒髪は櫛で整えてはいないが春の花より良い匂いがした。細かった腰はさらにやせて風に吹かれる柳の様である。指先も細くなっていた。
 その素性は安房の国主たる里見氏の息女なのだ。

 姫の心映えは、横佩大臣(よこはぎのおとど)と呼ばれた右大臣藤原豊成の息女である中将姫(ちゅうじょうひめ)にも等しい。
 中将姫は、継母に憎まれ、虐待を受けてしまう。ある日、父がいない時に継母が家臣に中将姫の殺害を命じてしまうが、命乞いをせず亡き母の供養を続け、極楽浄土へ渡るために読経する姫の殺害ができず、部下はこれを逃がしてしまった。父によって見つけられた中将姫は、十六歳の時に淳仁天皇の後宮に入ることを望まれるがこれを辞退し、二上山の当麻寺に入って尼となった。
 その後は仏道に励み、仏の助力を得て、当麻曼荼羅を短期間で織ったとされる。その後二十九歳で入滅、阿弥陀如来に導かれ、生きたまま西方極楽浄土に向かったとされる。

 伏姫は、字の読み書きは父の才を受けて、道理と正義に賢しく育った。裁縫や管弦は母に習っており、特に音楽の調べは上手だった。この様に愛されるべき乙女が、どうして月下氷人たる仲人に憎まれたのか、犬の八房に伴われて悲しい有様になっていくのか。今後もなお細かく描写していくが、作者の筆は渋り心は痛む。読者にはどうかこの光景をご想像いただきたい。

 こうして年は暮れて、翌春に岸辺の草も萌え出て、谷の木の芽も緑を増すころ、ある日伏姫は硯の水を汲もうと外に出た時、近くの水たまりに映った自分の影を見て驚いた。
 その姿は身体は人であったが、頭部はまさしく犬になっていたのだ。
 思いがけず、堪えきれず、ああっと叫んで後退った。また近づいて水面を覗くと、今度は面影は自分とは違わなかった。先に見た幻こそ自分の心の惑いである、と姫は思った。
 幻に驚いた姫は念仏を唱えながら、この日は経文を書写していたが、胸の辺りが急に苦しくなった。次の日も苦しかった。

 実はこのころから月のさわりが絶えていた。日数が経つと、腹が張って我慢できなくなりつつあった。
 早く死んでしまいたいと思うものの、春は暮れ、夏が過ぎて、とうとう悲しい秋になってしまった。指折り数えてみれば、去年のこの月に滝田の館を出たのだ。自分の病に比べて、ただいたましいのが母上のことだ。泣きながら見送られ、母の面影だけが眼に残っていた。忘れようにも忘れられないのが母君、母上もきっと同じ思いでいるだろう。
 娘が滝田に帰れないことを思い続け、悩んで、病み患いなさった母君。父上、弟の義成、皆懐かしく思えてしまう。同じ国、同じ郡にいながら、今は遠ざかってしまった親や弟、家臣たち、山を隔てて面影すら見れない愛する者との別れ、人の命はは蜻蛉の様にはかなく再会はかなわないことだろう。
 胸が詰まって、伏姫は岩に額を押し当てて声を押し殺して泣いた。しばらくして眼を拭い、ああ、間違えた、愚痴を吐いてしまったと思った。
 恩愛の情を捨て、世俗の執着を断ち切って悟りの道に入ると仏は説きなされた。家族との別れの悲しみも仏道の心構えと思うべきなのだ。
 家族を懐かしんで嘆くことは、罪深いことだ。この世の仏よ、どうかお許し下さい。

 八房は食べ物を探しに先に出て行って、まだ帰ってこない。私のために食べ物を求めて、見つからない時はなかなか帰って来ない。
 私もまた御仏に仕える心を怠らない様にしよう。露に濡れるころ、深山には草の花も稀だったが、探し求めて仏に手向けよう。
 独り言を言いながらようやく重い身を起こして、川の流れに沿って林が生い茂ったところで菊の花を手折ろうと、二三町(約220メートル~330メートル)を裾を濡らしながら進んだ。

 そこへ乾、西北の八重山の方角から、笛の音がかすかに聞こえてきた。伏姫は耳を澄まして不思議に思った。
 この山には木こりも入って来ず、山に住む者たちも住んでいない。自分がここへ来た時から、今日まで人に逢うことはなかった。
 思いがけず聞こえてきた笛の音は、草を刈る者でも迷い込んだのだろうか。そうでなければ、魔物か山の精霊が修行の邪魔をして、自分の仏心を試そうとしているに違いない。いずれにしろこの身は世間から捨てられたも同然、何があっても逃げ隠れるべきだ。
 しかしまずは笛の音の正体を見ようと、乾の方角へ向かった。
 澄んだ笛の音はますます近づいていく。ふと見れば、一人の子供がいた。年のころは十二三と見えた。腰には草を刈る鎌と土を掘る道具を挿し、鞍には二つの籠を掛け、手に笛を持っている。そして子牛に尻を乗せて、林の奥から出て来るのだった。
 伏姫を尻目に子牛に掛けたまま、笛を止めなかった。そのまま川の中に子牛を進めて渡ろうとするので、思わず姫はこう言った。

 

【草花を探して伏姫、神童に遇う】

 

ああ、伏姫の一張羅が酷く傷んでおります。やっぱり替えの服が必要ですよ、姫様~

 

「これこれ、そなたはどちらの里の子か。滅多に人の来ないこの山奥に一人で入って来るのも大変なのに、山道を知っているの様に見える。そなたは」
 伏姫は一旦言葉を切って、
「私を知っているか」
 と尋ねると、童子はにっこりと笑って、静かに笛を襟に差し、
「知らない訳がありませんよ。姫様は僕を知らないでしょう。それでは不公平ですから、申し上げましょう」
 なかなか大人びた口を利く童子である。
「そもそもこの山は、木こり、狩人はもちろんのこと、旅のものですら通ることはほとんどありません。父君の里見義実殿が姫が他人に見られることを恥とお思いになって、去年からこの山に人の入ることを禁止されたのです。これで人の足が途絶えました。でも母君は姫のことを心配になられて、ご無事かどうか調べるために侍女を何人か遣わしたのです。でも尼崎十郎殿が殿の仰せを受けて、富山に入った時に川で溺れて亡くなってしまったのです。それ以来皆恐れて、川を渡れず、使いの者たちは岸から帰ってしまうのです、だから姫の安否は誰も知らないのですよ。これも運命であり、またご時世ですね」
 伏姫は黙って聞いていた。
「僕の身の上をそろそろ申し上げましょう。牛や馬の世話のために草を刈る者ではありません。僕の師匠はこの山の麓におり、またある時は洲崎におります。年齢は何百歳なるのか、もはや分かりません。常に人の病を治療し、また占いをして生活しているのです。もし薬を与える時は、死から救い、寿命を保ち、万病を治すのですよ。また占い用の筮竹を手に取った時は未然に運命を察知して、本人も忘れている様な過去を明らかにするのです。師匠の占いは必ず当たります」
 童子の言い分は本当だろうかと伏姫は首を傾げた。
「今日、僕は師匠の言いつけで薬を採るために来たのです。この山は今は人が通ってはいけないのですが、近々元の様に出入りが許されるでしょう。師匠はこれを悟って薬を採ることをお命じになったのです」
 伏姫はため息を吐いて、
「両親の慈悲は月日と共にありがたく照らしてくれる。私は身を汚さず清く修行をしていることをご存じないから、その様にお取り計らったのだろう。しかし私のために尼崎輝武殿を溺死させ、木こりたちの生活の妨げになるだけではなく、旅行く者の足さえ止めてしまうとは、罪深いこと。どうかお許し下さい」
 伏姫は涙ぐんだ。

 しばらくしてから、伏姫は気になっていたことを童子に聞いてみた。
「そなたは名医に仕えているというのなら、人の病を診ることも大人の様に多いのでしょう。試しに聞いてみたいことがあります。私はこの春ごろから絶えて月のさわりがなく、胸が苦しくて煩わしい上に、月々に身体が重くなるのです。これは何という病気か分かりますか」
 と聞けば、童子は微笑んだ。
「婦人の月経が滞って、一月二月、吐き気がして酸っぱいものを好む様になる、俗にこれを悪阻と言います。三四か月後、腹はすでに大きくなり、五か月になると子供がやや動くことがあるのです。女性なら皆ご存じで、医師に聞くまでもありません」
 あまりのことに伏姫は驚いて何も言えない。
「あなた様はすでにご懐妊されており、五六か月になっています。何のお疑いがありますか」
 伏姫は思わず、
「ませたことを言う子供だこと、私に夫はおりません。去年のこの月、この山に入った日から他に人を見ていません。一念込めて仏道修行と読経の他に何もしていないのです。どうして身籠るというのです、おかしなことを言うのですね」
 堪えかねて、ほほと笑うしかなかった。
 しかし童子は姫を見て冷たく笑った。
「あなた様に夫はいるではありませんか、すでに親から許された八房は何者なんです」
 と問い詰めると、伏姫は顔つきを変えて、
「そなたは物ごとを知っている様に見えるが、実は何も知らない。父も母も涙を飲んで、飼い犬と世にも浅ましいと思われるかもしれないが、私は共に深山で月日を送っています。しかしお経のご加護によって、幸いにも身を穢されることがなく、八房もまたお経を聞くことを喜んでいます。例え証拠はなくても、私の身は清らかで潔白です。神様こそご存じで、なぜ八房に孕まされるとは、聞くも愚かで汚らわしい。私は変な子供に話し掛けてしまったのだろう」
 馬鹿にされて悔しいと伏姫は腹を立てて、泣いた。
 童子はますます笑い、
「僕には分かりますよ、良く分かるのです。姫様こそ一を知ってはいますが、二を知らないのです。それでは迷いを解いて差し上げましょう。すべてのものは互いに感じ合い、響き合うのですが、その神髄は平凡な者には分かりゃしません」
 伏姫は童子の言葉を聞くしかない。
「例えば、石と金を叩くと火を起こせます。また檜などは同じ木が擦れあうことで火が起きますよ。鳩の糞は、長い間たくさん積まれていると勝手に燃え出します。こういったことは普通の道理や常識では説明のできない、不思議なことなんです」
 童子は尚も説明する。
「物は陰と陽が互いに感じ合わず、響き合わなければ、子を産みません。ただ草木は感情がなく、松と竹には雌花と雄花があるけれども交わったりはしませんが、良く子供を実らせます。他にも鶴は千歳になっても交わりはしませんが、お互いに見つめ合って子を孕むのですよ」
 話はまだまだ続くのである。
「秋に悲しむ男性は妻を娶らずに魂を通わせて、春の華やぐ女性は嫁ぐことなく孕んだりするのですよ。聞けば古代中国の楚の国のお妃様は、いつも鉄の柱にもたれかかることを好んでいたので、とうとう鉄の玉を産んだそうです。それを干将と莫邪(かんしょうとばくや)が剣にしたんですって。我が国でも」
 今度は本邦での例を説明し始めた。
「源平合戦の時代、近江にいた身分の低い女が人にお腹を押してもらうことを喜んでいたら、その挙句に生の腕を産んだという話もありますよ。手孕村という名前も残っています」
 もはや得意気な口調なのである。
「みーんなこれ、すべてのものは互いに感じ合い、響き合った結果なんです。目の前のことだけ見ていても駄目なんです。あなた様が妊娠なさったのも、この類いです、何をお疑いになるのです。姫様は確かに乙女のままですし、八房もまた今はその欲をなくしています。でも姫様は、お身体もお心もすでに彼に許して、この山中に伴われて、犬もまた姫様を得て、自分の妻と思っています。彼はあなた様を愛するが故に、姫様の読経を聞くことを喜びました。姫様もまた、彼が帰依したことを自分のことの様に思われていたでしょう。この感情はすでに感じ合い、響き合っているのです。身体を重ねなくても、身重になることがあるんですよ。僕が見るところ、胎内にいるのは八人の、そう八子ですね。しかし感じるところ、子供は実体ではなく、言わば虚のもの同士が胎内で巡り合って生まれるので、子供達には形がありません。形を作らずしてここに生まれ、生まれて後にまた別の形に生まれるのです」
 伏姫は身体を震わせた。
「これはすべて宿命のせいなんです、善行の報いなのです。原因は何でしょうか。例えば八房の前身は、その性が歪んだ女の人です。父君の里見義実殿を恨むことがあって、その恨みの残った魂が一匹の犬となり、姫様親子に祟るのです。その結果はどうでしょうか。八房は姫様を得ましたが、とうとう犯すことなく、法華経読経の功徳によって、ようやくその宿怨を晴らしました。更に悟りを得ようと、今、八つの子供を残した訳なんです。八は即ち八房の八を意味しており、また法華経の巻の数でもあります」
 平凡な人はいっぱいいるけれども、優れた人にはなかなか巡り合えないでしょう、と童子は言い、更に、その子たちは皆、智勇に秀でて、その忠信節操は里見の家を助けて、関八州に里見の名を輝かすでしょうと予言めいたことを口走るのである。

「すべて伏姫様の賜物です。誰がそんな子供たちの母を愚かなどと言いますでしょうか。これが善い報いの結果なんです。そもそも禍福はあざなえる縄の如し、って言いますでしょ。良いことも悪いことも公平にやって来るんですよ。今の災いを見て、誰が後の幸せを知ることができますか。世の中の悪口というものは愛憎から起きますし、物の汚れは潔白だからこそ分かるのです。ですから誹謗中傷も嫌がることなんかないのですし、恥辱もただ良く忍んで堪えた方が良いのです。秘密はかえって世間に知られやすいというものです。それに隠そうとしても必ず現れてしまいますからね、これもまた自然の摂理です」
 大人びた口を利く童子である。
「犬は六十日、人は十月で出産します」
 その声に伏姫は現実に引き戻された。

「人間と犬に差はありますが、合わせて考えますと、姫様は妊娠六か月、今月その子供たちは生まれます。お産の時には思いがけず、親御さんと旦那さんにお会いになれますよ。えーと、ここから先のことはまだ定まっておりません」
 童子は笑ってみせた。
「ああいけない。細かく喋ってしまうと、天の秘密を洩らしてしまいます。また誰か詳しい人がいて、その子たちの身上を話してくれるかもしれませんよ、今はここまでにしておきましょう」
 と童子は牛の背中を叩いた。
「秋の日は短いというのに、長話をしてしまっていけませんねえ。さぞかし師匠がお待ちになっていることでしょう、急ぐとしましょう」
 そう言って童子は牛の鼻を引いて、元の方向へ返して進むのだった。
 伏姫が何か話す前に、童子と牛は川に入り、あっという間に影は霧に隠れていく。かき消す様に姿が見えなくなり、行方知れずになってしまった。

(続く……かも)


超意訳:南総里見八犬伝【第十一回 仙翁、夢で冨山に栞を残す/堀内貞行、霊書を奉る】

2024年06月15日 | 南総里見八犬伝

【再識】

 この編第二巻(第十四回)に至ると、伏姫のことは書き尽くしたことになる。
 第十回の題名は【禁を犯して、金碗孝徳、女性を失う/腹を裂いて伏姫、八犬士を走らす】、これは本当は第十三回のものであった。しかしそれ以前に出したのは、発端はまだ書き終わっていないのに、早く刊行してその内容を知らせるためである。従って、後の物語の挿絵も先に公開する。
 だいたい第七巻十四回を一つのまとめとしたかったのだが、出版社の都合でやむを得ない。毎編五巻を毎年発刊するつもりだ。
 簡単な挿絵だが第三集の巻で初めて登場する者がいる。
 それは軍木五倍二(ぬるでごばいじ)、網乾左文二郎(あぼしさもじろう)、土田土太郎(どたのどたろう)、交野加太郎(かたのかたろう)、板野井太郎(いたのいたろう)である。
 八犬士の身の上もまだ定かではないが、出版社からの催促が厳しい。そのために、下書きにもまだ至っておらずあらすじすらまだ決まっていないが、無心になってまず絵を注文し、後でその画に合わせる様に作り直しているところもあるが、大体はこの絵の通りで違いはない。
 これは私一人の考えですることであるが、ただ内容の清書、版木彫刻に間違いが多いのを訂正する手間もない。

 

悪役の軍木五倍二、亀篠(かめざさ)と犬塚番作、手束(たつか)夫妻。
夫婦喧嘩してるのかしら?

 

 

あれ?額蔵だ。奴隷って書いてありますね。幼児も抱いています。その正体は……後のお楽しみです。

駕籠の中身は犬塚信乃さん。

 

 

土田土太郎、交野加太郎、板野井太郎の河童三人衆。この辺りは名づけも適当な馬琴翁(笑)

網乾左文二郎は後で網乾左母二郎に改名(?)します。悪役さん。

左はマドンナ、浜路姉さん。印刷の具合なのかダークな衣装を着ています。

 

【第十一回 仙翁、夢で冨山に栞を残す/堀内貞行、霊書を奉る】


 里見治部少輔義実は、山下、麻呂、安西らの大敵を滅ぼして、麻の様に乱れていた安房四郡を良く治め、威風を上総のすべてにまで及ぼした。靡こうとする武士も多いので、鎌倉の両管領である山内顕定、扇谷定正も里見家を侮りがたく思うようになっていた。
 両管領は再び京に上奏して里見義実の官職を進めて、治部大輔とした。
 このころ1455年康正元年、鎌倉公方だった足利成氏が鎌倉から古河へ退去したため、山内上杉家の山内顕定、扇谷上杉家の扇谷定正の二人が関東管領になっている。

 この様にめでたいことが毎年続いたが、里見義実は昨年安西景連に攻められて、籠城と困窮の困難の折り、士卒の飢餓を救おうとして思いもかけない一言の失言をしてしまった。その結果、最愛の娘を犬の八房に伴わせ、一人と一匹は富山へ入り、その安否は絶えて分からなくなってしまった。
 里見義実は、世間の噂や人々の非難を忘れることもなく後悔していたが、さりとてその思いを顔にも出さなかった。

 富山の谷川に失踪して、配下の者はもちろん家族も会えなくなっているが、木こりや狩人が出会うことがあれば、親の私や五十子、弟の義成に出会うより恥ずかしいことであろう。
 と里見義実はそう考えて、先に国中に知らせた富山への入山禁止と入山した者への死刑のふれを徹底させた。

 またずっと心配の種だったのが、金碗大輔孝徳のことである。

 金碗大輔は安西景連に兵糧を借りようとして出発した。今はその行方は分からない。
 安西の計略に謀られて捕まってしまい、残念なことに命を落としたのだろうか。或いは討ち死にしたのかもしれない。
 功がありながら賞されることを辞退し、腹を切って亡くなった親の孝吉の最期に誓ったのだ。
 何とかして孝吉の子供を一城の主にして、婿としようと思っていたのに、事情が変わってしまった。思う様にはならないものが人の身の上、去年と今年も満ちては欠ける月は変わらないのに、人間だけが変わり果てていく。
 子供がどうなってしまうのか、と人に尋ねることではない、子の行く末に迷う親の常闇は、自分自身から照らす手立てもなく、独り物思いに耽るしかない。

 百万騎の敵を見ても物の数とはしない智仁勇を兼ね備えた大将里見義実ですら、今更手立もなく、この様に思いが屈してしまっている。奥方の五十子に至っては、その月その日の伏姫と別れた時の面影のみを追い続け、泣き暮らし、また泣き明かしていた。
 姫はつつがなくいるだろうか、帰って来る日がどうか来ます様に、と神仏に何度も祈る手のひらも指も細くなり、朝夕の箸を取るのも物憂げになり、食事の膳も進まなかった。
 そばで仕える侍女たちも皆、五十子様の願いがかないます様にと言うだけで、慰める手段が他にない。
「皆がそれぞれ心を鬼にして富山の奥に登れば、姫君の行方が分かるのでは」
 と密かに語り合い、洲崎神社の行者の石窟への代理参詣を、と理由を作って、富山に赴く者もいた。道もおぼつかないが伏姫を探すためである。
 その中には、探すつもりは満々ではあったが、山道の凄まじさにとうとう登れず、麓から帰る者もいた。数年来武家の家に仕えて、肝の座った者は案内人を雇って先に進んで、辛うじて山に入ったが、尼崎十郎輝武が押し流された川の向こうには行けなかった。山の案内人も恐れて、川を渡れなかったのである。

 元より川の向こうは常に霧が立ち込めており、水音もおどろおどろしく、視界も悪い。こちら側の岸の茨には花が咲いているのに、向うを見ると、針のむしろに座る思いで身の毛が立つ心地になり、引き返してしまうのである。
 伏姫を見つけることができずに、報告だけを五十子にすると、母君はまた聞けば聞くほど、懐かしき姫が受けているはずの艱難辛苦を思っては嘆いた。
 娘の苦しみはどの様なものか、独りで城で考えてみても、富山の川の霧が障壁となり思いもつかない。
「娘に逢えないのであれば、焦がれて思い悩むより、飛んで火にいる夏の虫の様に私は死んでしまいたい」
 と何度も繰り返しては咳も激しく、また泣くのだった。五十子はこんなことを繰り返し、遂に長く病気になり臥せることになる。

 医師は五十子を死なせまいと様々な治療を施したが、杏林の故事の様な成果はなかった。
 古代中国の董奉という医師が無償で患者を治療し、治療代の代わりに杏の木の苗を植えさせてそれが林となったことから、良医を杏林と呼ぶのである。

 また祈祷を行った修験者は神仏習合の札で邪を祓おうとしたが、枯れ木に花が咲く様なこともなかった。

 何日か経過して危篤になった時には、里見義実は病床に寄って五十子を見舞った。かしづいていた侍女らは、
「殿がお越しです」
 と言い、五十子は人の手に助けられてようやく身を起こしたが、言葉が見つからずにただ里見義実の顔をつくづくと見上げた。
 その顔は瞼が窪み、頬には涙の露の玉の緒がたくさん流れた跡があり、命が持ちそうもない様子に、里見義実も妻の顔を良く見つめて心の中で嘆くものの、優しく語り掛けた。
「今日の気分はどうか。四五日経てばようやく起きれるようになるでしょうと今、医者たちが申していた。何ごとにも心強く、気長に保養するのだぞ」
 と慰められても、手を膝に置いて首を振り、
「医者が何を申しても、ここまで瘦せてしまえば、帰れぬ旅に逝く水が生き永らえることはできそうもありません。病み患いの原因は何でしょうか、お考えになって下さいませ」
 五十子は絶望していた。
「もし蓬莱の不死の術、不老の薬があったとしても何になるでしょう。とにもかくにも現世の生きている間の思い出に、もはや逢うこともかなわない伏姫に、今一度逢えるのであれば、それは私にとって仙丹奇包、これに増す霊薬はないのでございます。こうお話すれば、浅はかなる女の愚痴や僻みとお𠮟りになって下さい。しかし国のため、親のため、身を犠牲にして飼犬に伴われつつ、足を引きずりながら山に入った姫の類いまれなる心構えを。類いまれなる因果のせいで姫を捨ててしまったと思うのであれば」
 強い決意で五十子は続けるのである。
「民には仁義の君であっても、子には不慈な親と申し上げる他ございません。憚りあることでございますが、言わせていただきます。国に誠を示すとしながら、我が娘を捨てるなど、富山も殿が治める安房四郡の中ではございませんか」
 息を整えて、五十子は力を振り絞った。
「なのに毎年毎月に姫の安否を尋ねさせ、みずからもお行きになってご覧になり、姫にもお姿をお見せになれば、互いに憂いも苦しみも慰める手立てになりましょう。それなのに、木こりや炭焼き、牛飼いの牧童にまで山に入ることを禁じたのはどうしてでしょう。たとえ由々しき魔界であったとしても、誠のことを言えば親と子ではありませんか。安房の領主であるご威徳を以って、今もなお姫が無事で富山の奥にいるのかどうか、お調べになるお気持ちがあるのならば、そう難しいことではございませんでしょう。これが今際の願いにございます。つれないことをなさいますな」
 と恨み言を言いつつ、詫びつつ、せわしく息も吐かない五十子に言われて、里見義実はじっと黙っていたが、ようやく頭をもたげた。
「五十子の言うことはもっともなことだ。ことの始まりは我が一言の過ちから子を捨て、恥を残したこと、お前と同じ、いやそれ以上に口惜しく思っているのだ。人は木石ではない、親子の愛、家族の愛の絆を断つことは難しく、執着する絆は決して解きやすくはないものなのだ。心の中の馬が狂うがまま煩悩の犬を追えば、天下の公道は荒れ果てて、それを侮り侵す者があれば、この国は再び乱れてしまうと私は恐れて、情を絶ち、欲を抑えて見ようとしなかった。山里に住む者らまでに富山に登るのを許さなかったのは、姫のために恥を覆い隠し、愛に溺れて法を曲げ、規則を守ろうとする私の心を民に分かってもらうためだったが、お前の嘆きはあまりにも不憫である。考えを巡らして、姫の安否を調べることにする。心安らかに思いなさい」
 と、とうとう里見義実は妻の願いを承服した。
「殿の頑ななお心が解けなさったか。病み患いをしなければ、こんなにありがたい仰せを聞くことはなかったでしょう。待つ間は辛いものでございます、それはいつごろになりますでしょうか」
 五十子に問われて、しばらくの間深く考えて、
「簡単なことではないが、お前のために急がせよう。遠からずして吉報があるだろう。頼りにしてその間は身体を自愛し、待っていなさい」
 と優しく返答した。
 里見義実がやがて外に出て、侍女らはそれを見送るのだった。

 この時、里見義実の嫡男、安房二郎義成は去年から真野に在城して、安西景連残党を討伐し、辺り一帯を治めていた。
 しかし母上が危篤と聞いた日から、老臣杉倉木曽介氏元に城を守らせて、自分は滝田にやって来て母を熱心に看病するのだった。
 親孝行の孝心があまりに立派なので、里見義実は夜更けに密かに義成を招いて、富山における姫の探索について、すべてを相談した。
「私は五十子を安心させるために、かりそめに承諾したが、尼崎輝武のこともあり、皆が恐れる山へ誰を遣わせて、姫に会わせようか。もし勇なる者がいて富山へ使いをしようとしても、ことを成し遂げられないのなら、我が里見家の威を落とし、もしかしたらその者は死ぬかもしれん、とにもかくにも難儀なことだが、そなたはどう思うか」
 と聞けば、里見義成は膝を進めて、
「私もこのことを侍女たちが話すので、早くから聞いておりました。絶えて久しい姉上の安否の分かれば幸いでございます、大変喜ばしいことですが、様々に配慮なさっており賢きお考えです。所詮、誰彼と選んで家臣に言いつけられるまでもございません」
 里見義成は自信ありげに話した。
「私には二人とない姉君のことにございますので、この義成、承って富山の奥に登りましょう。見つけるまで止めません。例え、例の犬に霊力があって、雲を起こし風を呼び人の心を惑わそうとも、妖は徳には勝てないでしょう。母のいつくしむ心と善なる心を盾にして、父の武徳を鎧にして、我が家に伝わる弓矢を携えれば、さまたげはまったくございません。ご命令下さい」
 と父に請うのである。
 早口で話し拳をさすりながら、すぐにでも飛んで行きそうな息子を、里見義実は手を挙げて制して首を振った。
「お前ごときを血気の勇というのだ。頭の良い者はことに臨んでは怖がって、策を好むと言わんぞ。父母がいる時には遠くで遊んだりはしない。まして危ない時にはなおさらだ。我が子もそうあって欲しい」
 父は息子の軽挙妄動をを叱った。
「お前は家の柱石であり、むやみに焦って過ちがあれば、我が家にとって大きな不孝になるだろう。しかしだからと言って、私もまた祟りを恐れて行かない訳ではないぞ。生涯会うまい、姿を見るまい、見まいと誓って、姫と別れてまだ二年にもならない。こちらから訪れようということは、神仏との約束を違える所業であるから、非常に心苦しいものがある。しかし今宵までに決めなければならない、ということではない。重ねて考えてみれば、何か良い手立ても見つかるだろう。このことを侍女たちにも言い聞かせて、よそに洩らさない様にするのだ」
 と諭して、里見義成の申し出を許さなかったので、御曹司はもう父に言うべき言葉もなく、畏まって退出した。

 里見義実はそのまま寝所に入ったが、なかなか寝られなかった。
 様々に考えているうちに、早くも明け方になったころ、行方も知らない里見義実の身は、いつしか富山の奥の谷川の岸に佇んでいた。
 そして背後から年齢は八十余り、もしかすれば百歳に近いと思われる独りの翁が現れて、こう言った。
「この山の深くにお入りになるのであれば、ご案内いたしましょう。この川は渡るのが難しく、右手の方に木こりだけが通る一筋の細道があります。去年から入山が禁止されてしまったので、茨や棘が繁茂してしまい、道がどこが見えなくなっています。私はすでに枝を折り、草を曲げて、目印の栞を作りましたので、そこからはお供しなくても迷われることもありません。最後まで進めばお望みを遂げられるでしょう。あちらへお進みなされ」
 と指差しして教えた。
 不思議なことと思って、里見義実は翁に名を問おうとしたが、そこで眼が覚めてしまった。

 これは華胥国の夢といって、古代中国の伝説上の天子である黄帝はある日夢を見て、華胥国へ行ったところそこは理想郷であり、眼が覚めた黄帝はそこに習って自分の国を治めたという故事だが、それと同じであると思った。
 そう考えながらもあまりに夢に頼るのもいけないと思い、心には深く留めなかった。
 翌朝も民の訴訟ごとを聞いて決裁し、ようやく私室に入ると、漏刻は未の刻(午後1時から3時ごろ)に近かった。 

 そこへ一人の近臣がやって来て、うやうやしく額を着いて、
「堀内蔵人貞行殿、お召しに応じて東條城から参上されました」
 と言う。
 それを聞いた里見義実は眉を寄せて、首を捻った。
「堀内貞行を呼んだ覚えがないが、五十子の病気を伝え聞いてみずから来たのかもしれん。それはともかく、私も聞きたいことがある。良い機会だ、すぐに呼ぶが良い」
 と近臣を急がせた。そして人払いを行い、喜んで堀内貞行の訪問を待った。

【馬を飛ばして堀内貞行、滝田に赴く】

 

 

堀内貞行さん、まだお若い感じですね。いつもご苦労様です。

 

 堀内貞行は長い間東條に在城しており、民衆を撫育する心が篤く、長狭一郡を穏やかに治めていた。一日に何度も自分の言動を反省するという論語の教えを守って、自分を厳しく律していた。
 万事任務に忙しくしており、去年から滝田には久しくしていた。思いがけず顔を見れることに、里見義実は喜び、近くに寄る様に命じた。
「蔵人、変わりはないか。お主を東條の城代を守る様に命じてから、悪い話を聞かないでいる。その真心の忠義のいたすところ、これに増す喜びはない。今回の参上は五十子の病が重いと聞いて、見舞いに来てくれたのか」
 と問えば、堀内貞行はようやく頭を挙げ、
「お言葉ではございますが、先に君命をいただいた日から、東條城を守ることが私の職分でございます。仮に見参を乞い願いましても、お許しをいただかずに参る訳もございません。火急のお召しがございましたので、とりあえずただいま到着した訳でございます。それなのにお召しになっていないとは、お戯れでございますか」
 と不審そうに言う。
「おい蔵人、このところ心配ごとが多いのだ。何が楽しくてお前をはるばる呼ばねばならないのか。まず何者が私の命と伝えたのか。証人はいるのか、訳が分からんぞ」
 里見義実が怒った様に言えば、堀内貞行も理解できないでいたが、別段騒ぐことはなく、
「お言葉を返すようで恐縮ですが、一言申し上げたきことがございます。昨日、年寄りの下男が殿のお使いであると申し上げて、東條城へやって参りました。会ってみますと顔に見覚えがございません。不思議に思いながらも謹んで君命を承りますと、お使いの下男は私にこう言いました」
 淡々と話すのである。
「この度、奥方様の願いにより、殿がみずから富山に赴き、伏姫様の元に参ろうと、用意をしておられます。しかし公ではなく、お忍びの狩猟として参られる予定です。富山は厳しい高嶺であるから、非常の備えが必要です。しかし従者をたくさん連れて行くのは不都合です。よって今回のお供には殿は堀内貞行を、つまり私を、とお思いになって、滝田に行くことを命じられました、そう話すのです」
 里見義実はうなづくしかなかった。
「年寄りの下男はこう申しました。自分はこのところ洲崎の岩屋の近くに住む名もなき下男ですが、富山に詳しく、殿に道案内をせよと命をいただきました。更に、東條への使者も承って、年寄りながらも走ってきました。そして殿のご指示書をうやうやしく渡しましたので、拝見しました。拝見しますと」
「読むとどうであったのだ」
「拝見いたしますと、下男の翁が申し上げることと同じでございましたので、早速彼を滝田へ戻しました。私は馬に鞍を乗せて、従者が続くのを待たずに夜を徹して、道を急いで館に参りました。殿にお会いしてみれば」
 話が違っておりましたと言う。
「さてはあの下男こそ曲者と思いましたが、本物に見えるご指示書がここにございます。ご覧下さい」
 と懐から命令書を取り出し、里見義実に渡した。
 中身を開いて里見義実は、これは何ごとか、と堀内貞行に見せた。見せられた貞行も驚き、
「私が昨日見た文字はここに一つもなく、如是畜生発菩提心に変化しております。一体どうしたことでございましょう」
 主従は呆れて、半刻(約1時間)の間、途方に暮れるのだった。

 里見義実は如是畜生発菩提心の文字にふと気づいて、命令書を丸めて、
「蔵人、お前が申したことは、嘘偽りではない。不思議なことだ。この書を渡した下男の翁の年齢や面影がどうであったか、詳しく説明せよ」
 堀内貞行は面目もないといった表情で言った。
「例の翁は八十あまり、百歳にもなっているかもしれません。眉は長く、綿花を重ねている様にも見えます。歯は白く、瓢箪の種を並べている様に見えました。身体は痩せていましたが、健やかの様です。老いてはおりますが、意外と若いのです。眼光は人を射抜く様ですが、猛々しくはありません。世に言う道顔仙骨、世俗を超越した容貌はあの翁はしていました」
 里見義実も手を打ち、
「なるほど私の見た夢と同じ様な奇談だ。疑うべくもない。洲崎の岩屋に顕現された役行者の奇跡だ。始めから話そう」
 夫人五十子から頼まれた伏姫の安否の消息、また親思いの里見義成の孝心と勇気、思い悩んだ挙句見た夢に出て来た富山の奥で翁と会ったこと、すべてを話し、
「夢は身体の疲れに現れる。当てにはならないと思っていたが、ただいまお主が申した翁の面影が、私の夢に出て来た通りだった。それだけではなく、如是畜生発菩提心の八字をもって、過去と未来を示したことは、伏姫が幼った時多病でなかなか泣き止まなかったが、洲崎の岩屋の役行者のご利益で、健やかに成長したことだ。翁から会得した水晶の念珠には、仁義礼智忠信孝悌の八つの文字があった。難儀した籠城戦の後、我が一言の過ちで伏姫を八房に許してしまったあの日、例の八文字は消滅してしまい、いつしか如是畜生発菩提心に変わっていた。1442年嘉吉二年の夏の末、伏日、つまり最も暑い夏のころに生まれたので伏姫と名づけていたが、後に人にして犬に従うことになる、名詮自性、名がそのもの自体の本性を現したのだ」
 里見義実は過去を振り返った。
 逃げられない因果であるから、姫が身を捨てた原因は、親のため、国のため、仁義八行を世の人に失わせないためではあるが、苦節と義信の良い報いによって、如是畜生の文字に誘われ、遂に悟りの境地に達したのだと語った。
「あえて姫を止めず、望みに任せて、早や二年になったが、安否を問わず、聞こうともしなかった。木こりや狩り人らまで富山に入山を禁止をしたが、今、五十子の病が重く、妻の願いを黙って見過ごすことができず、姫の行方を調べようと思ったが難しいと思っていた」
 奥方のことになると、口調が重くなる。
「だが私の夢に見た翁の面影は、この書をお主に渡した者と少しも違わない、どうやら二人とも、神変不測の霊験で、この義実の疑惑を溶かし、富山の奥へ導こうとなさる役行者の顕現を疑ってはならない様だ。だから入山禁止の法度をやめて、伏姫に再会の時が来た。役行者の示現にお任せして、お主を連れて行こう」
 少しだけ心が晴れた様な顔になった。
「だがこのことは内密にしよう。人々は珍しく変わったものを好む。示現の霊応は誤ることがないので、私がもし姫に会えたなら、それを知った人々は、霊応などについて喋るだろうから鬼神の徳を乱すことになるだろう。あるいは富山を探し回って遂に伏姫に会えなければ、夢を信じて姫の面影を追い、幻の偽物を見て風を取ろうとする義実の愚かさを知らしめて、世の物笑いになるだろう。この度の従者はお主の他に十四五人にして、無口で真面目な者を選ぶとしよう。明日早く出よう、心構えと準備をせよ」
 と指示をすると、堀内貞行は深く感銘を受けて、何も反論しなかった。ただ、
「姫上が幼かったころ、役行者の霊験の話、あの水晶の数珠の話、私も大体存じておりました。今回の奇跡に符合する、とお思いなされたのは、ただただ我が殿の叡智でございます。しかしながら姫上の善と正しい道を守ろうという心がなければ、ここまでの奇跡は起きませんでしたでしょう。もし当てが外れてもご判断はきっと正しいことでしょう。ご出発のことお急ぎ下さい」
 と返答し、詰め所に下がった。

【霊書を感じて主従は疑いを解く】

 

 

義成さん、盗み聞きはあかんで。

手紙の中身は 如是畜生発菩提心。

 

 里見義実は決心を秘めて奥方の五十子にも言わず、ただ嫡男の義成にだけ打ち明けた。
 里見義成も感動して、父に代わって富山に行きたいと思ってはいたが、役行者の奇跡は自分には起きなかったので、諦めざるを得ない。特にこの日は母の五十子の具合が悪く、危篤になりそうだったので、滝田の城に留まることにした。
 せめて妻の命のあるうちに、と里見義実は気ぜわしく、夜明けを待ちわびてから、
「長狭郡富山の麓にある大山寺に詣でてくる」
 と家臣にお触れを出させて、未明から出発した。忍びでのことであるから、供の数は堀内蔵人貞行ら二十人にもならなかった。

 そして里見義実は、堀内貞行と二騎馬を並べて、ひたすら鞭を振るって、急いでその日のうちに富山に登った。どうにか尼崎が流された川まで来ると、岩の形状、木立の光景、すべてあの夜見た夢と違いがなかった。試しに茨と棘と分けて、道を求めて一町あまり(約100メートル)右の方へ入って行くと、果たして枝を曲げ、草を丸めた栞が夢の通りにあった。
 主従はその栞を見て、眼を合わせて、役行者の奇跡を信じる心が増し、勇んだ。ふと背後を見ると、堀内貞行だけがいた。他の徒歩の従者らが遥か後方に遠ざかっており、続く者はいなかったのである。しばらくすると、馬飼いがただ一人喘ぎながら登って追いついて来た。
 里見義実は馬飼いを見て、堀内貞行にこう言った。
「すでにこの霊験の栞さえあれば、他の者は従う必要はない。彼には馬を引いて麓まで帰らせて、我らを待つ様にさせよ」
 堀内貞行は馬飼いに命じて、あすなろの木に繋ぎ止めていた馬と麓まで降りる様にと、主人の命を伝えた。

 ここから先は主従また二人、栞を頼りに道を求めつつ、山蛭対策に笠を傾け、蔦や葛に足を取られない様に、互いに高く声を掛け合って、つづら折りの山道をどことも分からずに登り、降り、苦労しながら進むのだ。
 進んで行くと川上に至り、大きく繁った樹木の下の暗闇を抜ければ、とうとう川の向こうに出ることができた。

 

(続く……かも)