馬鹿琴の独り言

独り言を綴ります。時にはお相手して下さい。

超意訳:南総里見八犬伝【第八回 行者の岩窟で翁が伏姫の人相を観る/瀧田の近くで狸が子犬を育む】

2024-04-23 01:02:28 | 南総里見八犬伝

 金碗八郎孝吉が急に自決してしまったが、その深い思いを知らない者は、
「死ななくても良かったのに。手柄があったのに賞を辞退し、惜しむべき命を失ってしまったのは、裁きの場で玉梓に罵られたことを恥じたのだろう」
 と酷いことを言うのだった。

 それはまったくの的外れで、昔の賢人は、男子の無欲は百害を退け、女子は嫉妬がないのであれば百の短所を覆い隠すと言った。
 道徳や仁義もその通りで、里見義実の徳も孤立することはなく、隣国の武士たちの敬慕することとなった。友好を求め、婚姻の打診をする話も出てくるようになった。

 その中に上総国椎津の城主、真里谷入道静蓮(まりやのにゅうどうじょうれん)の息女、五十子(いさらご)が賢くもあり、美人であると伝え聞き、縁があって娶ったのである。
 一女一男が生まれ、娘は1442年嘉吉二年、夏の終わりに生まれた。三伏の時節、すなわち七月中旬から八月上旬の酷暑のことに生まれたので伏姫と名づけられた。
 男の子は二郎、その次の年、1443年嘉吉三年の終わりに生まれた。二郎太郎と称せられたが、後に父祖の業を継いで安房守義成となる。稲村城に置かれて、里見家の武威はますます盛んになっていった。

 一方伏姫はおむつを巻いていたころから可愛らしく、あの竹の中から生まれた乙女かと思わせるほどに美しかったので、父母の慈愛は深く、世話付きの女房を普通よりも多く付けるのだった。

 しかし伏姫は昼も夜もむずがり、三歳になっても言葉を話せず、笑うこともできず、ただ泣くばかりであった。父母は苦しみ、悩み、この三年この方、治療を試み、高僧や修験者の加持祈祷をいろいろ試したものの、一向に効果は現れなかった。

 ここにまた安房郡に洲崎明神という古く神々しい神社があった。
 この神社の山の裾野に大きな石窟がある。石窟の中には役行者の石像があった。ここから湧き出る清水を独鈷水と言い、日照りの時でも枯れることがない。

 昔、文武帝のころ、役行者小角は伊豆大島に流罪とされた。洲崎神社の地は伊豆大島からわずかに十八里(約72キロ)であり、小角は何度も波涛を越えて、洲崎にやってきたと言う。
 霊験を顕したことにより、後になってから人々が像を造り、石窟に置いた。今も霊験はあるらしく、一度祈願をすれば願いが成就しない者はいないと言われていることを伝え聞き、伏姫の母、五十子は、
「伏姫のために願いごとをして、毎月洲崎神社の石窟に代理の者に参拝してもらってすでに三年。まだご利益はないけれど、伏姫の命は問題なく、とにもかくにもここまで育ったこと自体が霊験なのかもしれません。今度は代理の者ではなく、姫自ら参拝すればご奇特が起きるかもしれません」
 と里見義実へ訴えた。
 この件については考えることがある様で、直ちに断った訳ではないが、
「洲崎は里見の領地ではない。今の安西景連が野心があるかどうか分からないが、幼き伏姫をはるばる洲崎神社に遣わせば、世間の評判が良くない、思いとどまってくれないか」
 容易く許さなかったが、何回も五十子が訴えるので、その熱意に負けて、黙認せざるをえなくなった。供には老齢の男女を選んで、お忍びで伏姫を洲崎へ遣わすことにした。

 伏姫は乳母の膝に乗せられて輿に乗った。外から従者が珍しい景色に騒ぐが、姫には楽しそうな様子がなく、とうとう泣き出してしまった。
 がっかりした従者たちは、参拝の旅路の道を急ぐしかなくなった。
 とにかく洲崎に赴き、明神の別当(神仏習合による神社内に建立された寺を司る職名)である養老寺に宿を取り、役行者の石窟へ七日間詣でた。
 こうして結願の日が来ると、従者たちが帰還を急いだので、早速輿は宿を出た。一里ばかり進んだところで、伏姫は酷く泣き出した。付き人の女房や乳母が一生懸命あやし、機嫌を取るために輿から出してなだめすかしても、全然泣き止まない。
 伏姫を抱きながら進む足取りは、遅くなった。

 少し進むと、齢八十余りの老人が一人、白眉が八字で、腰には梓の弓を持ち、握りに鳩の飾りの杖を持った翁が道の真ん中に座っていた。元々忍びの参拝だったので、従者たちは老人を追い払うこともできない。
 翁はじっと伏姫を見つめて、
「これはこれは、里見の姫君ではございませんか。石窟からのお帰りであれば、この翁が加持祈祷して進ぜましょう」
 呼び掛けられた従者たちは驚き、翁を見返すと、様子が尋常の者でなさそうだった。そのせいか、供の老人たちが早速伏姫の事情を全部翁に話してしまった。
 座っていた翁は何度も頷き、
「真に悪霊の祟りが憑りついておるわい。この子の不幸であるなあ。祓うのは決して難しいことではないが、禍福はあざなえる縄のごとし、災厄と幸福はより合わせた縄のように表裏一体であり、一時のそれに一喜一憂しても仕方がない。例えば何か一つを失くしても後でたくさんの助けを得れば、その禍は決して単なる禍にならない。喜んでも悲しんでもいけない。戻ったらこの旨を里見義実夫婦に告げるが良い」
 翁は懐から水晶の数珠を取り出した。
「これを差し上げよう。護身用にせよ。そのうちきっと思い当たることがあるじゃろう」
 翁は誇らしげに説明した。
 水晶の数珠には、仁義礼智忠信孝悌の八字が彫られていた。
 翁が数珠を伏姫の襟に掛けると、供の老人たちは慌てて、額を地面に付け、
「悪霊とは何の祟りでしょうか。詳細をお話いただき、どうか後々まで祓い鎮め下さい」
 と頼み込むと、翁は微笑み、
「妖しきものは徳に勝てない。悪霊が憑りついていても、里見の家はますます栄えるだろうよ。太陽や月が満ちた時、その次は必ず欠けていくものだ。何を祓うのかということを説明することは、天の秘密を漏らす恐れがある。伏姫という名前によって、自ら気づけば分かるかもしれん。しかしこの子はもう泣かなくなるぞ。さあ、もう行きなさい。私も行くことにする」
 と言って洲崎の方へ向かっていくと思う間もなく、姿はかき消したのだった。

 従者たちはしばらく翁の姿が消えていったところを呆然と見ていたが、翁は実は役行者が姿を見せた奇跡に違いない、と言い出し、伏して拝むのだった。
 滝田を目指して帰る途中、果たして伏姫は、泣くこともなく、機嫌良く遊んでいた。ようやくこの日が普通の三歳の幼児に初めて見えて、従者たちの或る者は喜び、或る者は怪しむのだった。
 滝田城に到着し、従者たちは翁の件を里見義実と五十子に報告して、例の八字の刻まれた数珠を見せた。ただならない天の助けと思った二人は、すかさず堀内蔵人貞行を洲崎神社に遣わして、供物を奉納させた。
 伏姫のために、後々までの平穏無事を祈りつつ、数珠を常に姫の首に掛けさせることにしたのだ。

 四年あまりの年が経って、伏姫は七つになった。
 花の様に美しく、天の成せる若々しい美貌は、世に類ない。それだけでなく賢くもあった。昼間は手習いの草紙に向かって、終日飽きることもなかった。夜は管弦の調べに耽って、夜更けまで夢中になって没頭した。
 年齢が十一二になると、和漢の書籍を良く読んで、物事の道理をしっかりと学び、悪いことにはまったく心も移さず、孝貞忠恕、即ち親への孝、操を守る貞、真心の忠、相手を思いやる恕を身につけて普段から振舞うので、母君からの愛情は深かった。
 里見義実はそれを見て、我が娘を誇りに思うのだった。

 さて最近になって長狭郡、富山辺りの村落に奇妙なことがあった。
 技平(わざへい)と呼ばれる百姓の家で仔犬が一匹生まれたのだ。
 雄の仔犬は、世間では一匹で生まれた犬は身体が大きく、力が強く、成長すれば敵はいないと言われているので、飼い主の技平はその気になった。 
 裏門に藁の屋根を持った大きくて立派な犬小屋を作って、朝夕の餌を充分に与えたのである。
 しかしこうして七日が経ったころ、夜に竹垣を壊して、どうやら狼が入ってきて、母犬を食い殺してしまった。夜が明けて、技平は血が流れているのを見てこのことを知ったが、腹が立つばかりでどうしようもなかった。
 せめてもの救いは仔犬だけが助かっていたことだが、母犬を喪って不憫な子犬はいまだ眼が充分に開いていなかった。
 母犬の乳もないので養う手立ても他になく、粥の様なものを与えて、どうにか育てていくが、技平には妻子もなく、元から一人暮らしである。昼は田畑を耕し、家に帰る時間も少ないため、食べ物を与えることも満足にできないでいた。
 手をこまねいてとうとう仔犬の死を覚悟する他なかったが、野良仕事に精を出しているうちに、一日二日経っても仔犬は飢えた様子もなく、生まれて十日目には眼をとうとう開いた。しかも身体も肥えていくのである。
 これはただごとではないと思って、技平は誰にも言わずに、朝と晩に機会を伺っていたが、ある朝早くに起きてみると、年老いた一匹の狸が犬小屋から出て、富山の方に向かって行くのを見た。
 さては仔犬は狸に育てられているに違いない、しかし不思議なことだ、と驚いた技平は、再び見てやろうと決意した。その日の黄昏時、裏門に隠れて狸がやってくるのを待つ間、仔犬は母を慕って何度も鳴いた。
 その時、鬼火か人魂か、妖しい光が滝田の方角からゆらゆらと突然現れた。不思議な光は突然地上に落ち、犬小屋の辺りで急に消えてしまった。
 技平が慌てて見に行くと、今朝見たばかりの狸が富山の方から急いで走ってきて、犬小屋の中に入っていく。子犬は泣き止んで、乳を吸う音だけが聞こえてきた。
 こうして四五十日が経ち、犬は早くも大きくなり、良く歩き、独りでいろいろ食べる様になると、とうとう狸は来なくなった。
 今もこの場所を犬懸と呼ぶ。

 

【関連地図】

【房総志料から考えると、安房郡府中の地から、長狭郡大山寺へ行く道がある。富山へ登ろうとする者は、犬懸から左へ曲がる。また西の方角は平群に向かう。滝田、山下、犬懸の辺りと見えるのはここであろう。】

 このころ杉倉木曽介氏元と堀内蔵人貞行は、里見義実の命を受け、一年ずつ交代で東條の城を守っていた。
 堀内貞行は休暇となり、杉倉氏元と交代して滝田へ帰る途中、例の犬懸の里を通った際に、狸の仔犬育ての話を耳にした。

 

【翁、伏姫を観て後難を知る\瀧田の近くで狸が子犬を育む】

上で翁が伏姫の相を見ております。

下では仔犬を見て驚く堀内さん。玉梓はどこかな、分かりません(-_-;)

 

 始め堀内貞行はこの話を信じなかったが、その噂の真偽を調べようと思い立ち、技平の家へ寄って犬を良く見た。飼い主である技平からいきさつを聞けば、噂通りである。
 姿かたちはまた、唐土の獹韓(ろかん)、我が朝の足往(あゆき)という犬に似ている。
 獹韓は、春秋戦国時代韓の国にいた俊足の賢い犬の名であり、足往は垂仁帝の時代、丹波にいた犬の名で貉(むじな)という獣を食い殺した逸話がある。
 狸に育まれた犬の話は今まで聞いたことのない珍事のため、堀内貞行は滝田に帰ると早速主人にこの話をした。里見義実はこの話に興味を示し、
「伏姫はおしめの取れないうちから犬を怖がって泣いていた。犬を飼っても奥の庭に繋いであるだけで、大した犬はいなかったな。貞行、お主の言うことが本当であれば、その犬は立派なものなのだろう」
 里見義実は日本書紀の話を引いた。
「昔、丹波の桑田村に住んでいた甕襲(みかそ)という人の飼っていた犬は、足往という名前だった。ある日足往は貉を殺したが、その腹から八尺瓊勾玉が出てきた話が日本書紀や垂仁紀に記されている。狸が仔犬を育むという話は、足往の話とは真逆で、あまりにも不思議な話だ。現に狐や狸は犬を嫌うものだが、仔犬が母を亡くしたを知って、犬を嫌うのを忘れて乳を与えて養う、というのは博愛である。また狸という文字は、里に従い、犬に従っている。これは即ち里見の犬、ということだ。私はその犬を見たい。連れて来てくれぬか」
 と言うので、堀内貞行は命に応じて、すぐに犬を連れて来た。
 里見義実が見ると、犬は骨格が大きく太く、高さも他の犬の倍はある。眼は鋭いが、垂れた耳、巻いた尻尾は可愛らしく、手懐けたくなった。体毛は白いが、黒い毛も時折混じっていて、首から尾まで八か所の斑があった。このことから犬に八房と名づけて、奥の庭で繋いで飼うことにした。
 元の飼い主である技平には褒美をやり、それ以来八房は里見家の家中の者に愛されることになった。充分に餌と眠るための敷物まで与えられた。
 枕草子に描かれた一条帝の宮中で飼われた翁丸も八房の厚遇にはかなわないだろうと、皆只不思議に思ったが、主君の愛犬であると丁寧に接した。
 後になっては伏姫もまた可愛がる様になり、近づいた時に八房、八房と呼ぶと、尻尾を振って走って来る様になり、少しもそばを離れないのだった。
 伏姫自身も、春の花、秋の紅葉と数年、梢の色を染め変えて、十六歳になると、ますます美しく気品を備える様になった。その美貌は、美しく咲いた花に、たゆたう月を掛けたようだった。

 その年の秋、八月のころ、安西景連の領地である安房と朝夷の二郡において、作物が実らないと使者の蕪戸訥平が滝田城に遣わされた。
 里見義実に訴えるには、
「天がは我らの所領に災いを起こして、たちまち困窮いたしました。しかし貴領はこの秋も豊作と伝え聞きます。どうか米穀五千俵をお貸しいただけませんでしょうか。来年の収穫を待って、倍にしてお返しいたします」
 援助の乞いに続けて、蕪戸訥平は尚も言った。
「我が主君、安西景連は年齢を重ねて、早や七十を越しましたが、後継ぎの男児も女子もおりません。里見殿のご息女を養子とさせていただき、一族の中から婿を選び、所領をお譲りしようとしきりに考えております。このこと、どうかお許しをいただきたく。最期の願いで幸いでございます」
 と平身低頭して言った。
 しかし里見義実は、
「当家にたくさんの男児がいれば安西家に養子とさせてもらっても良いが、いかんせん一女一男しかおらん。また伏姫を遣わすにも安西景連殿には妻も子もいないので、誰にも利益がない。このことは受けることはできないが、豊作凶作は時運に関わることで、安西殿だけのことではない。隣国の窮状を聞きながら助けないのは、天のお咎めを受けるだろう。養子の件は辞退させていただくが、米穀はご依頼の通り今からお送りしよう」
 と丁寧に返答し、蕪戸訥平を帰らせた。

 このころ堀内貞行は東條の城にいて、杉倉氏元は病気に掛かって自宅に引き籠っていたので、相談する者はいなかった。
 その中で、金碗大輔孝徳はこの年すでに二十歳になっていた。里見義実の近習になっていた。祖父の一作は五年前に亡くなっていたが、病床の介抱には大輔が自ら世話をして、良く面倒を見たのである。それだけではなく、育つうちに父の孝吉の志を受け継いで、忠義第一の若者になっていた。
 今回の安西からの申し出については、主君を諫めて、
「安西景連は普段は疎遠にしているにも拘らず、いざ困難になると姫を養女として求め、米穀を借りようとしています。彼は良く恩義を知る者ではありません。この際ですから討取ってしまえば、一挙に安房一国を手中にでさること疑いございません。もしその願いに答えてしまえば、盗賊に食料を与えて、仇敵に刃を貸すようなものです。ただ出陣の準備が望ましくございます」
 とはばかることなく言うと、里見義実はこれを聞くなり、
「お主の様な弱輩者の分際で何を知っていると言うのか。仇敵と言っても凶作に乗じて攻め込むなど、まともな者のすることではない。まして今、安西景連は敵ではなく、故なくして軍勢を動かすなど無名の戦と申すのだ。無名の戦では人々は従わない。下らないことをいう奴だ」
 と激しく叱って、米穀五千俵を安西景連に送るのだった。

 その次の年のことである。
 里見義実の領地である平群と長狭は凶作となり、安西景連の領地は稲穂が高く実った。先に借りた米を返さないため、滝田の城は皆困窮し難儀した。
 その時金碗大輔は密かに主君に言うのだった。
「隣国隣郡、急を救って互いに助け合い、足らないものを互いに補わなければ、友好してもまったく意味がないでしょう。安西殿は去年の秋、莫大な米穀を借りましたが、こちらの危急を知りながらも、今になっても返しません。安西に頼むまでもないのですが、返却を求めなさらないのですか」
 と何度も言った。
 里見義実は金碗大輔を我が子の様に可愛がったが、他の者の嫉みもあるかもしれないとして、皆の前ではきつく叱咤しながらもその志を励ましてきた。
 金輪大輔は年齢は二十歳を越え、顔かたちは親の八郎孝吉に似て、その才能は父にも決して劣らなかった。
 里見義実は、今年金碗大輔を東條の城主にしようと考えていたが、若さを心配していた。今のまま城主にすると年配の者から嫉妬されると思い、何か一つの功を立てさせて、その褒美として城主任命をしようとしたのだ。
「お主の意見は私の考えと同じだ。お前を使者として安西に遣わそう。しかし貸した五千俵の件はこちらから督促してはならん。この様に言うのだぞ」
 と、丁寧に口上を教え込んでから、次の日に出発させた。

 こうして金碗大輔孝徳は従者を十人あまり率いて、槍を携え、馬に跨って、未明に滝田を旅立った。
 大急ぎで道を進み、安西景連の真野の館に赴いて、老臣の蕪戸訥平に面会するとすぐに、里見の領地の凶作のことと難渋していることを説明し、五千俵の米の救援を丁寧に求めた。
 だが蕪戸訥平はすぐにその場では返答せず、主人に言ってみるとしてそのまま奥に行ったきり、半日あまりも出て来ない。
 金碗大輔は首を伸ばして、今か今かと返答を待ったが、とうとう日が暮れていく。
 ようやく蕪戸訥平が戻って来て、使者の金碗大輔に言うには、
「ご使者のご訪問の趣きにつきましては、詳細に至るまで主人に報告いたしました。しかし主人の安西景連は以前から風邪を引いておりまして、まだ起き上がることができないのです。昨年の秋から里見家に危急をお救いいただきましので、頼まれずとも自ずから倉のすべてを差し出して先恩にお応えすることは問題はございませんが、先年の凶作の後でございますから、現在もまだ米穀が不足しているのでございます。老臣どもを集めて評議をいたし、可否を論じて返答をいたします、というのが主人の口上でございます。今しばらく当地にご逗留いただき、お身体も馬も休め下さい」
 と言って、率先して里見の使節を旅館に連れて行った。そしてもてなすのだった。
 あっという間に五六日がすぐに経過してしまったので、さすがの金碗大輔もいら立って返答を蕪戸訥平に催促するが、何度も責められた訥平はもまた病にかこつけて、とうとう出て来なくなった。
 ここに至って金碗大輔は疑心を起こして、こっそり城中の様子を伺ってみた。どうやら兵士たちは武具の準備や馬具の整備にいそしみ、がやがやと騒いでおり、まるで出陣するかの様である。
 これは怪しい、と驚き騒ぐ胸を鎮めて、安西景連の動向を考えてみた。使者である金碗大輔を出し抜いて、凶作に喘ぐ里見家の危機に乗じて、不意を撃って滝田城を攻めようとしているのに違いない。
 もっと遅くに気づいたら、敵の捕虜となるだろう。今すぐ立たないと危ないと、金碗大輔は従者たちに考えを告げた。姿かたちを変えさせて、一人二人と紛れて城を出て、滝田を目指して帰ることにした。
 

【真野の松原に蕪戸訥平、金碗大輔を追う】

奮戦する金碗大輔さん、あちらこちらに首や腕が( ゚Д゚)

 

 金碗大輔自身も脱出し、一里(約4キロ)あまり離れたところで、遅れて来る従者を待とうと一息吐いた。清水をすくって咽喉を潤し、松に座って流れる汗を拭いた。
 そこへ蕪戸訥平が軍勢を率いて追い掛けて来た。真っ先に馬に乗って先頭に立ち、鐙に踏ん張って声を掛けた。
「金碗大輔孝徳、今更逃げるとは汚いぞ、。お主の主である里見義実は、乞食をしていた浮浪人。白浜へ漂泊し、愚民を惑わし、土地を奪い、平群と長狭の両郡を手中にできたのは、麻呂信時を滅ぼしなさった我が君の助けによるものだ。本来であれば、腰を屈めて、安西殿へ臣従を誓い出仕すべき身なのだ。それを尊大にして傲慢にも、わずかな米を寄越したからと言って、催促するのは、卑しくもけちな行いである」
 蕪戸訥平は続けた。
「またその娘である伏姫が美人であるのをお聞きになって、仮に養女になぞらえて、実は側室にしようと我が君はお考えだったのに、里見義実は愚かにも従わなかった。無礼な奴だ。側室にするにはもう少し時間が足らないと、数年経つのをお許しになったのに、いつまでも我が世の春と思ってもいたのが、お前たち主従の愚かさよ」
 笑う蕪戸訥平である。
「お前は知らないであろう、我が君は三千の軍馬を率いて早くも東條の城を乗っ取り、今頃は滝田を攻めているのだ。お主には帰る場所などない、命が惜しければ降参しろ」
 とほざきにほざく大口を聞いた瞬間、金碗大輔は、
「馬鹿馬鹿しい、鼠め、私は幼いころから聞いていた」
 激怒した。
「お前の主人安西景連は、義に背いて麻呂信時を討ってその領地を我がものとしても、足りることを知らない。しかし我が君は討伐をせず、乞われるままに隣郡として親交を結びなさった。それをこの上ない幸いとは思わず、また奸智を巡らせて、先には数多の米を乞うたにも拘らず、約束に背いていまだ返そうとはしない。こちらの油断を窺い、危機に乗じて、大軍で攻め込むなど、帝も皇国も不義には組しない。みずから滅びようとすること、鏡に映して見ている様だ。主命を受けながら成し遂げられずに空しく帰るこの孝徳の手土産に、お主の首を引き抜いて、主人へ見参させよう、そこを退くなよ」
 槍を引っ提げて、従者たちを左右に従えた金碗大輔は、群がった多くの敵勢の中へ、面も振らずに突っ込んで行った。縦横無尽に戦うが、数はたった七八人しかいないので、必死に戦う間に射ても撃っても敵はものともしない様だった。
 半時あまりの死に物狂いの血戦に敵は三十余騎が倒れて、死骸は路上に横たわった。
 味方はと言えば、七人が命を落として金碗大輔一人になったが、尚も一歩も退かなかった。蕪戸訥平と組もうとして、あちこち走り回ったが、安西勢は眼に余る大軍だった。遂には敵勢に遮られて、訥平に届きそうもない。

 そもそも君子は欺くことはできても、陥れることはできないのだ、と論語に書かれた賢者の考えは、真実なのである。

 里見義実は功績や名声の高い良き将で、仁の心を持って民衆を助け、信義の心を持って、隣国と親交を結んでいる。
 一方、安西景連の悪巧みは極まりない。彼を欺くためには、更に悪巧みを考えなくてはならないのだ。
 里見義実にいくら古代中国の賢人の様な才能があったとしても、安西景連の様な悪知恵に騙されるということは、そもそも仕方がないことなのである。

(続く……かも)

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八犬伝、追加のキャスティング発表

2024-04-18 23:49:13 | 南総里見八犬伝

八犬伝、まさかの映画化! - 馬鹿琴の独り言

の追加のキャスティング決定ですって。

詳しくは下記の通り。

役所広司主演『八犬伝』、八犬士に渡邊圭祐、水上恒司ら最旬キャスト集結!9名の新キャストが発表(シネマトゥデイ) - Yahoo!ニュース

役所広司主演『八犬伝』、八犬士に渡邊圭祐、水上恒司ら最旬キャスト集結!9名の新キャストが発表(シネマトゥデイ) - Yahoo!ニュース

 役所広司主演で映画化される『八犬伝』(10月公開)で、八犬士などを演じる9名の新キャストが発表され、特報、ティザービジュアル、場面写真などが一挙公開された。 本...

Yahoo!ニュース

 

犬塚信乃役:渡邊圭祐さん
犬川荘助役:鈴木仁さん
犬坂毛野役:板垣李光人さん(どうする家康の井伊直政役)
犬飼現八役:水上恒司さん(ブギウギの愛助さん役)
犬村大角役:松岡広大さん
犬田小文吾:佳久創さん(鎌倉殿の13人の武蔵坊弁慶役、中日ドラゴンズの郭源治投手の子供)
犬江親兵衛:藤岡真威人さん(仮面ライダー1号藤岡弘さんの子供!!( ゚Д゚))
犬山道節:上杉柊平さん

玉梓:栗山千明さん(キルビルのゴーゴー夕張(´・ω・`))

 

動画では、八房のお手柄シーンや古河城芳流閣の決闘が描かれていましたよ。

虚の世界、実の世界、果たして描けるのでしょうか。

犬村大学とか犬山道節、犬江親兵衛とかって、いつも映画では省略されちゃうんですよねえ、そこが心配なのよ。

でわ。

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超意訳:南総里見八犬伝【第七回 安西景連、奸計により麻呂信時を売る/金碗孝吉、節義により義実の元を辞す】

2024-03-29 11:50:30 | 南総里見八犬伝

 東條城から駆けつけた杉倉氏元の使者、尼崎輝武が首を持ってきたので、里見義実は首実検を行った。
 そして尼崎輝武を近くに招いて、合戦の詳細を自ら尋ねた。
「滝田攻めの軍の兵糧が乏しいことは、杉倉殿も以前から心配しておりました。百姓に命じて運ばせようと思っておりましたら、安西景連と麻呂信時は、早くも山下定包に騙られて海と陸の道を塞ぎ、荷駄を取ろうと我らを待っておりました。この難儀を杉倉殿は憂いておりましたが、いたずらに日数が立ってしまいました。しかし、景連の使いがある夜やってきまして、杉倉殿に言ったのでございます」

 山下定包は逆賊である。
 中国戦国時代の外交家である蘇秦、張儀が百回も千回も説得に来ても、私を納得させるものではないが、麻呂信時にそそのかされて、奴がために道を塞ぎ、杉倉殿の兵士を苦しめてしまったのは我ながら浅ましい行いだ。
 後悔してほぞを噛んでみたものの、麻呂信時はひたすらに弓矢を磨いており、里見を攻める気である。説得しても思い直すつもりはない様だ。
 これもまた歯がゆいことだが、つらつらと良く考えると、麻呂信時は思慮も分別もなく、自己の利益のために義を忘れて、貪るだけで満足しない男なのだ。
 安西景連は里見殿との旧交を思うために、麻呂と一旦は力を合わせるが、麻呂が過ちを改めないのであれば、これ以上一緒に歩むことはできない。

 力を合わすことはやめて、まず麻呂信時を討ち果たす。そして兵糧運送の道を守って、里見殿に協力し、逆賊山下定包を討滅して大義を示そうと思うのです。
 以前には思いがけず訪れなさった里見氏を大切にしなかった安西景連の非礼は、例の麻呂信時が拒んだからなのです。

 願わくは、城代殿が城を出て、大至急攻め掛かかり下さい。
 麻呂信時は猪武者です。敵を見て思慮もなく一気に進むでしょう。その時こそ安西景連が背後から挟み撃ちにして、信時を捕まえることは手の平を返すより簡単でしょう。逡巡して大事を間違えませんように。
 ご返信をお待ちする。

「しかし杉倉殿は敵の罠かもしれんとお思いになって、軽々しく従いませんでした。使者の往還を何回か重ねて、ようやく安西に嘘偽りが無いように思えましたので、それでは麻呂信時を討とうと、安西と打合せしました。五月雨の雨が降ったりやんだりする真夜中に二百余騎を率いて、出撃しました。馬には音を出させない様、口に棒を咥えさせ、轡でつぐませてあります。そして麻呂信時が屯していた浜荻に建てた柵に向かって、前後から攻めて、鬨の声を上げて、遮二無二に突っ込んだのです」

 

【関連地図】


 尼崎輝武は報告を続けた。
「敵が襲ってくるとは思ってもみなかった麻呂の軍勢は慌てて混乱し、繋いだままの馬に鞭を当てたり、弦のない弓に矢を添えたりしていました。もう防戦するまでもなく、逃げるしかない、そんな戦況になったのですが」
 里見義実たちは、声も出さずに熱心に聞いている
「その時、麻呂信時は大きな声を出し、頼りない者ども、敵は少ない。押し包んで戦え、前原にいる安西景連に笑われるな、と厳しく命令をしたのでございます。そして真っ先に馬に乗って飛び出し、槍を振って、攻め込むお味方を突き倒しました。その勢いは正に群がる羊に襲い掛かる猛虎の勢いでした。麻呂の軍勢はこれに励まされ、後陣の安西が援軍で来ると思ったのでしょう、逃げようとした者も踵を返し、喚きながら向かってきました。心ならずも味方の先陣は押し返され、道の泥濘に足を取られてつまづく者もおりました。その時でございます、杉倉氏元殿が眼を怒らせ、大きな声で申しました」
 ごくりと誰かが咽喉を鳴らした。
「一旦は破った敵の柵を追い返されるとは何ごとか。名を惜しみ、恥を知る者は我に続け、と言いながら、采配を腰に差して、鐙を鳴らして馬を進めました。杉倉殿の長刀は闇の中でも煌めき、水車の様に振り回していました。そのまま麻呂信時に討って掛かりました」
 誰もが口を開かないでいる。
「かがり火の向こうから、麻呂はきっと見て、汝は氏元か、良き敵なり。そこを動くな、と呼び掛けて、槍を突けば、杉倉殿は受けては跳ね返し、麻呂が引けば杉倉殿が斬り掛かって、互いの技を尽くしたのでございます。双方の大将がこの様に激しく戦っておりましたので、味方も敵も死力を振り絞っており、誰も手出しができません。そのうちに麻呂が焦って突き出した槍の穂先を杉倉殿が左手で払い除け、大声で叫びました。杉倉殿は、麻呂が見上げたところを長刀の柄で兜の額の部分を激しく突いたのです。正面から突かれて、さしもの麻呂も急所の痛手に我慢できず、槍を持ったまま馬から落ちてしまいました。その音に、私たちは急いで駆けつけて、麻呂の首を取ったのでございます」
 尼崎輝武は言葉もせわしく報告した。
 報告をじっくりと聞いた里見義実は、口を開いた。
「氏元の勲功、称賛するに値するが思慮が足らん。安西景連がにわかに裏切って麻呂信時を討とうとしたこと、理由があるのだ。安西と麻呂の両雄はそもそも並び立たない。もし二人が私を討ったとしても、早々に勝たなければ、必ず異変が起きただろう。それを思いがけず安西にそそのかされて、氏元が麻呂を討取ったのは味方のためには利がなく、安西のためになってしまった。その安西は今どうしている」
 尼崎輝武はかしこまって返答した。
「はい、安西景連はその夜、味方のためには矢を一本も放ちませんでした。いつのまにか前原に構えていた柵からも退却しておりました」
 その返答を聞いて里見義実は扇で膝を打ち、
「それであれば、すでに安西景連の奸計は明らかだ。我々が滝田を攻めていた時、勝敗は分からなかったのだろうが、山下定包は神々に見放された逆賊だ。一時は籠城戦で有利になることもあるが、最終的には安西も見切りをつけたのだろう。定包が滅亡し、この義実が城を落とすに及んで、安西は麻呂信時が頼りにならない猪武者と思ったのだ。ともに無謀の戦で戦えば脆くも負けてしまうことを恐れて、里見と連携したのだ。そして杉倉氏元に麻呂を討たせ、安西はその虚に乗じて、平舘城を攻め落とし、朝夷郡を横領して互角になろうとしているのだ。この推量は合っていると思うぞ」
 安西景連の遠謀を細かく分析していると、杉倉氏元からの次の使者が再度の注進をしにやってきた。
「麻呂信時が討たれましたので、残兵がしきりに乱れ騒ぎ、逃げていくのをそのままにして、杉倉氏元殿は軍勢をまとめて東條に帰陣しました。何を思ったのか、安西景連はとっくに前原から退却して、平舘の城を乗っ取り、麻呂の領地朝夷郡をすべて己のものとしました。犬がせっかく獲物を仕留めても、鷹に奪われた様なものです、杉倉殿は苦労だけなさって、功がございませんでした。殿が軍勢を差し向けるおつもりであれば、先鋒を承って、朝夷郡はもちろん安西景連の根拠地を攻め落とし、この鬱憤を晴らしましょう、この様に申しておりました」
 と金碗孝吉、堀内貞行に書簡を渡した。二人もここに至って、主君の叡智に感服して、
「早く安西を討ちましょう」
 としきりに勧めたが、里見義実は首を振って否定した。
「いや、安西を討ってはならん。山下定包を倒したのは私一人の利益を考えたのでなく、民の塗炭の苦しみを救うためだ。皆の力によって、長狭、平群を治めることになったが、この上ない幸運ではないか。安西は梟雄ではあるが、山下定包の類ではない。奴の本意はともかく志を我々に寄せながらも、杉倉氏元が麻呂信時を討つ際に、いち早く平舘城を落としたことを妬んで、戦を起こして土地を巡って争うなど。それは蛮触の争いと言って、了見が小さくつまらないことで争うことであり、人々を余計に殺し民を失う、ということはしたくない。安西の奸計によって平舘を取り、なお飽き足らずにこちらへ攻めて来るのであれば、一挙に決着をつけよう。今は領地の境を守って、こちらからは手出しを出してはならん。皆にこの旨を心得よ」
 主人が丁寧に説明すれば、金碗孝吉、堀内貞行はもちろんのこと、左右に侍っていた近習たちや尼崎も一緒に感銘を受けた。
「昔の聖賢は、うちの殿様よりも立派だったのだろうか」
 とひたすらに称賛した。

 こうして里見義実は、自ら杉倉氏元に感状を与えて褒めながらも、諭して安西を討たない様に命じた。
「人の物を取ろうとする時は、自分の手の届く範囲を忘れるな。ことわざに言う、満足することを知らない鷹は、爪が裂けると。籠城以外はしてはならない」
 そう戒めて、尼崎輝武らを東條城に戻したのだった。

 そのうちに初夏の寒いはずの、卯月、五月は晴れ渡り、風を待ちわびる水無月の夏の土用も半ばを過ぎたころ、安西景連は蕪戸訥平(かぶととつへい)という老臣に幾つかの土産を持たせて、滝田の城に遣わした。
 蕪戸訥平は、山下定包を討ち、里見義実が家を再興させたことを祝い、友好を求めると述べた。
 更に、
「先に館山でお顔を合わせた時からずっとお慕いしておりました。ただ麻呂信時に祝うべき席を邪魔されて、思わぬ無礼を働いたことが恥ずかしいのです。それは晋の文公が曹の国を通った時、曹の君主が無礼な仕打ちをしたことと同じことでしょう。しかしそれが里見殿を逆に励ましたことによって、大業をなさったのではありませんか。本当のことを申し上げると、最初から里見殿に心を寄せていた景連はいささかの考えがありまして、わざとつれなくふるまってあなたをもてなしたのでございます。こうして愚見を申し上げましたが、里見殿のために麻呂信時を討ったので、良いことが起きたのですよ。私も不思議とあなたの影響を受けて、平舘の城を取る功をなしとげました。一国四郡を二つに分けて、互いに境を侵略することなく、助け合い、子孫代々までおつきあいができれば、素晴らしいことでございましょう。些少のつまらないもので親睦のためにはならないかもしれませんが、馬三頭、白布百反をお贈りいたします。ただいついつまでも交わりの変わらないことを祈るのみでございます。どうかお収め下されば幸いでございます」
 丁寧に言うので、堀内貞行も取り次いで、使者の口上を里見義実に伝えた。すると主君は疑う気色もなく、堀内貞行と金碗孝吉に蕪戸訥平を饗応させることにした。
 更に、
「私自身も使者に会おう。良くもてなしをするのだぞ」
 と言うので、堀内貞行と金碗孝吉は喜べない。
「賢い我が主君ですら、あの安西の様な古狸に欺かれてしまいますな。奴が本当に善であり、我が殿の徳を慕う者であれば、安房当国にはいない鯉を探させて、謀殺しようとはしないはずだ。今更になって空々しい祝辞を述べ、友好を通じ、少しの物品を贈ってきたのは、後ろめたいところがあるからだ。今もなおその奸計を知ることができない。使者をもてなしなさるとか、ご対面はもったいないことでございます」
 と密かに諫めたが、里見義実は微笑んで、
「安西景連が本心からではなく、うわべだけで友好を結ぼうとしていても、今聞く限り、見た限りでは憎むべき者ではない様だ。しかし私が執拗にその旧悪を咎めて、親交を断つということは、彼に背くことになってしまう。そうして争うことになれば、人々は私を不義とみなすだろう。不義になって、戦いに勝つことになっても、この義実の願いではない、皆、安西を疑ってはならない」
 と返す返すも不満顔の家臣を説諭して、里見義実は自ら使者の蕪戸訥平に対面し、帰る際には返答の例として金碗孝吉を安房郡へ遣わした。安西の贈り物に答える形で返礼の贈り物を届けさせて、いよいよますますの親交の誓いを立てて、互いに破るまいと誓わせた。
 安西景連は非常に喜び、金碗孝吉を重くもてなし、自ら誓紙を書いて里見義実に送るのだった。

 これより以後、安西景連は安房と朝夷の二郡を、里見義実は神余光弘の旧領である長狭と平群の二郡を領地とした。互いに犯すことなく、争うことなく、世の中は平穏となり、杉倉木曽介氏元は東條城から滝田城に呼び戻されて、ようやく安堵することができた。
 里見家は君臣上下の隔てなく笑い合い、すべての者が平和を楽しんだ。

 文月、七月の七夕の星祭りの夜、里見義実は、夕刻から杉倉、堀内、金碗の功臣のみを集めて茶を立てた。(昔里見の家例には点茶の例というものがあった。このことは房総志料という書物に載っている)
 茶をふるまいながら、昔を語りつつ、功臣たちにも思い出を語らせていくうちに、
「私が幸いにも二郡を得てから、波風はあまり立っていないと思うが、とにかくにも忙しくて、出陣の折に祈った神社にも詣出ていない。またお前たちにも論功行賞を行えていない。これでは晋の文公に仕えた介之推が、褒美をもらう時に山へ隠居してしまった故事の通りになってしまう」
 里見義実は功臣たちを見つめた。
「さて、杉倉氏元、堀内貞行、お前たちは今は亡き父君の遺命を受けて、わが艱難辛苦に良く従ってくれた。その忠義と信実は今更言うまでもない。しかし白箸川のほとりで、金碗孝吉に逢わなければ、どうして家の再興ができたであろうか。また鳩が檄文を伝えてくれなかったら、山下定包の首を取ることができただろうか。この二つが第一の勲功である。そうでなければ安西らの奸計によって、鯉を釣れずに斬られていたかもしれない。また滝田の城攻めの時も兵糧が尽きて、飢えと疲れで逆に敵軍に捕らわれていたかもしれない。どちらにしろ酷い目にあっていただろうなあ」
 立てた茶を勧めて、里見義実は続けた。
「ようやく涼しくなってきて、七夕の物語で二人は結ばれる。詩歌を作るとすると、今宵は彦星と牽牛の二星が出会うそうだ。星にもいろいろ決まりがあるそうで、人々の吉凶はこれに関わってくるという。私はもう天に誓ったのだが、当城の八隅には八幡宮を建立し、秋ごとに祭りを奉納しようと思う。また領内には、鳩を捕まえることを禁じるよう告知をしようと思う」
 里見義実は、金碗孝吉を見つめ、そして杉倉、堀内に視線を移していく。
「金碗八郎孝吉には長狭の半郡を与え、東條の城主としよう。氏元、貞行にはそれぞれ五千貫を知行しよう。この旨どうか承知して欲しい」
 と心から伝えて、したためた一通の感状をまず金碗孝吉に与えた。
 金碗孝吉はゆっくり感状を読み、そして三度額に当ててから、そのまま主君に返した。そして席を変えて、
「お家譜代の補佐の老臣の方々より先にいただく恩賞をご辞退させていただくのは気が引けてしまいますが、私は初めから名誉と利益の二つを望んでおりませんでした。今は亡き故主神余光弘のために、逆臣を倒すことだけを考えていたのでございます。真に、里見の君のご威光によって宿願を果たしましたので、これ以上の望みはございません」
 と言えば、里見義実は笑いながら、
「世間での評判や名声に関わらず、功を成して身を退くというのは、義士の志としてこの様にあるべきことだが、古代中国前漢の張良は故主韓王成のために秦と楚を滅ぼし、その後、漢から留侯として封じられた。私には前漢の劉邦ほどの徳はないが、そなたの忠義は張良の孤独な忠義に似ている。だから功のある者を賞しなければ、誰がその志を、忠孝節義を励ますことができるだろう。どうか曲げて私の意を組んで賞を受けて欲しい」
 と諭した。
 杉倉氏元も堀内貞行も賞を受ける様に勧め、例の感状を渡すと、金碗孝吉はやむを得ないことと受け取って、再度読み始めた。
「これを辞退してしまえば、私はわがままを押し通して、恩義を知らない者になってしまう。しかし受けてしまえば、今更ながら故主に対して不忠になってしまう」
 金碗孝吉の顔色は蒼白だった。
「賞を受けて、しかし受け取れないこの孝吉が、この世とあの世の君のためにできることは、こうするしかありません」
 と言った瞬間、刀をぎらりと引き抜いて、感状を刀身に巻きつけつつ、腹へぐさりと突き立てた。
 これは、と主従三人は思わず近づき、里見義実は傷口を見つめ、
「切っ先深く入っていて、とても助かるまい。しかしこのままこときれてしまえば、誰もが狂い死というだろう。痛いだろうが、どうかこらえて、思うところを全部言うが良い」
 その声を聞いて、金碗孝吉はきっと里見義実を見上げて、息を吐いた。
「故主の横死を聞いて、この腹を早く切らねばならなかったのですが、ただ山下定包を討つことばかり考えて、生きながらえていました。ただこの身一つでは何もできず」
 金碗孝吉は苦しげに言った。
「時と縁を得て、里見の君にお逢いすることができました。我が功に過分な恩賞を今更に受けては、亡くなった故主の横死が私の幸福になってしまいそうで、これ以上生きていることができない理由の一つです。そ、それだけではありません、あの日、落羽岡で山下定包と勘違いして領主を傷つけて喪ってしまった杣木朴平、洲崎無垢三は、元々私の家の家僕。彼らの武芸は私が太刀筋を伝えましたので、知らないことと言いながら生兵法が大傷の元とは良く言ったもので、この孝吉の誤りです。これ以上生きて行くことができない理由の二つ目です」
 金碗孝吉は古代中国の故事を引いた。
「かの漢朝の軍師張良の気持ちは分かりかねますが、項羽と劉邦の間で立ち回った田横が自死した後、彼の食客たちも五百人すべてが自決したその潔さ、志を慕うのです。せっかくの点茶の楽しき遊興の席を汚す非礼の罪は、どうかお許し下さい」
 と膝を突いて、刀を腹の奥に更に押し込もうとする。
「孝吉を止めよ」
 さすがの里見義実も焦って言い、杉倉氏元や堀内貞行が金碗孝吉にすがって、
「殿のご命令だ、とにもかくにも冥土への旅路を急いではならんぞ」
 と言葉を掛けた。
 里見義実は何回も嘆き、
「孝吉の志を知らない訳ではなかったが、こうなるとは思わなかった。なまじ恩賞の沙汰をしたことで、孝吉の死を促してしまった様なものだ。我が生涯の誤りである。孝吉、黄泉路へ帰るお主の門出に、この義実が餞別を贈ろう。氏元、例のご老人を呼べ」
 と命じた。
 杉倉氏元はすぐに返答をして、縁側に立ち上がって、
「上総の一作、早く来るのだ」
 と声高に呼んだ。
「承知しました」
 と言う声はすでに鼻声であり、目には涙を溜めた六十余りの旅姿の百姓が右手に菅笠、左手には五才ばかりの男児の手を引き、腰を屈めて立っている。百姓は木立の奥の庭の折戸の陰から現れたのだった。
「さあ、こちらへこちらへ」
 杉倉氏元が招くと、百姓は急いで近づき、縁側に手を掛けて伸び上がり、
「やあ、八郎孝吉殿、上総から参りました、一作です。これはあなたが娘の濃萩に産ませた子です。ようやく訪ねて会った日に切腹されるとは何ごとですか。もう、それ以上ものを言うこともできませぬか」
 一作と名乗った老人は、恨み言を言うのも、泣くのも憚れて、まして貴人の茶会の席で後ろめたい様子だった。
 金碗孝吉は、一作と名乗った声を聞いて、目を見開いたものの、老人と子供を見るだけで口を利くことができないでいた。
 その時、杉倉氏元は金碗孝吉に向かって、
「金碗殿、あれを見なさい。私が殿の館に参ろうとした時、あちらのご老人が路地に立たれていた。金碗殿の屋敷はどこか、と私の従者に聞かれたのだ。さすがにこれは聞き捨てならず、事情を伺えば、この様にこの様にと男児のことまで言われるので、金碗殿が屋敷にいないことを話し、会いたいのであれば付いてくる様に言い、殿のおいでになるここまでお連れしたのだ」
 堀内貞行にも、里見義実にも、老人の訪れた旨を話してあり、特に里見義実が興味を示し、金碗孝吉の子供であれば末頼もしい者になるだろうと言われて、義実が自ら引き合わせようとした。それまでは孝吉には内緒にしておこうという旨を話した。
 それによって一作老人を幼児と一緒に庭の折戸の陰に忍んで、里見義実の指示を待っていたのだと、杉倉氏元は説明した。
「なのに、金碗殿。まだ言う前にそなたが自決しようとは。外で見ていたご老人の心のうちはどうだろうか。せめて今は親と子の名乗りをさせようと、殿がお思いになったのだ、のう、金碗殿」
 と杉倉氏元が呼べば、金碗孝吉はやや頭をもたげて、
「この期に及んで親子の名乗り、それは仕方のないことだ。私は主君を諫めることができず、滝田を立ち去った時、上総の国、天羽郡関村の百姓に一作、即ち例の老人です。彼は私の父の若党でしたので、私はしばらくこの老人のところを宿所として足を休めることにしたのです。何日かいる間にご老人の娘、濃萩(こはぎ)と結ばれ、契ってしまいました。枕の数が重なるうちに、ただならぬ身に、つまり懐妊したと濃萩が言ってきたので驚きました。正に色欲は思わぬ悪事と世間で言うのは、私の身の上のことなのです。行方を決めていない旅の空、ここはずっといるべきところではないので、契ってしまった娘との浮名を立ててしまい、誠実な一作老人の娘を傷つけてはと思い、今更親の一作が許しても顔を合わすことができません。私は浅ましき所業をしてしまったと百回も千回も悔い、後悔が立ちませんので、人目を避けて濃萩には堕胎しろとは勧めました。別に考えがあり、詫び状一通を一作老人に残して、関村を去り、あちこちをさすらって、五年目の夏、この日に故主神余光弘の横死を聞き、山下定包を討とうと密かに帰る故郷への途中の道でしたが、一作の元を訪れませんでした。濃萩のことも手紙で問合せもしませんでした。しかしその子は無事の様子で、良く育ててくれて、一作老人の誠が分かり、まったく面目がございません」
 金碗孝吉の声は今にも途切れそうであった。

 

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「なるほど、分かりました」
 と一作は言ったものの、慰めかねて鼻を啜った。
「さすがに勇ましい武士も恋には脆い人情、ましてあなた様は妻も子もない旅の身の上、慰めようとした我が娘の濃萩は、淫乱奔放に似て、決してそうではありません。あなた様の氏素性は自分の故主、その子を宿し、娘は天晴れ果報者、良き婿を迎えたと、心の中では婆と一緒に喜んでおりました。しかし事情を知らない私はいろいろ考えている間に、あなた様は出て行ってしまい、帰らなかった。行方を探すこともできずに娘は、程なく臨月に産み落としたのは男の子でした。めでたいめでたいと祝う間もなく、濃萩は募るもの思いからか産後の肥立ちも悪く、とうとう十万億土のあの世に逝ってしまいました」
 濃萩は亡くなっていたのだ。一作の声が震えた。
「その初七日、二七夜、本当に忙しく過ごし、乳をもらいながら生死をさまよい続けての三界流転、苦しみをすべて言い尽くすことはできませぬが、赤子は健やかに育ちました。あなた様と娘の形見と思えば、見るたびに可愛く、少しでも目を離したくなくて、昼はずっと懐に入れて、夜は一晩中爺と婆が逝ってしまった濃萩の代わりに添い寝していました」
 一作老人は涙を流し続けた。
「この子が年を重ねて四つになった去年の秋から、婆が寝込むようになり、子守片手の看病は高い棚に置いた薬鍋がなかなか取れず、泣く赤子の世話にかまけて鍋を焦がしてしまうこともありました。その年の大みそかに婆は往生しました。片腕をもがれた人形と幼児と私の三人で、棺を守って新年を迎えた門松は冥土の旅の一里塚、禅僧の坊主顔で悟った振りをしてみても、なかなか悟りきれないのが私の様な凡夫の心。六十八の今年こそ、一生涯の憂苦艱難、再び、三度の大厄難なのです。孫にも恥じずに泣く老いた我が身は、春の気配も近づき、無心で真似て唱える念仏にも欠伸の混じる宵惑い。短い夜の春は過ぎ、卯月(四月)の末から上総まで、隣国安房のこと、あなた様のこと、合戦のことが聞こえてきました。私も一度は驚きましたが、心が勇んで、訪れてみよう、と思い立ちました。しかし歩くのが不便な老人が幼児を背負って、戦場に行くのは危険です。時を待てばと思い直し、ようやく敵を討った話を聞きましたので、今日ここへ参りました。しかし、来る甲斐のない今際の対面です。宿世の報いを想像するこの一作の悲しみは、言うに及ばず、この赤子が大人になった後、両親の顔を知らないのが残念でなりません。なあ、加多三(かたみ)、あれがお前の父親だ、顔を覚えておくのだよ」
 一作が指を差すと傍らの幼児は伸び上がって、
「もし、父様」
 声を掛けて呼んでも、親の金碗孝吉は見上げるばかりであった。何かものを言いたげに動かした唇の色も変わりつつ、臨終が近いと思われた。
 里見義実は幼児を近くに呼び寄せて、顔をよく見て、
「この子の面影は父の八郎孝吉に良く似ている。名前は何というのだ」
 と聞けば、一作老人は膝を折ったまま、里見義実を見上げて、
「決めた名前はございません。金碗殿と我が娘濃萩の形見ですので、加多三、加多三と呼んでおります」
「そうか、そうであったか。この子を私に預けよ。父孝吉は私を助けて、多大なる勲功があった。これをこの子の名前にして、金碗大輔孝徳(かなまりだいすけたかのり)と名乗って、父の忠義を受け継ぐが良い。成人してからは長狭半郡を与えて東條の城主としよう。一作は祖父であるから、大輔孝徳と共にいて彼を後見せよ。当座の褒賞として五百貫をこの幼児に取らすぞ。これを冥土の土産に成仏するのだ、孝吉」
 力づけられた金碗孝吉は鮮血に塗れた左手を上げ、主君である里見義実を拝んだ。瞬間、刀で腹を引き回し、
「介錯を頼みます」
 と言うのを末期に、うなじを伸ばすが堪えきれない。
 これ以上の苦痛をさせまいと、里見義実は帯びていた刀を引き抜き、金碗孝吉の後ろに立って一振りした。

 哀れ、儚くも金碗八郎孝吉の首が落ちたのである。

 覚悟をしていても我慢できずに、一作は声を出して泣き、老いの繰り言を繰り返した。杉倉氏元と堀内貞行はそれを慰め続けてはいるが、幼児は事情もまた良く呑み込めずにおろおろと狼狽し、涙ぐみ、こと切れた親の顔を恐々と覗き込むのだった。

【一子を遺して金碗孝吉、大義に死す】

右から杉倉氏元、切腹する金碗孝吉、里見義実と怨霊玉梓、左下には一作老人と大輔ちゃん。

本当だ、堀内さんが描かれていません!

 

 その時、金碗八郎孝吉が果てた時、星は落ちて、七月七日の月は西に入り、めらめらと鬼火が閃いた。次第に女子が影の様に現れて、幼児の金碗大輔孝徳の身に重なって、消えていった。

 里見義実だけがそれを見た。他の者には見えなかったのだ。
 杉倉氏元と堀内貞行に、金碗八郎孝吉の葬儀と大輔孝徳の養育を細かく命じた。
 里見義実はすべてを終えると、寝所へ引き上げた。水時計は高く音を鳴らして、時は亥の刻(午後10時ごろ)になっていた。

 作者が言うには、この段は七月の初旬であるが、挿絵は冬の衣装に見える。現に薄衣は描いても色彩がないと、分かりにくい。
 これらは画家の好みに任せて、敢えて時節に拘ってはいない。こういうことは実は多い。
 読者よ、激しく咎めないで欲しい。

 また同じ様に断るが、この挿絵には杉倉氏元のみ描かれていて、堀内貞行が省かれてしまっている。大事な登場人物ではあるが、ここではさせることがないので、版画の彫刻を行う人を助けた。

 また物語の最初の第一回、結城合戦の下りからここに至るまでわずかに四か月、1441年嘉吉元年四月に起こって、同年七月までである。指を折って数えればその間、八十余日のことになる。
 第八回に至っては、年月がかなり経過して十六七年のことになる。
 その間には里見義実の娘である伏姫の成長を主に述べていく。余計な話はすべて省略して、しつこくは書かない。
 これはいつものことであるが、細かいところもそうでないところも互いに趣旨が違うのであるけれども、丁寧に読まない人のために作者自ら注意を促すことにした。

(続く……かも)

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八犬伝、まさかの映画化!

2024-03-15 20:51:45 | 南総里見八犬伝

まさかのニュースでした。

山田風太郎さんが朝日新聞に連載されていた八犬伝を映画化、だそうです。

虚の世界で里見八犬伝を描き、実の世界で滝沢馬琴翁の生活を描く物語でした。

とても2時間やそこらでは映画化は厳しいと思うのですが、期待せざるをえません。

 

役所広司が滝沢馬琴、内野聖陽が葛飾北斎! 山田風太郎「八犬伝」曽利文彦監督が映画化 : 映画ニュース - 映画.com

山田風太郎氏の小説「八犬伝上・下」(角川文庫刊)を、役所広司主演で映画化する「八犬伝」が10月に公開されることがわかった。共演は、内野聖陽、土屋太鳳、磯村勇斗、黒...

映画.com

 

馬琴翁役:役所広司さん

葛飾北斎:内田聖陽さん

伏姫:土屋太鳳さん

宗伯:磯村勇斗さん(馬琴の息子の医者)

お路:黒木華さん(宗伯の妻)

お百:寺島しのぶさん

 

上の配役を見ると、八犬士はまだ明かされていませんね。

物語は長く複雑なので、ひょっとしてアニメとか要約のみになっちゃうかもしれません。

とにかく10月公開ですので楽しみにいたします、でわ。

 

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超意訳:南総里見八犬伝【第六回 里見義実、蔵を開いて二郡を潤す/金碗孝吉、君命を承りて三賊を滅ぼす】

2024-03-07 01:38:10 | 南総里見八犬伝

 滝田城の兵士と民はまず岩熊鈍平を討とうとして、二の城戸狭しと集まった。そして鬨の声を上げた瞬間、思い掛けなくも城戸が開いた。
 皆がまず見たのは、槍の穂先に貫かれた生首だった。そして大きな声が響いた。
「皆、私たちに何かしようというのか。私は最早非を悔いて、逆賊に従うのを止めたぞ。気持ちを寄せ手の里見勢に通わせて、人食い馬の定包を誅伐した。さあ、皆よ、ともに城を開いて里見の殿を迎え入れよう。これ以上、同士討ちはするな」
 城戸を颯爽と押し開き現れたのは、華やかな武装で着飾った数多くの兵を従えて、岩熊鈍平と妻立戸五郎が床几に座っていた。
 軍配を持って攻め込もうとした者たちを招こうとするので、人々は半分呆れ、戸惑ってしまった。

 しかし槍の先の首を見上げると、間違いなく山下定包である。
 さては岩熊鈍平と妻立戸五郎は逃げ逃れる手段がないことを悟って、山下定包を討取ったのであろう、憎い奴らめ、と皆は思ったが、今更同士討ちはできずに、やむを得ず里見の軍を迎え入れようとする命令に従わざるを得ない。
 滝田城の櫓に降参の旗を立てて、大手門を開くと、岩熊鈍平と妻立戸五郎は先頭に立って寄せ手を迎えた。
 里見の先鋒は金碗八郎だったが、子細を良く聞き取って山下定包の首を受け取った。
 軍法により降伏した者らの刀を取り上げて、ことの次第を後方へ連絡すると、大将の里見義実が軍を進めてやってきた。岩熊鈍平と妻立戸五郎は地面に頭を埋めて、迎えるしかない。
 降伏した城兵も皆、万歳と叫んだ。

 しばらくしてから後陣の堀内貞行もやってきたので、全軍の隊伍を整えると大将里見義実は静かに入城し、城内をくまなく巡検した。
 城内は神余時代より豪華になっており、派手で驕奢である。金銀もふんだんに使って飾り立てている様であった。それだけではなく、山下定包が民を絞りに絞って貪り蓄えた金銀財宝や兵糧が、倉庫や蔵に満ち溢れている。

 漢の沛公劉邦が長安の阿房宮に入った時、鎌倉の頼朝公が奥州の藤原泰衡を討った日もこの様であったろう。しかし里見義実は、山下定包の貯めた物に少しも触れることはなく、米蔵を開いて平群郡と長狭郡の百姓に均等に分かち与えることにした。
 堀内貞行たちは諫めて、
「山下定包は誅伏いたしましたが、平舘と舘山には麻呂と安西の強敵がおります。軍用の物資が不足がちでございましたが、幸いにしてこの城を得ました。しかし何も蓄えずに百姓たちにお与えになるなど、殿のお考えが理解できません」
 と眉をひそめて言う。
 里見義実はそれを聞いてうなづき、
「そう思うのは目の前だけを見ている者の理屈である。民は国の基本だ。長狭と平群の百姓は、年来の悪政に苦しんでおり、今逆賊を追いやり道理に立ち戻ったのは、飢えや寒さから逃れるためである。それをまた私が貪ってしまい、彼ら窮している者を救わねば、山下定包と同じになってしまう。米蔵にたくさんの粟があっても、民が皆背けば、誰が一緒に城を守り、誰が一緒に敵を防いでくれるというのか」
 熱く語るのである。
「民は国の基本と申したぞ。民が富むということは、私も富む、ということだ。徳政に効果があればことある毎に軍用の物資は、求めなくても集まるはずだ。惜しむものではない」
 と言えば、堀内貞行らはもう何も言えずに、涙を流して御前を退出していった。
 
 翌日、里見義実は政庁に出て首実検を行った。その後、降伏した岩熊鈍平、妻立戸五郎を呼び、元の主人である山下定包を討った経緯について金碗八郎から質問をさせた。
 二人は同じ様なことを申し出た。
「山下定包は主人を倒し、その土地を奪った逆賊でございましたが、私たちは討つことはなかなかできませんでした。一時的にもその配下となったのは、密かに機会を待っていたのでございます。ですから昨日、賢君、里見の殿様のご命令書をいただきましたので、悪の元を離れ正義に味方すべく、その土産物として奴の首を取ったのでございます」
 と誇って申し開きをするのである。
 しかし金碗八郎は冷笑を浮かべて、
「言葉巧みに申してもそれは虚言でしかない。そもそもお主らは二人とも、山下定包の悪を助けて、民衆を虐げていたことは明らかである。その証拠に、滝田の者どもはまずお主らを討つべきだと集まっていたそうではないか。それを聞いて虎口から逃れるために、定包を討ったのだろう。私、金碗孝吉は里見の殿の仰せを受けて、城中の民から話を聞いたのだ。まだ申し開きをするか」
 言われた二人は驚愕した。
 中でも岩熊鈍平は眼を見張り、抗弁した。
「それは妻立戸五郎のことでございます。彼は若党のころから、山下定包に仕えて、一番に出世した者でございます。しかし、戸五郎は密かに美女玉梓に思いを寄せており、不義密通を果たすつもりで、私に加担し、定包に初太刀を振るいました。私は奴の心底を信用しておりませんでしたので、身の潔白を明かすつもりで、例の玉梓を生け捕らせております。お呼びになって尋問なさってみて下さい。何が正しいのか、邪なのか、良くお調べ下さい」
 妻立戸五郎は岩熊鈍平を睨み返して、大きな声で叫んだ。
「金碗八郎殿、岩熊の言葉は嘘でございます。どうして私が玉梓に邪まな気持ちを抱き、主人を討って里見にお味方をいたしましょうか。岩熊は、最初神余光弘の馬の口取りです。落葉が岡の狩場では山下定包と示し合わせて、神余の乗馬に毒を与え、主人を殺したのでございます。定包の領土を奪うに及んで、第一の側近になりました。民の恨みも大層買い、その罪から逃げるために、二代に渡って主人を殺害したのです。欺かれてはなりませんぞ」
 お互いに聞き苦しい嘘で非難し、貶め合うのである。嘘が嘘を呼び、その罪を段々と増し、争いが果てしなくなっていくと、突然、金碗八郎孝吉が乾いた声で笑い出した。
「問うに落ちず語るに落ちる、とはこのことか。他人に聞かれている時は、警戒して秘密を守っている者でも、自分から話をする時には、うっかり本当のことを口にしてしまうものなのだな。お主たちの邪悪さは、生まれ変わったとしても、またこの世が変わったとしても、首を刎ねるに値する。幾ら山下定包が逆賊だといっても、妻立戸五郎はその家臣なのに主人を討ってはならない。岩熊鈍平は定包のために主人を殺す片棒を担い、定包の陰に隠れて、今度自分が危うくなると、また次の主人である定包を討つ。悪逆はここに極まった」
 声が一層厳しくなった。
「我が君、里見義実公は民の父母として、仁と慈を旨となされているが、もしお主らをお赦しになれば、賞罰はとうとう行われず、また忠孝は廃れてしまうことになる。お主らの証言を待たず、民からの証言で隠匿しようとしていた悪が露見したが、自白させようとして、申し開きの場所に引き出させたのだ。罪状はすでに決まった。法において赦しがたし」
 金碗孝吉は控えていた侍に向かって、
「捕縛せよ」
 と命じた。
 二人は侍たちによって地面に倒され、縄で縛られていく。
 屠殺される羊の様に泣き叫び、恨み言や詫びたりを何度も繰り返すので、金碗孝吉も怒った声で、
「お主たちの起こしたことに対して、お主たちの身に返る天罰は八つ裂きの刑がふさわしい。早く実施しろ」
 侍たちは命じられた通り、立とうとしない罪人を何とか政庁の外に連れて行き、すかさず刑を執行した。そしてその首二つを青竹の串に貫き、首実験に備えるのだった。
 金碗孝吉は次の命令を発した。
「例の玉梓を連れてこい」

 玉梓は花の様な姿ではあったが、その花は無残にも夜半の嵐に吹き萎れていた。
 天の戒めから逃げることはできず、縛られたその縄に引かれて入ってきた。何かの音に脅えて泣く子供の様でもある。
 まだ夕方ではないが、見た目は暗い政庁の外に座らされている。前から見知った顔の金碗孝吉のことが恥ずかしい様で、頭を上げることはなかった。
「面を上げよ」
 金碗孝吉は命じて、小膝を進めた。
「玉梓、お前は前国主の側室であると皆が知っている。寵愛を誇って主君を誑かし、ご政道にまで手を加えて、多くの忠臣を失わせたその罪が第一」
 金碗孝吉は罪を数え始めた。
「その身を美しい綾絹にまとい、無駄に高い買い物を行い、富貴歓楽を極めたが、それだけでは飽きずに山下定包と密通した。第二の罪だ」
 いよいよ舌鋒が厳しくなっていく。
「人々が私に報告してきたのではなく、この孝吉が自分で知ったことである。山下定包の反逆後、両郡を奪い取った日から、お前はその妻となって、恥じることなく、憚ることもなく、城が陥落するまで生きていたのは、今までの悪事に対する報いでもある。生きて縛めの縄に繋がれ、死んでは祀らわれることもない鬼となるのだ。天罰、国の罰を思い知るがいい」
 と声高に叱咤した。
 玉梓はようやく顔を上げて、
「おっしゃることに身の覚えがございません。女は万事において儚いものでございますから、三界に、この世に家はないのです。夫の家を家とするなら、百年の苦楽も他人様によるものです。まして私は先君神余光弘様の本妻ではございません。光弘様が亡くなってからは、寄る辺なきこの身を山下様に思われて、深窓でお世話をいただいたのでございます。ずっと夢を見ているだけの囚われの身となったこと、過去の因果かもしれません。またお城勤めの初めから私事で政治を行い、忠臣を失わせた山下様に原因がある、というのは傍にいる方々の嫉妬であり、本当のことではございません」
 玉梓は声を精一杯張り上げて弁明する。
「例えば神余の殿の老臣、若党、禄高が高い方々もほとんどのお侍の方々が、神余にも山下にも二君にお仕えして、まったく恥とは思っておられません。金碗殿、あなた様におかれては、なまじご主君を凌ぐ器量をお持ちになったためか、ご主君の元を逐電、更に里見に従って、滝田のお城を落とされた。しかしうさぎの毛ほども、先君のおためにはなっておりません。皆様、おのおのご自身の利益のために山下様にお仕えし、従ったのです。男子ですらその有様ですのに、女子の身の上にはいろいろな見方がございます」
 きりと金碗孝吉を見据えた。
「どうして玉梓独りに無実の罪を着せて、憎い者となさろうとするのです。納得できない讒言です」
 この恨み言を聞いて金碗孝吉は席を叩いた。
「それは度を過ぎた無礼な物言いだろう。お前の邪悪さは私の当て推量ではない。十人皆同じことを言っていたぞ。それでも承服せず、自らの弁明に過度な例えを引く、正に外面は菩薩のごとく内心は夜叉。顔と心は裏返しで、お前は錦の袋に包まれた毒の石に違いない。いや夜叉の様に逞しい女子でなければ、城を傾けさせることはできんか」
 金碗孝吉は声を張り上げた。
「萎毛酷六、岩熊鈍平らは神余譜代の老臣だったが、自己の利のために義を忘れ、逆賊に従い悪の道に進んでいった。しかしとうとう冥罰を免れず、皆八つ裂きにされたのを知らないのか」
 玉梓を見つめ返して、
「この金碗孝吉は奴らとは違う。灰を飲み、漆を被り、姿かたちを変えて故神余の殿の仇を狙おうと願っただけである。単身では成し遂げられず、個々の力は一致団結の力に及ばないことは分かっていた。里見の殿に随従し尊敬のできる味方を集めて、今、山下定包を滅ぼして志を遂げたのだ。これでも私のなすところ、うさぎの毛よりも、先君のためにならなかったと言うか。自分の欠点にはなかなか気づかないものよ、婦女子の愚痴というものは、自分には甘く、他人だけを非難するとはどういうことだ。いい加減覚悟せよ」
 と一括した。
 道理に責められて、玉梓は何も言い返すことができず、ただため息を吐いた。
 しかし言葉を何とか紡ぐのだった。
「おっしゃる通り、私には罪があるのでしょう。しかし里見の殿様は仁君と聞いております。東條のお城でもここにおいても、賞を重く罰は軽く、敵城の士卒であっても降参した者はお許しになり、登用されると伺っております。例え罪があったとしても、婦女子は物の数になりません。どうか私をお赦しになって、故郷へ帰ることをお許し下されば、こんなに幸せなことはございません、どうかお願いいたします」
 傾城の美女は金碗孝吉を見つめた。
「男と女、身分が違いますが、昔はともに神余のお家に仕えた金碗八郎殿。古いつきあいに免じて、どうかおとりなしをお願いします」
 とにっこりと金碗孝吉を見上げる顔は、まるで満開の海棠の花。瞳と唇は濡れて、妖艶な黒髪が肩に掛かる姿は、春の柳が人を招く姿を彷彿とさせた。

 上座で尋問と裁判の模様を近臣とともに聞いていた里見義実は、美しき罪人玉梓が、己の非を悔いて助命を乞う姿を憐れと思い、許してはどうかと、
「孝吉、孝吉」
 と呼んで近くに招いた。
「玉梓の罪、決して軽くはないが、女子であれば助けてやっても、道理は立つだろう。どうか考えてやって欲しい」
 丁寧に話したが、金碗孝吉は表情を変え怒った様に言った。
「殿の仰せではございますが、山下定包に次ぐ逆賊は、この淫婦、玉梓です。この女は多くの忠臣を失わせただけではなく、神余光弘の落命も玉梓が定包のそばにいて協力して密かに練った謀略です。普通の女子と一緒にしてはなりません。今までのことを考えずに、賊婦をお赦しになってしまえば、里見の殿もまた色香に溺れて、依怙ひいきの沙汰があったに違いないと、人々の非難がうるさくなるばかりでございます」
 金碗孝吉の決意は揺るがない。
「その昔、妲己は朝歌で殺されて、楊貴妃は馬塊で自死しています。これら傾国の美女は有名でございます。玉梓はそこまでの有名ではございません。が、同様に国が乱れ、城が陥落する時においては、重い刑罰からは逃れられないのでございます。お赦しになってはなりません」
 と言葉正しく諫めると、里見義実は何度もうなづいて、
「私の間違いであった。外へ連れて行き首を刎ねよ」 
 と声を振り絞って命じた。
 これを聞いた玉梓は、花の顔を真っ赤に染めて、歯を食いしばりながら、主従をきっと睨んだ。
「恨めしいぞ、金碗八郎孝吉。赦すという主命を拒否して、私を斬るならば」
 間が空いた。

「 貴 様 も ま た 近 い う ち に 刃 の 錆 と な り 、 お 前 の 家 を 長 く 断 絶 さ せ て や る 」

 今度は矛先が里見義実に向く。
「里見義実も頼りがいがない男だ。赦せと言ったその舌の根も乾かぬうちから、孝吉に言いくるめられて、人間の命を弄ぶなど、聞いていた話と違う愚かな大将だ。殺すのであれば殺せ」
 玉梓は里見を呪詛した。

「 お 前 の 子 孫 ま で 畜 生 道 に 落 と し て 、 こ の 世 の 煩 悩 の 犬 と し て や ろ う 」

 叫び、罵り、花は夜叉となり、ただ呪う。

「これ以上、何も言わせるな。さっさと引き立てよ」
 金碗孝吉の指示に従い、侍が四五人掛かりで罵り狂う玉梓を外へ連れ出し、ようやく首を刎ねることができた。

【賞罰を明らかにして里見義実、玉梓らを刑罰す】

玉梓が処刑されるところ。処刑人の顔、何とかなりませんか……

下には山下定包、妻立戸五郎、岩熊鈍平の首が転がっております。

 

 その後、里見義実は金碗孝吉に命令して、賊主山下定包、玉梓の首を、岩熊鈍平、妻立戸五郎のそれとともに、滝田城下に晒した。積年の悪の報いは死罪、しかも首を晒されるということを人々は改めて知った。
 しかし今更ながらに憎むべき相手の首ということもあって、日ごとに見物する者が多くなっていった。

 数日後の明け方、東條城の杉倉木曽介氏元の使者である尼崎十郎輝武(あまさきじゅうろうてるたけ)が、馬に鞭を当てながら急いでやってきた。
 使者の尼崎輝武は、杉倉氏元が討ち取った麻呂小五郎信時の首を里見義実に献上した。

 

【杉倉氏元、勇を奮って麻呂信時を討つ】

杉倉さん、麻呂信時を一蹴してます、カッコいい!!

 

 同時に合戦の詳細について、説明し始めた。
 そこの光景はここに表し、話が長引くので回を変えて第七回の始めに説明しよう。

 また玉梓の悪霊は、里見の家にはなかなか祟ることはできず、その子孫にまとわりつくこととなる。不思議で奇妙、また悲しいことがいろいろと起き、その禍は後に。
 結末までは遥か遠い話である。読者は例の妖婦の恨み言に関心を持っていただきたい。

 

(続く……かも)

コメント (2)
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