間藤駅はわたらせ渓谷鐵道の終着駅である
以前は間藤駅から足尾本山駅まで続く貨物線があったが1970年に当駅の貨物営業が廃止され、1989年の第3セクター化と同時に間藤駅から足尾本山駅間の貨物線は廃止された
この駅に停車する路線:わたらせ渓谷鐵道
駅舎
現在は無人駅であるが、全盛期には18人もの駅員がこの駅にはいた
また、この駅は紀行文作家の宮脇俊三が国鉄完乗を達成した駅であり、駅舎内の待合室には、宮脇俊三に関する展示がある

ホーム
現在は1面1線であるが、かつては切欠式1面2線のホームであった

駅名標

駅を出て辺りを散策
暫く歩くと足尾精錬所跡が見えてくる、今でも一部施設は稼動している
今は解体作業が行われており、メインの建物は解体されてしまっているらしい

足尾本山駅跡

山に木が生えていないのは、冬だからではない
足尾銅山鉱毒事件によって破壊された環境は、長い年月がたった今でもその爪痕を残している
しかし緑地化の取り組みによって徐々にではあるが、緑は確実に戻りつつある

奥に見えるのは足尾砂防ダムである

足尾銅山社宅跡
ここにいるとタイムスリップをしたような感覚に陥る



昭和初期には4万人近くもの人が住んでいた足尾も今では10分の1以下にまで人口が減ってしまった
そこにはもうかつての賑わいはない……

訪問日 2010.3.12
以前は間藤駅から足尾本山駅まで続く貨物線があったが1970年に当駅の貨物営業が廃止され、1989年の第3セクター化と同時に間藤駅から足尾本山駅間の貨物線は廃止された
この駅に停車する路線:わたらせ渓谷鐵道
駅舎
現在は無人駅であるが、全盛期には18人もの駅員がこの駅にはいた
また、この駅は紀行文作家の宮脇俊三が国鉄完乗を達成した駅であり、駅舎内の待合室には、宮脇俊三に関する展示がある

ホーム
現在は1面1線であるが、かつては切欠式1面2線のホームであった

駅名標

駅を出て辺りを散策
暫く歩くと足尾精錬所跡が見えてくる、今でも一部施設は稼動している
今は解体作業が行われており、メインの建物は解体されてしまっているらしい

足尾本山駅跡

山に木が生えていないのは、冬だからではない
足尾銅山鉱毒事件によって破壊された環境は、長い年月がたった今でもその爪痕を残している
しかし緑地化の取り組みによって徐々にではあるが、緑は確実に戻りつつある

奥に見えるのは足尾砂防ダムである

足尾銅山社宅跡
ここにいるとタイムスリップをしたような感覚に陥る



昭和初期には4万人近くもの人が住んでいた足尾も今では10分の1以下にまで人口が減ってしまった
そこにはもうかつての賑わいはない……

訪問日 2010.3.12