Feel Free ! アナログ・フォト・ライフ Diary

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トランク

2005-02-22 19:59:31 | モンゴル
土日とたっぷり睡眠を取ったら何とか体調が持ち直してきた。心配して頂いた方もいたようですが、ぼくは大丈夫ですのでどうかご安心を(笑)。

今日は吉祥寺に旅行用品の買い出し。モンゴルには11月にも行っているのでさほど買い込むものはないはずなのだが、愛用していた旅行バックが壊れてしまったのでやむを得ず小ぶりのキャスターバックを買う。

そう言えば、旅行用の大型トランクなるものをぼくはほとんど使ったことがない。というか、実は一回だけ使ったことがあるのだが、その時にあまりに大変な思いをしたのでそれに懲りて以降は旅行荷物は小型のボストンバックに収まる程度に止めることにしているのだ。

その一回とは他でもない。ぼくが最初にモンゴルに行った90年の時で、しかも最初の海外旅行であり、さらに言うなら一年間の留学生活を送るためだった。いま思いだしても良く行ったなという気がするのだけれど、何しろ当時のモンゴルはまだ社会主義時代で情報が極端に少なかった。モノがないという話は漠然と諸先輩から聞いていたが、実際にいったいどこまでモノがないのか皆目見当もつかないのである。そんなわけで、何と電子炊飯器やら鍋やらを段ボール二箱くらいに詰め込み、小脇に携帯型のワードプロセッサーを抱えて、トイレットペーパーを幾つもいれた大型トランクを引きずりながら出かけていったのだった。

しかも当時は直行便なんて便利なものはないから、北京経由で国際列車に乗り込み車中で二泊過ごしてようやくウランバートルに到着するという気が長い話。北京でガイドの女の子と別れ、車窓からの風景が次第に寒々しい草原の光景(出発したのはちょうどこの時期だった)へと変わってゆくのをぼんやりと見つめていたときの侘びさといったらなかった。俺はなんだってこんな寂しいところへ来ちまったんだろうかと己の無謀さを呪ってはみたが始まらない。良くも悪くも新鮮と言えばあまりに新鮮すぎるぼくの海外初体験なのであった。

あれからちょうど15年。時代は変わった。ウランバートルへは成田からの直行便が飛び、トイレットペーパーはおろか、パソコンやらDVカメラやらもごく普通に街中で買えるようになった。ぼくの中でのモンゴルへの気持ちも、付き合いが長くなるにつれて、初々しい愛着よりも愛憎こもごもといった複雑な気持ちへと変わりつつあるようだ。だが、どんなに歳月が流れ状況が変わろうとも、山のような荷物をかかえて最初に海外へ出たときの期待と不安がないませになった気持ちは海外の原体験としてぼくの中に確実に根付いている。成田から飛行機に乗りこむときの、あの身が引き締まる思いを思い出しながら、今回もまたモンゴルへと旅立とうと思っている。

体調不調……

2005-02-19 14:14:42 | もろもろ
ここ何日かずっと体調不調が続いている。風邪かとも思ったが、特に喉が痛くなるわけでもないし、インフルエンザではとも疑ったが急激な発熱があるわけでもない。さりとて体調が元に戻るわけでもないので、何だかすっきりしない気分。モンゴル行きまであと五日しかないので、それまでにこの状態を何とかしないのだけど、さあどうなりますことやら。今月に入ってインフルエンザが猛威をふるい始めたことだし、皆さんも体調管理には重々気をつけて。

クリスティーン

2005-02-18 23:37:51 | 写真集・写真展
ぼくが気に入っている写真集というのは何冊もあるけれど、必ずしも「好き」とは言えないが何となく気になっては何度も見てしまうという類の写真集はそう多くない。古屋誠一の"Christine Furuya-Gossler :Memoires, 1978-1985"も、そんな数少ない写真集のひとつである。

この写真集、簡単に言ってしまうならカメラマンが自分の妻を撮った作品集であって、その意味では別段珍しくもないのだが、その妻が結局自殺してしまったと聞けば俄然話は別ということになるだろう。そう、この写真集は、カメラマン古屋氏が、自分の妻クリスティーンと結婚し、そして彼女が次第に狂気に蝕まれやがて自殺に到るまでの経緯を克明に綴った異色の作品集なのである。

もちろん、後半、彼女が精神病を発病しやせ細ってゆく様は見ていてとても痛ましい。だが、そこにある種の美しさが漂っていることもまた事実であって、ぼくはこの写真集を見るたびに写真というものの不思議さと残酷さにふと胸を打たれて粛然とした気持ちになってしまうのだ。

思うに、人の心とは詰まるところはイメージのようなものなのかも知れない。人は自分の気持ちをどうにかして他者に分かって貰おうと言葉を紡ぐけれども、いかに言葉で繕おうと言葉では表象しきれない余剰を常に抱え込んでしまうものだ。クリスティーンはそんな余剰をほんのちょっぴり他人よりも多く抱えてこんでしまっただけなのではあるまいか。

彼女にとって、自殺という選択肢が幸だったのか、不幸だったのか、それはぼくには分からない。しかし、写真に写された彼女のイメージが、写真に添えられた古屋氏のコメントを越えて、ダイレクトに視る側の心に響いてくることは事実だ。世の中には少数だがクリスティーンのような人が存在するのだと思う。つまり、写真の中でしか存在し得ないような人々、イメージそのものとしてしか存在し得ないような人たちが。この写真集は、そんな被写体と邂逅してしまったカメラマンの幸福と悲劇を同時に示しているようで、それがぼくの心を引きつけてやまないのだ。

谷間……

2005-02-14 15:10:41 | 暗室にて
このところ自宅で通訳関係の資料を読み、息抜きに暗室作業をするという日々が続いている。
が、そろそろ新たなスナップをしないと焼くものがないという状況に陥り、困ってしまった。スナップに出かけたいのは山々なのだが、仕事が終わる3月4日まではなかなか暇が作れそうもない。

というわけで、これまで撮ったはいいが焼いてなかった連れ合いの写真を焼くことに。すると、どれを焼こうかとベタを見ているぼくに向かって隣にいた妻がボソリとのたまった。
「なんかさ~、あたしの写真、フィルムの頭か終わりにばかり入ってるよね~」
うーん、鋭い。これまであんまり気にしてなかったけれど、良く良く見れば確かに連れ合いの写真はフィルムの先頭か最後に入っているような気がする。これは一体どういうことなのか。
そう思ったところではたと気がついた。つまり、カメラにフィルムを入れてまず試しにパチリ、そしてフィルムが余ったから最後にパチリとやっていると自然にそうなってしまうんである。要は野球で言うところのローテーションの谷間要員のようなものだろうか?? 今日もスナップとスナップの谷間で焼いているようなもんだし。と思いつつ暗室にこもること小一時間。できた写真の一枚が例によってちょっと暗めだが意外と印象的に仕上がり、妻もまんざらではなさそう。

谷間でなにげに焼いた写真の出来がいいと結構嬉しいものだったりするのだ。

展示作品完成!

2005-02-11 23:12:29 | 暗室にて
今日は師匠のところで展示作品の最後のツメ。これまでは縦位置5点のつもりだったが、今日改めて横位置2点を焼き、結局土壇場で縦位置3点、横位置2点ということに。とりあえず完成したのでほっとしている。後はマット加工を業者に頼み、額装して終了である。

それとは別に師匠に自宅暗室で焼いたプリントを見て貰う。例のピアス系美女の写真、ちょっと暗すぎかと思ったが、意外と師匠には好評で安心した。あと、蛇足(?)ながら新年会のときに、ぼくが師匠を撮った写真がご本人には気に入って頂けたようでまあ良かったです(笑)。

とはいえ喜んでいたのはそこまでで、最近フィルムは全部フォルテパン400というハンガリー製の超マイナーなフィルムを使っているのだけれど、「これ、全部フォルテで撮ったんですけどどうですかね~」と師匠にお伺いを立てたところ、「なんか、できそこないのトライXって感じだね~」と一言の下に切り捨てられてしまった。できそこないはないよな~。まあ、その後、じゃあやめようかと言うと、いいんじゃない、使ってみれば、とあの独特の笑みを浮かべて言ってたけどね。う~む、どうしたものか……。

多事多難

2005-02-10 17:23:20 | 暗室にて
ここ二日ばかり暗室作業にいそしむ。
使っている引伸機はラッキーのV70multiというやつで、多階調印画紙用のフィルターが内蔵されているものだ。フィルターの号数を変えても濃度が変化しないのでとても使いやすく、おすすめ。他の機材もかなりのものがワークショップで使っていたものと同じなので、さすがに使い勝手が良い。もっとも、自宅での暗室作業は暗室開放とは違って一人作業だし、自動現像機がないので立ち作業が多く、終わってから結構疲労がたまる。
というわけで、とりあえず二十枚程度焼いてみたのだが、やっぱり苦労して声をかけたものよりも、実に何気なく撮った「モノ」の方が写真的な出来は良いようだ。こういうのは何だか悔しい。思うに、このことの一因は、「声かけ」をすることでそれまであったスナップのリズムが一瞬停滞してしまう、ということにあるのかも知れない。もっと自然に、スナップの流れを乱さないように声かけができればいいなと思う。

今日の午前中はJICA本部で調査団内部の打ち合わせ。山のように資料を頂き呆然とする。いま、とりあえずモンゴル語の資料を読んでいるところだけれど、あまたの資料の中でモンゴル語のものはごくわずかしかなく、これまた呆然としているところだ。

中藤さんからのメール

2005-02-08 01:41:26 | ストリートスナップ
このブログで触れたこともある中藤毅彦氏よりメールを頂いた。
というか、先日展覧会来場のお礼状をご丁寧に頂いたので、そのお礼のメールを送り、ついでにこのブログのこともお知らせしたのだ。
私信なのでそのままここに書き写すわけにはいかないが、中藤さんの人柄をしのばせるような真摯で誠実なメールだった。特に、中藤さんは、自分ははっとさせられた事物に反応して写真を撮っているだけで、それはストーカー的な視点とは違うのだと書かれていて、それこそこのところぼくが痛感している事柄でもあったので、大いに頷きながら、かつまた悩みを深めてしまった。
前に被写体を追い求めて枚数を撮れなくなってしまうことがあると書いたけれど、これはつまりモノを追っているだけで、イメージに反応しているのではないということだ。

理想を言えば、やはり究極的にはモノもヒトも等しくイメージとして等価に反応できることがベストだろう。
人へのアプローチも、被写体を追った結果ではなく、イメージに反応した結果として自然に出来るようになりたいものだと思うのだ。もっとも、ぼくにとってそれが一番難しいことではあるのだけれど、こうやって試行錯誤しながら徐々に自分らしさを身に付けてゆくのが写真行為の楽しさであり、同時に辛さなのかも知れない。

久々の「出勤」

2005-02-07 17:23:14 | モンゴル
実に久しぶりに「出勤」なぞをしてしまった。というのも、調査団通訳の件で業務内容のブリーフィングがあったので、某財団本部まで出かけていったのだ。たまにスーツなんて着込むとまともなサラリーマンになったような気がしてくすぐったい。

ちなみに、今回の調査団はあくまで事前調査であるので期間は9日間と短い。しかし、それ以外に事前処理と事後処理として9日間が割り当てられており、出社の必要はないものの、通訳準備やら資料の翻訳やらで結構忙しくなりそう。グループ展も近づいていることだし、渡航までは暗室作業と通訳準備にいそしむことにしよう。

暗室完成

2005-02-06 18:14:08 | 暗室にて
 今日は渡部師匠のところでグループ展用の作品づくり。ブック用の作品を師匠に見せるが、やっぱりモンゴルの方が「自然」な感じで好印象らしい。「東京編」は「『がんばって撮った』という感じがするね」と言われドキリとする。確かに、狙って撮ったショットがかなりあるのだ。狙いすぎると撮影者の意図がもろに透けて見えてしまうということなのだろう。理想を言えば、やっぱり「腹で撮る」(森山大道)ということだな。
 自宅の暗室の方もようやくユニバーサル・イーゼルと恒温器が届き、形が整った。
 実は二日前から見切り発車で作業を始めていたのだけれど、機材が届いていなかったので、ボール紙でイーゼルを自作したり、バットを二重にしてお湯を足しながら温度調節をしたりと、なかなか原始的な方法でやっていたのだ。これで取りあえずは効率的に枚数を焼けそうで嬉しい。あとはRC乾燥機があれば言うことないんだけどなあ。
 ちなみに、暗室予算は当初考えていた15万を軽くオーバーして結局18万になりました。うーん、これに乾燥機を足すとなると……。何だかだんだんと泥沼に足を踏み入れているようで恐ろしくなってきた。

ピアス系

2005-02-05 10:43:42 | ストリートスナップ
 昨日、最後の暗室用品を買い出しに行き、帰宅してから引伸機をいじっていると、突然プッツン、とハロゲンランプの玉が切れてしまった。何たること。まだ何も焼いていないのに。しかもハロゲンランプはそこらのスーパーで簡単に手に入るような代物じゃないのだ。猛烈に腹が立ったが仕方がない。やむを得ず再び新宿へ。
 だが、不幸中の幸いということもあるものだ。中央線の中でまたまた魅力的な被写体に遭遇したのだから。それも今度は洋モノ(?)である。年の頃は二十代。彫りの深い美形で、身長180くらいはありそうなその体躯はモデルと言われても信じそうなほどである。もっともぼくが興味を引かれたのは単に彼女が美形だったからではない。ぼくの気を引いたのは実は彼女のピアスであった。何と彼女、その可愛い唇に、情け容赦なくピアスを三四本プスプスと刺しているではないか。この一点のみで、この娘はモデルではないな、とぼくは確信した。
 さてどうしたものだろう? ぼくとしては前回の二の徹だけは踏みたくないとの思いがある。けれど急いで出たのでライカはうちに置いてきてしまった。いや待て待て、そうだ、ジャンパーのポケットにGR1を放り込んであるはずだ。慌ててポケットを探ると、確かにそこにはコンパクトカメラのボディーのひんやりとして固い感触があった。
 これで腹は決まった。ぼくが立っている位置からは声をかけられないが、彼女もきっと新宿で降りるはずだ(となぜか勝手に決めつけていた)。降りたところで声をかけてみよう。
 で、新宿駅。思いが通じたのか、彼女も電車を降りて南口へ向かう。そこで、彼女がエスカレーターに乗ろうとしたところで、"Excuse me." と彼女の肩を軽くたたいて声をかけた。
"Can you speak Japanese ?" 
 すると間髪入れずに「ハイ、しゃべれます」と実に明確な日本語で答えが返ってくる。こりゃ幸先がいいぞと思いながら、意を強くしたぼくは今度は日本語で一息に言った。
「写真を撮らせて貰えますか?」
 一瞬、驚きの表情が彼女の顔によぎった。断られるかもしれない。だが、ぼくがそう思った次の瞬間、「ハイ、いいです」とこれまた明確な答えを彼女は返してくれたのだった!
 というわけで彼女には新宿駅の構内で何枚か写真を撮らせて貰った。
「どうもありがとう!!」撮影を終わって声をかけると、彼女はニコッと笑い、それからコートの裾を翻して人混みの中へ消えて行った。もちろん、ハロゲンランプが切れた時の怒りがとうの昔に収まっていたのは言うまでもない。