Feel Free ! アナログ・フォト・ライフ Diary

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FoxFireというブランド

2005-11-26 20:03:16 | もろもろ
今週はほとんど自宅にこもりっきりで書類仕事をしていたが、やっとそれも一段落ついてほっと一息ついている。

で。欲求不満ついでにまたまた買ってしまいましたFoxFire。

そもそもファッション・ブランドなどにはあまり拘りもないし興味もない方なのだけれど、アウトドアとなると話は別である。何しろ、良く行くところが大自然そのもののようなモンゴルなので、服装やら装備選びには勢い慎重にならざるを得ないのだ。

安いからと言って無名のブランドでは心許ないし、さりとて有名ブランドのアウトドア商品は機能的ではあってもデザインがいかにもと言った感じで心が動かない。そりゃあメインテーマは「荒野」であるからアウトドアには興味はあるけれど、本格的な山登りをやっているわけではないんである。あまりにヘビーな装備はちょっと遠慮したいというのが本音であった。

そこで登場するのが今回紹介するFoxFireである。実は、元々釣り具の輸入販売をしていたというこのブランドはネイチャーフォトをやる人の間ではそれなりに有名で、フォトレック・シリーズと銘打った写真家向けのバックなども販売していたりするのだけれど、ぼく自身が愛用しているのはこのシリーズではなく、もっと一般的なアウトドア商品の方。そのラインアップはトラベルからトレッキングやオーロラ観測用ギアまでと幅広く、しかも機能的でありながら都会的であか抜けたセンスを持ったギアがずらりと並んでいる。

例えば今回購入した「GTXクロスロード」というブーツ。ぱっと見はオイルドレザー使用のしゃれたワークブーツといった印象だが、実はGORE-TEX仕様で全天候OK、しかもグリップ力に優れたソールパターンを採用しているのでライトトレッキングにまで対応できるという優れものである。意外とこの手の中間を狙った商品は無いもので、トレッキングシューズが欲しいけどデザインがいまいちなんだよなあ、と思っていた人には打ってつけなんではないだろうか。

ああ、このブーツを履いてどこへ行こうか。そんなことを考えているうちに、ふいにまた旅への衝動がむらむらと沸き起こってきた。

焦燥

2005-11-21 18:01:10 | 写真全般
昨日は2Bにてカラープリント。いつもは大抵誰かと一緒だが、昨日はたまたま一人だけだったので黙々と作業。何だか疲れた。

帰宅して新たに焼いた中から数枚をセレクトし、ブックに加える。何とかまとまっては来ているが、どこかインパクトに乏しいような気がする。まあ、このシリーズは後一年半ほどかけて仕上げるつもりなので焦りは禁物か。もっとも、2Bで他の方々の気合いの入ったプリントなどを見ていると、ついつい焦燥の念に駆られてしまうのが問題なのだけど。

ただ、幸いというべきか、今週はちょっと忙しくあまり写真を撮っている暇がない。ちょうどトヨタ財団の助成が開始してから一年が経ったので、経過報告を財団宛に提出しなければならないのだ。会計報告もあるし、うーん、数字は苦手なんだけどねえ。がんばらねば。

12月10日からはまたまたモンゴルへ行くことが決まった。今度は十日ほどの短い滞在だが、打ち合わせや地方調査などで慌ただしくなりそうな予感がしている。カラーを撮り始めてから傾向が変わってしまいモンゴルの写真が纏め切れていないので、何とか時間を見つけて冬のモンゴル平原をカメラに収めてきたいと思っているところだ。

ローライコードの時間(3)

2005-11-17 11:20:59 | カメラ
思い出したように「ローライコードの時間(3)」(笑)。

前回まではローライ全般を見渡した上でのローライコードの使いやすさ、ということについて書いてきた。で、今度はコードの中での4型という選択肢について書いてみたい。

実はぼくが4型を購入したのはほんの偶然からだった。本当はローライスタンダードを探していたのだが、たまたま入った三共カメラに在庫がなく、その時あったコードの中で、状態、価格の最もバランスが取れていたのが4型だった、というだけである。

ところが、その後、ワークショップ仲間のYさんや他のインターネットサイトからの情報で、この4型がコードの中での(そしてぼくにとってはローライ全体の中での)ベストバイであったことを知った。

では、なぜ4型がベストバイなのか。その理由の細かいところはこちらを参照して頂きたいが、簡単に言ってしまうとコードは4型で完成形に到達した後は、5型に到ってライトバリュー(EV値によってシャッタースピードと絞りが連動して動く)が採用されたり、ピント調整ノブが左側になったりと、かえって使いづらい部分が出てきてしまったということだ。もちろんカメラにあまり慣れていない当時のユーザーとって5型にもアドバンテージがあったということは想像にかたくないが、マニュアルカメラ本来のフットワークの良さを味わおうということになると、やはり4型がベスト、ということになる。

もっともこの4型、コードの中では製造年数がわずか1年程度と最も短く、中古カメラ店でもほとんど見かけないか、もしくはあったとしても状態が極めて悪いものが多い。まあ、そうしたレアなところが偏屈者には心惹かれる部分だと言えなくもないのだが、あまり中古市場に出回らない割には価格も5型よりも若干低めの設定であることが多く、この辺りもコード4型を勧める所以であったりする。蛇足ながら、Yahoo !オークションではたまに4型やそれにつけるレリーズボタンなど出物があるので、コードを狙っている方は定期的にチェックされるといいことがあるやも(笑)。

写真ブーム~祭りの後に残るもの

2005-11-15 22:47:55 | 写真全般
今週発売された雑誌「Pen」の特集は「社会をクリエートする写真家の仕事」。「Pen」はぼくも比較的良く読む雑誌のひとつだが、いやー、まさかこのごに及んで「Pen」まで写真特集を組むとは思わなかった。内容的にはまあさほど斬新な部分はないのだけれど、それにしても、昨今はやりのおじさま向けカルチャー雑誌の先駆とでも言うべき「Pen」が写真を取り上げたということは、今年の写真ブームが老若男女問わず、幅広い世代に広がっていることを示しているような気がする。

思えば、すでに昨年から兆候はあった。2004年10月より開催されたヴォルフガング・ティルマンスの写真展に便乗・先行する形でブルータスが特集を組んだのが2004年8月15日号の「Boys' Life」。その後、ティルマンス展終了後に「荒木・森山・新宿」展が開催されて2005年の写真ブームの幕は切って落とされた。そして、その後は出版順にざっと以下のような特集が雑誌で組まれたことになる。

エスクァイア日本版2月号「旅する写真家」
スタジオ・ボイス4月号「写真集中毒のススメ」
ブルータス8月15日号「All about Bruce Weber」
ブルータス9月15日号「杉本博司を知っていますか」
エスクァイア日本版11月号特別付録「ブルース・ウェーバー写真集」
Pen 12/1 号 「社会をクリエートする、写真家の仕事」

ざっと並べるとだいたいこんな感じだけれど、まあ、出す方もよく出したものだし、買う方も良く買ったもんだ(笑)。

でも、買っておいてこう言うのも何だが、この写真ブーム、実際に写真をやっている方からすると、何か今ひとつ素直に喜べないというか、「まあいいんだけど、何だかなあ、ムニャムニャ……」と、ついついどこか奥歯にモノが引っかかったような言い方になってしまうのだ。

その原因は今ひとつ自分でも良く分からないのだが、恐らくは写真の大衆化、という点に必ずしも写真の(そして自分の)明るい未来を見出せ得ないからだろう。

言うまでもないことだけれど、あらゆるブームにはやがて終焉が訪れる。今回の写真ブームが終わった時に何が去り、何が残るのか、今この時点で予測することは難しい。ブームにさらわれた後には不毛の大地が広がるばかりなのか、はたまたこのブームが滋養となって新たなる写真のムーブメントが起こるのか。良くも悪くも今年の写真ブームは日本の写真文化史にとってひとつのターニングポイントとなるに違いない。

In-between 13 野口里佳 チェコ・キプロス

2005-11-13 18:55:18 | 写真集・写真展
EC・ジャパンフェスト日本委員会の企画によって生まれた写真集シリーズ「In-betwen」。このシリーズはずっと気になっていたのだが、何となく今まで買わないで来てしまった。シリーズにはきら星のごとく名だたる写真家の名前が並んでいるけれども、旅行スナップということもあって、どうしてもそれぞれの代表作と比べるとやや見劣りがしてしまう気がしていたのだ。そんな中で、出たら絶対買おうと思っていたのが、最終配本の野口里佳。彼女のまとまった写真集がわずかに「鳥を見る」しかないということもあるけれど、それ以上に、コンセプト重視の現代アーティストである彼女がどういうスナップを撮ってくるのだろうということに興味があった。

場所はチェコとキプロス。撮影時期は2月と10月。ざっと目を通し終わって、やっぱりこの人と自分にはどこか共通項があるのかも知れないとの思いを強くした。曇天の中に重く沈んだ雪深いチェコの小村の光景。キプロスに到っては地中海地方の比較的温暖な気候であるにも関わらず、パノラマに切り取られた風景はどこまでももの寂しげで広漠としている。旅行スナップということで「鳥を見る」に比べてやや叙情を含みながらも、そこに展開されているのはまぎれもなく、「月面」に象徴される彼女の原風景であった。

自分自身のことを翻って考えるに、こうも暗い叙情とでも言うものに強く惹きつけられるのはなぜだろう。例えば、森山大道の、日常の裏に潜む真にリアルなものに注がれる眼差しに不安を覚えながらも心を揺さぶられ、ウィリアム・エグルストンのどことなく狂気の影を宿した何気ないアメリカ的光景に否応なく目を奪われてしまうのだ。やはり、こういう好みというものにはほとんど体質としか言いようがない何かがあるのかも知れない。

もちろん、ここにあげた写真家、野口、森山、エグルストンはそれぞれ写真的にはだいぶ傾向を異にした作家たちである。だが、そうした作家たちの写真=テクストを目にしながら、自分というテクストをそこに織りこみ、複数のテクストを相互に繋いでゆく作業というのはとてもスリリングだ。気に入った何人かの写真家の作品を繰り返し見、それを身体化することには他の何事にも替えらぬ刺激があるのだと思ふ。

ミニミニ写真集販売のお知らせ

2005-11-11 19:26:11 | 写真集・写真展
閑話休題。

突然ですが、八月に開催したモンゴル写真展『Off Road Journey ~旅するモンゴル』のミニミニ写真集が出来ました(12cm×12cm、36ページ中写真は32ページ)。総勢7名による個性豊かな可愛らしい写真集です。写真集の内容はこちらで確認できます。購入ご希望の方には2000円(送料別)にて販売致しますので、mirai1102jp@yahoo.co.jpまでメールにてご連絡下さい。
(ただし、受注生産のため、ご連絡頂いてから発送までに若干お時間を頂くことになります。ご了承下さい)

ローライコードの時間(2)

2005-11-10 07:15:11 | カメラ
(続き)

……では、具体的に、何が優れているのか。

まず第一に、ローライフレックスや、あるいは5型以降のコードに比べても、コード4型はひとまわり小ぶりで、軽量である。さすがにベビーローライと比べればそれは大きいのであるが、それでも使っているうちに手になじんでくる大きさではある。ちなみに、M型ライカの中でも最も軽量な(CLを除く)M6はボディが560g。仮にこれに現行のズミクロン35mm(255g)を装着するとして合計815gだから、総重量830gのコード4型とほとんど変わらない計算になる。

そして第二に、これは意外に重要な点なのだが、フォーカシング・ノブと巻き上げノブが共に右側に装着されているという点。ローライフレックスは伝統的に二つのノブが左右両側に配置されているのが基本だが、これだとピント合わせと巻き上げ時にいったんカメラを持ち替えなければならない。一方、ローライコードは5型までは共に右側装着が基本で撮影時の一連の動作をスムーズに行うことができる(ちなみに同じ5型でも後発の5a及び5bはフレックスと同様左右装着である)。

ざっと簡単にまとめてしまうと、だいたい以上の二点に集約されるだろうか。要するに、ぼくにとっての使い勝手の良さとは携行性の良さと撮影時のハンドリングの良さであり、この二点に絞って考えるならばローライのベストチョイスはコード(4型)以外にありえないのである。

もっとも、これはあくまでぼくにとっての、ということであるから、フレックスよりも劣っている点というのも、もちろんコードには存在する。例えば、

1.フレックスはフィルム装填がオートマットだが、コード4型はセミ・オートマットである。
2.シャッターが横にスライドさせる方式のため、手ぶれしやすい(フレックスはボタン式)。
3.ファインダーが暗い。
4.フレックスにはプラナーやクセノタールといったいわゆる名玉が存在するが、コード4型は三群四枚のクセナーである。

といったところ。それじゃあ、長所よりも欠点の方が多いじゃないかと思う向きもあるかも知れないが、オートマットとセミ・オートマットの違いは微々たるものであるし、シャッターについても4型以降は小さなシャッターレリーズ・ボタンというのが存在し(もっともこれを探すのは少し苦労するかも知れないけれど)、レリーズ・ボタンをシャッター・ボタンとして利用すればまず手ぶれする心配はない。さらに4番目のレンズの違いと言うことにいたっては、これはもう個人の好みとしかいいようがなく、値段ほどの差が描写の違いに出ているとは思えないし、第一、レンズの微妙な描写の違いなどと言うものは本来、写真の出来にはあまり関係ないものである。

従って、残りの問題はファインダーの暗さで、残念ながらこれだけはどうしようもない。だが、ファインダーの明るさと軽快さとどちらを取るかと言われれば、もちろん、ぼくは躊躇なく後者を取るだろう。小ぶりで小回りがきき、どこへでも持って行く気になる気さくな相棒、それがぼくにとってのローライコードであり、メインカメラに収まっている所以なのだ。

(次回に続く……たぶん)

ローライコードの時間(1)

2005-11-09 15:21:58 | カメラ
本屋に行ったら、文庫の新刊『ローライフレックスの時間』(藤田一咲著)が出ていたのでペラペラとめくってみた。表紙を見た感じでは一瞬食指が動いたが、結局購入見送り。文章にあまり読みでがなく、ローライに関する記事も同じ出版社から出た『ハッセルブラッド&ローライフレックス』というムックの焼き直しが多い。内田ユキオの『ライカとモノクロの日々』やわが師匠渡部さとるの『旅するカメラ』辺りは結構いい線行ってたと思うのだけど、どうも最近の文庫は企画・編集がおざなりというか、安直になってきているような気がする。読み物として買うには文章が薄く、かと言って写真集として買うには作例以上作品以下という感じがしてしまうのだ。『ライカ通信』の次号も一向に出る気配がないし、クラシック・カメラネタはそろそろ尽きてきたということなのかも知れない。

で、『ローライコードの時間』(笑)。いや別に文庫に対抗してるわけじゃないんだけど、「ローライフレックス」についての思い入れを語っている人は多いのに、「ローライコード」を賛美している人にはめったに出くわさないので、ちょっと埋め合わせを、と思った次第である。

ぼくがローライコード(4型)を使い出したのは今年の四月からだから、ローライ(コード)歴はわずか半年余りに過ぎない。だが、その間にローライコードは完全にぼくのメイン機材に居座り、いまじゃ、ほとんどこれ一台あれば必要十分なんじゃないか、という気がしている。普通はここまで来ればじゃあ次はフレックスを、などと言うものなのだろうが、自分の場合はその気はまったくなし。それほどまでにこのコード4型の使い勝手は優れているし、完成されていると思う。では、具体的に、何が優れているのか。

(次回に続く)

中年は荒野をめざせるか?

2005-11-06 20:35:43 | 写真全般
本日は暗室開放で2Bへ。暗室利用は三時間ほどの予定だったが、少し早めに切り上げ、ざっとまとめたブックを師匠に見てもらう。結果は「この中で見れるのは(31枚中)12枚くらいかな」とのこと。自分自身でも後半は纏め切れていないと思っていたので、この評は納得のゆくものだった。

帰宅後。妻にブックを見せながら後半のまとめ方について意見を聞く。そしてその意見を取り入れながら、結局20枚に縮小すると、だいぶすっきりと纏まってきた。実は写真を「観る」歴ではぼくよりも妻の方が長く、こう言うときの彼女の助言はしばしば重宝するのだ。いや、何とかとハサミは使いようとはよく言うが、妻とハサミも使いようではある(笑)。

ところで、以前、ぼくの写真を見るたびに師匠には何だか野口里佳っぽいんだよね~、と言われていた。まあ、川内倫子っぽいと言われるよりは野口里佳っぽいと言われた方が気分的にはよほどいいのだが、それはともかく、その後どうしてそう言われるのだろうとつくづく考えてみた。

表面的に言うなら、それは色合い(空と草原等)や撮っている光景(霧の中の高原等)が似通っていたせいには違いない。だが、もっと突き詰めて考えてみるなら、それはすなわち野口里佳が心に抱いている関心事とぼく自身のそれとがやはり近しいせいではなかろうか。

実は、野口里佳は事あるごとに月面への関心を口にしているのだが(ちなみに、同じようなことを川内倫子も言っていている)、彼女の作風を見た人ならば野口と月面との繋がりには恐らくピンと来るものがあるに違いない。つまり、人類の原初的光景、始原の光景こそが、彼女の最大の関心事であり、それが例えば「フジヤマ」へと彼女を誘うことになったのだ。

翻って自分のことを鑑みるに、ぼく自身には野口や川内のようなはっきりとした月面への関心はない。しかしながら、原初的光景、すなわち、ざらつき荒れ果てた光景としての広漠たる「荒野」は自分の関心事として常にそこにあったのだと思う。もちろん、この場合の「荒野」とは必ずしも実際の光景としての「荒野」というだけでなく、幻視された心の「荒野」ということでもあるのだが。

ただ、野口と自分の最大の違いは野口が原初的光景をより即物的に、客観的に捉えようとするのに対し、ぼくの言う荒野とはあくまで自分自身の私的な心象風景に過ぎない、ということだ。恐らくその違いはコンポラ作家として叙情を極力排するか、あるいは写真作家として叙情を捨てきれないか、の差なのだろうけれど。

そんなことをつらつらと考えているうちに、作風が少しずつ変わって行ったのは不思議なことだった。師匠にもワークショップ仲間にも、「海野さん、作風が変わった?」と言われもした。だが、自分としては表面的には野口から遠ざかりつつも、心情的には逆に野口に近づいたのではという気がしている。もちろん、自分を野口に比肩するなどという大それたことは微塵も考えていないけれど、今後の方向性に、少し光が差し始めたかな、という気はしている。

ちなみにぼくの高校時代の愛読書のひとつは、五木寛之の『青年は荒野をめざす』。ジャズ青年が自分探しに世界中を旅して回るというビルドゥングス・ロマンだが、さて、今や中年となったかつての青年は再び荒野をめざすことができるのだろうか。


ジャジィーな季節

2005-11-04 22:11:51 | 写真全般
 そう言えば今まであまり音楽のことを書いて来なかったので、まずは音楽の話題から。ぼくの音楽の聴き方には結構パターンがあって、だいたい季節によって聞く曲のジャンルが変わってくる。大ざっぱに言うなら、春~夏がロックで秋~冬がジャズ。陽気が良くなってくると何となく気分が高揚し、ロックをガンガン鳴らしたくなってくるのだが(一時期はアジアン・ポップスにはまった時もあった)、秋になってメランコリックな気配に包まれるようになるとどうしてもジャズが聞きたくなってしまう。

 で、最近、比較的気に入っているのが、ジャズ・ピアニスト山中千尋のOutside by the Swingというアルバム。それまではまったく聞いた事がなかったしアルバムを見ただけでは恐らく買わなかっただろうと思うのだが(何しろジャズのアルバムにしちゃ、ジャケットがあまりにアイドルし過ぎているのだ)、8月の東京ジャズ・フェスティバルで始めて彼女を見て以来、その華奢な体躯からは想像できないようなパワフルでアグレッシブな演奏にすっかり参ってしまった。二の腕なんてほとんど折れそうなほど細いのにどこからあんなパワーが出てくるのかと感心した次第。

 ところで、ジャズと言えば、最近インターネット・ラジオでスムース・ジャズを流しながら作業をすることもある。けど、スムース・ジャズって、耳に心地よいだけで何だか心に響かないのね。まあ、「スムース」なんだから当たり前っていや、当たり前なんだけど、でもあまりに主張がなさ過ぎるよなあ。

 そこでふと思ったのが、何だか最近の写真って「スムース・ジャズ」化してないか、ってこと。まあ60年代じゃないんだから自分の主張を全面に押しだし過ぎるのもどうかと思うが、だからと言っていわゆる「癒し系」写真ばかりが量産されているのはいかがなものだろうか。そうした写真ばかりに囲まれているうちに自分の感性が「癒されて」ゆくどころか、麻痺してゆくようでとても怖い。本当を言えばここで一発、視る側にガツンと衝撃を与えるような新人が登場してきて欲しいのだが、「コンテスト入選の仕方」的なハウ・ツー記事が雑誌に載るようなこのご時世、今時の若者にそれを望むのは無理なのだろうか。

 キャノン新世紀写真展のグランプリ公開審査会は12月7日。過剰な期待は戒めつつ、推移を見守っているところだ。