Feel Free ! アナログ・フォト・ライフ Diary

当ブログは同名Webサイトのダイアリー版です。本家Webサイトへは下のbookmarkよりどうぞ。

ある旧友の死(3)

2005-03-27 23:36:31 | ストリートスナップ
 それからしばらくして、その男に一言礼を言って別れたぼくは、再び店の正面に立っていた。
 静かに手を合わせ、しばらく目をつぶってから、焼け跡にレンズを向けてカメラのシャッターを切る。一度、二度、三度。カウンターの残骸、焼けだたれた自転車、割れた窓ガラス。カメラのレンズは残酷に廃墟の品々をフィルムに焼きつけてゆく。もちろん、そうした行為が受け取る人によっては不快に感じられることは百も承知だが、それもぼくなりのMに対する弔い方だったのだ。
 そして、最後にもう一枚、店全体をカメラに収めようとしてファインダーをのぞいたときだった。ふいにぼくの脳裏に天啓のようにある考えがひらめいた。
 それは旧友Mの死が、国立という町の歴史と実はパラレルな関係になっているのではないかという、突飛ではあるが確信にも似た思いだった。

 「国立」と聞いた時、東京の人々はどんなイメージを思い浮かべるだろう。「暮らしやすい街」、「明るくてそこそこお洒落な街」、「文化的な街」、だいたいそんなところだろうか。だが、その昔、ぼくが小中学校を過ごした70年代という時代には、国立は東京であって東京ではない、単なるひとつの田舎町に過ぎなかった。平屋の都営住宅は隣の物音が筒抜けだったし、あまたある空き地は雑草が伸び放題という有様。そんな環境の中での生活は、もちろん決して豊かではなかったけれど、地域に活気が漲っていたこともまた事実であった。近隣の人々の間には密接なご近所づきあいが存在していたし、ぼくら子供たちは地域の仲間と連れ立って、遊びに、悪さにと連日駆け回ってばかりいた。そして、その地域の活気を支えていたのが、コミュニケーションの場としての、割烹やら八百屋やらといった個人経営のこじんまりした店だったのだ。
 ところが、そんなコミュニティーが、バブリーな80年代に入ると急速に崩壊してゆく。平屋のアパートは取り壊されて無機質な団地に代わり、大手スーパーが進出してくると、あちこちに点在していた個人経営の店が次々と姿を消していった。街が便利で豊かになればなるほど地域のコミュニティーが崩壊してゆくという矛盾。それは「文化的な町国立」の洗練されたイメージに対して、ぼくらが支払った代償だったのではないか。
 その意味で、Mは決していわゆる洗練された男ではなかった。いや、はっきり言ってしまおう。彼は鈍くさい男だったし、母親の経営する飲食店「かあちゃん」も、その名のごとく田舎っぽい大衆的な飲み屋に過ぎなかった。だが、昔はそんな鈍くささ、田舎っぽさにもそれなりに居場所はあったのだ。2005年の現在、国立駅周辺にはお洒落な店が建ち並び、豊かで落ち着いた暮らしを求めて沢山の人々が集まって来ているが、街の中心が洗練されてゆけばゆくほど、周辺部はただ形式のみスマートな、空疎で無機質な場所に変わってゆく。そして今、またひとつ国立は「田舎」を失ったのだと思う。それももっとも端的な形、「焼失」と「人の死」いう形で。

 弔いを終えて、とぼとぼと富士見通りから国立駅へと引き返しながら、ぼくは映画のことを話している最中に見せた、Mの笑顔を思い出していた。内気なMが時折見せる無垢な子供のように素直な笑顔。そして、その想い出を確かめるようにもう一度後ろを振り返ったぼくの目に、郵政研究所の向こうからこちらを威圧するかのように見下ろしている巨大なマンションの姿が映った。

(了)

最新の画像もっと見る