Family Flumのひとこま

たわいもないこと。それでも忘れたくないこと、大事なことを書き留めていきます。

我が家のイースター

2011-04-25 17:07:07 | 日々

キリストの復活を祝う復活祭。

今年は春休みとつながって長いお休みとなりました。

幼稚園やプレイグループで作って持ってきてくれた、復活祭にちなんだたくさんの工作が我が家を飾ってくれました。

うさぎのかたちをしたチョコレートや、にわとり、カラフルゆで卵。

フルムスコは、家族の分に、日本のじぃじとばぁばの分にと、たくさんのバスケットを画用紙で作ってくれて、その中に、たくさんのチョコレートを入れて並べてくれました。

復活祭は、タータの家ですごし、朝起きて朝食を食べ終わった子供たちは、庭に隠してあるイースターバニーのチョコレートやカラフルゆで卵を探しました。

毎年毎年、このチョコレートが賞味期限まで食べ切れなくて、いろんなかたちに化けるのに苦労しますが、子供には楽しいうれしいお祭りです。

数日、ティチーノ州で過ごしましたが、チューリッヒも同様によいお天気で、まるで夏が到来したかのよう。

まだまだ水遊びは寒いかな、、と思いながらも、砂遊びができれば、、と、近くの川に遊びに行きました。

特別な休暇ではなかったけれども、のんびり家族みんなで過ごせたイースターでした。

                                     


怖い思い

2011-04-21 14:47:27 | 日々

子供が熱を出すことはよくあるし、熱がでたとしても、機嫌がよかったり水分がしっかりとれいたら、病院につれいていくということはしませんが、高熱がでるたびに、いつも「熱性けいれん」が起こったら嫌だな、、ということは頭にありました。

お医者さんによっても、解熱剤の使用についての意見もまちまちだし、もちろん、こどもの特性にもよると思うのですが、なかなか使うタイミングを判断するのが難しいのです。

そんなことを常日頃思っているときに、3男坊が熱性けいれんを起こしました。

子供にはそうまれではないものですが、初めてけいれんを目の当たりにして、本当に怖い思いをしました。

朝発熱していたものの、よく遊びまわっていたし、機嫌もよく普段となんらかわらなかったのですが、昼になるとかなり熱も高くなり、抱っこしても何してもなかなか泣き止まなかったので、解熱剤を使ったほうがいいかな、、と抱えていたときに突然起こりました。

がくがくと体全身が震え、目は白目を向いて、みるみるうちに顔も唇も青くなっていき、このままこの子を失うのではないか、、と思いました。

熱性けいれんだ、とわかっていたものの、この恐怖を目の当たりにして、どうしていいのかわからず、とにかく、3男坊を抱えて上の階に住むおばさんに助けを求めにいきました。ちょうど抱えて行った時に、おでこにひえぴたをした3男坊が、歯茎を自分で噛んで出血したところだったので、おばさんは、どこかから落ちて血を吐いたと思ったらしく、急いで車を出してくれてかかりつけのお医者さんに連れて行きました。

2,3分ぐらいけいれんは続いたのでしょうか。そのあと、ぐぅぐぅと寝息を立てて寝こけてしまいました。

とりあえず、解熱剤で熱を下げ、全身のチェックをしたのみで、特別な治療はありません。

見た目はとっても怖いけいれんですが、深刻ではないので、たとえ起こったとしても、とにかく静かに横にさせてけいれんがおさまるのを待つのみなのです。

意識を戻そうと刺激すると、かえってけいれんを長引かせたりするそうです。

お医者さんには、3分待っておさまらなければ特別な薬を使うようにと座薬をもらいました。どんどんと青くなっていく子供を3分も見守るのもとっても怖いものです。

まだまだ未熟な脳が発熱のストレスに弱いので起こる熱性けいれん。遺伝が強く影響しているのですが、私も夫もフルムスコも2男坊もけいれんの既往がなかったので、どこかで軽視していたのかもしれませんが、一度かかった子の3人に1人は、4,5歳ぐらいまで、この熱性けいれんを繰り返します。そして、熱の出始めに起こるのが一般的だそうです。

大人だって38度の熱がでればぐったり。

こんなに小さな子がちょっとでも熱を出せば、未熟な体への影響は大きいものです。

3男坊の発熱時には、特に慎重にならないといけません。

次の日には、熱もひき、けろりといつものニコニコ笑顔の3男坊に戻ったのが救いでした。

 

そして、3日後。

外遊びをしていた2男坊が泣きながら家に入ってきて、どうしたのかと思ったら、片目から流血。

その現場を見ていなかったのですが、フルムスコいわく、2男坊が小枝をぶんぶんと振っていたら、自分にあたったらしいのです。

毎日のように、枝で遊ぶのは危ないよ!目に刺さりますよ!と言ってきたのにも関わらず、起こってしまいました。

本人はすぐに泣き止み、私たちの表情や物が見えていたのですが、白目の部分が出血していたので、念のためにかかりつけのお医者さんに連れて行き、抗生剤の目薬をもらいました。

大事には至らず、感染も防ぐことができて、1週間でもとのように戻りましたが、痛い目にもあったにも関わらず、痛い目薬をいやいやつけたにも関わらず、いまだに小枝で遊ぶ2男坊。

遊ぶなと言っても聞かないのはわかっていますが、とにかく、少しでもこの痛い思いを忘れないで欲しいと思い、当時を思い出させるのですが。。難しいものです。。

1週間に2度も病院にかけつけた怖い思いをした1週間でした。

本当に、元気で健康が一番です。

 

 


買い物リスト

2011-04-21 13:29:51 | 日々

忘れっぽい私のお助けマンのフルムスコ。

買い物に行く前に、「これを買い忘れないようにマミィに言ってね。」と言うと、単語を書けないフルムスコが、いそいそと、絵で「買い物リスト」を描いていました。

牛乳、卵、サラダ、にんじん、小麦粉。

買い物リスト片手に、自分のお買い物カートにそれらを乗せていました。


ゼクセロイテンに想う

2011-04-16 13:25:53 | 日々

春の訪れを祝うチューリッヒのお祭り、ゼクセロイテン。

3月に入ってからは、夏を感じさせるような日々が続いているスイスですが、めっきりと春めいた景色に、このお祭りに、いろんな思いがこみ上げてきます。

今年も子供のパレードを見に町に出かけてきました。

いろんな衣装を着た子供たちのパレードは本当にかわいいものです。

そして、パレードの後半は、いろんな国々の山車が行進してきます。

日本の山車の出番を待ちながら、なぜだか毎年、日本を想う気持ちを必死にこらえる私ですが、今年こそは、日の丸の旗を見たとたん、抑えていた感情を止めることはできませんでした。

日本を襲った大震災に津波。そして、目に見えぬ恐怖の原発のゆくえ。

こんなにひどい状況の中でも、必死にみんなで手を取り合い助け合い、前を向いている姿にはこちらが奮い立たされます。

仙台の海辺に住む友人と連絡が取れた震災2日後、津波で家を失い命からがら逃げてきて、何もかも失った彼女が送ってくれたメールは、なんとも前向きで力強い言葉でした。遠いスイスにいて、くよくよとしている自分自身を見て恥ずかしい思いでした。

震災が起こったあの日、朝にちらりとネットで見た震災速報が、こんなにも大規模で最悪な状況になるとはまったく予期していなく、お昼に出先から帰って来てつけたこちらのテレビ番組から流れてくる、ものすごい映像に釘付けとなりました。

こどもたちのお昼ご飯を作るのもままならずに、急いで日本の家族に電話をかけ、運よくつながったとしても、日本時間の夕方16時。誰も帰宅していない時間なので、でないとわかっていても心配がつきません。

こんなときに限って、家族みんなの携帯電話の番号がわからない。。

誰かにかけてつながれば、、と思い、祖父母の家に電話をかけ、何回かでつながるものの、応答なし。夜の20時を過ぎたころだったので、早く床につく祖父はもう寝たのか、被害にあったのか。。悪い方へと考えるばかりで、繰り返し流れる、町をのみこむ津波の映像がさらに心配を募らせました。

こんな時だからこそ働かないといけない立場の私の家族なので、きっと、ものすごい混乱中で仕事をしているのだろう、、と、思いながら、無事を祈りました。

母と連絡がついたのは、スイス時間の16時。日本時間の深夜でした。

今日に限って別の場所で会議中だった母は、大きな揺れがあったとき、仲間とともに外に飛び出したそうです。立っていられないほどの揺れで、しゃがみまずにはいられないほどだったそうです。

交通マヒの状態で、とにかく自分の職場まで、同じ方面へ向かう見ず知らずの人たちと集団になって、停電で真っ暗になった知らない道を、地図をみながら5時間かけて歩いて帰ってきたそうです。

1日1日がよい方向へ向かいますように、、と、願いながらも、ネットで得られる情報をみるたびに、被災したかたがたの落ち着かない非難生活や次々にでてくる問題に心が晴れることはなく、気持ちがどんよりしてする毎日で、自分の家族と友達が住んでいる日本に今すぐにでも飛んで行きたい、という気持が募るばかり。

それでも、日々の毎日に追われることが、少しでもそんな気持ちを和らげてくれていたような気がします。

日本にいたから何かできたわけでもないけれど、家族が遠くに住んでいること、改めて、遠いところに来てしまったんだな、、と思います。

スイスの春の訪れを感じながら、日本の素晴らしい春を心から喜べる日が1日でも早く来ますようにと願うばかりです。