Family Flumのひとこま

たわいもないこと。それでも忘れたくないこと、大事なことを書き留めていきます。

ゼクセロイテンに想う

2011-04-16 13:25:53 | 日々

春の訪れを祝うチューリッヒのお祭り、ゼクセロイテン。

3月に入ってからは、夏を感じさせるような日々が続いているスイスですが、めっきりと春めいた景色に、このお祭りに、いろんな思いがこみ上げてきます。

今年も子供のパレードを見に町に出かけてきました。

いろんな衣装を着た子供たちのパレードは本当にかわいいものです。

そして、パレードの後半は、いろんな国々の山車が行進してきます。

日本の山車の出番を待ちながら、なぜだか毎年、日本を想う気持ちを必死にこらえる私ですが、今年こそは、日の丸の旗を見たとたん、抑えていた感情を止めることはできませんでした。

日本を襲った大震災に津波。そして、目に見えぬ恐怖の原発のゆくえ。

こんなにひどい状況の中でも、必死にみんなで手を取り合い助け合い、前を向いている姿にはこちらが奮い立たされます。

仙台の海辺に住む友人と連絡が取れた震災2日後、津波で家を失い命からがら逃げてきて、何もかも失った彼女が送ってくれたメールは、なんとも前向きで力強い言葉でした。遠いスイスにいて、くよくよとしている自分自身を見て恥ずかしい思いでした。

震災が起こったあの日、朝にちらりとネットで見た震災速報が、こんなにも大規模で最悪な状況になるとはまったく予期していなく、お昼に出先から帰って来てつけたこちらのテレビ番組から流れてくる、ものすごい映像に釘付けとなりました。

こどもたちのお昼ご飯を作るのもままならずに、急いで日本の家族に電話をかけ、運よくつながったとしても、日本時間の夕方16時。誰も帰宅していない時間なので、でないとわかっていても心配がつきません。

こんなときに限って、家族みんなの携帯電話の番号がわからない。。

誰かにかけてつながれば、、と思い、祖父母の家に電話をかけ、何回かでつながるものの、応答なし。夜の20時を過ぎたころだったので、早く床につく祖父はもう寝たのか、被害にあったのか。。悪い方へと考えるばかりで、繰り返し流れる、町をのみこむ津波の映像がさらに心配を募らせました。

こんな時だからこそ働かないといけない立場の私の家族なので、きっと、ものすごい混乱中で仕事をしているのだろう、、と、思いながら、無事を祈りました。

母と連絡がついたのは、スイス時間の16時。日本時間の深夜でした。

今日に限って別の場所で会議中だった母は、大きな揺れがあったとき、仲間とともに外に飛び出したそうです。立っていられないほどの揺れで、しゃがみまずにはいられないほどだったそうです。

交通マヒの状態で、とにかく自分の職場まで、同じ方面へ向かう見ず知らずの人たちと集団になって、停電で真っ暗になった知らない道を、地図をみながら5時間かけて歩いて帰ってきたそうです。

1日1日がよい方向へ向かいますように、、と、願いながらも、ネットで得られる情報をみるたびに、被災したかたがたの落ち着かない非難生活や次々にでてくる問題に心が晴れることはなく、気持ちがどんよりしてする毎日で、自分の家族と友達が住んでいる日本に今すぐにでも飛んで行きたい、という気持が募るばかり。

それでも、日々の毎日に追われることが、少しでもそんな気持ちを和らげてくれていたような気がします。

日本にいたから何かできたわけでもないけれど、家族が遠くに住んでいること、改めて、遠いところに来てしまったんだな、、と思います。

スイスの春の訪れを感じながら、日本の素晴らしい春を心から喜べる日が1日でも早く来ますようにと願うばかりです。