【待つ】2006・9・27
【我慢】がまん
(1)感情や欲望のままに行動するのを抑え堪え忍ぶこと。辛抱すること。
【辛抱】しんぼう
(1)たえしのぶこと。じっとがまんすること。
【耐える】たえる
(1)苦しさ・悲しさなどに屈せず我慢する。こらえる。
【堪える】こらえる
(1)苦しみ・痛みなどをがまんする。耐える。
(2)悲しみ・苦しみ・怒りなどの感情や欲求が表面に出ようとするのをおさえる。
(4)処罰したり、しかったりすべきところを、許す。堪忍する。
【忍耐力】にんたいりょく
苦しみ・つらさ・怒りなどに耐える力
【諦める】あきらめる
望んでいたことの実現が不可能であることを認めて、望みを捨てる。断念する。思い切る。
【待つ/俟つ】まつ
(3)…によってうまく解決することを願う。…に望みを託する。期待する。
[可能]まてる
待てば甘露(かんろ)の日和(ひより)あり
〔待っていれば甘露の降る日和もある意から〕根気よく待てば、そのうちよいこともあるということ。待てば海路の日和あり。
自分で
『数年前に比べれば、ずいぶんと我慢強くなったんじゃないか?』と思う時がある
本当に私は辛抱できるようになったのか?
本当に私は堪えられるようになったのか?
本当に私は待てるようになったのか?
本当は・・・『どうせ無理だろうから』と
簡単に諦めているだけなんじゃないか?
本当は・・・『言っても仕方ないから』と
簡単に妥協しているだけなんじゃないか?
本当は・・・『できるようになるまで待とう』と
簡単に手を抜いているだけなんじゃないか?
“待つ”と称して諦めている?
“待つ”と称して妥協している?
“待つ”と称して手を抜いている?
子ども(人)を育てるために“待ち”はとても重要なことなんだろう
本にもそうやって書いてあるのだから・・・
でも・・・
本当にそれでいいのだろうか?
私は、もっともっと子ども達に
“我慢すること・辛抱すること・耐えること・堪えること”
すなわち“忍耐力”を教えるために、その大切さを伝えるためにどうするべきかを考えなければいけない気がする
でも、どうしたらいいのかよく分からない
どこまで“待つ”
いつまで“待つ”
果たして本当に“待ち”はとても重要なのか?
私は“待つ”ということを使って子ども達の自立・自主性を育めているのか?
私の“待ち”は正しく使えているのだろうか?
私は“待つ”と称して諦めている?妥協している?手を抜いている?だけなんじゃないだろうか?
私の“待ち”が間違っているばかりに我慢の足りない子を育成してしまっているのではないか?
10年前には考えられないようなことが当たり前になりつつある
そうしてしまったのは・・・
言うまでもなく私達大人であることは間違えない
どこまで“待つ”
いつまで“待つ”
『“待つ”ということ』
あなたはどう考えていますか?