教育のとびら

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presented by 福島 毅

合意形成→総意醸成(共通了解)の世界観へ

2022-04-21 | 研修・セミナー・講演など

「ファシリテーションとは何か」の読書会に関連し、気づいたことをシェアするブログ内容です。

今回のテーマは、「合意形成→総意醸成(共通了解)の世界観へ」
という内容になります。

(1)決定を”合意形成”から”総意醸成”としてみたらどうか?
ファシリテーションと聞くとピンと来るのは、会議などの場面において、アジェンダが設定され、最終的に、なんらかの合意形成なり決定がなされるというものが頭に浮かぶ方も多いと思います。

自分も「合意形成の方法」に特化したセミナーを何度か開いているのですが、「合意形成」という言葉まわりの響きには、①誰かが得をするけど、誰かは損をする ②最終的には多数決になる ③最終的には一番決定権のある人が最終判断するが、それが全体の意図なのか?
というようなものがつきまという気がしていて、現代においては民主的ではあるものの、もうちょっとなんとかならないものかという疑念があったのでした。

そこで、”合意形成”から”総意醸成”という言葉を思いつき、合意形成の「調整・我慢・誰かの自己犠牲を伴う」という印象よりはよい響きだと思って個人的に使ったりしていました。しかし、実務的に総意を醸成するにはどうしたらいいか? という課題は残ったままで、全体に”総意が降りてくる”には どうしたらよいのだろうか? どうファシリテーションを設計したらよいのだろうか? という問いは残ったままでした。

 

(2)どうやったら総意醸成ができるか?
いままで、さまざまな会議やワークショップなどの場に参加者やファシリテーターとして参加してきて、全員が「そうだよね、そういう総意になるのよね、結局は」という納得感が得られた経験が何度かありました。では、そこでは何が起きていたかというと、全員が全員に真摯に耳を傾け、違和感も正直に表明し、その背後にある信条や考えを理解しようと努め、そのコミュニティの上位にある目的を意識して第3極を必死に考えた時だったように思います。必死にというのは、根詰めてというより、リラックスした状態ながら集中していたような状態を指します。そんなとき、ふと、全員に共通したアイデアが降りてきて、全員が納得という状態に至ったりする・・・

もちろん、ある組織やコミュニティが決まっていて、その中でメンバー主導の活動が行われるときは、「みんな違ってみんないい」ということなのですが、意見が分かれたり、何か一つの決定に決めなくてはならなかったり、限られた予算をどう配分するかというときに、優先順位イメージはそれぞれ違うけどまとめなくてはならないといったことがあるわけで、そういうときの総意醸成には、合意形成のような「誰かの犠牲や主張が強い人の意見が通っていく、誘導的なファシリテーターによって誘導されるというわざとらしさがある、権力者への忖度」といったものが少ないように思うのです。

(3)哲学における「共通了解」との関連性
先ほどの総意醸成に関しては、最近思っているのが、哲学における「共通了解」という概念とよく似ているということがあると思っています。詳しくは、西研さんの解説ページにありますが、この共通了解に至る方法と、総意醸成はどちらも重要な問いによって、皆が対話していく中で固まっていくという点で似ています。このことについては、別途、別のブログで触れたいと思います。


(4)ターコイズ組織(ティール組織のその先)と降りてくる総意
ある瞬間に議論しているコミュニティメンバー全員に同時に降りてくる総意(アイデアや結論、納得する言語化など)は、ターコイズ組織における意思決定とも関連していると個人的に考えています。このことについても、ティール組織の簡単な解説とともに、別のブログで触れたいと思います。

本日は以上です。

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