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教育のとびら

教育の未来を提言 since 2007
presented by 福島 毅

全体性から観るのも大事ですが、人間の感性も大事

2013-08-03 | 雑感(教育関連)
例えば、いまヒトという種族は原発400基や遺伝子操作などで地球環境に多大な影響を及ぼしています。このままいくと自滅する道をまっしぐらなのかもしれません。これは”ヒト”にとっても”他の生物”にとっても、単純に考えて良くないことと言えるでしょう。しかしながら、これをシステムとしてもっと全体俯瞰して捉えてしまうと”ヒトが自滅して消える”ことそのものが、将来の地球の生態系にとっては善ともいえてしまう。そうなるとシステム全体としてみたとき良いも悪いもないという理屈です。

”殺人は悪である”という一見、正しそうな命題も、歴史解釈では善になったり、戦争のようにこちらからみたら”悪”なのに、敵側からみたら”善”というように相対的な解釈も可能になってしまいます。

確かに大局的見地に立てば、すべての物事は中立的であり、”善悪”” ”良い、悪い”は、人間が主観的にジャッジしているに過ぎないということも言えてしまうと思います。
だったら、良い悪いという解釈なしに、それはシステムだからと放置しておいていいのでしょうか?
私はそうは思っていません。人間の感性において、良い悪いという感性そのもの、直観は大切だと思うのです。国の立場の正当性うんぬんの前に、肌感覚において、人を殺す行為はやめてほしいし、戦争は世界からなくなってほしい。それが”良い世界”であると単純化することに迷いはありません。

どんな時間スケール、空間スケールでシステムを観るかによって 善悪、良い悪いなどの2元性をこえることは理解できますし肯定します。しかし、現実に目の前でおきていることに”良い悪い”もっと正確に言うとポジティブ、ネガティブであるという肌身の感性で行動にあたることの重要性がそこにはあると思うのです。


”よかれと思って” ということに関して、こんなエピソードもわかりやすいかと思います。

ある小さな子供が「音楽を勉強したい」と言い出したとします。
でも親の価値観から「そんな役に立つかどうかわからないことやるよりも英数国の勉強をしっかりやりなさい。それがおまえの役に立つから」と子供のために”良かれと思って”アドバイスしたとします。

本当は音楽に興味を持っていた子供も、親を悲しませたくないのでそれ以上本音を言わず、押し殺して、親の期待に応えようと”良かれと思って” 英国数を一生懸命勉強して成果をあげたとします。
その成果を見て、親は喜んだとします。でもその子供が大きくなって、「やはり音楽をあのとき、思う存分やってみればよかった」と後悔したり、子供の好奇心を拾えなかった親がそれを後悔したり。
そういったことってよくある気がします。
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