リジログ 2023

いいぞ 野球は

勝ち負けを超えたもの

2010-08-24 23:53:53 | Weblog
「所詮 勝ち負けなんですよぅ」
長年学童の野球に携わるあるチームの指導者はやはり締めの言葉にこのコトバがでてくる。

私は,「勝ち負けを超えたものがそこにはある」と思う。それは勝ちを争って励む結果の価値だと。そして,その勝ち負けを超えたものを,子どもたちに授けていくのが,指導者のミッションであるとさえ思う。
最初は親として,指導者として,チームの役員として,そして今は大会の運営に携わる役員の一人として。学童野球にこれまで携わってそう思う。

いろんなことを経験してきてはじめて味わえるものといえばいいのか,そういうことをとおして鍛えられる五感の次の部分というのか・・・。いろんな立場で,子どもの成長,チームとしての成長,みんなの一生懸命さなどなど肌で感じ,また自らその中にいるからこそ,鍛えられる感性といえば少しかっこよすぎるか・・。

ずいぶん前に書いたことかもしれない「ものさし」の話。ひとつのものさしでは一つの軸の評価しかできないけれど,そのものさしをたくさん持てば,いろんな角度から評価できるということ。そのものさしの数を増やしたいなぁ・・という内容の記事。それを今,思い出した。

長男が高校生になり,センバツへ向けた地区大会が始まった。試合をのぞくと市内の各高校に必ず懐かしい顔がいるいる・・。どこからともなく声をかけていただくことがとても多い。とても懐かしく,嬉しく,試合そっちのけで話しに華が咲く。「○○君は1年生でレギュラーをとった!」とかいろんな情報も飛び交う。しかし,どの親も,あの頃(学童)の時の姿とはうってかわって柔和に観戦している。みんながそうではないかもしれないけれど,この親たちも勝ち負けをこえた何かをつかみ,それを軸にわが子を応援しているのだろう。

ある別の学童の指導者とのつい先日の短い会話に私は胸を打った。
私「(決勝戦では)すごくいい試合で,それも激戦を見事にものにしましたね!」
指導者「それも,いいライバルが相手だからこそ,こういう試合ができるんですよ」
負けた方のチームが私の出身チームだったことで配慮いただいたのかもしれないけれど,常からの対戦相手に対する考え方(教育)の指導の姿勢が備わっていないと,急にこんなコトバはでてこないはず。
きっとこのチームは優勝した結果を喜びつつ,勝ち負けを超えた何かをみんなが感じているはずだと,そしてシーズン終盤にかけて,益々チームがひとつになっていくんだろうなぁっと表彰式の彼の後姿を見て確信した。

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1 Comments

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Unknown (ジュニアの一父親)
2010-08-25 18:01:55
勝つにこしたことはないと思います。しかし敗者がいるから勝者がいるしその逆もあります。大事なのは各子供の野球人生の最初の一歩だと思います。早咲きの子供もいれば遅咲きの子供もいると思います。そして何年かたって子供達が楽しかったよと言ってくれればいいと思います。そのために微力ではありますがまた子供と一緒に笑い一緒に泣きそして一緒に汗をかこうとおもいます。
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