どの試合にも、「勝負を分ける一瞬」があります。
今シーズン私が観た中で、もっとも緊迫した今日の試合。1球たりとも目が離せない展開の末、後攻チームがサヨナラ勝ちで試合を締めくくりました。
その勝利を呼び込んだ、あるプレイに私は目を奪われました。
最終回、ワンアウト二塁。センターへのフライに、二塁ランナーは一度タッチアップを狙う素振りを見せながらも、いったん帰塁。そこから見事な走塁が生まれます。
センターからの返球は三塁ではなく、センターの近くまでカバーに入っていた内野手へ。その瞬間、二塁ランナーが一気に三塁を狙ってスタートを切りました。内野手から三塁への送球も間に合わず、ランナーはセーフ。サヨナラのランナーが三塁へ進んだこの走塁が、結果として試合の勝敗を決定づけました。
打力や走力を日々の練習で鍛えるのはもちろんですが、この試合では「相手の隙を逃さず走った」その判断と行動が、勝負を分けたのです。
走力とは、ただ足が速いことではありません。相手のプレイを見極め、次の塁を狙う判断力やタイミングを見抜く力も含まれているんだな…。いや勉強になるなぁ。
一点を争うような試合であればあるほど、こうした“走塁のチカラ”の差が、はっきりと結果に表れるのだと改めて感じました。


私たちの仕事には、大きく分けて次のような取り組み方があります。
1. プラスのものをさらに伸ばす
2. プラスのものを維持する
3. マイナスのものをプラスに変える
4. マイナスのものをゼロに近づける
5. マイナスが広がらないよう維持する
6. ゼロからプラスを生み出す(新規事業)
7. マイナスが続くものをゼロにする(事業の廃止)
このうち「7. 事業の廃止」を除けば、共通するのは 何もしなければマイナスになる という点です。だからこそ、私たちは 何らかの働きかけをする必要があり、その働きかけ自体が「仕事」になります。
では、その仕事をどのように進めるか。どんな業務であっても、次の3つの要素を適切に落とし込むことで、自分の役割を明確にし、成果を実感できるやりがいのある仕事へとつなげることができます。
1. 企画(目的や理念を明確にし、共有する)
2. 計画(目標を設定し、スケジュールや役割分担を決める)
3. 進行管理(計画を具体的な作業に落とし込み、実行しながら改善する)
「目立つ仕事」「地道な仕事」どちらであっても、この仕組みを活かすことで、達成感や満足感を得られる仕事に変わります。
↑
私も監督経験があるのですが、私の場合は創設された新チームだったため、上記の6(新規事業)のはずでしたが、なってすぐに感じたのは4(マイナスからゼロ)でしかなかったことです。既存チームから分かれて新チームを立ち上げに関わった監督には同じ思いは共有できるかと。ただ、向き合って日々過ごすことでとてもやりがいを感じ、そういうチームで監督をしたことがいまやくだつことばかりで、してよかったと思ってます。
常勝チーム(上記の1)であっても、それ以外のチームであっても、きちんと監督業に向き合うことで満足感、達成感を感じ、やりがいを持ち続け、小学生時代にしかできない学童野球を通じて多くの人を育てるという貢献ができる立場になれる。そう感じます。
監督業
素敵です
これからも、こうした人たちを支える役割も意識したいですね。
年末に有料のスマホナビをダウンロードして使ってみた。今までは無料のスマホナビをつかっていたが、それにはない安心感のある機能がとても気に入っている。例えば、目的地案内のときに「ここから何番目の信号を右折」とか、複数の車線がある場合は「左側の車線を走るとよいですよ」などといったガイドがある。こうしたガイドはよく知らない場所で運転しているときによくある『曲がるべき交差点の見過ごし』や『右折専用レーンに意図せずはまったりする』ような心配からかなり解放される。
のんびりと目的地を決めずに走るドライブのときはナビもなくてもいいけれど、目的地が決まっているときは、現在地から安心してたどり着けるということも大事。とっても。
今年もまた新たなシーズンが始まる。大会は3月からだけれど、日程調整やグランド確保、その他もろもろの準備はすでに始まっている。新春野球教室から代表者会議、総会、審判講習会…3月から11月までの公式戦の開催という「目的地」に向け、役員それぞれが役割を果たしていく日々が待っている。
各チームも練習初めの日からそれぞれの目標に向かって、関係者すべての思いが結集して今年のチームを築き上げていくのだろう。「…明確な目的地がある」からこそ、みんなが頑張れる、何かあっても乗りこえられる、そしてなによりも安心してこのチームで尽くしていきたい、と思える。
そのためにも現在地をしっかり確認することも大事なのかと。チームづくりも大会運営も。
長年学童の野球に携わるあるチームの指導者はやはり締めの言葉にこのコトバがでてくる。
私は,「勝ち負けを超えたものがそこにはある」と思う。それは勝ちを争って励む結果の価値だと。そして,その勝ち負けを超えたものを,子どもたちに授けていくのが,指導者のミッションであるとさえ思う。
最初は親として,指導者として,チームの役員として,そして今は大会の運営に携わる役員の一人として。学童野球にこれまで携わってそう思う。
いろんなことを経験してきてはじめて味わえるものといえばいいのか,そういうことをとおして鍛えられる五感の次の部分というのか・・・。いろんな立場で,子どもの成長,チームとしての成長,みんなの一生懸命さなどなど肌で感じ,また自らその中にいるからこそ,鍛えられる感性といえば少しかっこよすぎるか・・。
ずいぶん前に書いたことかもしれない「ものさし」の話。ひとつのものさしでは一つの軸の評価しかできないけれど,そのものさしをたくさん持てば,いろんな角度から評価できるということ。そのものさしの数を増やしたいなぁ・・という内容の記事。それを今,思い出した。
長男が高校生になり,センバツへ向けた地区大会が始まった。試合をのぞくと市内の各高校に必ず懐かしい顔がいるいる・・。どこからともなく声をかけていただくことがとても多い。とても懐かしく,嬉しく,試合そっちのけで話しに華が咲く。「○○君は1年生でレギュラーをとった!」とかいろんな情報も飛び交う。しかし,どの親も,あの頃(学童)の時の姿とはうってかわって柔和に観戦している。みんながそうではないかもしれないけれど,この親たちも勝ち負けをこえた何かをつかみ,それを軸にわが子を応援しているのだろう。
ある別の学童の指導者とのつい先日の短い会話に私は胸を打った。
私「(決勝戦では)すごくいい試合で,それも激戦を見事にものにしましたね!」
指導者「それも,いいライバルが相手だからこそ,こういう試合ができるんですよ」
負けた方のチームが私の出身チームだったことで配慮いただいたのかもしれないけれど,常からの対戦相手に対する考え方(教育)の指導の姿勢が備わっていないと,急にこんなコトバはでてこないはず。
きっとこのチームは優勝した結果を喜びつつ,勝ち負けを超えた何かをみんなが感じているはずだと,そしてシーズン終盤にかけて,益々チームがひとつになっていくんだろうなぁっと表彰式の彼の後姿を見て確信した。
野球を通じて学ぶことは、単に野球の技術だけではなく、体力的なもののほか、あいさつや忍耐力、自己表現力など少年野球活動を通じて様々な鍛錬をつむことができると思います。
各御家庭でも日々子ども達の成長に期待されていることと思います。年齢や経験にもよりますが、各自の「目標」を達成するには辛く苦しいときのほうが多いかもしれません。
そういうときこそ保護者の方々が我が子に対し「励まし」を。そしてその頑張りを評価し「ほめて」あげてほしいのです。
監督・コーチも子どもへの野球技術の向上とともに、前向きな気持ちを大きく大きく芽ばえさせることを考えています。このことは保護者の皆さんと一体となって、育んでいきたいと考えています。
そして「前向きな子ども達」が多くなればなるほど、子ども同士自らもそういう気持ちを持とうとするのはないでしょうか。
ぜひこのことを皆さんと確認しながら、大津野パワーズという。若いチームの芽を大きく伸ばしていきたいと考えています。』
↑この文章は今から20年前、2004年5月8日、チーム結成2年目のシーズンまっただ中、24枚目のチームの新聞に記した私の記事。結成1年目を公式戦全敗でスタートしたこのチームの監督を1年で降り、チーム理事となって毎週末を鞆グランドで過ごしていた時期ですね。ただ記事の内容はどこまでも出来立てチームの前監督&役員として保護者と選手全方位目線ですね^^;
この頃は理事として初めて経験することばかりで、毎日緊張していましたが、監督としてベンチからみる景色から見えないものばかりで、試合が終わると練習を続けるチームのグランドにもどり、1日の運営の中で見つけた他チームのいいところを指導者や選手たちにフィードバックしながらチームに貢献する役割に一生懸命だったように…つい先日のことだったように思います。
さぁ 新年度の理事さんもほぼ決まりだしました。いろんな意味で理事を楽しみながらまた一年間、頑張っていきましょう。

おやこ
流星ワゴンがいよいよ佳境に入ってきた。鞆もロケの一つとなっているこのドラマは、親子のあり様がテーマだ。
私も親であり子であり,それぞれの立場で関心を持って楽しみに見ている。
『鞆の少年野球チームに入れさせたい主人公の親。野球が嫌いでいやがる主人公に対して野球の面白さを話す塾の講師』その塾の講師役でいつか出るかもしれませんので・・・(冗)
ただ,ドラマを観ながら感じるのは,親のわがままで,親の不安を解消するために子に過干渉していることに気づかず,あれこれ世話を焼きすぎている親が少なくないのではないかということ。高校生や大学生になって,距離を置きながら遠くから見守る。その見守り方の問題だと思うけれど・・・。
子どもたちの成長,自立,そして伸びしろを増やすこと。きっとこれらはスポーツを通じてますます育まれるものだということは間違いないと思う。
それを邪魔しないのが親の最低限の役割だ。
「子は親にとっていつまでたっても子は子」
「手を煩わせないよりも子に少々煩わせてくれたほうが親としては嬉しい」
流星ワゴンの中のこのような台詞には共感している。
せめてバックナンバーの「ささえる人の歌」の歌詞
http://www.uta-net.com/song/126312/くらいがちょうどよいのでは
まさに
乳児は肌を離すな
幼児は肌を離せ,手を離すな
少年は手を離せ,目を離すな
青年は目を離せ,心を離すな
・・・。
今年も新人戦を終え、年内の大会運営はここでおわり。新人戦はこれまでとは一段甲高い選手の声が、鞆、曙、沼隈のグランドで響き渡りました。
毎年新人戦の運営は理事さんも交代し、選手、運営共々フレッシュな雰囲気の中で行われるので、私たち本部役員も新たな気持ちにさせてくれる大会。
各チームの指導者のみなさんは新チーム開始当初のこの時期は、一年後や3月のシーズン前といった節目を決めてどんなチームにしていきたいか、明確な目標を立てて、チーム全体で共有してスタートをされているのだと思います。
ただ目標を掲げてもなかなか達成できないと悩む指導者も少なくなくて、試合会場での「雑談」の場では「どうしたら「結果」を出せるか」、指導者のみならず役員や保護者個々のみなさんからも毎日考えておられることが伝わってきます。
昨今は様々な場面において、プロセスよりも結果が重視されています。
スピード感に加えて結果を求められるのは、ある意味致し方ないことだと思います。結果に対しての評価というのは、明確な水準や基準を決めることで、誰もが見てわかるものでもあり、ある意味わかりやすい。もっというなら誰でも評価できますよね(勝ち負けや打率のように数値化できるものばかりだから)。
一方で、その結果を出すには必ずプロセスがあるわけで、そこを抜きには本来語れないのですが、本来大事にされなければならないプロセスに対する評価が蔑ろにされているのではないか…と感じます。
プロセスは結果と違って評価をするための明確な水準を決めるのが難しいのがその大きな要因かと。数値化などが困難なものが多いからでしょうか。よってこうしたプロセスを評価できる人が少なくなるとともに、いま進めているプロセスが本当に結果を出すためのものかどうか、正しい評価ができずに試行錯誤で終わってしまう例も多くあるのかと。プロセスを的確に評価して改善したらもっとはやく改善できるのに、もったいない事案がたくさんあるのではないか、と思います。
このプロセスを簡単に数値化できる手法があれば…。いやもう、そういう仕組みを作って応用しているチームもあるかもしれませんね。こうした工夫から目標達成の道筋がより明確に見えてくるのではないか、と。
目標を達成したチームは、このプロセスを大事にしてきた結果、個々の能力も高まり、チームもまとまり、みんながやる気になって、さらに目標に対して結果を出せるしくみが築かれている。
新年度も大会運営においてグランド確保の問題だけでなく、日程の見直しの課題、ピッチクロックの導入など、また今年いただいたさまざまな大会運営改善に対するご意見を参考に課題に対応しながら、学童部会としての目標は「選手の皆さんが安心して、思い切って日頃の練習の成果を出す場をつくり守っていく」一択。
でも、誰もがわかる「結果」より、見えにくいもの(=氷山の下の部分)にしっかり気付こうとすることが大事だと思うんだけどなぁ…現場眼線では^ ^
「もうすこし守備がうまくなりたいなぁ」と毎日必死で練習してるのだと思います。でもなかなかうまくなれないと感じているひとも多いのではないでしょうか。
約10年前に私がここに記したものですが、今読んでみてあらためて「そのとおりだなぁ」と確信したので、再掲載します。ここに書いてあることを実行するときっとうまくなります。低学年であっても高学年であっても、体格の違いはあっても、関係なく誰もができることだと思います。
少し長いですが、読んでみてください。
↓↓
良いコンディションのもとで練習の成果を出してもらいたいと思いつつ、年間いくつもある大会では、天候による影響を受ける大会はどうしても出てくる。
昨日の大会はグランドに溜まった水を抜くなどして、少し開始時間を遅らせ開催。泥濘(ぬかる)みの残るグランドに加え、一日中吹き荒れた強風と砂塵の中、プレーにも影響があったはず。その中には、勝敗に大きくつながったミスも見受けられた。
『偉大なプレーはたったひとつのあることをいつも心がけていたことから生まれていた』
昨年の今頃、書店で見つけたカープの菊池選手の著書。私はその中の「あるページの記述」が、もっとも読者に伝えたい&読者も一番知りたい内容ではないかと感じている。野球の魅力、スポーツの魅力につながる表現がとても興味深い。その「あるページの記述」を私はいつも携帯している。
✨以下「あるページの記述」
最初にファンの皆さんが一番気になっていると思う守備について述べていきたい。
ただ、正直なところ、まだまだ守備を語れる立場ではないと思っている。だから、ここでは今の自分が考えていること、等身大の「感覚」について書いていきたい。
まず、守備の際に最も大切にしていることは「最後まで追う」ということ。僕はこれができるかできないかの見極めをはっきりさせている。その見極めこそが、皆さんに驚いてもらえるようなプレーにつながっているのだと思う。(自分では全部同じプレーだと思っている)。
最後まで追う。そして、抜けてから初めて諦める。そうしないと絶対に悔いが残る。さらにピッチャーにも申し訳ない。
自分の中で「捕れる」と思った打球は絶対に諦めない。いわゆる“自分のテリトリー”に入った打球は、とにかく追うことを心がける。逆に、完全なヒットの打球は追わないと決めている。
だから、「これ、どうかな?」と迷ったりする打球がない。常に追うか追わないかの二択。これは中途半端をなくすためだ。
昨シーズン(2014年)も右左関係なく、テリトリーに引っかかる打球は追ってきた。これは試合のダイジェストなどを見ていただければよくわかると思う。「追う」回数が多ければ当然、守備機会は多くなる。結果、捕って投げる動作も増える。これらをミスなく行なえば捕殺になる。
捕殺の記録を更新することができたのも、積み重ねの結果。まさに技術だけでなく、最後まで追うことがあの記録につながったのだと考えている。
最後まで追っていると、何かの拍子でポーンとボールが跳ねるかもしれない。その軌道が自分のテリトリーに入ってくれば、アウトにできる。そうしたアウトの可能性が想定できるのであれば追うべきだ。
「捕れたかもしれない」という機会はなるべく少なくしたい。この後悔だけは守備をやっていて最も味わいたくないものだ。
追えると判断したものは最後まで諦めずに追う。これを積み重ねれば自然と守備はうまくなり、誰でも成長できると思う。逆に言うと、守備が上手くなりたいのであれば、どんどんボールを追って守備機会を増やさなければダメだ。
「最後までボールを追う」は、僕の守備において最も優先するポイントだ。
以上「あるページの記述」✨
「最後までボールを追う」
もっともっと鞆グランドでそういうシーンが増えてほしい。
そしてミスでくやしい思いをしている選手は、次はこのような気持ちでプレーする姿を見せてほしい。
鞆グランドは福山の学童野球選手全員の成長の場だから。