リジログ 2023

いいぞ 野球は

ドーハの悲劇

2008-02-20 23:35:07 | Weblog
今週前半は、山口県への出張でした。移動時間が長いのでたっぷり記事のありそうな日経新聞を出発の日の朝、駅で購入しました。

日ごろも仕事柄いろんな新聞からの情報収集ができる環境にあるのですが、なかなかゆっくりと新聞を読めるような環境でもなくなってきているので、こういうときの移動時間は助かります。

日経新聞も、という言い方はおかしいかもしれませんが、終面に近づくとスポーツ欄があります。月曜の朝刊だったので、前日に重慶で行われたサッカーの東アジア大会の記事が大きく出ていました。「起点不在、攻撃生きず」という見出しの囲み記事はとても気に入りました。きつい皮肉る言葉を激しく使うまでもなく、記者の視点でしっかりと采配のもどかしさを指摘しているその記述ぶりは、とても新鮮で、こんなタッチの記事をかける記者に弟子入りしたい!(^-^)!と思ったくらいです。
どこか日経っぽさを感じるタッチでもあります。

そして最終面にはこれまたサッカーなのですが、JFLの川渕会長の連載コラムがあり、この日はあのドーハの悲劇の時の話が詰まっていました。私も忘れはしない93年の10月のW杯アジア最終予選、最終戦のイラクにロスタイムに追いつかれ、韓国とサウジアラビアに出場がきまったあの夜のこと。独身寮の真夜中にこれ以上ないくらい落胆したあの夜。記事にはその経過もくわしく書かれているのですが、最後に「もしあの時日本が勝っていたら、日本とサウジアラビアが出場していて、韓国は出場できていなかった。もしそうなっていれば、2002年のW杯招致に韓国は手を挙げていただろうか、と」あります。

たら、れば、をいうときりはありませんが、スポーツもいわば一つの時間の流れの中で進むので、やり直しはききません。プレーヤーが子どもであれ大人であれ、アマチュアであれプロであれ、このことだけは共通です。あと一歩、守備位置が右ならとか、ボール一個高めなら、とかこれまで幾度も経験してきました。それだけに、悔いのない結果をだすための試合の取り組み方、そのための練習、そして日頃の行い?が、試されるのかもしれません。


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