リジログ 2023

いいぞ 野球は

野球を「みる」角度

2008-02-11 01:34:13 | Weblog
陽が差すと少し心地よい、そんな昨日の練習試合日和。
球審と2塁の塁審を一試合づつしました。

球審はバッテリーとバッターの息遣いが手に取るように分かります。そしてホームベース上のクロスプレーでは緊迫感をもろに受けます。ストライクボールの判定は簡単ではありませんが、コントロールのいい投手や、気迫にあふれ粘りのある打者の時のジャッジはとても気持ちいいです。とはいえ、球審のミッションからすると試合を見る=「視る」ということでしょうか。

審判をしていない試合のときに、暖をとるための材料を取りにセンターの後方を歩いたのですが、ここからみると全体がよく見えます。誰が緊張感がないかすぐにわかります。(いかんいかん、コーチ顔になると、いらんことをつい言うてしまうわい(+o+))こういう場合試合を見る=「看る」になってしまっています。当然この見方は指導者としてのものであることはいうまでもありません。

ふと子どもころのプロ野球中継を思い出しました。30年くらいも前でしょうか。その頃の中継は、バックネット裏のカメラからのアングルが基本でした。投手がこっちにむかって投げてくる感じの。球審のお尻が映り、投手の背景にはセンターのフェンスが映ります。当然そこが、スポンサー名を表示するところになっていて、巨人戦がほとんどでしたから、後楽園球場のそこには「森永ハイクラウン」という(キャラメルの名前?)のが長くあったのを覚えています。ま、どうでもいいんですが。。私はそういうところを「観る」変なくせがあったのです。

一つの野球の試合をとってみても、指導者はベンチから「看る野球」、保護者などはスタンドから「観る野球」になり、そして審判はグランド内で「視る野球」になり・・・。となると指導者はいろんな角度から看て采配することが必要になり、保護者などはいろんな場所から角度をかえて観ることを楽しみ、そして審判はベストな角度から判定をする。どんな試合でもすべてそうなんだと思います。

もう少し踏み込んで言うとすれば、ベンチから看る野球、スタンドから観る野球、そしてグランド内で視る野球、それぞれ見えるものは異なるし、その場所からしか見えないものと、その場所では見えないもの両方があるということではないか、と思うのです。
そこにいるプレーヤーの目には今どういう野球に映っているのか・・・それをいち早く理解することができる力があると、いい流れを作れるのかも。そのためには、いい看かただけでなく、邪魔をしない観かた、ミスのない視かたが重なって、いいゲームが築かれ、その中で子どもたちのパフォーマンスが最大になる!

・・・・「ミスのない視かた」ができるように励みたいと思います(^◇^)。。


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