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能楽と奈良

2016-10-21 18:23:35 | 大和し、うるわし

能楽と奈良

 
 
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       ( 船弁慶 )
 
 
   「高砂やこの浦舟に帆を揚げて、、、、、」は、つい50年前までの日本式結婚式では必ず謡われたものだが、これは「ウタイ=謡」といって能楽の基本をなすものだ。能楽は「シテ」、「ワキ」という踊手と「囃し方」(はやしかた)がこの「ウタイ」を担当し、ほかに笙、ヒチリキ、小鼓、太鼓などの楽団の3者で構成されている。豪華なことの好きだった豊臣秀吉が好んだので舞台や衣装も華麗となった。勿論諸大名も真似たから各地に「能楽堂が建ち、「お能」は連綿と平成の現代までつづいている。
 
   しかし、その起源は秀吉よりも遥か以前に遡り、8世紀ごろまでには「猿楽」として大和に成立していたのではないか。いわゆる田舎漫才から昇華して神社、仏閣に奉納するまでになった。大和猿楽がそれで、観世、金剛、宝生、金春の4座があり、各座は興福寺や春日大社などに奉仕していた。その意味で奈良は「能楽」発祥の地であるといえよう。
 
   その後14世紀半ばごろ、時の室町将軍 足利義満に京都の今(新)熊野神社への奉納演舞で
みそめられた(観世)世阿弥は義満の庇護のもとで、いわゆる「幽玄の能」を作りあげ、その後の能楽界の主流となったのである。(この神社には両者の出会いの記念碑がある)。いまでも数多くの「能)が能楽堂や神社、仏閣前での「薪能」などが催されるされているが、その演者(シテ、ワキなど)となるには大変な「ものいりで」一般のひとにはむかない。
 
   それで興味のあるものは、能楽の基本である「ウタイ」を習得して(江戸時代の中級以下の武士の嗜みでもあった)年に1回の「お披露目」への出場に精をだしているのが、各地で見られる(素謡稽古)である。