1300年の昔、古都奈良には「佐保」という優しい響の地名があった。
今の奈良市法華寺町から法連寺町にかけての地域を言ったらしい。この地域に住むひとびとは春ともなれば美しい(佐保姫)を祀って華やかな季節の到来を喜んだ。
東の端に東大寺の創建当時そのままという(転害門)があるが、そこを起点に西へ真っ直ぐ歩いて約2kmの道のりで法華寺に至る。この道を「佐保路」という。出発点の東大寺は聖武帝の、終着点はその皇后である光明子のお寺であることはいうまでもない。総国分寺と総国分尼寺である。
朱雀大路が平城京の「政治の道」とするならば、さしずめこちらは「信仰の道」といえようか。背後になだらかな佐保山を控え、南には「道」に並行して佐保川が流れている。この地は当時からの絶好の住宅地であったようだ。
わが背子が 見らむ佐保路の青柳を
手折りてだにも 見むよしもなが
(大伴坂上郎女 万葉集)
今の奈良市法華寺町から法連寺町にかけての地域を言ったらしい。この地域に住むひとびとは春ともなれば美しい(佐保姫)を祀って華やかな季節の到来を喜んだ。
東の端に東大寺の創建当時そのままという(転害門)があるが、そこを起点に西へ真っ直ぐ歩いて約2kmの道のりで法華寺に至る。この道を「佐保路」という。出発点の東大寺は聖武帝の、終着点はその皇后である光明子のお寺であることはいうまでもない。総国分寺と総国分尼寺である。
朱雀大路が平城京の「政治の道」とするならば、さしずめこちらは「信仰の道」といえようか。背後になだらかな佐保山を控え、南には「道」に並行して佐保川が流れている。この地は当時からの絶好の住宅地であったようだ。
わが背子が 見らむ佐保路の青柳を
手折りてだにも 見むよしもなが
(大伴坂上郎女 万葉集)