浄空法師説法研究

浄空法師の説法に学びながら、日本語に翻訳して紹介しています。

人類に降りかかる災難の根源とは何か1/12

2013-04-20 | 調和が危機を救う


人類各種災難的根源是什麼 / 人類に降りかかる災難の根源とは何か
《和諧拯救危機》系列二 第一集/『調和は危機を救う』第二シリーズ 第一集

【原文】 http://ft.hwadzan.com/dv.php?sn=21-490-0001&lang=zh_TW
答記者問(第一集) 2008/10/30 香港理工大學 檔名:21-490-0001

【東方の聖人と仏陀の智慧】

【司会者】:尊敬的老教授,再次感謝您接受我們的專訪,這次已經是第二次。今年您老人家已經八十二歲,過去為了社會大眾消災免難,為了國泰民安,一年當中您三次給社會大眾頂禮。我們中國有一個非常厚道的傳統,要知道好歹!我們這些做後人的不能讓外人笑話,說你看這麼優良的傳統,但是他們的後人都不知道感恩、都不知道還禮。今天我非常榮幸有這個機會,代表社會大眾也給您老人家頂禮,給您老人家磕頭,感謝您老人家。
尊敬する老教授。我々の独占インタビューに応じて頂き、あらためて感謝申し上げます。今回で二回目になります。今年老法師は八十二歳を迎えられました。過去には社会大衆の厄除けの為、また国の安定と民の幸せの為に、一年に三度頂礼されました。中国には非常に道義に厚い伝統があり、物事の分別を知らねばなりません!我々後世の人間は、これほど素晴らしい伝統がありながら誰も感謝することを知らず、返礼することを知らない等と、外国人に嘲笑される訳には参りません。今日私はこのような機会を得ることができて非常に光栄でございます。社会大衆を代表しまして、老法師に頂礼させて頂きます。老法師に拝礼致します。老法師に感謝致します。

【浄空法師】:這就不必了。
それには及びません。

【司会者】:阿彌陀佛。
阿弥陀仏。

【浄空法師】:好,一拜。
それでは、一拝。

【司会者】:謝謝您老人家。
老法師に感謝致します。(陳大恵氏、跪いて老法師に頂礼する)

【浄空法師】:増福増慧。
増福増慧(福徳が増し、智慧が増しますように)。

【司会者】:謝謝您老人家。在過去五個月前,您老人家曾經對社會大眾有過一個啟請,也算是一個很慈悲的警告,說天災人禍迫在眉睫。現在看起來果然尤其是人禍非常多,全世界性的災難,像金融風暴,包括有的國家都已經面臨破產了。現在大家就會問這麼一個問題,科學家不知道,經濟學家也不知道,包括一些政府首腦他們都事先不知道。那為什麼一位八十二歲的老人家,一位出家人,他怎麼會知道?
老法師に感謝致します。五箇月ほど前に、老法師は社会の大衆に対して懇請されました。それはまた慈悲深い警告でもあり、天災と人災が目の前に迫っていると仰られました。今見るところ特に人災が非常に多いようで、世界規模の災難があり、また金融危機のようにある国はすでに破産寸前に追いやられています。今誰もがこのような疑問を持っています。つまり科学者が知らず、経済学者も知らず、政府首脳たちも事前に知ることはできません。それではどうして八十二歳のご老人、一人の出家僧が知っているのでしょうか?

【浄空法師】:其實這樁事情很簡單,上次訪問,你曾經提到過類似的問題,我給你的答覆,我舉了個例子,像二、三歲的小孩,他遇到困難了,他去找誰?他肯定去找他爸爸、媽媽。所以我給你解答的是,古人遇到困難的事情,找誰?找老祖宗。老祖宗知道!特別是我們中國的老祖宗,你看老祖宗對他的後裔多麼的厚愛,為了要把他們的智慧、把他們的經驗流傳下去,那真是用盡了心機去思索,用什麼方法能把這個東西保留,傳到後代不會變質?這就發明了文字,發明了文言文。
実のところ、この事はとても簡単です。前回のインタビューであなたは似たような問題を提起され、私はそれに答えました。私は例を挙げました。例えば二、三歳の子どもが困難に直面したら、誰に頼るでしょうか?間違いなく子どもは父親、母親に頼るでしょう。ですから私の解答はこうです。古人は困難に直面したら、誰を頼ったでしょうか?ご先祖様に頼りました。ご先祖様は知っています!特に我々中国のご先祖様です。ご先祖様は子孫に対して深い愛情があり、彼らの智慧、彼らの経験を伝える為に本当に思索を尽しました。どんな方法でこれを保存して後世に伝え、変質させなかったのでしょうか?それが文字の発明であり、文語文の発明です。

【司会者】:這個目的。
それが目的なのですね。

【浄空法師】:文言文就是為了要傳遞他們的智慧、信息給後代,為什麼?語言會變,你看我們講話,三十年前跟現在說話就不一樣,它是會變的,但是文言文不變。所以他想出一個方法,會變當中找出一個永遠不變的,這才能傳下去。我們今天讀《論語》,孔子的意思我們就很清楚。現在問說為什麼還是不清楚?這就是佛法講的,他有障礙。他有障礙就是孔子親自來跟你講,你都聽不懂。這個障礙是什麼?佛法叫業障,特別講三重障,三種最嚴重的障礙,第一個是傲慢,第二個是嫉妒,第三個是貪欲。只要有這三個東西你就聽不懂、你也看不懂,也就是說你糊塗了。如果把這三樣東西放下,那理明白了,你真正能看懂,你放下的愈多,你看的就愈多,那個意思沒有止境的。所以古書不單是佛經,孔孟的典籍《論語》、《孟子》你打開,其味無窮,每個字裡面都含無量義。只要你用清淨心,你沒有妄想、沒有分別、沒有執著,愈看愈有味,愈看愈深入,裡頭含藏著無盡的智慧、無盡的徳能,什麼問題都能解決。所以這是古人,要找古人就對了。
文語文は正に彼らの智慧、情報を後世に伝える為なのです。なぜでしょう?言語は変化するからです。私たちの話を見ても、三十年前と現在とでは同じではありません。言語は変わります。しかし文語文は変わりません。ですから古人は一つの方法を考え出しました。移り変わりの中で永遠に変わらない方法を考え出しました。それで伝えることができたのです。私たちは今日『論語』を読めば、孔子の説く意味が理解できます。それならどうして未だに理解できないのでしょう?それは仏法で説かれているように、その人に障碍があるからです。その人に障碍があれば、孔子が直接教えても理解することはできません。その障碍とは何でしょうか?仏法では業障と言います。特に三重障、三種類の最も重い障碍です。第一に傲慢、第二に嫉妬、第三に貪欲です。この三つがあるだけで、あなたは見ても聴いても理解できません。つまり愚かだと言うことです。この三つを放下すれば、道理を理解することができます。真に理解することができます。あなたが放下すればするほど、より多く見ることができます。そのことに際限はありません。ですから古書は仏経に限らず、孔孟の典籍『論語』や『孟子』を開けば、その味わいは尽きることが無く、どの字の中にも計り知れない意味が含まれています。ただ清浄心を用いて、妄想せず、分別せず、執着しなければ、読むほどに味わいがあり、読むほどに深く入ることができます。中に含まれている無尽の智慧、無尽の徳能は、どのような問題も解決することができます。これが古人であり、古人に頼るのが正解なのです。

【司会者】:我這樣來體會一下您的意思,您的這番話,是不是這些提這樣疑問的觀眾,或者是這些外國人,他們應該想一想,為什麼一個東方的老人他能知道這個答案?可能這個答案跟東方有關係,就是跟中國傳統的智慧有關係。
私は老法師のお話をこうして伺っておりますと、老法師のお話は聴衆、或いは外国人たちにこのような疑問をもたせるのではないでしょうか。彼らはおそらく、「どうして東方のご老人が答えを知っているだろう?おそらくその答えは東方と関係がある。つまり中国伝統の智慧と関係があるのではないか。」と思っていることでしょう。

【浄空法師】:對,確實這也沒有想錯。但是西方人同樣有東方人的智慧,為什麼?我們中國老祖宗,五千年前就講「人性本善」,他是人,他就有性。「人之初,性本善」,不分中國人、外國人,不分古人、今人,都一樣的。善這個字裡頭包含的味道就長了,包含的是大圓滿,智慧圓滿、徳能圓滿、相好圓滿,這佛經上說的一點都不錯。
そうです。確かにその考えも誤りではありません。しかし西洋人にも東洋人と同様に智慧があります。なぜでしょう?中国のご先祖様は、五千年前に「人性本善」(人の本性はもともと善である)と説かれています。人には性(本来の性質)があります。「人之初,性本善」(人は生まれつき、その本性は善である)【注1】というのは、中国人も外国人も区別はなく、古人と現代人の区別もなく、皆同じです。善という字にはたくさんの意味が含まれています。含まれているのは大円満であり、智慧の円満、徳能の円満、相好【注2】の円満です。これは仏典に説かれていることで、全く誤りはありません。
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 【注1】 「人之初,性本善」・・・・『三字経』の冒頭の一節。
 【注2】 相好(そうごう)・・・・仏の身体に備わっている特徴のこと。
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【司会者】:那就是天災人禍迫在眉睫,實際上這個事情應該很多人都知道。
それでは天災と人災が目の前に迫っているということは、実際には多くの人が知っているはずではないでしょうか。

【浄空法師】:這事很多人不知道。
この事は多くの人は知りません。

【司会者】:是。
そうなのです。

【浄空法師】:他真的不知道,他自己在造,但他自己不知道。什麼人知道?心地清淨的人知道,也就是心地清淨他不造業,他在外面旁觀就清楚了。心地染污,就是心有真假、有淨穢(清淨跟污穢)、有善惡、有利害、有得失,他就看不見了。這叫妄念,這不叫真心,真心裡頭沒有這些東西。如果你能把這些妄念去掉之後,你真心現前,那就什麼都清楚、什麼都明瞭。你看到古人的東西就是我們自性,所以它好在哪裡?它不是他的發明,它不是他的創造。所以我們讀《論語》,我最欣賞夫子兩句話,「述而不作,信而好古」。述而不作就是夫子一生沒有創造、沒有發明,現在都要搞新的東西,要創造發明,夫子沒有。你看信,對古聖先賢他有信心,喜歡古人的東西。古人的東西就是自性,自性是圓滿的,像個圓球一樣,圓球上你能加什麼東西?加不上。你加一點多餘的。
本当に知りません。自分が造り出しているのに、その人自身が知らないのです。誰が知っているのでしょうか?心が清らか(清浄)な人は知っています。心の清らかな人は業を造ることがないので、外で観察していればすぐに分かります。心が煩悩に穢れて、つまり真偽、清浄と汚穢(おわい=穢れ)、善悪、利害、得失があるなら、その人には見えません。これを妄念と言います。真心(=心の本性)とは言いません。真心の中にはそのようなものはありません。もしこれらの妄念を捨て去れば、あなたの真心は回復します。そうなれば何もかもがはっきりし、何もかもが明瞭になります。あなたが見る古人の智慧は、正に私たちの自性【注1】なのです。その長所はどこにあるのでしょうか?それは古人が発明したのではありません。それは古人が創造したのではありません。ですから『論語』を読むと、私は孔夫子の二句、「述而不作,信而好古」(述べて作らず、信じて古を好む)【注2】が最も素晴らしいと思っています。述べて作らずとは、孔夫子は一生何も創造せず、何も発明していないということです。現代では新しいものを作ろうとし、発明しようとしますが、孔夫子はそうではありません。「信じる」というのは古の聖賢に対する彼の信心であり、古人のものを好んでいました。古人のもの、それは自性です。自性は円満であり、真球と同じようなものです。真球に何かを加えることはできるでしょうか?できません。少しでも加えれば余計なのです。
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 【注1】 自性(じしょう)・・・各人に内在する真如(しんにょ=宇宙の根源的な存在、永久不変の真理)、真心のこと。本来具えている性質。
 【注2】 述べて作らず、信じて古を好む。・・・(古人の教えを)語り伝えるだけで新たな創作はせず、古い教えを信じてそれを好んでいる。(『論語』述而)
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【司会者】:就不是圓球。
それでは球ではなくなりますね。

【浄空法師】:對,不是圓球了。
そう。球ではなくなります。

【司会者】:不圓滿了。
円満ではなくなってしまいます。

【浄空法師】:你缺一點也不行,所以圓是達到究竟,不能加一點,也不能減一點,你還有什麼創造?還有什麼發明?都圓滿了。古聖先賢圓滿,你自己也達到圓滿,跟古就合而為一,跟今也合而為一了。
少し欠けても駄目なのです。ですから球は究極に達していて、少しも加えることはできず、また少しでも減らすことはできません。他に何を創造しようというのでしょうか?まだ何を発明するのでしょうか?すべて円満なのです。古の聖賢は円満であり、あなた自身も円満に達すれば、古と一つになり、また今とも一つになるのです。

【司会者】:現代人都看不起古人。
現代人は皆古人を見下しています。

【浄空法師】:這叫傲慢!
それは傲慢と言うものです!

【司会者】:有這個傲慢。
その傲慢があるのです。

【浄空法師】:就不行了。為什麼?自性裡頭沒有傲慢,傲慢一生起來,你自性就見不到了。
それでは駄目です。なぜでしょう?自性の中には傲慢はありません。傲慢が生じれば、あなたの自性は消えてしまいます。

【司会者】:我們來看剛出生的孩子,是不是就已經很接近這種狀態?他沒有傲慢,他也沒有貪。
私たちは生まれたばかりの子どもを見ると、すでにそのような状態に近いのではないでしょうか?傲慢ではなく、貪りもありません。

【浄空法師】:有是有,但是沒有緣把他促成現行。他有因,因要有緣才會有果,這個果就是他發作,他還沒有這個緣。這個佛法裡面講得很透徹,傲慢,對於我的執著就是我執、傲慢、貪愛、愚痴,這佛法叫四大煩惱,這叫根本煩惱。
あるにはあります。しかし、それを行わせる縁がないのです。子どもには「因」があり、「因」は「縁」があってはじめて「果」を生じます。その果はその人が発したものですが、まだその縁がないのです。この事は仏法では透徹して説かれています。「我」に対する執着は我執・傲慢・貪愛・愚痴であり、これを仏法では四大煩悩と言います。これを根本煩悩と言います。

【司会者】:貪瞋痴慢。
貪瞋痴慢。【注】
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 【注】 貪(とん=貪欲)。瞋(じん=怒り)。痴(ち=愚かさ)。慢(まん=傲慢)。
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【浄空法師】:對。貪瞋痴慢加一個我。
そうです。貪瞋痴慢に「我」を加えます。

【司会者】:我執。
我執(がしゅう)ですね。

【浄空法師】:我,執著我,我是第一個錯誤的觀念,有我就有貪瞋痴。
「我」は自分に執着します。「我」とは最初の誤った観念であり、「我」があれば貪瞋痴が生じます。

【司会者】:他表現出來就是自私自利。
その表れがつまり私利私欲ですね。

【浄空法師】:對,所以他一定要教。為什麼會有這個情形?佛法裡面就講得深了,這是高深的哲學跟高深的科學。這講宇宙怎麼來的?我從哪裡來的?你看這個問題,古今中外多少哲學家、科學家連神學家到現在都沒有定論,可是佛法有。
そうです。ですから必ず教えなければなりません。なぜこのような情況になったのでしょうか?仏法では深く説かれています。これは高尚で深い哲学であり、科学です。宇宙はどこから来たのでしょうか?私はどこから来たのでしょうか?これらの問題は、古今東西数多くの哲学者、科学者、神学者でさえ今に至るまで定説はありません。しかし仏法にはあるのです。

【司会者】:所以我們這次要特別向您請教,科學家也沒有預測出來,經濟學家也不知道。現在葛林斯潘都在反省,各國的政要是措手不及,突然來了這麼一個災難。一個東方的老人,八十二歲高齡的一位出家人,用中國傳統的智慧,五個月前就告訴大家了,他們理解不了這是怎麼回事?這個人他怎麼能知道?
ですから私たちは特に老法師に教えを請いたいのです。科学者にも予測できず、経済学者にも分かりません。今ではグリーンスパン(Alan Greenspan、第13代FRB議長)も反省していて、各国の政府要人は、突然やって来たこの災難に対処する暇もありません。一人の東方のご老人、それも八十二歳のご高齢の出家僧が、中国伝統の智慧を用いて五箇月前に皆に告げましたが、彼らは何の事なのか、どうして分かるのか理解できませんでした。

【浄空法師】:東方的聖人跟佛陀確實是獲得了圓滿的智慧。這個圓滿的智慧,中國古人雖然沒有講悟入本性,但是他有這個意思,沒有這個言語,有這個意思。佛法就說得很清楚,明心見性。這性是什麼?性是宇宙的本體,哲學裡面講的本體。宇宙就是性,我們講「人之初,性本善」,那是性。性是能生、能現、能變,宇宙跟我們的人身是所生、所現、所變。但哲學裡面講的它能不是所,所不是能。譬如說父子,兒子是父親生的,可是父親是父親,兒子是兒子,能生跟所生它不是一樁事情。可是在佛法上不是這樣的,佛法講能生跟所生是一,所以歐陽竟無說「佛法不是哲學」。
東方の聖人と仏陀は確かに円満の智慧を獲得していました。その円満の智慧について、中国の古人は本性に悟入することを説いてはいませんが、その意味は含まれています。言葉はありませんが、その意味はあるのです。仏法では明確に説かれています。「明心見性」です。この「」とは何でしょうか?「」とは宇宙の本体です。哲学で説かれる本体のことです。宇宙は正に「性」であり、私たちは「人之初,性本善」(人の本性はもともと善である)と言いますが、それが「性」なのです。「性」は生み出すことができ(能生)、現れることができ(能現)、変化することができ(能変)ます。宇宙と私たちの人身は、生み出されたもの(所生)、現れたもの(所現)、変化したもの(所変)です。しかし哲学では、「できるもの(能=主体)」は「できたもの(所=客体)」ではなく、「できたもの(所=客体)」は「できるもの(能=主体)」ではありません。
例えば親子で言えば、息子は父親から生まれました。しかし父親は父親であり、息子は息子です。生み出すもの(能生)と、生み出されたもの(所生)は一つの事ではありません。しかし仏法ではそうではなく、生み出すもの(能生)と、生み出されたもの(所生)は一つであると説かれています。ですから欧陽竟無は「仏法は哲学ではない」と言っています。
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 【注】 「能生」と「所生」について、筆者の現状での解釈を記しておく。
  能生(のうしょう)・・・この世界を生み出す主体。宇宙・万物の本体。性(=自性)。
  所生(しょしょう)・・・この世界に生み出された客体。相。一切の現象。
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【司会者】:哲學是講二。
哲学では二を説いています。

【浄空法師】:對,哲學是講能所,佛法裡頭沒有能所,也講能所,但是能所是一不是二。
そうです。哲学は能所(のうじょ=存在の主体と客体)を説いています。仏法には能所はありませんが、能所についても説いています。しかし能所は一であり、二ではありません。

【司会者】:本質是這樣的。
本質はそのようなものなのですね。

【浄空法師】:所以佛法古大徳有個比喻用得好,他比喻以黃金,「以金作器,器器皆金」。他把黃金比喻作性,把器比喻作現相,這就好懂了,我用黃金做一尊佛像,那個能作的是黃金,所作的相還是黃金,它是一不是二。他用這個來比喻,就能比喻得恰當。所以性在哪裡?性就在相裡頭,相不離性,性不離相,性相是一不是二。
それで仏法の古の大徳は良い比喩を用いています。金の比喩を使って、「以金作器,器器皆金」(金を以て器を作る。器器皆金なり。)。 大徳は金を性の比喩として、器を相を現すものの比喩としました。これなら理解し易いです。金を使って仏像を作る際に、それを作ることができるのは金であり、作り出されたものもやはり金なのです。それは一であり、二ではありません。大徳はこのような比喩を用いました。これは適切な比喩です。性はどこにあるのでしょうか?性は相の中にあり、相は性を離れず、性は相を離れません。性と相とは一であり、二ではありません。

>>人類に降りかかる災難の根源とは何か 2/12 につづく・・・。
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