浄空法師説法研究

浄空法師の説法に学びながら、日本語に翻訳して紹介しています。

孔孟学説と大乗仏法で如何に社会問題を解決するか(下)

2011-09-13 | 【伝統文化の復興】


怎樣用孔孟學說跟大乘佛法解決二十一世紀的社會問題(下) / 
孔孟学説と大乗仏法で如何に社会問題を解決するか(下)

文摘恭錄—淨土大經解演義(第八十五集)2010/7/20

我說我提出這個問題,我講到儒釋道,你們肯定立刻就想到,說儒你就會想到四書五經十三經對不對?他們點頭。講到佛,你一定就想到《華嚴》、《法華》、《般若》,這些大乘經­典;講到道,你就想到老莊。沒錯,我說那些是什麼?那些是儒釋道的花果,開花結果,很漂亮、很好看,這個東西對現前社會能不能解決問題?不能。
私はこの問題を提示してから、儒教・仏教・道教の話をしました。あたながたは儒教と言えばすぐに四書五経、十三経を思い出しますね?彼らは頷きます。仏教と言えば、必ず『華厳経』、『法華経』、『般若経』などの大乗経典を思い出し、道教と言えば老荘を思い出します。その通りです。それらは何でしょうか? それらは儒教・仏教・道教の花と果実、開花した結果です。とてもきれいで見栄えがします。しかしこれらは現代社会において問題を解決できるでしょうか?できません。

湯恩比的話沒說錯,你要曉得­,像植物一樣,花果從哪來的?在樹上長的。花果長在枝條上,枝條長在樹幹上,樹幹長在根本上,你一層一層去挖掘,到最後什麼東西最重要?根。儒的根是什麼?道的根是什麼?­佛的根是什麼?你抓到根它會發芽、它會壯、它會成長、它會開花結果。
トインビーの話は間違ってはいません。植物と同じです。花や果実はどこから来るのでしょうか?樹木から育ったものです。花や果実は枝にあり、枝は樹木の幹から伸びたものです。少しずつ掘り下げていけば、最後にある最も大切なものは何でしょう?それは根です。儒教の根は何でしょう?道教の根は何でしょう?仏教の根は何でしょうか?あなたが(それらの)根本を掴んでいれば、根は発芽し、すくすく育ち、開花するという結果をもたらします。

  現在怎麼樣?根沒有了,你們天天研究儒釋道,像花瓶裡的瓶栽沒根,死的,不是活的,所以變成了學術不管用。怎麼能解決問題?湯恩比沒說錯,我們要把儒釋道的根找出來,從根­本下手,那他的話就是真的,絕對不是假的,真能拯救二十一世紀社會病態,也能拯救地球的危機。儒的根《弟子規》,道的根《太上感應篇》,佛的根《十善業道》,這個東西重要­。
現代はどうでしょう?根がなくなりました。みなさんは毎日儒教・仏教・道教を研究していますが、まるで花瓶の植物に根がないようなものです。生きていなければ単なる学術に変わってしまい、役には立ちません。どのように問題を解決すれば良いでしょうか?トインビーの話は間違いではありません。私たちは儒教・仏教・道教の根を探し出し、根本から着手することです。そうすれば彼の話は真実になり、絶対に偽りにはなりません。真に二十一世紀の社会の病態を救うことができます。地球の危機を救うをことができます。儒教の根は『弟子規』、道教の根は『太上感応篇』、仏教の根は『十善業道』、これが重要です。

從前學儒、學佛、學道都是從這紮根,你不從這紮根的話你學什麼都沒用處。最後我告訴他們,我說我對你們很佩服,這真的不是假的,由衷之言。你們所學的,儒學、道學、佛學­,在外國人寫字不是從這面寫看到這邊來,儒學、道學、佛學。你們可以拿到博士學位,可以做名教授,可以做為歐洲漢學家,你們一生肯定不能像我這麼快樂,像我這麼自在、瀟灑­,你肯定沒有,你們一生肯定還是生活在煩惱的世界裡。
昔から儒教を学び、仏教を学び、道教を学ぶのは、すべてここから根を張ります。ここから根を張るのでなければ、何を学ぼうと使い物にはなりません。最後に私は彼らに言いました。私はあなたを感心しています。これは本当です。心からの言葉です。あなた方が学んでいるのは儒学、道学、仏学ですが、外国人は字を書くとき(右から左ではなく)左から右へ儒学(儒教学)、道学(道教学)、仏学(仏教学)と書きます。あなた方は博士号を取ることも、名教授になることも、欧州の漢学者になることもできるでしょう。しかしあなた方の一生は私のように幸せで、自在で、さっぱりとしてはいられないでしょう。あなた方は、間違いなく一生煩悩の世界を生活することになるでしょう。

大家都笑了。我說為什麼?我跟你們學的是相反的,你看反過頭來,你從這邊念過去,學佛、學儒、學道,不一樣,味道就不­一樣。學儒要學得跟孔子一樣,「學而時習之,不亦說乎」,快樂無比;學佛要學得跟釋迦牟尼佛一樣,法喜充滿,常生歡喜心;學道要學得跟老莊一樣,這是什麼?智慧。你們搞的­儒學、道學,那是知識,知識跟智慧是兩樁事情,知識解決問題能解決局部,而且帶很多後遺症;智慧解決問題能解決圓滿,沒有後遺症。
(そのように話すと)みなさん笑いました。なぜでしょうか?私が学んだものは皆さんとは相反するものだからです。反対に(右から左へ)読んでみると、学仏(仏に学ぶ)、学儒(儒教に学ぶ)、学道(道教に学ぶ)となります。(脚注)同じではありません。味わいが違います。儒教に学ぶなら孔子と同じように「学びて時に之を習う、また説(よろこ)ばしからずや」、この上ない喜びです。仏に学ぶのであれば、釈迦牟尼仏と同じように学ばなければなりません。法喜充満、常に歓びの心が生じます。道教に学ぶなら老荘と同じです。これは何でしょうか? これが智慧というものです。あなた方の儒学、道学、それは知識です。知識と智慧とはまったく異なるものです。知識は局部的にしか問題を解決できないうえ、多くの後遺症を伴います。智慧は問題を円満に解決することができて、後遺症はありません。

<訳者注>
浄空法師は説法の中で「仏学(仏教学)」と「学仏」との違いについてよく言及しています。漢字を逆さにしただけですが、「儒学」「道学」「仏学」は学術的な知識を学ぶことであり、反対に「学儒」「学道」「学仏」は学問に実践が伴うことだと解釈されています。
中国語は動詞のあとに目的語が来るので、「学儒」は儒教(孔子)に学ぶ、「学道」は道教(老荘)に学ぶ、「学仏」は仏(釈尊)に学ぶという意味になり、学術的な知識のみを学ぶ “○○学” という言い方と区別しています。


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