浄空法師説法研究

浄空法師の説法に学びながら、日本語に翻訳して紹介しています。

清浄心によって感応する

2011-09-07 | 【疑問に答える】


感應決定是清淨心 / 清浄心によって感応する (仏・菩薩と感応するには心が清らかでなければならない)
文摘恭錄—淨土大經解演義(第二三三集)2010/12/26 

感應決定是清淨心,寂滅,寂是寂靜,心地清淨,滅是一切念頭不生,這叫滅。我們常講起心動念滅了,不起心不動念,起心動念沒有了,諸位就知道分別執著當然更沒有。分別執著­是粗念,起心動念是細念,微細的念頭都沒有了,粗念當然沒有了,這是禪定的境界。什麼禪定?自性本定。惠能大師在開悟的時候說「何期自性本無動搖」,那就是自性本定。
感応は清浄心(清らかな心)にかかっています。寂滅の寂とは寂静、心が清らかなことです。滅とは一切の意識を起こさないこと、これを滅と言います。いつも話している「心を起こし意念を動かす」ことを滅して、心を起こさず意念を動かさなければ、心も意念もなくなります。皆さんお分かりの通り、分別、執着はもちろんなくなります。分別、執着は粗い意念ですが、心の起こりや意念の動きは細かい意念です。微細な意念がなくなれば、粗い意念は当然なくなります。これが禅定の境地です。禅定とは何でしょうか? 「自性本定」(自性は本来定まっている)(脚注1)。恵能大師は開悟したときに「何期自性 本無動搖」(自性は本来動揺しない)(脚注2)と言いました。それが「自性本定」です。

這一­句話非常重要,說明我們的心本來是寂靜的。那我們要靜下來,什麼念頭都放下了,靜下來就與自性相應。雖然不是完全相應,這個方向像我們現在接收電波一樣,方向已經準確了,­跟性同一個方向,希望同一個方向之後愈來愈接近,這就是真功夫。
この言葉は非常に重要です。私たちの心は本来静寂だということです。それは私たちが心を静め、意念をすべて捨てて、静まれば自性と相応するということです。完全な相応(結びつき)でなくても、この方向は電波と同じようなもので、方向性はもう正しいのですから、性徳(脚注3)と同一の方向であれば、同一の方向になることを願ってより近づいていく、これが(禅定の)技量というものです。

所以我常常勉勵同修,也是勉勵我自己,佛家,特別是大乘佛法所講的功夫就是放下,開頭學習著放下執著,對­人不執著、對事也不執著、對一切萬物也不執著、對佛法也不能執著,這就對了;再放下分別、再放下起心動念,先從粗的放下,慢慢把微細的也能放下,就見性了。放下就是定,就­是這裡講的寂滅,寂滅程度不一樣,所以這個寂靜功夫就有高下之別。
ですから私はいつも皆を励まし、また私自身を励ましています。仏門、特に大乗仏法が説いているのは、放下(ほうげ)(脚注4)することです。最初に執着を放下することを学び、人に対して執着せず、物事に対しても執着せず、一切万物に対しても執着せず、仏法に対しても執着しない。それで良いのです。更に分別を放下し、更に心の起こりや意念の動きを放下します。先に粗いものを放下すれば、少しずつ微細なものを放下できるようになり、見性(脚注5)することができます。放下とは「定」のことで、ここで言う寂滅のことです。寂滅の程度は異なるため、寂静の技量には高低の区別があります。

<脚注>
1.「自性本定」
・・・・「定」とは心が静まり動かないこと。自性という本来備わっている性質は、本来静まって乱れることがない。(自性: そのものが本来備えている真の性質のこと)

2.「何期自性 本無動搖」・・・・何をか期せん自性(じしょう)本(もと)動揺無し。
  「自性は本来動揺しないとは!」、禅宗の第六祖・恵能大師が開悟した際の感嘆の言葉。

  何期自性 本自清浄  自性は本来清らかである
  何期自性 本不生滅  自性は本来生まれも滅びもしない
  何期自性 本自具足  自性には本来すべて備わっている
  何期自性 本無動搖  自性は本来動揺しない
  何期自性 能生万法  自性は宇宙万物を生み出すことができる

2.性徳(しょうとく)・・・・衆生が本性として具えている生まれつきの能力。自性と同義であろう。(筆者)

3.放下(ほうげ)・・・・一切の執着を捨て去ること。手放すこと。
      放下(執着を捨てること)は、定(不動心。心が静まり乱れないこと)である、と文中にある。

4.見性(けんしょう)・・・・自己に本来備わっている本性を見究めること。


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