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浄空法師説法研究

浄空法師の説法に学びながら、日本語に翻訳して紹介しています。

禅宗六祖 慧能大師

2018-05-05 | 【仏陀の教育】


禪宗六祖惠能大師 / 禅宗六祖慧能(えのう)大師
文摘恭錄—淨土大經解演義(第一四七集)2010/9/24 檔名:02-039-0147

中國人都知道,唐朝時候禪宗六祖惠能大師明心見性了。明心見性的人很多,能大師之前有,能大師之後也有,為什麼單單提他,不提別人?他很特別,因為他不認識字,沒念過書,佛門裡成了祖師,一天經也沒聽過。有沒有去念過一天佛?沒有。有沒有去禪堂裡坐坐香坐一天?也沒有。這憑空你看五祖把衣缽傳給他,他做了第六祖,這在中國找不到第二個人,只有這一個,六祖之前沒有,六祖之後也沒有,太特殊了。而且年紀很輕,五祖傳法給他的時候他二十四歲,那時候五祖是老人,二十四歲年輕的小朋友,傳給他。他真開悟了,不是假的,五祖在方丈室,半夜三更給他講《金剛經》大意,肯定沒有經本,他不認識字,不需要經本,講到「應無所住,而生其心」,他就豁然大悟,就通了,這一悟全明白了。我們剛才講體相用,那個悟是作用,這一悟,性體明白了,法相明白了,就是諸法之體相統統明白了。
中国人は皆知っています。唐朝の頃、禅宗六祖の慧能(えのう)大師は明心見性しました。明心見性した人はたくさんいます。慧能大師の前にもいました。慧能大師の後にもいます。なぜ慧能大師ばかりを取り上げて、他の人を取り上げないのでしょうか?彼は特別だからです。彼は文盲(もんもう:文字の読み書きができないこと)で書物を読んだことがありませんが、仏門で祖師になりました。一日も経を聞いたことがありません。一日でも念仏したことがあったでしょうか?ありません。禅堂に行って一日でも坐禅したことがあるでしょうか?それもありません。何のよりどころもなく五祖は衣鉢を彼に伝えました。彼は六祖になりました。これは中国で二人目はいません。この一人だけです。六祖の前にはおらず、六祖の後にもいません。大変に特殊なのです。しかも年齢も若く、五祖が彼に法を伝えた時、彼は二十四歳でした。その時五祖は老人で、二十四歳の若者に伝えたのです。彼は真に悟りを開きました。偽りではありません。五祖は方丈室で夜半の三更(さんこう:深夜0時から2時)に『金剛経』の大意を彼に説きました。経本はありません。彼は文盲ですから、経本は必要ありません。「応(まさ)に住する所無くして、しかも其の心を生ずべし」(応無所住,而生其心)まで説いた時、彼は忽然と大悟しました。通りました。この悟りですべてが明らかになりました。私たちは先ほど「體相用」を講じました。その悟りとは作用です。この悟りで、性體を理解しました。法相を理解しました。諸法の體相をすべて理解しました。

這種能力是自性裡頭本有的,我們為什麼開不了悟?釋迦牟尼佛在《華嚴經》上說得很清楚,他說「一切眾生皆有如來智慧德相,但以妄想執著而不能證得」,你看講得多清楚。也就是諸佛如來所悟的諸法實相,剛才講的體相用,體是自性,相是法相,用是覺悟,全都有,自性裡頭具足。所以惠能大師的報告,「何期自性,本自具足」,不是從外頭來的,無量的智慧、無量的德能、無量的相好,統統有。為什麼沒有了?是因為你有妄想分別執著,這都叫煩惱,妄想叫無始無明,也叫無明煩惱,分別叫塵沙煩惱,執著叫見思煩惱,這是大小乘經上常講的。只要你把這三種煩惱放下,你就成佛了,你就跟釋迦、跟惠能、祖師大德一模一樣,就契入境界了。難在哪裡?難在我們不肯放下,不是不能放下。釋迦牟尼佛能,菩提樹下入定放下了,為我們表演的大徹大悟;惠能大師放下了,明心見性,見性成佛。他們能,我們為什麼不能?原因就是佛說的,我們對事實真相沒搞清楚,這個所有現象假的,《金剛經》上說得好,中國人喜歡《金剛經》是因為五祖傳給六祖惠能是用《金剛經》,惠能大師在《金剛經》上開悟,所以這部經就被佛門弟子奉為第一寶典,是這麼個道理。《金剛經》在中國兩千多年就度了一個惠能大師,他成就了。是不是第一寶典?一切經統統是第一寶典,得要契機才行,惠能那是上上乘根機,不是普通的。
このような能力は自性(じしょう)の中にもともとあるものです。私たちはなぜ悟りを開けないのでしょうか?釈迦牟尼仏は『華厳経』の中で明確に説かれています。彼は「一切衆生は皆如来の智慧・徳相を具えている。ただ妄想・執著によって証得することができない」(一切衆生皆有如来智慧徳相,但以妄想執著而不能證得)と説かれています。どれほど明確に説かれていることでしょうか。諸仏如来の悟る所の諸法実相は、――先ほど話した「體相用」、體は自性、相は法相、用は覚悟(かくご:悟ること)――すべてあります。自性の中にすべて具足しています。ですから慧能大師の報告「何をか期せん、自性もと自ずから具足することを」(何期自性,本自具足)、これは外から来るのではありません。無量の智慧、無量の徳能、無量の相好、すべてあります。なぜ無くなったのでしょうか?あなたに妄想・分別・執著があるからです。これらはすべて煩悩と言います。妄想は無始無明、または無明煩悩と言います。分別は塵沙煩悩と言います。執著は見思煩悩と言います。これは小乗・大乗の経によく説かれているものです。あなたはこの三種類の煩悩を放下しさえすれば、仏に成ります。あなたは釈迦、慧能、祖師大徳とまったく同じになります。境界(きょうがい:境地)に入ります。難しいのはどこでしょうか?難しいのは私たちは放下しようとしないことです。放下できないのではありません。釈迦牟尼仏にはできました。菩提樹の下で入定し、放下しました。私たちのために大徹大悟を演じて下さいました。慧能大師は放下して、明心見性、見性成仏されました。彼らは出来ました。私たちはなぜ出来ないのでしょうか?原因は仏が説かれています。私たちは事実の真相が明瞭ではありません。このすべての現象は偽りです。『金剛経』に説かれています。中国人が『金剛経』を好むのは五祖が六祖慧能に伝えるのに用いたのが『金剛経』だからです。慧能大師は『金剛経』で開悟されました。ですからこの経は仏門の弟子に第一の宝典として尊ばれています。このような道理です。『金剛経』は中国で二千年余りのうちに慧能大師一人を済度しました。彼は成就しました。第一の宝典なのでしょうか?一切の経はすべて第一の宝典です。契機を得てこそできることです。慧能大師は上上乗の根機(こんき:資質)です。普通の根機ではありません。


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