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浄空法師説法研究

浄空法師の説法に学びながら、日本語に翻訳して紹介しています。

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人類の知らない宇宙・人生の真相05/10

2013-09-30 | 調和が危機を救う

【司会者】:您說妄想是不是就更難了?
妄想(を断ち切ること)はもっと難しいのでしょうか?

【浄空法師】:這個難!這東西斷掉,斷掉剛才講了,佛就是修這個東西。這個東西就叫起心動念,什麼時候他到不起心、不動念,這個沒有了,四聖法界就沒有了,就跟六道一樣,它沒有了,出去了。出去之後這叫一真法界,就是禪宗裡面講「父母未生前本來面目」,你找到了,叫明心見性。你就完全回歸到自性,回歸到自性,你的生活空間就沒有限量了,所以遍法界虛空界是一個自己,你才能證實。我們用個很簡單的話、粗俗大家容易懂得,我們的身變成了遍法界虛空裡面的有形的物質現象,我們的心變成整個宇宙之間精神現象,到那個時候什麼是身?叫法身。整個宇宙是自己的身,整個宇宙裡面的見聞覺知是你的自性,所以你沒有一樣不知道的。
これは難しいです!これを断ち切れば、先ほど話しましたが、仏はこれを修めています。これを起心動念【注1】と言い、ある時その人が心を起こさず、念を動かさなくなれば、四聖法界はなくなります。六道と同じように、それがなくなります。離脱します。離脱した後、それを一真法界【注2】と言います。禅宗の中で言われる「父母未生前本来面目【注3】、あなたはそれを見つけます。これを明心見性【注4】と言います。あなたは完全に自性に回帰します。自性まで回帰すると、あなたの生活空間に限界はなくなります。ですから遍法界虚空界【注5】は一つの自分になります。あなたはようやく実証することができます。簡単な言葉で言えば、皆さん理解しやすいでしょう。私たちの身体は遍法界虚空界の中の有形の物質現象に変わり、私たちの心は全宇宙の精神現象に変わります。その時何の身体になるでしょう?それを法身と言います。全宇宙は自分の身体であり、全宇宙の見聞覚知【注6】はあなたの自性なのです。ですからあなたは何一つ知らないことはありません。
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 【注1】 起心動念(きしんどうねん)・・・・心の起こり、念の動きのこと。
 【注2】 一真法界(いっしんほっかい)・・・・唯一で真実な絶対無差別の宇宙の実相。永遠普遍の真理。
 【注3】 父母未生前本来面目(ぶもみしょうまえ、ほんらいのめんもく)・・・・両親も生まれる前から存在する、衆生が本来具えている心の本性。
 【注4】 明心見性(みょうしんけんしょう)・・・・自己に本来備わっている本性を透徹して見極め、明らかにすること。
 【注5】 遍法界虚空界(へんほっかい、こくうかい)・・・・因果に支配される全宇宙(法界)と、それを超越した根源的な真如の世界(虚空界)のこと。
 【注6】 見聞覚知(けんもんかくち)・・・・見る(眼識)、聞く(耳識)、覚る(鼻識・舌識・身識)、知る(意識)の六識の働きのこと。
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【司会者】:就像電腦連網一樣?
インターネットと同じように?

【浄空法師】:對,你不需要學習的,沒有過去、沒有未來,沒有遠、沒有近,它是一體,所以它是圓滿的,像個圓球一樣。你已經到了中心點了,到中心點在整個圓球裡面,球面、球邊全部跟你都連線了。所以佛跟我們講,我們每個人本來都是佛,就是妄想分別執著害了自己。這東西不是別人給你的,是你自己誤會造成,只要你哪一天覺悟,一放下就成佛了。
そうです。あなたは学習する必要はありません。過去はなく、未来はなく、遠近もなく、それは一体です。ですからそれは円満なのです。ちょうど円球と同じです。すでに中心点に至っています。円球全体の中心点に至ると、球面、球辺はすべてあなたと繋がっています。ですから仏は私たちに、私たちは誰もが皆、本来仏なのだと説かれています。妄想・分別・執着が自分を害しているのです。これは人があなたに与えたのではなく、あなた自身の誤解によって造り出されています。あなたがある日悟れば、放下した途端に仏に成ります。

【司会者】:一念之間?
一念の間ですね?

【浄空法師】:一念之間。但是我們迷得太深,迷的時間太久,知道這個道理,還是很不容易放下,所以佛有方便叫你慢慢放、天天放。你不要長,天天放,修行就是修這個。所以穿衣吃飯,穿衣也不必過分的講究,但是什麼?還要注重威儀,為什麼?你要做樣子給社會大眾看,那就不是為自己了,是為眾生,我穿得整齊清潔,做好樣子給他看。這是什麼?這是大慈大悲,這是教化眾生。所以飲食起居,你就做好樣子教人家。
一念の間です。しかし私たちの迷いは深く、迷いの時間は非常に長く、この道理を知っても容易に放下できません。ですから仏は方便を用いて少しずつ放下させ、毎日放下させます。増長させることなく、毎日放下させます。修行とは正にこれを修めるのです。ですから日常生活では、着る物も必要以上に重んじることはありません。しかし、やはり威儀を重んじます。なぜでしょう?(仏弟子としての)姿を社会の大衆に見せなければなりません。それは自分の為ではなく、衆生の為です。着る物を整えて清潔にして、良いお手本を人に見せるのです。これは何でしょう?これは大慈大悲であり、衆生の教化です。ですから飲食や立ち居振る舞いによって、良いお手本を人々に教えています。

【司会者】:穿衣吃飯、行住坐臥。
服装や食事、日常の振る舞い(行住坐臥)。

【浄空法師】:對,不錯,全都是佛法。
そうです。その通りです。すべて仏法です。

【司会者】:沒有一樣是為自己。
何一つ自分の為ではないのですね。

【浄空法師】:沒有一樣為自己。為什麼?人就是自己,那些人都在迷惑,我要怎麼樣幫助他覺悟?怎麼樣幫助他?我已經回頭了,我現在幫他回頭。
何一つ自分の為ではありません。なぜでしょう?人は自分だからです。それらの人は皆迷いがあります。自分はどのようにその人が悟るのを助けるのでしょうか?どう助けるのでしょうか?自分がすでに改心しているなら、今度は人が改心するのを助けます。

【司会者】:這個世界無量無邊,在《華嚴經》裡面「華藏世界品」、「世界成就品」當中講過這樣的話,就是太空中其實有很多痛苦的世界,還有很多極樂世界,像阿彌陀佛這樣的世界,實際上有很多很多。我們觀眾能否理解,這些世界實際上就是有生命的那些星球,可以這樣來理解?
この世界は無量無辺です。『華厳経』の「華蔵世界品」、「世界成就品」の中にはこのような話があります。それは宇宙には苦しみの世界がたくさんあり、更に極楽世界がたくさんあり、阿弥陀仏のような世界は実際にたくさんあるということです。私たち観衆は理解できるでしょうか。それらの世界は生命の住んでいる星々なのだと、そのように理解して良いでしょうか?

【浄空法師】:可以,而且每個星球裡面都有生命,剛才講了空間維次不相同。
良いです。しかもどの星にも生命があります。先ほど話したように空間次元が違います。

【司会者】:人類現在對太空的探索太初級了。
人類は今、宇宙の探索に関して非常に初歩的なのですね。

【浄空法師】:因為人類只在三維,你不能突破三維,你突破三維就不一樣了。
人類には三次元しかないからです。あなたは三次元を突破できません。あなたが三次元を突破すれば違ってきます。

【司会者】:您的意思就是說,實際上月球上是有眾生?
老法師の仰る意味は、実際に月の上に衆生がいるということですか?

【浄空法師】:有,當然有,怎麼會沒有?哪有沒有的?彌勒菩薩講的就清楚!「念念成形」,形就是物質世界,「形皆有識」,識就是精神世界。
います。もちろんいますよ。どうしていないことがあるでしょうか?いないなどということがあるでしょうか?弥勒菩薩は明瞭に説かれています!【注】念念成形」(すべての念は形を形成する)。形とは物質世界です。「形皆有識」(形には皆識がある)。識とは精神世界です。
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 【注】 「一彈指三十二億百千念,念念成形,形皆有識」。(『法苑珠林』第八巻)
指を弾く一瞬の間に三十二億百千もの念が起こり、すべての念は形を形成し、形にはすべて識(心の働き)がある。
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【司会者】:現在科學家發回來的消息,就是月亮上什麼生命都沒有。
現在の科学者が発表した情報では、月には何の生物もいません。

【浄空法師】:問題是三維,三維裡頭沒有,四維裡頭就有了。就好像我們看電視頻道一樣,你現在只看這一個頻道,有!其他的頻道都沒有,你要按準另外的頻道不就出現了嗎?
問題は三次元です。三次元にはいないのです。四次元の中にはいます。ちょうどテレビのチャンネルと同じように、あなたは今一つのチャンネルを見て、あると認識しています。その他のチャンネルはありません。しかし別のチャンネルを押すと、映らなくなるでしょう?

【司会者】:這個無量無邊的眾生,不僅僅是人肉眼能看得到的。
この無量無辺の衆生は、人の肉眼で見られるものだけではないのですね。

【浄空法師】:不是的,也是肉眼但是你肉眼同樣是一個眼睛,現在我們只能看到一定的波度,如果說所有波度都能看到,世界不就變了嗎?如果說我們眼睛能夠像X光能夠看得到的話,那我們看到人的五臟六腑不是全透明的嗎?不要用儀器。如果我們能夠看到紫外光,夜晚就清清楚楚的。
違います。やはり肉眼です。あなたの肉眼と同じ肉眼ですが、現在私たちは一定の波長しか見られません。もしすべての波長がすべて見られるなら、世界は変わるでしょう?もし私たちの目でX線を見ることができれば、人の五臓六腑はすべて透明になるでしょう?計測機器を使う必要はありません。もし私たちが紫外線を見ることができれば、夜でもはっきり見えます。

【司会者】:但是貓有這個能力,牠的眼睛很高級。
しかし猫にはその能力があります。猫の目は高級です。

【浄空法師】:對,所以有些動物跟我們不一樣,牠能夠突破某一種空間。你從這個道理,佛講人本能他什麼都看得見,沒有一種光波他是看不見的。
そうです。ですからある動物たちは私たちとは違います。彼らはある種の空間を突破することができます。この道理から、仏は人の本能は何でも見ることができると説かれています。一つとして見えない光波はありません。

【司会者】:被這三種擋住了。
この三つ(妄想・分別・執着)に覆われています。

【浄空法師】:對,沒錯,就是這三種障礙。所以妄想分別執著害慘了自己,不是害別人,與別人不相干。
そうです。その通りです。正にこの三つの障碍です。ですから妄想・分別・執着は、自分を害しているのです。他人ではないです。他人とは関係ありません。

【司会者】:千百年來學佛的人很多,尤其是很多高僧大、大居士,他們實際上都已經證得這個境界,所以才對佛法是無比的有信心。
千年来仏法を学ぶ人は多く、特に多くの高僧大徳、大居士たちは、実際にこの境界を証得されています。それが仏法に対する無類の自信となっています。

【浄空法師】:對,沒錯。
そうです。その通りです。

【司会者】:而且佛法有個特點它不用靠儀器,跟你的聰明程度沒有關係,你就按照這個方法去修戒定慧,放下妄想分別執著,你就能夠到月球上去,就能夠看得到。
しかも仏法にはある特徴があり、計測器具に頼らず、頭の良さの程度に関係なく、その方法に沿って戒・定・慧(戒律・禅定・智慧)を修めて、妄想・分別・執着を放下すれば、月に行くことができ、見ることができる。

【浄空法師】:對,沒錯。而且更現實的,只要真正勤修戒定慧,息滅貪瞋痴,什麼災難都沒有,什麼病苦也沒有。你說你要擺脫貧窮,真的貧窮擺脫了,確實它能解決問題。誰修誰得,公修公得,婆修婆得,不修就不得。
そうです。その通りです。しかも更に現実的には、ただ本当に戒・定・慧を修め、貪瞋痴を滅すれば、どんな災難もなくなります。どんな病苦もなくなります。あなたが貧窮から抜け出そうと思えば、本当に貧窮から抜け出せます。確かに問題を解決できます。修めた人が得るのです。夫が修めれば夫が得ます。妻が修めれば妻が得ます。修めなければ得られません。

【司会者】:不用像現在人們這麼辛苦。
今の人々のように苦労する必要はないのですね。

【浄空法師】:哪有那麼辛苦!辛苦他得不到!這不辛苦他會得到。
どうしてそのような苦労をするのでしょう!苦労すれば得られません!これは苦労せずに得られます。

【司会者】:很多人看到您老人家做出這個榜樣,非常有信心,您老都快八十三歲了,據說有的時候醫生給你檢測身體,發現您身體機能四、五十歲的樣子。
多くの人は老法師がお手本を示されているのを見て、とても自信になっています。老法師はもうすぐ八十三歳になられます。聞くところによれば、医者が身体検査をしたところ、老法師の身体の機能は四、五十歳の状態であることが分かったそうですね。

【浄空法師】:對,我是驗血的時候,二00二年我移民到澳洲,移民到澳洲需要檢查身體,我從來沒有檢查過身體。所以那次檢查是個印度醫生,他給我檢查了二十分鐘,跟我聊天聊了一個多鐘點。他檢查之後告訴我,他說:你的血液是三十歲人的血液。他說:你身體很健康以後不要檢查了。
そうです。私は血液検査の時・・・、二〇〇二年に私はオーストラリアに移民したのですが、移民には身体検査が必要でした。私はそれまで身体検査をしたことがありませんでした。その時検査したのはインドのお医者さんで、彼は私を二十分検査して、一時間余り世間話をしました。検査の後で彼は私に言いました。彼は、「あなたの血液は三十歳の人の血液です」と言いました。「あなたの身体はとても健康なので、今後は検査しなくて良い」と言われました。

【司会者】:您的血液情況相當於三十歲人的狀況。
老法師の血液の状態は、三十歳の人に相当するのですね。

【浄空法師】:對,我自己從來沒想過,都忘掉了,沒有這個觀念。
そうです。私自身考えたこともありませんでした。すべて忘れて、そのような観念はありません。

【司会者】:現在人都是念念都要想自己。
現代人はいつも自分のことを考えています。

【浄空法師】:念念想自己,念念就衰老,我老了。所以我常講,這我講經講多少次,我二十六歲學佛,我還沒有辦法永遠保持到二十六歲,還跑到三十多歲。對,如果你什麼時候開始覺悟,你就停在那個階段,你永遠不會衰老。
いつも自分のことを考え、老いることを考えれば、老いるでしょう。私はいつも言っています。これは講経で何度も話しています。私は二十六歳で仏法を学び、まだ永遠に二十六歳を保つことはできませんが、まだ三十数歳というところです。もしあなたが悟り始めたなら、あなたはその段階に留まり、永遠に老いることはありません。

【司会者】:就停止了、就不動了。
つまり停止して、動かなくなるのですね。

【浄空法師】:對,不錯,是!
そうです。その通りです。

【司会者】:這麼神奇!
それは不思議なことですね!

【浄空法師】:不是,是你意念改變你體質,就這麼個道理。你為什麼會老化?老化從哪裡老化?念頭老化。你從一個地方可以很明顯體驗,我有些同學、朋友,過去在台灣的,平常工作他們地位很高,工作很勤奮,年齡到了退休下來,一退休沒有事情幹就老了,兩年沒有見面好像隔了二十年一樣。為什麼?他工作的時候沒有想到老,一退休就我老了,一天比一天衰老,一年比一年衰老,真的一年等於十年。一見面我說怎麼會變成這個樣子?所以他們跟我見面,你怎麼好像還很年輕沒有衰老?我沒有想過老。那你天天想老,怎麼會不老?你天天想病,怎麼會不生病?一切法從心想生,天天想死怎麼會不死?就這個道理。
違います。あなたの意念があなたの体質を変えるのです。この道理です。あなたはどうして老化するのでしょうか?老化はどこから老化するのでしょうか?思考から老化します。ある所から明らかに実感します。昔台湾にいた私の友人たちは、職場の地位も高く、仕事に精を出していました。年を取って定年退職すると、何もすることがなくて老けて来ます。二年会わずにいたら二十年振りに会ったかのようでした。なぜでしょう?彼は仕事をしていた時は年を考えませんでした。退職して年を考えると、年々老けていき、本当に一年が十年に等しいほどです。会った時に私は、どうしてこうなってしまったのかと言いました。彼らは私と会って、どうしてまだ老けていないのかと言いました。私は年を考えたことはありません。毎日年を考えていれば、どうして年を取らないことがあるでしょうか?毎日病気を心配していれば、どうして病気にならないことがあるでしょうか?すべては心から生じます。毎日死を思っていれば、どうして死なないことがあるでしょうか?この道理です。

【司会者】:境由心轉,通過剛才那個體檢結果,能不能說三十多歲的血液,那就說明在那個時候放下這些了,身體的機能它就保持在那個狀態?
境は心によって転じる。先ほどの身体検査の結果を通して、三十数歳の血液というのは、その当時にそれらを放下したから身体の機能が保たれていると言えるのでしょうか?

【浄空法師】:我不是一個上根人,像惠能很了不起,他是上根人,他能一下放下,我是慢慢放,一年比一年放得多,這個知道。為什麼?煩惱一年比一年少,智慧一年比一年長。從什麼地方看出來?同學聽我講經會聽得出來,你看我每年講的不一樣。我學經教在台中十年,老師不准我記筆記,我們等於是傳法的學生,上課我們坐在第一排面對著老師,我是面對他頭一個。我有同學他們寫筆記,他不干涉。我寫筆記寫過幾次,他把我叫到房間問我,他說你聽經寫什麼?我說寫筆記。他說你寫這有什麼用處?我說怕忘記!你到明年,你的境界往上提升,一點用都沒有。有道理!是有道理。所以他以後告訴我,不要寫,專心聽,聽懂多少你就悟多少,不再記東西。旁邊那個同學?那個同學沒有悟性,他全靠記憶,所以他筆記是一大堆一大堆。講經完全照筆記講,漏掉了一句,這句漏掉了、忘掉了,不知道老師怎麼講的了?就這樣子。可是我講經是活的,我能懂得老師講的意思,我能把他的意思說出來,但不是他的言語。
私は上根の人ではありません。慧能のような人は優れています。彼は上根の人で、一度に放下できました。私は少しずつ手放して、年々多く手放しています。これは分かります。なぜでしょう?煩悩が年々少なくなり、智慧が年々増えているからです。どこに見られるでしょうか?学生が私の講経を聞いていれば分かります。私は毎年話すことが違います。私は台中で十年経教を学んだのですが、老師は私がノートをとることを許しませんでした。私たちは法を伝える学生と同じで、授業は一列目に座って老師と向き合います。私は最初に老師と対面します。私の同級生たちはノートをとっていましたが、老師は干渉しませんでした。

私は何度かノートをとりましたが、老師は私を部屋に呼んで、「経を聞いて何を書いているのか」と聞きました。私は「ノートをとっています」と答えました。老師は「書いて何の役に立つのか」と聞くので、私は「忘れない為です」と言いました。老師は「君は来年になれば境地が上がるから、何の役にも立たない」と言うのです。道理があります!老師はその後、「書かずに、聞くことに専念しなさい」と言いました。聞いてどれくらい理解したかによって、あなたはその分だけ悟ります。それ以降は記録しなくなりました。隣の学生はどうでしょう?その学生には悟性(呑み込み)が悪く、すべて記憶に頼っていました。ですから彼のノートは山ほどありました。講経は完全にノートに照らして行い、一句でも漏れがあると、忘れてしまい、老師がどのように話したか分かりません。そんな状態です。しかし私の講経は生きたものです。私は老師が話された意味を理解できるので、私は老師の意味を話すことができます。しかし老師の言葉ではありません。

【司会者】:假如說有這樣的人,譬如說她是女兒或者兒子,他提這樣的問題,假如說有的老媽媽六十歲開始放下,她的身體狀況能真的永遠保持六十歲?
例えばこのような人がいるとします。例えば娘か息子がいて、息子がこのような質問をします。ある初老の女性は六十歳から放下し始めるとします。彼女の身体の状態は本当にずっと六十歳を保てるのでしょうか?

【浄空法師】:沒錯,是這樣的。
その通りです。そういうことです。

【司会者】:她活到一百歲,一體檢還是六十歲?
百歳まで生きても、身体検査をすると六十歳なのでしょうか?

【浄空法師】:對,不錯。真的,那一點不假。
そうです。その通りです。本当です。まったく偽りではありません。

【司会者】:那不成永遠年輕了嗎?
それでは永遠に若くいられるのではないでしょうか?

【浄空法師】:對,而且真有功夫的話,他還能夠再提前,他六十推到五十,五十推到四十,他有這個能力。很簡單一個道理,就是你的整個身體組織可以重新再來。
そうです。しかも本当に実力があれば、さらに若くなります。六十が五十になり、五十が四十になります。このような能力があります。簡単な一つの道理です。つまりあなたの全身の組織を新たに作り直すことです。

【司会者】:那不是愈活愈年輕,有這個話嗎?
それでは生きれば生きるほど若くなってしまいます。そのような話があるのでしょうか?

【浄空法師】:愈活愈年輕,愈活愈活潑,這是真的,絕對不會有老化。
生きれば生きるほど若くなり、生きれば生きるほど活発になります。これは本当です。絶対に老化しません。

【司会者】:人人都可以實驗,都可以自己證得嗎?
誰でも実験できて、自分で証得できるものでしょうか?

【浄空法師】:人人都可以做得到,就怕你自己不肯幹。
誰でもできます。ただあなた自身がやろうとしないだけです。

【司会者】:前提是得相信。
前提として信じなければなりませんね。

【浄空法師】:對,是!所以我的一個好處,沒有別的,就是聽老師的話,對老師一點懷疑都沒有。老師,因為都是比我大,而且都像我的父親、祖父一樣,那樣的對待我。我跟老師,那時候我非常窮困,對老師一分供養都沒有,只是尊敬、只是聽話依教奉行,所以他們就認真教我。他教我為的是什麼?絕對不是為學費,而是我們以後能體驗到,教學的人,無論是道學、是世間學術,他一生最難得的是要找個傳人。我們中國人講「不孝有三,無後為大」,教學的人沒有繼承的人,那是很可悲的,他要有人能繼承,他要找到一個繼承人,他就不會把他放鬆。我們當時也不知道,這是中國人講的師道,憑的是什麼?就是對老師的尊敬。
そうです!ですから私の一つの長所は他でもありません。それは老師の話を聞くことです。老師に対して少しも疑いを持ちません。老師は、私より年長です。しかも私の父親、祖父と同じように、私に接して下さいました。その当時私は非常に困窮していて、老師に一銭の供養もできませんでした。ただ尊敬して、ただ話を聞いて、教えの通りに実行しました。ですから老師たちは真剣に教えて下さいました。老師が私を教えるのは何の為でしょうか?絶対に学費の為ではありません。私たちは後になって経験したのですが、教学する人にとって、道学であろうと世間の学術であろうと、一生で最も得難いのは継承者を探すことなのです。私たち中国人は「不孝有三,無後為大」(親不孝には三つあり、跡継ぎがいないことが最も大きい)と言います。教学する人は継承する人がいなければ、それは悲しむべきことです。彼には継承する人が必要です。彼は継承する人が見つからなければ、安心することはできません。私たちは当時は分かりませんでした。これは中国人が言う師道です。何を頼りとするのでしょう?それは老師に対する尊敬です。


>>>人類の知らない宇宙・人生の真相06/10につづく・・・。
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/cddb25933d3adc2bd4bc2f0a6a4eec69


人類の知らない宇宙・人生の真相06/10

2013-09-30 | 調和が危機を救う

【司会者】:有的觀眾要提這樣的問題,看到這他非常有信心,他也有這個疑問,有的人就會問這個問題。那就專聽您老人家的講經光盤,我知道有很多,就這樣一直聽下去,認真的修學,放下貪瞋痴慢,一定是光明的前途?
ある視聴者はこのような問題を提起しています。彼は非常に信心深いようですが、彼もこの疑問をもっています。老法師の講経のDVDをよく聞いている方は、私もたくさん知っています。そのようにずっと聞き続け、真摯に修学して、貪瞋痴慢を放下すれば、必ず明るい前途があるのでしょうか?

【浄空法師】:沒錯,確實時間的累積,根性利的三、五年就有效果,根性鈍一點的,大概要七、八年,要十年,肯定效果就出來了。你要沒有耐心,這個東西絕對不是三天、五天,三個月、五個月不能那麼快。我告訴大家,我自己真正功夫到得力是三十年,所以我說我不是利根,我是很平常的人,但是我就是鍥而不捨,到今年是五十七年了。
その通りです。間違いなく時間の累積です。根性の優れた人は三年、五年で効果があります。根性のやや劣っている人は、だいたい七、八年かかり、十年すれば必ず効果が現れます。忍耐心がなければなりません。これは絶対に三日、五日、三箇月、五箇月というように早くありません。私は皆に言っています。私自身本当に技量を得たのは三十年です。ですから私は自分は利根【注】ではないと言っています。私は普通の人です。しかし私は粘り強く行います。今年で五十七年になります。
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【注】 利根(りこん)・・・・聡明で仏法を学ぶ資質が高いということ。
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【司会者】:您老講經已經五十年?
老法師は講経をして五十年になるのですね?

【浄空法師】:五十年,講經五十年。
五十年です。講経して五十年です。

【司会者】:五十年,您老講經已經五十年了。
五十年。老法師は講経して五十年になるのですね。

【浄空法師】:我是三十三歲出家,出家開始講經。
私は三十三歳で出家しました。出家してから講経を始めました。

【司会者】:這比釋迦牟尼佛還多了兩年。
これは釈迦牟尼仏よりも二年多いです。

【浄空法師】:釋迦牟尼佛四十九年,釋迦牟尼佛是三十歲開始到七十九歲。
釈迦牟尼仏は四十九年です。釈迦牟尼仏は三十歳から七十九歳です。

【司会者】:在佛經上我們看到過,釋迦牟尼佛講他是第八千次來到地球了,這一般人理解不了。
私たちは仏経で読んだことがありますが、釈迦牟尼仏は八千回地球に来ていると説かれています。これは一般人には理解できません。

【浄空法師】:對,是理解不了,如果你能夠到阿羅漢的境界,你就了解了。
そうです。理解できません。もしあなたが阿羅漢の境界に達すれば、理解できます。

【司会者】:理解不了,但是不要去說他們?
理解できなくても、彼らを言及してはならないのでしょうか?

【浄空法師】:對,不要去懷疑,為什麼?我們不能了解的事情太多了。佛今天講是非常符合科學的原則,他是叫你要實證,你自己要是不證得,你得不到受用。你光是聽他講的,那是耳聞,是別人的東西,你沒有嘗到味道。所以說食數寶,好像館子裡很多菜,你都能夠說得出來,你一口也沒吃到,佛是教你親口去嘗到,才算是你的。怎麼嘗到?放下就嘗到了。
そうです。疑ってはなりません。なぜでしょう?私たちが理解できないことは山ほどあります。仏は今日で言うなら、非常に科学の原則に適っています。科学はあなたに実証させます。自分で証得できなければ、ご利益を得ることはできません。あなたはただ仏の話を聞くだけでは、それは耳聞(じぶん)であり、他人のものです。あなたは味わうことはできません。ですから「説食数宝」(食を説き宝を数える。=実益の無いこと)です。ちょうどレストランにたくさんの料理があり、あなたはすべて説明できても、一口も食べられないようなものです。仏は自分の口で味わうことを教えます。それこそがあなたのものです。どうすれば味わえるのでしょう?放下すれば味わえます。

【司会者】:這跟您老講世間法、講社會上這些問題是一樣的,一定要自己做到。
これは世間の法、社会の様々な問題と同じであり、必ず自分で実行しなければならないということですね。

【浄空法師】:不錯。
その通りです。

【司会者】:現在最先進的科學證明,一粒沙子裡面至少有七千二百萬的三次方個原子,那我們大概匡算了一下,大概是三千七百三十二萬四千八百兆個原子。一粒沙子有這麼多原子,原子我們知道還不是最小的分子。佛法被尊稱為世間最偉大、最高端的科學,通過科學的實證有人就疑問,是不是在這一粒沙子裡面,藏著一個我們人類根本就不可想像、不可以知道的一個大千世界,有這種可能嗎?
今最先端の科学が証明しています。一粒の砂の中には少なくとも七千二百万の原子があります。それで私は概算してみたのですが、だいたい三千七百三十二万四千八百兆個の原子です。一粒の砂にはそれほど多くの原子があります。原子は最小の分子ではないことを私たちは知っています。仏法は世間で最も偉大であると言われ、最高峰の科学であると尊称されています。科学的な実験を通してある人は疑問を持ちます。一粒の砂の中に、私たち人類がまったく想像もつかない、知ることのできない一つの大千世界が隠されています。このような事があるのでしょうか?

【浄空法師】:有。而且科學它發現的還發現得非常粗糙,這沙子裡面最微細的一個原子裡面,含藏著有整個宇宙的信息,這在《華嚴經》上就看到。所以宇宙沒有大小,絕不是一顆原子的放大,不是的,宇宙也沒有縮小,它也沒有放大,它們兩個裡面的信息完全相同。
あります。しかも科学が発見したのはとても大雑把なもので、砂の中の最も微細な原子の中には、全宇宙の情報が隠されています。これは『華厳経』に見ることができます。ですから宇宙には大小はなく、絶対に一粒の原子を拡大したものではありません。そうではありません。宇宙は縮小もしなければ、拡大もしません。それら二つの中の情報は完全に同じです。

【司会者】:大小是分別的意思。
大小は分別の意味ですね。

【浄空法師】:對,不是對立的,所以佛法裡面大小是一如,這個很難懂。佛法裡頭沒有大小、沒有先後、沒有遠近,所以叫一真法界。
そうです。対立ではありません。ですから仏法の中では、大小は一如(同じ)です。これは理解し難いものです。仏法の中では大小はなく、後先はなく、遠近はありません。ですから一真法界と言います。

【司会者】:現在量子物理的科學家,他們都來證明有這個結果,說物質都是波動的現象、是空的,我們現在請您老給大家,也給科學家們講一講。譬如說打個比方像這枝筆,它怎麼會是波動的?它怎麼會是空的?
現在量子物理の科学者たちは、その結果を証明して、物質はすべて波動の現象であり、「空」(=実体がない)であるとしています。今老法師から皆さんに、また科学者たちにお話し頂けないでしょうか。例えばこのペンは、どうして波動なのでしょうか?それはどうして「空」なのでしょうか?

【浄空法師】:這個現象在《華嚴經》裡面告訴我們,宇宙怎麼發生的。實際上釋迦牟尼佛講這部大經,這部經流傳到中國大概只有一半,是個殘缺的本子,因為它經太大了。古時候我們知道,那時候沒有印刷術,都是手寫的,寫在又不是紙,他是寫在貝多羅的樹葉上。貝多羅樹葉像我們中國芭蕉葉一樣,他把它裁了一塊方方的,兩面打個洞用繩子穿上,一面大概只寫六行,翻過來再寫六行,你就曉得這部經分量多大,幾輛卡車都裝不下。從印度運到中國來,在印度蒐集就沒有辦法蒐集來一個完整的本子,所以實際上是一半,但是一半差不多佛所講的意思還是很完整的。現在的《華嚴經》梵本沒有了,只有中文這個譯本,所以非常之可貴。這部經總共是九十九卷,有三十九品。品就像我們中國人講的篇章,這一篇一篇的三十九篇。我們現在才講到第十四篇,十四篇還沒講完後頭還有兩章,它一共十章這後頭還有兩章,已經講了四千個小時。如果這部經我估計,像我這樣講完全講圓滿,大概需要兩萬個小時。哪個大學裡頭有這種課程?這部講什麼?講哲學、講科學、講倫理、講道、講因果,都講到究竟圓滿,所以你不能不佩服。你進入之後,你才曉得這裡頭叫其樂無窮,真實智慧。所以這麼大的東西,我這是方東美先生當年介紹給我的,他是最喜歡這部經。晚年在台灣輔仁大學(教會大學)博士班開華嚴哲學,他一生最喜歡,就把這個特別介紹給我,所以我也非常喜歡這個東西,看了之後是欲罷不能。
この現象は『華厳経』の中に、宇宙がどのように発生したのかが説かれています。実のところ釈迦牟尼仏はこの大経を説かれましたが、この経が中国に伝わったのは大体半分に過ぎません。欠巻のある書物です。この経は非常に長い為です。その当時は印刷技術もなく、すべて手書きでした。書くのも紙ではなく、貝多羅(ばいたら)の木の葉に書きました。貝多羅の木の葉は中国で言えばバナナの葉と同じようなものです。それを四角く切って、両面に穴をあけて縄を通します。一面はだいたい六行ほどで、反対側に六行書きます。この経の分量がどれほど多いか理解できるでしょう。トラックが何台あっても積み切れません。インドから中国に運ばれて来ましたが、インドではどうしても全部揃った完本を集めることはできなかったのです。ですから実際には半分です。しかし半分でも仏の説かれた意味は完全です。現在の『華厳経』のサンスクリット語版はありません。中国語(古文)の訳本だけです。ですから非常に貴重です。この経は全部で九十九巻、三十九品あります。品というのは中国人の言う章と篇のことで、一篇ずつ三十九篇あります。今ようやく第十四篇まで講義しました。十四篇はあと二章残っています。全部で十章あり、あと二章あります。すでに四千時間講義しています。この経は私のように講義して円満にするには、だいたい二万時間は必要です。どの大学にこのような課程があるでしょうか?この経は何を説いているでしょうか?哲学、科学、倫理、道徳、因果をこの上なく円満に説かれています。尊敬しないではいられません。経の中に入った後、その中の喜びは尽きることなく、真実の智慧であることが理解できます。これほど大きなものです。私のは方東美先生が当時紹介して下さいました。彼はこの経を一番好まれていました。晩年は台湾の捕仁大学(教会大学)の博士課程で華厳哲学を講義されていました。先生は一生で一番好まれていて、これを特に私に紹介されました。ですから私も非常にこの経が好きで、見たら止まらなくなります。

【司会者】:我們剛才請教您,就是舉一枝塑膠筆的例子,人們拿到這枝筆,它真是一個物體,它真實存在,如果說它是空的、是假的,這怎麼理解?
先ほど老法師に伺いましたのは、一本のペンを例として挙げました。人々はペンを握ることができます。これは本当に一つの物体です。本当に存在しています。もしそれが空であり、偽りであるなら、これはどう理解すれば良いのでしょうか?

【浄空法師】:它不存在,真的是不存在。
それは存在しません。本当に存在しません。

【司会者】:這枝筆不存在?
このペンは存在しないのでしょうか?

【浄空法師】:不存在,不但不存在,人也不存在,你自己人也不存在。我舉個例子,這《華嚴經》上就講得很清楚,但是很不好懂,現在我們用科技的方法來比喻,比較容易懂多了。彌勒菩薩一段話,在《法苑珠林》第八卷,你去找把這話就能找到,佛問彌勒菩薩,我們凡夫不是有念頭嗎?起心動念的念頭。佛就說凡夫這一個念頭裡頭,裡頭細分,詳細再去分,就像一粒沙子你再去分,仔細去分它有多少個念頭組成這一念?彌勒菩薩就講了「一彈指」,一彈指這麼長的時間,這一念,起一念一彈指。
存在しません。存在しないばかりか、人も存在しませんし、あなた自身も存在しません。例を挙げるなら、これは『華厳経』には明瞭に説かれていますが、とても理解し難いものです。科学技術の方法を使って比喩としてみれば、比較的容易に理解できます。弥勒菩薩のこのお話は、『法苑珠林』第八巻にあり、探せば見つかります。仏は弥勒菩薩に質問します。私たち凡夫には意念があるでしょう?起心動念の意念です。仏は、凡夫の意念を細かく分けて、ちょうど一粒の砂を更に分けるようにすると、一つの念はいくつの念で構成されているでしょうか?弥勒菩薩は答えます。「一弾指」。指を一度弾く時間です。一つの念が起こるのは、指を一度弾く時間です。

【司会者】:就這麼一個念頭,裡面有多少個念頭?
そのような一つの意念、その中には念がいくつあるのでしょうか?

【浄空法師】:裡面「有三十二億百千念」,百千是個單位,百千是十萬,三十二億個十萬就是三百二十兆。我們都算過三百二十兆,兆是億萬,億萬是兆,三百二十兆就是一彈指。「念念成形」,形就是物質世界,所以這個要講形形有識、「形皆有識」,形裡頭就有精神世界,精神世界跟物質世界可以說是同時起源的,精神有物質、物質有精神決定分不開,它是一不是二。所以我們講唯物、唯心都偏差,它是合一的,它是和諧的,它不是對立的。
中には「三十二億百千念」があります。百千は単位です。百千は十万です。三十二億個の十万は三百二十兆です。私たちは三百二十兆と計算したことがあります。兆は億万です。三百二十兆、これが「一弾指」です。「念念成形」(すべての念は形を形成する)、「」とは物質世界です。ですからどの形にも識があると説かれています。「形皆有識」(形にはすべて識(心の働き)がある)。「」の中には精神世界があります。精神世界と物質世界は同時に起こったと言って良いでしょう。精神には物質があり、物質には精神があり、絶対に分けることはできません。それは一つであり、二つではありません。ですから私たちは唯物、唯心を説くとすべて偏っています。それは一つに合わさります。それは調和されています。それは対立しません。

【司会者】:就是人起這麼一個念頭,比方說一彈指這一個念頭,裡邊有這麼多的小念頭?
つまり人はこの意念を起こすと、例えば一度指を弾くという意念の中に、それほど多くの細かな念があるのですね?

【浄空法師】:對,裡面有這麼多微細的念頭。
そうです。中にはそれほど微細な念があるのです。

【司会者】:這小念頭還都有物質嗎?還都有物質現象?這些現象是在?
その小さな念にはすべて物質があるのでしょうか?またすべて物質現象があるのでしょうか?それらの現象はあるのでしょうか?

【浄空法師】:對,有物質,有物質的現象。這個物質現象是什麼?就是宇宙,這個現象就是宇宙。所以佛講《華嚴經》講得這麼清楚,六祖惠能大師講五句話二十個字,講得很簡單,就是整部的《華嚴經》。
そうです。物質があり、物質の現象があります。この物質の現象とは何でしょう?それが宇宙です。この現象こそが宇宙なのです。ですから仏は『華厳経』で明確に説かれていますし、六祖・慧能大師は五句、二十字で説かれています【注】。とても簡単に説かれていますが、それが『華厳経』のすべてです。
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【注】 慧能大師が大悟した際、自性について語った感嘆の言葉のこと。
何期(何をか期せん=何と言うことか!という感嘆の語)に続いて、自性の性質を五句、二十字で簡潔に解き明かしている。
 本自清浄(本来清らかである)
 本不生滅(本来生まれも滅びもしない)
 本自具足(本来すべて具わっている)
 本無動搖(本来動揺しない)
 能生万法(宇宙万物を生み出すことができる)

 何期自性 本自清浄 (何ぞ期せん 自性もと清浄なることを)
  なんと自性は本来清らかであるとは

 何期自性 本不生滅 (何ぞ期せん 自性もと不生不滅なることを)
  なんと自性は本来生まれも滅びもしないとは

 何期自性 本自具足 (何ぞ期せん 自性もと自ずから具足することを)
  なんと自性には本来すべて具わっているとは

 何期自性 本無動搖 (何ぞ期せん 自性もと動揺なきことを)
  なんと自性は本来動揺しないとは

 何期自性 能生万法(何ぞ期せん 自性よく万法を生ずることを)
  なんと自性は宇宙万物を生み出すことができるとは

参考:http://www3.ocn.ne.jp/~zuiun/131rokuso.html
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【司会者】:濃縮成五句話。
五句に濃縮されている。

【浄空法師】:五句話,他說「何期自性,本自清淨」,這是講什麼?講本體,哲學講本體,本體是清淨的。《華嚴經》上講這個本體它上面加了幾個字,它說「自性清淨圓明體」,它加上這幾個字,告訴你這是自性。自性就是本有的,它本來就有的,它是宇宙一切法的根,它是能生、能現、能變,整個宇宙是所生、所現、所變。哲學裡面能所是對立的,能不是所,所不是能,但是佛法裡頭能所是一不是二。所以歐陽竟無說佛法不是哲學,哲學能所對立,它不對立。譬如說能生能現,哲學家講,我們可以用父子來做比喻,父母是能生,兒女是所生,父母跟兒女他是各有各的個體,他不是一體。在佛法裡面講能所,祖師大常常用金跟金器來做比喻,這是一體。
五句です。慧能大師が説かれた「何期自性,本自清浄」(自性は本来清らかである)、これは何を説かれたのでしょうか?本体を説かれています。哲学は本体を説きます。本体は清浄です。『華厳経』ではその本体に何文字か加えています。「自性清浄円明体」です。幾つか字を加えて、これが自性であると説いています。自性は本来あるものです。それはもともとあるものです。それは宇宙一切の法の根本であり、それは生み出すことができ、現すことができ、変化することができます。全宇宙は生みだし、現れ、変化します。哲学の中の「能所【注1】は対立します。「(主体)」は「(客体)」ではなく、「(客体)」は「(主体)」ではありません。しかし仏法の中では「能所」は一つであり、二つではありません。ですから欧陽竟無【注2】は仏法は哲学ではないと言いました。哲学の能所は対立します。仏法では対立しません。例えば哲学者の言う「能生」「能現」【注3】は、親子の比喩を使うことができます。両親は「能生」であり、子どもは「所生」【注4】です。両親と子どもは各々の個体で、一体ではありません。仏法で説かれている「能所」について、祖師大徳はよく金と金の器を比喩に用いています。これは一体です。
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 【注1】 能所(のうじょ)・・・・存在の主体(能)と客体(所)のこと。
 【注2】 欧陽竟無(おうようきょうむ)(1871-1943)・・・・欧陽漸。字は竟無。近代の著名な仏教学者。『蔵要』の編纂に携わった他、著書に『唯識抉択談』、『佛法非宗教非哲学而為今時所必需』(仏法は宗教にあらず、哲学にあらず、今必要なものである)、『竟無内外学』等がある。http://fodian.goodweb.cn/dict_read4.asp?ID=235
 【注3】 能生(のうしょう)・・・・この世界を生み出す主体。宇宙・万物の本体。性(=自性)。
 【注4】 所生(しょしょう)・・・この世界に生み出された客体。相。一切の現象。
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  所以六祖惠能講的,這個體首先他認識了,自性是清淨的,「何期自性,本自清淨」。第二句是「何期自性,本不生滅」,它不是生滅法,它沒有生滅,為什麼?它不是精神,它也不是物質。
ですから六祖・慧能大師が説いた言葉は、この本体をまず認識されたのです。自性は清浄です。「何期自性,本自清浄」(自性は本来清らかである)。第二句は「何期自性,本不生滅」(自性は本来生まれも滅びもしない)です。それは生滅の法ではありません。それには生滅はありません。なぜでしょう?それは精神ではなく、物質でもないからです。

【司会者】:那現在有人就想請教您這個問題,本體也不是精神,也不是物質,人他現有的這個能力是有限的,他怎麼能夠證明這個本體的存在?我也看不到,我也想不到,我的六種能力,譬如說眼睛看、耳朵聽、鼻子聞、嘴巴嘗、手去摸、腦子想,這六樣都達不到,那我怎麼能證明它是存在的?
それでは今ある人は老法師にこのような質問をします。本体は精神ではなく、また物質でもありません。人の具えている能力には限度があります。どうして本体の存在を証明できるのでしょうか?自分には見えないし、考えも及びません。私の六つの能力、例えば耳で聞き、鼻で嗅ぎ、口で味わい、手で触り、脳で考える、この六つでは到達しません。それではどのようにその存在を証明できるのでしょうか?

【浄空法師】:佛講了,你這六種能力統統放下不用了,它就現前,你用這個東西的時候,你決定證不到。只要你放下,放下妄想分別執著,你立刻就證到,證到之後你也說不出來。
仏は説かれています。この六つの能力をすべて放下して用いなければ、目の前に現れます。これを用いている時、あなたは絶対に証得できません。ただ妄想・分別・執着を放下すれば、すぐに実証できます。実証した後、あなたは話すこともできません。

【司会者】:說了又不是了。
話せば、またそれも違う。

【浄空法師】:你說不出來,不但說不出來,你也不能動念頭,你一動念頭你就墮落了,你是凡夫了。
話すことはできません。話すことができないばかりか、考えを巡らすこともできません。念を動かせば堕落して、あなたは凡夫になります。

【司会者】:就是一動念頭就不對了、就不是了。
つまり少しでも念を動かしてはならず、それは違うのですね。

【浄空法師】:動念就錯了。他第三句講的話,這就很重要了,「何期自性,本自具足」,就是說它具足宇宙之間一切法,但是本身它不是一切法,它具足一切法,具足一切法它又不現。就像電視的屏幕一樣,裡面許許多多的頻道,你現在沒有打開,你不能說它裡頭沒有東西,它統統具足,就這個意思。樣樣具足,你頻道一打開宇宙就現前了。這個頻道打開就是你念頭動了,波動,波一動立刻就現前。所以宇宙不是大爆炸的,宇宙是起心動念現的,起心宇宙的現象現前,就整個頓現,一時頓現沒有先後,一時頓現。同時生命,生命不是講別人,我,我從哪裡來的?佛家講的依報跟正報,你一定要搞清楚,正報不是講的許多人,不是的,那你搞錯了,正報是講自己。人是我生活環境裡面的依報,叫人事依報、物質依報。依是我要依靠它生存的,這是環境,所以說只有自己才叫正報,除自己之外都是我的依報。人事的依報、環境的依報、宇宙時空的依報,全是依報。起心動念,起心宇宙現前,動念我就出來了,所以我跟宇宙是同時發生的。發生時間多長?就是彌勒菩薩講那一彈指。
念を動かせば誤りです。慧能大師の三句目はとても重要です。「何期自性,本自具足」(自性には本来すべて具わっている)。つまりそれは宇宙にあるすべての法が具わっています。それ自体は一切の法ではありませんが、それは一切の法を具えています。一切の法を具えていながら現れません。ちょうどテレビのスクリーンと同じように、その中に様々な番組が映りますが、今はスイッチを入れていません。あなたは中に何もないとは言えません。それはすべてを具えています。そのような意味です。何でも具わっています。あなたがスイッチをつければ宇宙が現れます。チャンネルをつければあなたの念が動きます。波動です。波がたてばすぐに目の前に現れます。ですから宇宙は大爆発(ビッグ・バン)ではなく、起心動念が現れたものです。心を起こして宇宙の現象が現れ、すべてが急に現れたのです。一時に急に現れ、後先はありません。一時に突然現れたのです。同時に生命が現れました。生命は他人ではありません。自分です。自分はどこから来たのでしょう?仏法では「依報」と「正報【注1-2】を説いています。あなたは必ず理解しておかなければなりません。「正報」は大勢の人の事ではありません。それは誤りです。「正報」とは自分の事です。人の生活環境としての「依報」は、「人事依報」、「物質依報」と言います。「依」とは自分が生存の頼りとする、この環境です。ですから自分の事だけを「正報」と言い、自分を除くすべてのものは自分の「依報」です。人事(人間関係)の依報、環境の依報、宇宙時空の依報、すべて依報です。起心動念は、心を起こせば宇宙が現れ、念を動かせば「我」が現れます。ですから自分と宇宙は同時に発生したのです。発生した時間はどれくらいでしょう?それが弥勒菩薩の説かれた「一弾指」です。
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 【注1】 依報(えほう)・・・・過去の業の報いとして受ける環境。
 【注2】 正報(しょうほう)・・・・過去世で行った善悪の果報として受ける衆生の身心。
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  一彈指裡面有多少的現象?就像我們看電影,那個電影的底片有多少張?現在我們知道,銀幕上放電影的片子是一秒鐘二十四張,對不對?一秒鐘二十四張,張張不一樣,而且是張張不相干。佛告訴我們,現在我們這個速度一秒鐘放多少張?彌勒菩薩說一彈指,我們速度彈快一點,大概我可以彈四次,那再乘四,乘四一秒鐘多少張?一千二百八十兆張,不是二十四張,這就是現象。所以我們現在這個現象,就像電影屏幕上的現象一樣,屏幕是平面的,我們是立體的,絕對不是真的。你怎麼能把握得住?你想想看一千二百八十兆分之一秒,你怎麼能控制得住它?我們所看到的是什麼?是一種相似相續相,電影的畫面不是一樣嗎?相似相續相,它張張不一樣。它不是一樣,前一張跟後一張不相同,剎那生滅,到那個剎那生滅就是沒有生滅,它時間太快了,找生滅找不到。
一弾指」の中にはどれほどの現象が起こるでしょう?私たちが映画を見るのに、映画のフィルムは何枚あるでしょう?スクリーンに映画のフィルムを映すと、一秒間に二十四枚ですね?一秒間に二十四枚、どの一枚も異なり、しかもどれも関係がありません。仏は私たちに説かれました。現在私たちのこの(世界の)速度は一秒間に何枚でしょうか?弥勒菩薩は「一弾指」と言います。指を速く弾けば、だいたい私は一秒間に四回弾けます。それなら掛ける四です。四を掛けると幾つになるでしょう?一千二百八十兆枚です。二十四枚ではありません。これこそが現象です。ですから私たちの今のこの世の現象は、ちょうど映画のスクリーンの現象と同じです。スクリーンは平面ですが、私たちは立体です。絶対に真実ではありません。どうすればそれを把握できるのでしょう?考えてみて下さい。一千二百八十兆分の一秒です。どうやってそれを把握できるのでしょうか?私たちが見ているものは何でしょう?それは一種の「相似相続相(そうじそうぞくそう)」(まるで継続しているかのような相)です。映画の画面と同じでしょう?「相似相続相」は、どの一枚も違います。同じではありません。それは同じではなく、前の一枚と後の一枚は違います。刹那の生滅です。その刹那の生滅に至れば、生滅はありません。時間が非常に速く、生滅を突き止めることはできません。


>>>人類の知らない宇宙・人生の真相07/10につづく・・・。
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/46049f0d4c6fa9575125c79fb384f15d


人類の知らない宇宙・人生の真相07/10

2013-09-30 | 調和が危機を救う

【司会者】:就比如說我握著這枝筆,是摸到了,但是它確實在剎那生滅。打個比方,能不能這樣講,就是一百萬年之後,這枝筆肯定有變化了,就說明它是有生滅相。
例えば私はこのペンを握っていて、触っています。しかしそれは刹那の生滅なのですね。例えばこのように言うことはできるでしょうか。百万年後に、このペンは間違いなく変化しています。それが生滅の相があるという証明です。

【浄空法師】:它不是一百萬年,就是一千二百八十兆分之一秒的生滅。
それは百万年ではなくて、一千二百八十兆分の一秒の生滅です。

【司会者】:手感覺不出來。
手で感じ取ることはできません。

【浄空法師】:對,感覺不出來,你怎麼會感覺得出來?
そうです。感じ取ることはできません。どうして感じられるでしょうか?

【司会者】:但是過很多很多年之後,確實它會變化,這就說明這是真的。
しかしずっと何年も後には、確実に変化するでしょう。これが真実であることの証明ですね。

【浄空法師】:對,不錯。其實根本就沒有生滅,為什麼?它前一個畫面跟第二個畫面,它不是一樣的,所以告訴你真的沒有生滅。你認為它有生滅是一個幻覺、是錯覺,所有一切法都沒有生滅,人要真正懂得這個心多安!所以理得,理明白,心就安了。
そうです。その通りです。実のところ根本的に生滅はありません。なぜでしょう?それは前の画面と次の画面は同じではないからです。ですから本当に生滅はありません。あなたが生滅があると思うのは幻覚であり、錯覚です。あらゆる一切の法には生滅はありません。人は本当にこの事を理解したなら、大きな心の安らぎを得ます!ですから道理を得て、理解すれば、心は安らぎます。

【司会者】:也沒有個生,也沒有個滅。
生まれもしないし、滅することもない。

【浄空法師】:沒有生滅,你還怕什麼生滅?現在人貪生怕死,你了解這個,根本就沒有生死,你活的現在沒有,念念都沒有生死。
生滅はありません。あなたはそれでも生滅を恐れるでしょうか?今の人は生を貪り、死を恐れます。これを理解してみれば、根本的に生死はないのです。生きている今はなく、どの念もすべて生死はありません。

【司会者】:有人看過節目之後,真的有這樣的疑問,不光這枝筆,摸摸周圍的一切,好像按照科學的分析都是波動、都是空的、都是假的,連這個自己都是空的、都是假的。他很自然的就會問一個問題,這些假的東西是從哪來的?我是從哪來的?
ある人はこの番組を見た後で、本当にこのような疑問を持つでしょう。このペンだけでなく、周囲の触れられるものは、科学の分析によればすべて波動であり、すべて空であり、すべて実体がありません。この自分でさえ空であり、すべてに実体はありません。ある人は自然にこのような疑問を持つでしょう。これらの実体のない物はどこから来たのでしょうか?自分はどこから来たのでしょうか?

【浄空法師】:佛在經上把這個事實真相告訴我們,所謂根源,哲學的名詞叫本體。在我們東方人它不叫本體,叫本性,性就是體。所以你看中國老祖宗講「本性本善」,那個善不是善惡的善,那個善是什麼?就是圓滿,它樣樣都圓滿,沒有一樣欠缺,這個善。善是大圓滿,不是善惡的善,叫本性本善,佛把這個事情講得透徹、講得清楚。所以六祖惠能他那幾句話太重要了,第三句講「何期自性,本自具足」,本自具足就是本善,它雖然不是物質也不是精神,它能現物質、能現精神。
仏は経の中でこの事実の真相を語っています。いわゆる根源です。哲学の名詞では本体と言います。私たち東洋人は本体とは言わず、本性と言います。性(本性)とは体(本体)です。ですから中国のご先祖様は「本性本善」と言っています。その善は善悪の善ではありません。その善は何でしょう?それは円満です。それは何もかもすべてが円満で、何一つ欠陥はありません。これが善です。善は大円満であり、善悪の善ではありません。本性本善と言います。仏はこの事を透徹に、明瞭に説かれました。ですから六祖・慧能の数句は非常に重要です。三句目は「何期自性,本自具足」(自性には本来すべて具わっている)です。もともと具わっているのが本善です。それは物質でも精神でもありませんが、物質を現し、精神を現すことができます。

【司会者】:物質和精神是它表現出來的現象?
物質と精神はそれが現れた現象なのですね?

【浄空法師】:都它現出來的,都是它的現象,所以它是性,性能夠現相。但是它沒有波動之前,它沒有現相,我們叫大光明藏,叫常寂光,這是佛學的名詞,這是最高的境界。一動,動這相就出來了,這一動,微細的一動,就是我們講的無明,佛講宇宙怎麼來的?一念不覺而有無明。一念不覺,那個念是彌勒菩薩講的那個念,不是我們現在講的這個念,我們的念太粗太粗了,是不是?我們這一念裡面,你看看彌勒菩薩跟我們說的,這一念裡頭要把它分開來細分,就有一千二百八十兆個念頭,那麼微細的念頭,這是講微波。這種波動的現象,什麼時候你才能體會到?我們是粗心大意體會不到,不但我們體會不到,阿羅漢也不行,菩薩也不行。佛講八地菩薩,《華嚴經》上講菩薩有五十二個等級,它從十信,十信好比佛教的小學,十住好比是初中,十行是高中,十迴向是大學,十地是研究所,到十地是研究所,十地是一地、二地、三地到第八地,他才感受到這個波動;換句話說,七地之前都感受不到。
すべてそれが現れたものです。すべてその現象です。ですからそれは性(本性)であり、性は現相(相を現す)します。しかしそれは波動が起こる前には、現相はありません。私たちは大光明蔵、常寂光と言っています。これは仏経学の名詞です。これは最高の境界です。僅かでも動けば相が現れます。その動きは微細な動きであり、それが私たちの言う無明なのです。仏は宇宙はどう起こったと説かれたでしょう?「一念不覚而有無明」(一念を覚らないことにより無明が生じている)。この一念不覚の念とは、弥勒菩薩の説かれたあの念です。私たちが今言うところの念ではありません。私たちの念は非常に大雑把なものです。無禄菩薩が説かれたこの一念の中には、細かく分けると一千二百八十兆個の念があります。それほど微細な念であり、これはマイクロ波です。このような波動の現象は、あなたはいつになったら実感できるのでしょう?私たちは不注意で大雑把ですから実感できません。私たちが実感できないどころか、阿羅漢でさえできません。菩薩でも無理です。仏は八地菩薩と説かれています。『華厳経』には菩薩の五十二の等級【注】が説かれています。それは十信からですが、十信(じゅうしん)はちょうど仏教の小学校のようなものです。十住(じゅうじゅう)は中学校、十行(じゅうぎょう)は高校、十廻向(じゅうえこう)は大学、十地(じっち)は大学院です。十地に達すれば大学院です。十地は一地、二地、三地とあり、八地に至ってようやくその波動を感じることができます。言い換えれば、七地の前には感じることはできません。
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【注】 菩薩五十二位・・・・菩薩修行の五十二の階位のこと。
 妙覚(みょうかく)――五十二位(最高位)。
 等覚(とうかく)――五十一位。
 十地(じっち)――四十一位~五十位。 *八地菩薩は第四十八位の菩薩。
 十廻向(じゅうえこう)――三十一位~四十位。
 十行(じゅうぎょう)――二十一位~三十位。
 十住(じゅうじゅう)――十一位~二十位。
 十信(じゅうしん)―― 一位~十位
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【司会者】:一般的菩薩都不行?
一般の菩薩でも駄目なのですか?

【浄空法師】:不行,那是高級菩薩,都快要成佛了,你看八地上面九地、十地,十一地就成佛了,四個階級,最高的四個階級,他們那個定功,那麼深的定功,最微細的波動他感受到,才證得。
駄目です。それは高級な菩薩です。もうすぐ仏に成る菩薩です。八地の上には九地、十地とあり、十一地に達すれば仏に成ります。最高の四つの階級です。彼らの定功(禅定の技量)はそれほど深い定功です。最も微細な波動を感じ取ることができて、ようやく証得するのです。

【司会者】:他的心可以說都寂靜。
その人の心は寂静と言って良いでしょうか。

【浄空法師】:寂靜,所以叫清淨寂滅,他感受到那個波動,才知道這個波動就發生了宇宙,就是惠能講的本自具足就現前了,現前變什麼?能生萬法。
寂静です。ですから清浄寂滅と言います。その人はその波動を感じることができるので、その波動こそが宇宙を発生させたことを知るのです。つまり慧能が説かれた「本自具足」が現れます。現れて何に変わるのでしょう?万法を生み出すことができます。

【司会者】:宇宙的來源。
宇宙の源。

【浄空法師】:對,就是那個一念,宇宙就全部它叫一時頓現,沒有先後的。
そうです。正にその一念です。宇宙は全部が一斉に現れたのであり、前後はありません。

【司会者】:您剛才講這一動它本來是常寂光的,本來是什麼都沒有,您指的這一動是什麼動?
老法師は先ほど、念の動きというのは本来は常寂光で、本来は何もないと仰いました。その念の動きというのは何を指すのでしょうか?

【浄空法師】:現象就出來了,波動。
現象が出て来ます。波動です。

【司会者】:是心嗎?
心でしょうか?

【浄空法師】:心,波動。
心、波動です。

【司会者】:這個本體?
これが本体なのでしょうか?

【浄空法師】:本體是不會動的、永遠不會動,這叫妄念的動,就是我們比喻這個東西,這個東西在動。
本体は動きません。永遠に動きません。これは妄念の動です。つまり私たちが比喩として用いたものです。これは動いています。

【司会者】:那我們還是用這個來做個比方。比如說這是本體,這些金銀首飾全都它做的,這個本體怎麼會生起來一個妄念?
それではこれ(金の延べ棒と金の装飾品の模型)を使って例を挙げてみます。例えばこれ(金の延べ棒)を本体とします。これら金銀の首飾りは、すべて本体が創ったものです。この本体はどうして妄念を起こすのでしょうか?

【浄空法師】:所以說這個妄念,你要曉得它上面加個妄,妄就不是真的,所以是妄念。不是真的起念頭,它是個妄念,但是妄念它起作用,妄念不是不起作用,起作用,作用就變成這幻化的現相,所以相不是真的。
ですからこの妄念は、前に「妄」(という字)を加えていることを理解しなければなりません。「妄」であれば真実ではありません。だから妄念です。本当に念を起こしたのではありません。それは妄念なのです。しかし妄念は作用を起こします。妄念は作用を起こさないのではなく、作用を起こします。作用すれば変化する現相に変わります。ですから相は真実ではありません。

【司会者】:所以有人請教您老人家這個問題,那這一動是誰的心在動?
ある人は老法師にこの質問をします。その念の動きは誰の心が動いたのでしょうか?

【浄空法師】:是你自己,絕對不是別人。
あなた自身です。絶対に他人ではありません。

【司会者】:您剛才講本體它是寂靜不動的,但它這一動就生了萬法,所以他就問是誰的心在動?
老法師は先ほど本体は寂静であり動かないと仰いました。しかしそれは動けば万法を生み出します。ですからその質問は、誰の心が動いているのかということです。

【浄空法師】:你一問的時候,心波動就更大了,為什麼?你念頭就長了,波就更大了;你不問的時候,慢慢就平息了。你能不能體會到這個道理?你愈是想我怎麼樣愈是大浪,你什麼都不想它自然平靜了,平靜之後你就什麼都明白了。
あなたが質問する時、心の波動は更に大きくなります。なぜでしょう?あなたの意念が増長して、波動が大きくなるからです。質問しない時には、少しずつ静まります。あなたはこの道理を体感できるでしょうか?あなたは自分がどう思うかを考えれば考えるほど波動は大きくなり、何も考えなければ自然に平静になります。平静になった後、あなたは何もかも理解します。

【司会者】:我想問您問題,我這一想就動了。
私が老法師に質問をすると、考えた途端に動くということですね。

【浄空法師】:對,已經就錯了,就動了。
そうです。すでに間違っています。動いています。

【司会者】:而且這個動還是很粗大的,不知道很微細的那個情況。
この動きはとても大きなもので、微細なものの情況は分からない。

【浄空法師】:對,不錯。所以這個境界佛講的是「言語道斷,心行處滅」。
そうです。その通りです。だからこの境界を仏は「言語道断,心行処滅」(ごんごどうだん、しんぎょうしょめつ)と言います。

【司会者】:言語道斷就是不能講,心行處滅?
言語道断とは、語ることはできないということです。心行処滅というのは?

【浄空法師】:言語道斷,沒有說話、不能講;心行處滅叫不能動心、不能起心動念,你就證得。所以他們證得不是表演了嗎?妄想分別執著一起放下,現前就證得。
言語道断です。話はしません。話すことはできません。心行処滅とは、心を動かさず、起心動念を起こさないことです。あなたは証得します。ですから彼らは証得して演じているのではないでしょうか?妄想・分別・執着を一度に放下したのです。現れるのは証得です。

【司会者】:所以在很多寺廟裡面,包括一些古書裡面,大家看到一些禪定的僧人、一些修佛法的僧人,這些學佛的人他們是在那靜坐、是在那念佛,就是在恢復這個平靜,是這樣的嗎?
多くの寺院では、古書の内容を含めて、禅僧や仏法を修める僧を見ますと、仏法を学ぶ人たちはそこで静かに坐り、そこで念仏しています。それはつまり平静を取り戻していると、そういうことでしょうか?

【浄空法師】:沒錯,是這樣的。所有一切法門,法是方法、門是門徑,所謂八萬四千法門、無量法門,原理原則方向是一致的,都是教你放下。
その通りです。そういうことです。あらゆる一切の法門の、法は方法、門は糸口です。いわゆる八万四千の法門、無量の法門は、原理原則は一致しています。すべて放下を教えています。

【司会者】:心不定下來,這些就出來了。
心が落ち着かないと、これら(現象)が出て来るのですね。

【浄空法師】:對,都出來了。為什麼會變成那麼多?我也沒辦法解釋,所以我就想起來小時候玩萬花筒,萬花筒你看很簡單,三個玻璃片裡面幾張碎片不同顏色的紙,你把它轉動。動!你一動它裡面就起變化,千變萬化沒有一個相同的,跟這個道理就很相似,宇宙之間千變萬化無有窮盡,但是出不了萬花筒。
そうです。出て来ます。なぜこれほど多く変化するのでしょうか?私にも解釈しようがありません。ですから私は子どもの頃に遊んだ万華鏡を思い出します。万華鏡はとても簡単です。三つのガラス片の中に何枚か異なる色の紙を入れて、それを回します。動かした途端に中では変化が起こります。千変万化、何一つとして同じではありません。この道理とよく似通っています。宇宙は千変万化であり、尽きることはありません。しかし万華鏡を出ることはできません。

【司会者】:這也是法爾如是嗎?也本來就是這樣。
これもまた法爾如是なのでしょうか?本来このようなものなのですね。

【浄空法師】:法爾如是,本來就是這樣的。你不相信拿萬花筒,所以我講到這個,好多人送萬花筒給我,我現在有十幾個萬花筒。
法爾如是、本来正にこのようなものです。信じないなら万華鏡を見て下さい。私がこの話をすると、多くの人が万華鏡を送って下さるので、私は今万華鏡を十数個持っています(笑)。

【司会者】:藉著您老這個話講,本性也不能見也不能想,能不能形容一下它?
老法師のこの話をお借りしますと、本性は見ることも考えることもできません。それを形容することはできるのでしょうか?

【浄空法師】:沒有辦法形容,所以唯證方知。
形容しようがありません。「唯証方知」(証得した者だけが知ることができる)。

【司会者】:一形容就不對了、就不是了。
形容すれば間違いになり、違ったものになってしまうのですね。

【浄空法師】:對,沒有辦法形容,它是宇宙的本體。現相現出來它還有三個特質,第一個是它周遍法界,也就是說明無論是物質也好、是精神也好,它的波、它波的速度,它的波是很微細,它的速度是立刻就周遍法界,光的速度、電磁波的速度跟它相比簡直不能比。你看這個速度,光波的速度一秒鐘三十萬公里,這個念頭無論是物質的波動、心的波動,它這個波動立刻就周遍法界。
そうです。形容しようがありません。それは宇宙の本体です。現相(現れる相)には三つの特徴があります。【注】一つ目は、「周遍法界」(法界(全宇宙)を遍く行き渡る)です。つまり物質であろうと精神であろうと、それは波であり、その波はとても微細なもので、その速度は瞬く間に法界を隅々まで行き渡ります。光の速度、電磁波の速度などは、それとはまったく比較になりません。光波の速度は一秒間に三十万キロです。この念は、物質の波動であろうと心の波動であろうと、その波動は瞬く間に法界を隅々まで行き渡ります。
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 【注】 「周遍法界、出生無尽、含容空有」(法界に遍く周り、出生尽きること無く、空有を含容す)。念の波動は法界(全宇宙)の隅々に行き渡り、尽きることなく生み出し、空有(実体の有無)をすべて包含している。『還源観』の言葉。(筆者訳)
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【司会者】:這也是本來如是嗎?
これも本来そのようなものなのでしょうか?

【浄空法師】:本來就是的,它有三種特性,它本來就是這樣,這是第一個。第二個出生無盡,就跟萬花筒一樣,這都是本來的。第三個是含容空有,含是包含,容是包容,含容空有就是佛家常講的「心包太虛,量周沙界」。心包太虛是含空,量周沙界是包有,就說明你的心量本來是這麼大,現在心量變成這麼小,怎麼變小的?從分別執著上變小的,愈執著就愈小,愈小就愈苦。你本來心量是比宇宙還大,你說你多自在。
本来そのようなものです。それは三つの特性があり、本来正にこうなのです。これが一つ目。二つ目は、「出生無尽」(尽きることなく生み出す)です。ちょうど万華鏡と同じです。これはすべて本来のものです。三つ目は、「含容空有」(空有を包含している)です。「」とは包含、「」とは包容です。包容空有とは、仏家でよく言われる「心包太虚,量周沙界」(心は宇宙を包み、全宇宙に行き渡る)です。「心包太虚」は「空」を包含し、「量周沙界」は「有」を包含しています。これは、あなたの心は本来これほど大きいということです。今では心はこれほど小さくなっています。なぜ小さくなったのでしょう?分別・執着によって小さくなったのです。執着すればするほど小さくなり、小さければ小さいほど苦しくなります。あなたの心は本来宇宙よりも大きいのです。どれほど自在なことでしょうか。

【司会者】:您這裡邊有個問題,就是您談到,你的心量大小的問題,這個心量它跟本體是什麼關係?
老法師のお話の中に、ある疑問があります。老法師は心の大小の問題を話されました。この心の大きさと本体とはどのような関係なのでしょうか?

【浄空法師】:跟本體是一樣的。
本体と同じものです。

【司会者】:那也就說沒有我。
それでは自分はないのでしょうか。

【浄空法師】:對,我就是本體,本體就是我。宇宙是我,我就是宇宙。
そうです。自分が本体であり、本体が自分です。宇宙は私であり、私が宇宙です。

【司会者】:一旦這個被否定掉,這個身體如果是假我的話。
一度これが否定され、この身体がもし偽りの自分であるなら・・・。

【浄空法師】:不,這個身體不是這樣的否定,我們的肉身跟整個宇宙的物質是合而為一,我們的精神跟整個宇宙的精神合而為一,它融合成一體了。不是說這個沒有了、那個沒有了,不是的,它是一體,決定不能分。所以一粒塵沙裡面有整個宇宙的信息,你就曉得,我們這個身體,如果從物質現象來看,我們這個肉身,這是細胞,細胞分析也能夠分析成分子,分析到原子,分析到粒子,分析到基本粒子,現在講到最小的叫夸克,一樣的。最小的夸克裡面是整個宇宙信息。你要是開悟了之後,你對於整個宇宙所謂的性相、理事、因果,哪有不通達的道理!為什麼通達?它本來就是這樣的,你融合成一體了,道理在此地。它不需要學的,只要把障礙去掉,這個障礙就是妄想分別執著。
いいえ。身体はそのように否定するのではありません。私たちの肉体と全宇宙の物質は一つになります。私たちの精神と全宇宙の精神は一つになります。それは融合して一体になります。これはなく、あれもないというのではありません。そうではなくて、それは一体であり、絶対に分けることはできません。ですから一粒の砂の中には全宇宙の情報があります。私たちの身体は物質の現象として見るなら、この肉体は細胞です。この細胞を分析すると分子になり、分子を分析すると原子になります。分析して粒子に至り、基本粒子に至ります。今最小のものはクオーク(quark)と言われています。それと同じです。最小のクオークの中には全宇宙の情報があります。あなたがもし悟ったなら、全宇宙のいわゆる性、相、理、事、因果について、通達しない道理はありません!なぜ通達するのでしょうか?それは本来そのようなものだからです。あなたは融合して一体に成るのです。道理はここにあります。それは学ぶ必要はありません。ただ障碍を取り除けば良いのです。その障碍というのは妄想・分別・執着です。

【司会者】:您知道有的人在學佛的過程中,有的人提出這樣的問題,請教您老人家。有的人就講佛家說我是假我,肉身是假的、空有的、空虛的。有人就說你這個說法是錯誤的,他喜歡抬槓,他說我拿一根針,我一下就證明你說的不對,他說我拿針一扎你,你馬上就疼得不得了。他說:你說身體如果是假的,那你這疼是真的。他說:這不就證明你這身體是真有的嗎?怎麼能是假的?
老法師もご存知のように、ある人は仏法を学ぶ過程において、このような問題を提起します。老法師にお伺いします。仏家では「我」は「仮我」(けが=偽りの自分)であると言い、肉体は偽りであり、空有であり、空虚であると説いています。ある人は、この説き方は誤りであると言います。その人は議論するのが好きで、彼は一本の針でそれが誤りだということを証明してみせると言います。彼は針で一刺しすれば、相手は痛くて仕方がないだろうと言います。彼は、身体が偽りであるなら、その痛みこそが真実であると言います。これこそが身体が本当に存在することの証明ではないかと言います。どうして偽りなのでしょうか?

【浄空法師】:不是,這不是講身體是真的、是假的。這是說分別執著是真有,你有分別執著,你沒有分別執著扎了就不痛了。
そうではありません。これは身体が真実ではないという事ではなく、偽りだということです。これは分別・執着が本当にあるということを言ったものです。あなたに分別・執着があるということです。あなたに分別・執着がなければ刺されても痛くありません。

【司会者】:扎了能不疼?
刺されても痛くないのですか?

【浄空法師】:沒錯,是的。因為你執著這個身是我,我就有痛,我就有生老病死,我就有快樂,我就有苦,如果你提升到上面那個境界,那真的沒有了。歌利王割截身體,你們在《金剛經》上讀過,真正的故事,詳細的說這段故事是在《大涅槃經》裡面,忍辱仙人他在那個境界裡面,被人凌遲處死他沒有痛苦。而且還告訴歌利王,歌利是梵語,翻成中國的意思是暴君,菩薩告訴他,我將來成佛頭一個度你。以後釋迦牟尼佛成佛,那個忍辱仙人就是釋迦牟尼佛,歌利王就是憍陳如尊者,第一個成阿羅漢,真的,說話算話。
その通りです。そうです。あなたに身体は自分であるという執着があるので、自分に痛みがあり、自分に生老病死があり、自分に喜びがあり、自分に苦しみがあるのです。もしあなたが更に高い境界に達すれば、それは本当になくなります。カーリ王(Kalingaraja=暴君の意)が身体を切り裂きました。あなた方が『金剛経』で読んだのは本当の話です。この段の詳しい話は『大涅槃経』の中にあります。忍辱仙人はその境界の中で、人に極刑に処されて苦痛はありませんでした。しかもカーリ王に言いました。カーリはサンスクリット語で、中国の意味に翻訳すると暴君です。菩薩はカーリ王に、「私が将来仏に成ったら、最初にあなたを済度しましょう」と言いました。その後釈迦牟尼仏は仏に成りました。その忍辱仙人とは釈迦牟尼仏であり、カーリ王は憍陳如尊者(きょうじんにょそんじゃ)で、最初に阿羅漢になりました。本当です。お話の通りです。

【司会者】:按照您剛才所說的原理,按照佛法所說的原理,放下執著碰到疼的東西也不疼。
老法師が先ほど仰られた原理、仏法に説かれている原理に照らせば、執着を放下すれば痛いものに当たっても痛くないのでしょうか。

【浄空法師】:沒有了,這身體它千變萬化,一個身能分無量身,不一樣,所以得大自在。你今天還有這些東西,實際上你沒有放下,分別執著都在,這個東西很難丟掉,真丟掉它不一樣。所以我們現在沒有法子徹底丟掉的時候,就天天丟、慢慢丟,一天都不要放鬆。在什麼?就是日常生活當中這些名聞利養,有的時候沒有一點歡喜心,丟掉的時候也沒有得失心,你是真的沒有了。那是什麼?緣,隨緣,緣聚緣散,真的是空。如果你要是把彌勒菩薩這個真正搞清楚,你心是定的,為什麼?念念不可得,就是《般若經》上所說的,「一切法無所有,畢竟空,不可得」,包括身體,這才叫事實真相,契入這個境界生滅沒有了,然後得失就沒有了。人最大的痛苦是患得患失,沒有得失,你說你有多自在,你看世間芸芸眾生,你就看得完全清楚,他們就像在演戲一樣,六道裡面搞這些把戲。你是在外面看,看得清清楚楚,你就不在那裡頭了,你跳出來了。
(痛みは)なくなります。この身体は千変万化して、一つの身体は無量の身体に分かれることができます。同じではありません。ですから大自在を得るのです。今日このようなものがあるなら、実際のところあなたは放下していません。分別・執着がすべてあるのです。これらを捨てるのは難しいですが、本当に捨て去れば同じではありません。今どうしても徹底して捨て去ることができないなら、毎日少しずつ捨てて、一日も怠ってはなりません。どこで行うのでしょう?それは日常生活の中で、名聞利養(みょうもんりよう=名声や利得)に対して少しも歓喜心を持たず、捨て去る時にも得失の心を持たないことです。本当になくなります。それは何でしょう?縁です。縁に身を任せます。縁による出会いと別れは、本当に空です。もしあなたが弥勒菩薩の言葉を真に理解すれば、心は定まります。なぜでしょう?何も得られないからです。つまり『般若経』に説かれている「一切法無所有,畢竟空,不可得」(一切の有形無形の存在に実体はなく、詰まる所空で あり、捉えることはできない)ということです。身体も含みます。これが事実の真相であり、この境界に入れば生滅はなくなり、そして得失はなくなります。人の最大の苦痛は損得ばかりにこだわることです。得失がなくなれば、あなたはどれほど自在になるでしょうか。あなたが世間の様々な衆生を、完全にはっきりと見極めれば、彼らはちょうど芝居をしているのと同じで、六道の中で劇を演じているのです。あなたが外を見れば、はっきりと見ることができて、あなたはその中にはいません。あなたは飛び出しているのです。


>>>人類の知らない宇宙・人生の真相08/10につづく・・・。
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/92404f93bd2b226301f51a2f157ffc5e


人類の知らない宇宙・人生の真相08/10

2013-09-30 | 調和が危機を救う

【司会者】:悟入這個境界的人,修行到一定程度的人,走在大街上,他會有一種強烈的願望,真的想幫助那些還在迷惑的人們。
この境界に悟入した人、修行が一定の程度に達した人は、道を歩いていても、迷いの中にある人々を心から助けたいと強烈に願うものなのでしょうか。

【浄空法師】:沒有,沒有這種願望,有這個願望也錯了,他還是起心動念、還是妄想分別執著。他有願,願是什麼?過去沒有成佛之前發的願,「眾生無邊誓願度」。成佛之後不起心、不動念,願兌不兌現?兌現,眾生有感自然有應。就像水實驗一樣,我們眾生一個意念對它,愛對它,它馬上好的反應就過來,自然的,絕對沒有起心動念過。釋迦牟尼佛當年示現在世間成佛,包括六祖惠能也是,他們做種種示現,你說他有沒有起心動念?他沒有。起心動念尚且沒有,哪來的分別執著!
いいえ。そのような願望はありません。この願望があっても間違いです。その人はまだ起心動念があり、まだ妄想・分別・執着があります。その人には願があります。願とは何でしょう?過去にまだ仏に成る前に発心した願、「衆生無辺誓願度」です。仏に成った後では、心を起こさず、念を動かしません。願は現れるでしょうか?現れます。衆生が感ずれば自然に応ぜられます。ちょうど水の実験と同じように、衆生が一つの意念を向ければ、愛を向ければ、それはすぐに良い反応をします。自然です。絶対に起心動念はありません。釈迦牟尼仏は当時世間に示現され仏に成られ、六祖・慧能もそうですが、彼らは様々な示現をされています。起心動念はあるでしょうか?ありません。起心動念さえないのですから、分別・執着など言うまでもありません!

【司会者】:就好像寺廟裡的大鐘我們都見過,不敲它絕對不會響。
ちょうど寺院の中の鐘のように、突かなければ絶対に響かないのですね。

【浄空法師】:對,是的,大叩則大鳴,小叩則小鳴,不叩則不鳴,叩是緣。
そうです。大きく叩けば大きく鳴り、小さく叩けば小さく鳴り、叩かなければ成りません。叩くのは縁です。

【司会者】:絕對不可能這個鐘自己在那亂響。
絶対に鐘は自ら響くことはありません。

【浄空法師】:不會,所以諸佛菩薩示現在這個世間,就是這樣的。
あり得ません。ですから諸仏菩薩がこの世間に示現されるのは、正にこのようです。

【司会者】:有人會提這樣的問題,樹它是無情眾生,山河大地、石頭包括這些磚頭它是無情眾生,它們是怎麼生出來的?
ある人はこのような問題を提起します。樹木は無情の衆生です。山河や大地、石やレンガを含めて、それらは無情(心の働きがない)の衆生です。それらはどのように生まれ出たのでしょうか?

【浄空法師】:這生出來就是最初微細的波動,怎麼生出來的?這些東西自性裡頭本來具足,六祖第三句話「何期自性,本自具足」,就是這些東西原本自性裡全有。你再去研究怎麼生的,你是在長妄念,你不斷長妄想分別執著,對於事實真相你沒有辦法完全了解,你所了解是佛說出來的,不是你親自證得的。你必須把這些念頭息掉,你完全證得了,你跟佛完全一樣,你真的明白了。你不把這個東西丟掉,你永遠不能明白。所以科學家是永遠摸不到邊際,為什麼?他用的是思考,他用的是第六意識,第六意識的分別,第七識的執著,第八識的妄想、起心動念。所以他永遠用心意識,用心意識只能在心意識範圍之內你曉得,心意識之外的是自性,你不知道。所以世間科學跟哲學永遠沒有辦法了解事實真相,道理在此地。他如果能把妄想分別執著放下,不用心意識了,叫離心意識,那他就是佛菩薩,他真的就明白了。
それが生まれ出たのは、正に最初の微細な波動によります。どのように生まれ出たのでしょう?それらは自性の中に本来具わっているものです。六祖は三句目の言葉は「何期自性,本自具足」(自性には本来すべて具わっている)です。これらはもともと自性の中にすべてあるのです。どのように生まれ出るのかをどう研究しようと、妄念を増やすことになります。あなたは妄想・分別・執着の増長を断たなければ、事実の真相を完全に理解することはできません。あなたが理解しているのは仏が説かれたものであり、自分で証得したものではありません。それらの念をなくせば、あなたは完全に証得できます。あなたは仏と完全に同じになり、本当に理解します。これらを捨てられなければ、あなたは永遠に理解できません。ですから科学者は永遠に糸口に触れることさえできません。なぜでしょう?科学者は思考、第六意識を用いるからです。第六意識の分別、第七識の執着、第八識の妄想、起心動念です。科学者は永遠に心意識を用います。心意識を用いれば、心意識の範囲内で理解するだけで、心意識の外にある自性は分かりません。ですから世間の科学と哲学では永遠に事実の真相を理解することはできません。道理はここにあります。もし妄想・分別・執着を放下することが出来て、心意識を使わず、心意識を離れれば、その人は仏菩薩であり、本当に理解できるのです。

【司会者】:同樣是在佛經上,我們能讀到這樣的話,就是無情眾生,釋迦牟尼佛也告訴我們,它是怎麼樣一個來源?
私たちは無情の衆生について、仏経に見ることが出来ます。釈迦牟尼仏も私たちに説かれています。その源はどのようなものなのでしょうか?

【浄空法師】:同樣的來源,而且你不能說是無情,我們認為是無情,其實不是的。水是礦物,無情,為什麼江本博士把它實驗出來了,它有見聞覺知,它有受想行識,這實驗出來的,這就是彌勒菩薩講的「念念成形,形皆有識」,識那就是有情的。
同じ源です。しかも無情とは言えません。私たちは無情だと思っても、実は違うのです。水は鉱物であり、無情です。なぜ江本博士がそれを実験したかと言えば、水には見聞覚知があり、受想行識【注】があるから実験できたのです。これは弥勒菩薩の説かれた「念念成形,形皆有識」(すべての念は形を形成し、形にはすべて識(心の働き)がある)であり、識というのは有情(心の働きがある)です。
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 【注】 受想行識・・・・受は感覚、想は表象、行は意志、識は知識。
 *岩波文庫『般若心経・金剛般若経』(中村元・紀野一義訳註)の訳を参照した。
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【司会者】:精神和物質是同在。
精神と物質はどちらも存在する。

【浄空法師】:對,不錯,它同時存在的。你看它經過科學實驗,把它實驗出來了,水有感情懂得人的意思,它認識字,它會聽音樂。我跟江本博士講水你實驗出來,所有物質現象統統是這樣,這麼回事情,一粒塵沙、一粒微塵、一顆原子也是統統都有。
そうです。その通りです。それは同時に存在しています。科学的な実験を通して、水には感情があり、人の意思を理解し、字を認識し、音楽を聴くことが分かっています。私は江本博士に、「あなたは水を実験しましたが、すべての物質現象はすべてこのようなもので、一粒の砂塵、一粒の微塵、一つの原子にもすべてあります」と言いました。

【司会者】:我們這是從辭典上找下來的定義,這是唯物,它的解釋是唯物主義認為世界按它的本質來說是物質的,是在人的意識之外,不依於人的意識而客觀存在,物質是第一性的,意識是物質存在的反應是第二性的。這邊講的是唯心,唯心主義認為物質世界是意識的,精神的產物。意識、精神是第一性的,物質是第二性的。這是它唯心、唯物這麼一個判斷,這麼一個概念。
辞典で(唯物と唯心の)定義を調べてみます。辞書の解釈では、唯物主義では世界の本質は物質であり、人の意識の外にあり、人の意識に依らない客観的存在であると考えます。物質は第一次的である。意識は物質的存在の反応であり、二次的なものである。 唯心主義では、物質的世界は意識であり、精神の産物であると考えます。意識、精神は一時的なもので、物質は二次的なものだとされます。これが唯心、唯物の一つの判断です。このような概念です。

【浄空法師】:不錯,這是從妄想執著裡頭生的,佛法沒有唯心,也沒有唯物。
その通りです。これは妄想・執着の中から生じたのです。仏法は唯心でも唯物でもありません。

【司会者】:全世界包括大學教授、專家學者、包括大師們都是受這種教育過來的,他們也有都持這種觀點。
全世界の大学教授、専門の学者、大師たちを含めて、皆このような教育を受けて来たので、彼らもこのような観点を持っています。

【浄空法師】:那就沒有法子了,你用這種方式,這個世界永無寧日。
それでは仕方がありません。このような方法を用いていては、世界はいつまでも寧日(ねいじつ=穏やかな日々)を迎えることはないでしょう。

【司会者】:對立的?
対立するからでしょうか?

【浄空法師】:對立,對立就有鬥爭,永遠鬥不完,鬥到最後輪迴,輪迴出來再鬥爭,永遠不能解決問題,所以這叫什麼?苦海無邊!回頭是岸。回頭是什麼?唯心、唯物都丟掉了,你回頭了,你就出來了。
対立します。対立すれば争いがあり、永遠に争いは終わりません。最後の輪廻まで争い、輪廻を出て更に争って、永遠に問題を解決できません。これを何というでしょうか?「苦海無辺」(苦界は果てしない)です!「回頭是岸」(振り向けば岸=改心すれば救われる)です。改心とは何でしょう?唯心、唯物をすべて捨て去ることです。改心すれば、あなたは(輪廻から)出ることが出来ます。

【司会者】:這都是從自己的妄心裡生出來的。
これはすべて自己の妄心から生じたのですね。

【浄空法師】:對,妄心生的,從佛法跟你講心跟物是同時發生的,是一體的,這裡面包括因果。為什麼?波動是因,萬物出現是果,所以精神、物質跟因果是同時發生的,發生在什麼時候?就發生在一千二百八十兆分之一秒。
そうです。妄心から生じたものです。仏法では心も物も同時に発生したと説いています。一体なのです。この中には因果が含まれています。なぜでしょう?波動は因であり、万物が出現したのは果です。ですから精神、物質は因果と同時に発生したのです。いつ発生したのでしょう?一千二百八十兆分の一秒で発生しました。

【司会者】:一動這個念頭就都有了。
ひとたび念が動けばすべてがあるのですね。

【浄空法師】:對,全發生了,而且是念念相續,相續它並不是真的相續,為什麼?它每一個念頭都不一樣,就像我們看電影那個底片一樣,你就想那個東西,你就能想到了。現在我們電影放映的速度,是一秒鐘二十四分之一秒,現在我們看宇宙這個立體現象,是一秒鐘一千二百八十兆分之一秒。
そうです。すべてが発生します。しかも「念念相続」(絶え間なく継続している)です。継続するのは本当に継続するのではありません。なぜでしょう?どの念も同じではないからです。ちょうど私たちが見る映画のフィルムと同じです。あれを考えてみれば、理解することが出来ます。映画の放映される速度は、二十四分の一秒です。現在私たちは宇宙という立体の現象を見ていて、それは一千二百八十兆分の一秒なのです。

【司会者】:您知道按照這種解釋世界的方法,唯心或者唯物有些情況、有些現象就解釋不通了,譬如說像水實驗,如果說水是物質的,它不應該有精神反應。
老法師もご存知のように、このように世界を解釈する方法では、唯心、或いは唯物では解釈が通らない所が出て来ます。例えば水の実験のように、水は物質ですから、精神に反応するはずがないということになります。

【浄空法師】:不錯,它不應該會聽、會看、懂得人的意思。江本博士在聯合國做了好幾次報告,是聯合國邀請,科學家證實這是符合科學的,這不是假的。
その通りです。聞くことも、見ることも、人の意思もできるはずがないということになってしまいます。江本博士は国連で何度も報告を行っています。国連の招待です。科学者がこのことは科学に符合していることを実証しています。これは嘘偽りではありません。

【司会者】:那人類現有的這些哲學體系也有問題?
それでは人類が現在持っている、それらの哲学体系にも問題があるのでしょうか?

【浄空法師】:是有問題,慢慢來!慢慢來,現在我們覺得科學跟佛法走的是愈走愈近了,所以慢慢他要是不能把分別執著放下、徹底放下,他永遠進不去,但是接近到邊緣,這好事情。
問題があります。気長にやりましょう!今私たちは科学が仏法に少しずつ近づいていると感じています。少しずつ分別・執着を放下して、徹底的に放下できなければ、永遠に理解できません。しかし周辺に近づいてはいます。これは良いことです。

【司会者】:一直以來有個誤解,認為佛教佛法是唯心的。經過您這麼一講,他所講的那個唯心和佛法裡所說的「一切唯心造」是兩回事?佛法所說的唯心造是本體。
ずっと誤解していました。仏教、仏法は唯心なのだと思っていました。老法師のお話を通して、唯心と仏法で説かれている「一切唯心造」(すべては心が造り出している)とは別のことなのですね?仏法で説かれている「唯心造」は本体のことですね。

【浄空法師】:兩回事情。佛法講的唯心是波動、是念頭,念頭的波動。
別のことです。仏法が説く唯心は波動であり、意念です。意念の波動です。

【司会者】:唯心所現,唯識所變,這兩個心。
唯心所現、唯識所変」(すべては心によって現れ、意識によって変化する)、この二つの心。

【浄空法師】:一個是真心,一個是妄心。識是妄心,識就是裡頭有分別執著,有分別執著它就產生變化。
一つは真心、一つは妄心です。識は妄心であり、識の中には分別・執着があり、分別・執着があれば変化が生じます。

【司会者】:識是那個心生出來的。
識はその心が生み出したものですね。

【浄空法師】:對,它是從真心顯現,識就是這個東西,戴上這個就是,我們眼睛是真心,戴上這個就叫做識,這個東西拿掉了,真心就現前。就像我們戴眼鏡一樣,你戴上眼鏡看東西,那就是妄心,妄心離不開真心,跟真心是一體的。
そうです。それは真心から顕現しました。識はこのカラー・シートであり、これを被せたものです。私たちの目は真心で、これを被せれば識と言います。これを取れば、真心は目の前に現れます。ちょうど眼鏡をかけるのと同じで、眼鏡をかけて物を見るのが妄心であり、妄心は真心と離れることはできません。真心と一体なのです。

【司会者】:它是它生出來的。
それ(妄心)はそれ(真心)が生み出したものですね。

【浄空法師】:對,真心裡頭沒有妄心,妄心一定帶真心。
そうです。真心の中に妄心はありません。妄心には必ず真心が含まれます。

【司会者】:人們常說一句話,「我有個想法」,他有個想法,這個想法、這個現象就是真心生出來的。
人々はよく「私に考えがある」と言います。その人の考え、その考え、その現象は真心から生み出されたものなのですね。

【浄空法師】:對。你去看《六祖壇經》,六祖說他沒有想法。
そうです。『六祖壇経』を読むと、六祖は、考えはないと言っています。

【司会者】:這個本體能生出來精神現象,也能生出來物質現象?
この本体は精神現象を生むことができ、また物質現象も生むことができるのでしょうか?

【浄空法師】:不錯,同時生的。
その通りです。同時に生じます。

  所以佛四十九年跟你講那麼多經、講那麼多事實真相,跟你解釋。解釋你是聽到什麼?你是聽到別人說的、給你介紹的,你自己沒有親證。但是佛是個了不起的科學家,他不是說我講的這個,你相信就可以了,不是,止於證,你要證得,你要把我所講的全部證實,那就是你的。
ですから仏陀は四十九年これほど多くの経、これほど多くの事実の真相を説いて、あなたに説明しています。解釈から何を聞くのでしょうか?他人が説いたこと、紹介したことを聞いただけで、あなた自身は実証していません。しかし仏陀は素晴らしい科学者です。仏陀は、自分の説いたことを信じれば良いとは言っていません。そうではありません。「」と「【注】。あなたは証得しなければなりません。仏陀が説かれたことをすべて実証すれば、それはあなたのものです。
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 【訳者注】
  止・・・・心の働き、煩悩の働きを止めること。
  証・・・・実相を見極めて証得する(悟る)こと。
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【司会者】:所以有人聽您講他就不明白,因為您讓大家說「你不要想」,他就會說「我不要想,我怎麼能明白」?
ある人は老法師のお話が理解できません。なぜなら老法師は皆に「考えるな」と言います。その人は「考えてはいけないなら、どうやって理解できるのでしょう?」と言います。

【浄空法師】:現在是要想,現在我講的東西你是要想,想盡了你就不要想。為什麼?你想真正親證,那你就得放下,「言語道斷,心行處滅」,你就親證這個境界。
今は考えなければなりません。今は私が話したことを考えなければなりません。考え尽くしたら、考えることはありません。なぜでしょう?本当に自分で証得したいなら、あなたは放下しなければなりません。「言語道断,心行処滅」(ごんごどうだん、しんぎょうしょめつ)。あなたは自分でこの境界を証得するのです。

【司会者】:我們平時常說的一句俗語叫不可思議,就是這個意思。
私たちは平素よく不可思議という言葉を使いますが、つまりこの意味なのですね。

【浄空法師】:沒錯,對。不能夠思,不能夠議,議就是言說,說不出來的。
その通りです。そうです。思うことも、語ることもできません。「議」とは話すことです。話すことはできません。

【司会者】:宇宙人生真相就知道。
それで宇宙・人生の真相が理解できる。

【浄空法師】:對。我們中國文字是智慧,你看「思」,思是什麼?心上面畫上一個格子是分別。
そうです。中国の文字は智慧です。「思」という字を見て下さい。「思」とは何でしょう?心の上の格子(田んぼの田)は分別です。

【司会者】:分成了四半。
四つに分かれています。

【浄空法師】:那就是分別。想是相,就是執著。
それが分別です。考え(想)は相であり、それが執着です。

【司会者】:上面有個相。
上に相があります。

【浄空法師】:心上有個相,什麼時候你要見到真相?你把那個思(分別)去掉,把那個想去掉,真心露出來了,不就這個道理嗎?
心の上に相があります。いつになったらあなたは真相を見るのでしょうか?あなたが思い(分別)を捨て去り、考え(想)を捨て去れば、真心が現れます。この道理ではないですか?

  所以悟了之後,性在哪裡?頭頭是道,左右逢源,隨拈一法哪一法不是自性?才真的恍然大悟,分別執著完全沒有了。
ですから悟った後、性(本性)はどこにあるでしょう?すべてが道に適い、物事が順調に進み、自由にどの法を取っても自性でないものはありません。それでこそ本当に大悟したということです。分別・執着は完全になくなります。

【司会者】:在佛經上有一個道理,我們套用在生活中能不能這樣講,譬如說您老人家,說是老教授,非是老教授,是名老教授?
仏経には一つの道理があります。私たちは生活の中でこのように言うことができるでしょうか。例えば老法師は、老教授と言い、老教授ではなく、名は老教授なのでしょうか?

【浄空法師】:沒錯,是這樣的,《金剛經》上的。
その通りです。そうです。『金剛経』のものです。

【司会者】:譬如說這是我,說是我,非是我,是名我,是名我的意思就是?
例えば、これは私です。私と言い、私ではなく、名を私と言います。名を私と言うのはつまり・・・。

【浄空法師】:就是我們跟一般人交流,你不用這個方法,你就不能溝通,所以說一定要隨俗、要恆順眾生。他是小學生,你是大學教授,到小學教室裡面來,你必須把它降等,降到你是小學教師,你才能跟小學生溝通,就這個道理。
私たちは一般の人と交流するのに、この方法を使わなければ意思の疎通ができません。ですから必ず世間の習慣に従い、衆生に沿わなければなりません。人が小学生で、あなたが大学教授です。小学校の教室に来たなら、あなたは必ず等級を下げなければなりません。小学校の教師まで下げて、ようやく小学生と意思の疎通ができます。このような道理です。

【司会者】:和光同塵?
和光同塵ですね?

【浄空法師】:和光同塵。
和光同塵です。

【司会者】:只有覺悟的人才能做得到。
悟った人だけができることです。

【浄空法師】:沒錯,他永遠是恆順眾生,隨喜功。所以這後頭就講到四,這四個是性,這是最根本的、最原始的四。第一個就是隨緣,叫隨緣妙用,怎麼妙用?雖然隨緣,你沒有分別執著,隨順別人的分別而分別,隨順別人的執著而執著,自己確實沒有。你說這茶杯,你執著這茶杯,我也叫它做茶杯;你執著這是椅子,我也跟你講也是椅子,這大家好溝通。
その通りです。その人は永遠に衆生に沿い、喜んで功徳を積みます。その後には四徳が説かれます。その四つは性徳であり、最も根本的で、最も原始的な四つの徳です。一つ目は隨縁(縁に随うこと)です。随縁妙用(縁に随うことで生じる不思議な作用のこと)と言います。どのように妙用なのでしょうか?縁に随っても、分別・執着はありません。他人の分別に沿って分別し、他人の執着に沿って執着します。その人自身にはありません。この湯呑みを湯呑みだと執着して、自分で湯呑みと言い、この椅子に執着して自分で椅子だと言えば、皆と意思の疎通がしやすいということです。

【司会者】:實際上自己沒有任何想法。
実際には自分には如何なる考えもないのですね。

【浄空法師】:自己完全沒有。
自分には完全にありません。

【司会者】:沒有任何念頭。
如何なる念もありません。

【浄空法師】:自己完全了解事實真相是一千二百八十兆分之一秒的速度在波動。
事実の真相は一千二百八十兆分の一秒の速度の波動だということを、自分で完全に理解しています。

【司会者】:在生滅。
生滅している。

【浄空法師】:對,它就是跟電影一樣,一個道理,明白的人他就曉得,他怎麼會執著?不可得!念念不可得,這個念是細念不是粗念,細念就是講一秒鐘裡面有一千二百八十兆的念頭,念念不可得。
そうです。それは映画と同じです。一つの道理です。理解した人には分かります。人はどうして執着するのでしょう?得ることはできないのです!どの念も得ることはできません。この念は細かな念であり、粗い念ではありません。細かな念とは一秒間に一千二百八十兆の念があり、どの念も得ることはできません。

【司会者】:所以真看透、真想明白,他那個心。
その心を本当に見極めて、本当に理解しているのですね。

【浄空法師】:定的,絕對不會受外面境界波動。
定まっています。絶対に外界の波動に影響されません。

【司会者】:面前過去一個美女,假的。
目の前を美しい女性が通り過ぎても、偽りなのですね。

【浄空法師】:不錯,絕不會受外頭影響。
その通りです。絶対に外界の影響を受けません。

【司会者】:好吃的,怎麼還有好吃的?
美味しいもの、どうして美味しいものがあるのでしょうか?

【浄空法師】:也不會動心,就是說飲食起居,一切接觸如如不動,而且你面面周到。
やはり心を動かしません。飲食・起居において、接触するもの一切に心を動かしません。しかもどの方面にも周到です。


>>>人類の知らない宇宙・人生の真相09/10につづく・・・。
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/d8deb0d3451940078e35813752d241c3


人類の知らない宇宙・人生の真相09/10

2013-09-30 | 調和が危機を救う

【司会者】:有人會講,我心裡沒念頭,那還能生活嗎?
ある人は言います。自分の心に念がなくて、それで生活できるのでしょうか?

【浄空法師】:沒有念頭是充滿了智慧,念頭是煩惱,轉煩惱成菩提,那你的生活是智慧的生活,是高級的生活不是普通的,方老先生講的「人生最高的享受」。
念がなければ智慧が満ち溢れます。念は煩悩です。煩悩を転じて菩提と成せば、あなたの生活は智慧の生活です。高級な生活であり普通のものではありません。方老師【注】が言われた「人生最高の享受」です。
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 【注】 方東美老師(1899-1977)・・・・元の名は、字は東美。中国安徽省桐城の人。哲学者。清代の桐城派古文創始者である方苞先生の第十六世の孫。1921年にアメリカに留学経験があり、プラトンなどギリシャ哲学にも造詣が深い。浄空法師を私塾の形式で教育し、仏門に導いた人物。(中国語版ウィキペディアより抜粋して翻訳、一部加筆)
参考:http://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E6%9D%B1%E7%BE%8E
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【司会者】:別人看不出來,他只看到一個人在這,也是跟他一樣行住坐臥,但是境界完全不同。
他人には見分けがつきません。ただここに人がいて、人と同じように日常の振る舞い(行住坐臥)をしています。しかし境界は完全に異なります。

【浄空法師】:不錯,看不出來,完全不一樣,對。
その通りです。見分けはつきませんが、完全に異なります。そうです。

【司会者】:您曾講,譬如佛法講放下妄想分別執著,這個人就證得佛果。那有人他不服,他就問一個問題。譬如這一分鐘,我放下了妄想分別執著,那好了這是成佛,那他就會問,如果成佛了那這個人是誰?他還會問這麼個問題。
老法師はかつてこう話されました。例えば仏法では、妄想・分別・執着を放下すれば、その人は仏果を証得すると説かれています。ある人は納得できず、一つの問題を提起します。例えばこの一分間、私は妄想・分別・執着を放下します。それなら仏に成ります。それではもし仏に成ったなら、その人は誰なのでしょうか?このような問題を提起します。

【浄空法師】:這個人還是他自己,而且可以老實告訴他,你沒有放下,你要放下,你不會有這個問題。放下是你教我,不是我教你了,因為我還沒有到那個境界,不是一樣的。
その人はやはりその人自身です。しかも正直に申し上げるなら、その人は放下していません。放下すればそのような疑問を持ちません。放下はあなたが私に知らせることで、私があなたに知らせることではありません。私はまだその境地に達していません。(達したのなら)同じではありません。

【司会者】:科學家們聽到佛法裡有這樣的一句話,叫「芥子納須彌」,很小的那個芥菜子,它能夠把須彌山,咱們不要說須彌山,就說很高的一座大山能夠容納進去,那怎麼來解釋?
科学者たちは仏法のこのような言葉を聞きます。「芥子納須弥」(芥子は須弥を納る)【注】。小さな芥子菜(カラシナ)は、大きな須弥山(しゅみせん)を・・・・、須弥山を引き合いに出すまでもなく、高い山を収容することができるという意味です。それはどう解釈できるのでしょうか?
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 【注】 「芥子納須弥」・・・・芥子(けし)は須弥(しゅみ)を納(い)る。
   小さな芥子粒にも巨大な須弥山という山が納まる、の意。
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【浄空法師】:我跟你講,現在你看晶片(電子晶片),指甲這麼大的電子晶片,裡面可以容納一部《大藏經》,這不就是「芥子納須彌」嗎?
今のマイクロチップを見て下さい。爪ほどの大きさのマイクロチップの中には『大蔵経』を一部入れることができます。これが正に「芥子納須弥」(芥子は須弥を納る)ではないですか?

【司会者】:是。
そうですね。

【浄空法師】:你看看這就是大小不二。佛經上講的它沒有這麼大,這指甲太大了,佛經上講的是微塵,微塵就是今天講的基本粒子,量子力學裡面講的最小的夸克,那裡面包容整個宇宙。你今天這麼大一個東西才包一部《大藏經》算什麼?不能比!它那裡頭一粒微塵裡面的資訊是整個宇宙的東西都包括在裡頭,不但是現前,過去、未來全在裡頭,不可思議。跟你講的全是真的,只要你肯放下你就證實了。所以真的要想研究這個東西,搞清楚、搞透徹,《華嚴》是很好的資料。
どうですか、これが正に大小不二というものです。仏経に説かれているのはそれほど大きくありません。爪では大きすぎます。仏経に説かれているのは微塵です。微塵とは今日言うところの基本粒子です。量子力学で言われる最小のクオークの中には、全宇宙が含まれています。今日この大きさの物に、一部の『大蔵経』がやっと含まれていても大したことはないでしょう?比べようがありません!一粒の微塵の中には、全宇宙の情報が含まれているのです。目の前のことだけでなく、過去、未来、すべて中にあります。不可思議です。あなたに話したことはすべて本当です。ただ放下しさえすれば実証することができます。ですから本当にこれを研究して、はっきりと、透徹させたいなら、『華厳経』はとても良い資料です。

【司会者】:剛才我們說到這個本體,佛在《金剛經》上講,「若菩薩有人相、我相、壽者相、眾生相,即非菩薩」,也就是菩薩、佛是無相的。但是我們知道,分明有地藏菩薩、觀音菩薩、普賢菩薩、文殊菩薩,分明有四大菩薩、四大名山。那有人就想請教這個問題,舉個例子,到底有沒有觀音菩薩?
先ほど本体に話が及びました。仏陀は『金剛経』で、「若菩薩有人相、我相、壽者相、衆生相,即非菩薩」(もし菩薩に我相、人相、衆生相、壽者相あらば、即ち菩薩に非ず)と説かれています。つまり菩薩、仏は相がないということです。しかし私たちは、地蔵菩薩、観音菩薩、普賢菩薩、文殊菩薩の区別を知っています。四大菩薩、四大名山を区別しています。そこである人は次の問題について教えを請います。例を挙げますと、そもそも観音菩薩はいるのでしょうか?

【浄空法師】:這個問題是這樣的,說無相,是你沒有執著的相、沒有分別的相、沒有妄想的相,外面境界絲毫不爽,是說這個。無我相並不是我沒有了,我在,我不在怎麼會起作用?可是什麼?我並沒有執著有個我。這個我是什麼?我們講一個很淺顯的,沒有自私自利、沒有名聞利養、沒有五欲六塵、沒有貪瞋痴慢,這叫無我相,不是說連這個都沒有,這個意思一定要懂,講到終極就是你沒有妄想分別執著。相怎麼樣?需要相,相要幫助眾生。所以我們前面講到本體、講到現相,波動的時候就產生現相,現相有三個特質,這要跟你們說明白。第一個它是周遍法界,無論是物質、是精神那個微細的波動周遍法界,所以它通的,它沒有障礙的,速度是極快的。
この問題はこうです。無相と言うのは、執着する相がなく、分別する相がなく、妄想する相がなく、外の境界に少しも偽りがないことを言います。無我相(自我への執着がない)とは、自分がないことではありません。自分はあります。自分がいなければどうして役に立つでしょうか?しかし、自我があることに執着はありません。その我とは何でしょう?浅い所で言えば、私利私欲がなく、名聞利養(みょうもんりよう=名声や利得)がなく、五欲六塵【注】がなく、貪瞋痴慢がないこと。これを無我相と言います。これさえ全てないのではありません。この意味は必ず理解しなければなりません。突き詰めて言えば、妄想・分別・執着がないということです。相はどうでしょう?相は必要です。相は衆生を助けています。ですから先ほど本体、現相(現れる相)に話が及びましたが、波動は現相を生みます。現相には三つの特質があり、これは明確に話さなければなりません。一つ目は周遍法界(法界(全宇宙)を遍く行き渡る)です。物質・精神の、その微細波動は法界を行き渡ります。それは通ってしまい、障碍はなく、速度は極めて速いものです。
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 【注】 五欲(ごよく)・・・・目、耳、鼻、舌、身の五つの感覚器官(五根)が、それぞれ色、声、香、味、触の感覚対象に対して起こす欲望のこと。または、財欲、色欲、飲食(おんじき)欲、名欲、睡眠欲のこと。
     六塵(ろくじん)・・・・・色、声、香、味、触、法の、煩悩を起こさせる六境のこと。
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【司会者】:這就是你講過起心動念,虛空法界全都感受到。
これが老法師が仰った、起心動念、虚空法界をすべて感受するということですね。

【浄空法師】:沒錯,全都感受到了,不起心動念也感受到,因為不起心動念,那個波是更細,它總是有波,沒有波動,現相就沒有了,所以「覺後空空無大千」。那現在現相還在,就證明微細的波動從來沒有中斷過,就好像跟電影銀幕上,你這個電沒有斷掉,你要是一斷掉,銀幕上的畫面馬上就沒有了,所以你從來沒有斷過,微細的那個波動沒斷過。所以這個是一定要懂得,那個要一斷相就沒有了。所以現在相還在,就說明這個機器在轉動,不停的在轉動。但是無我相是什麼?你沒有妄想分別執著,沒有這個。所以沒有執著這就是阿羅漢,沒有分別就是菩薩,沒有起心動念就是佛,在不在?都在人間。阿羅漢也在人間,菩薩也在人間,佛也在人間,他們是不是真的?是真的,因為他們沒有妄想分別執著。凡夫有妄想分別執著。所以四裡面第一個隨緣妙用,隨緣是什麼?身體現在這裡幫助眾生解決問題;妙用是什麼?他雖用,確實他沒有分別執著,他那個分別是隨順眾生的分別而分別,隨順眾生執著而執著,這叫妙用。他不是自己真有分別、真有執著,所以妙在此地。
その通りです。すべて感受することができます。起心動念を起こさなくても感受することができます。起心動念を起こさなければ、その波動は更に細かくなりますが、常に波動があります。波動がなければ、現相はなくなります。ですから「覚後空空無大千」(かくごくうくうむだいせん=覚りを得た後ではすべてが空であり、三千大千世界に実体はない)ということです。今はまだ現相があります。それは微細の波動が中断したことがないことの証明です。ちょうど映画のスクリーンのように、電気が断たれたことはありません。もし断たれれば、スクリーンの画面はすぐに消えてしまいます。ですから現在まだ相があるということは、その機械が稼働しているということです。止まることなく稼働しています。しかし「無我相」とは何でしょう?あなたに妄想・分別・執着がなければ、これはなくなります。執着がなければ阿羅漢です。分別がなければ菩薩です。起心動念がなければ仏です。いるでしょうか?すべて人間界にいます。阿羅漢もいます。菩薩もいます。仏もいます。彼らは本物でしょうか?本物です。なぜなら彼らには妄想・分別・執着がないからです。凡夫には妄想・分別・執着があります。四徳の一つ目は「随縁妙用」(縁に随うことで生じる不思議な作用のこと)です。随縁とは何でしょうか?ここに身体を現して衆生が問題を解決する手助けをします。妙用とは何でしょう?用いても分別・執着を持ちません。その人の分別は衆生の分別に沿った分別であり、衆生の執着に沿った執着です。これを妙用と言います。その人自身に本当に分別・執着がある訳ではありません。妙というのはここにあります。

  佛菩薩沒有一定的形相,「隨眾生心,應所知量」,這是《楞嚴經》上講的,隨著眾生他的心想,佛自自然然現相。就像水結晶一樣,水確實沒有分別執著,也沒有妄想,眾生有什麼念頭它就回應什麼,所以這叫做感應道交,眾生有感它就有應。我們這個山河大地,你每天所接觸的芸芸眾生,都是自己心念所感得的,這是一般人不知道,但是事實真相是如此。所以我們的心如果清淨,你看到一切人沒有一個不清淨,我們的心善良,你看到整個宇宙之間沒有一個不善良。
仏菩薩には一定の形相はありません。「隨衆生心,応所知量」(衆生の心に随い、所知の量に応ず)、これは『楞厳経』に説かれています。衆生の心に随って、仏は極自然に現相します。水の結晶と同じです。水には確かに分別・執着はなく、また妄想もありません。衆生にある念があれば水はそれに応えます。これを感応道交(かんのうどうこう)と言います。衆生に思いがあれば、仏はそれに応じます。山河や大地、毎日接触する大勢の衆生たちは、皆自分の心の念が感得したものです。これは一般の人は知りません。しかし事実の真相はこのようなものです。私たちの心がもし清浄であれば、あなたが目にするすべての人は、一人として清浄でない人はいません。私たちの心が善良であれば、あなたが目にする全宇宙には、一人として善良でない人はいません。

【司会者】:我們在生活中常聽人講這個話,「我看這個人愈看愈不順眼」,實際上是他今天生氣了。
私たちは生活の中で、「この人は見れば見るほど気に入らない」と人が言うのを聞きますが、実際にはその人が今日機嫌が悪いということです。

【浄空法師】:沒錯。
その通りです。

【司会者】:有一句話叫「人逢喜事精神爽」,他心裡高興了,他看什麼都高興。
人逢喜事精神爽」(喜び事に逢うと爽快になる)という言葉があるように、その人が喜んでいれば、何を見ても嬉しいものです。

【浄空法師】:對,不錯。所以契入境界之後,我們才真正明白,「人人是好人,事事是好事」。他做的惡事,消業障,他墮到三惡道,他在消業障,好事,要不然他的業障怎麼消得掉?業障消完之後他就離開了,他就出來了。就好像人做錯事情犯法了,判他坐監獄,是好事,為什麼?他要把他的罪過在那裡懺悔,刑期滿不就出來了嗎?那是他應得的。所以三惡道也就同監獄差不多,意思一樣,所以自作自受。世間監獄還是政府建設的,三惡道沒有人建設,是自己心裡變化出來的,沒有人建設。
そうです。その通りです。境界に入った後、ようやく「人人是好人,事事是好人」ということが本当に理解できます。人がした悪い事は自分の業障【注1】を解消し、三悪道【注2】に堕ちれば、その人は業障を解消します。良い事です。そうでなければその人の業障はどのように解消するのでしょうか?業障を解消し終われば、その人はそこを離れます。出て来ます。ちょうど人が間違った事をして法を犯したら、監獄に行く判決が下ります。良い事です。なぜでしょう?その人は自分の犯した罪をそこで懺悔して、刑期が終われば出ることができるでしょう?それはその人が得るべきものです。ですから三悪道は監獄と同じです。意味は同じです。自業自得なのです。世間の監獄は政府が建設したものですが、三悪道は誰が建設したのでもありません。自分の心が変化したものです。誰も建設してはいません。
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 【注1】 業障(ごうしょう、ごっょう)・・・・過去の悪業によって生じた障害のこと。
 【注2】 三悪道(さんあくどう)・・・地獄道、餓鬼道、畜生道の三つ。悪業の結果、人が堕ちていく世界。(=三悪趣)
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【司会者】:因為那個心太惡了,他自然就出來那樣的境界。
心が悪い為に、その人は自然にそのような境界に出てしまうのでしょうか。

【浄空法師】:對,不錯。就好像人作惡夢一樣,那個惡夢誰給你製作的,壞事做多了天天作惡夢,不就是這個樣子嗎?所以三惡道也是這種情形變現出來的。所以妙用,那個妙是真妙,他跟我們完全不一樣,我們凡夫就不妙,為什麼?有分別執著就不妙,沒有分別執著就妙,全是智慧他沒有煩惱。第二個行是威儀有則,這一句話就是像北京師範大學的這兩句話一樣,「學為人師,行為世範」。只要是佛菩薩應化在世間,他所表現的想,他本來沒有想,他也表現想、也表現言語、也表現動作,都是給世間人做最好榜樣,這叫「威儀有則」,則是原則。這榜樣也不一定,千變萬化,譬如眾生持戒持得很嚴謹,錯了,太執著,他就示現放蕩,示現大自在,告訴你戒要這樣持法。
そうです。その通りです。ちょうど人が悪夢を見るのと同じように、その悪夢は誰がつくったのかと言えば、悪い事をたくさんしているから毎日悪夢を見るのです。そうではありませんか?三悪道もこの状況が変化して現れたものです。妙用の妙というのは本当に妙です。その人は私たちとは完全に異なります。私たち凡夫は妙ではありません。なぜでしょう?分別・執着があれば妙でなくなります。分別・執着がなければ妙です。すべてが智慧となり煩悩はありません。二つ目の徳行は「威儀有則」(威儀に則あり)です。この言葉は北京師範大学の(校訓)「学為人師,行為世範」(学びて人の師と為り、行いて世の範と為る)と同じです。仏菩薩が世間に応化(状況に応じて姿を現すこと)する際には、その人に何の考えはなくても、考えを表現し、言葉を表現し、動作を表現します。すべて世間の人に最高の模範を示します。これを「威儀有則」と言います。「則」とは原則のことです。この模範も決まったものではなく、千変万化します。例えば衆生が厳しく持戒し過ぎて、誤り、執着し過ぎていれば、その人は放縦な姿を示現します。大自在を示現して、戒はこのように守るのだと言います。

【司会者】:執著。濟公和尚。
執着。済公和尚。

【浄空法師】:對,他就示現這個樣子,叫你不要執著。如果大家都是放蕩不持戒,他就示現一個持戒很嚴,都是教人的。
そうです。彼はその姿を示現して、執着させまいとしました。もし皆が放縦で持戒せずにいれば、その人は厳しく持戒する人として示現します。すべて人を教えているのです。

【司会者】:就根據眾生的需要。
衆生の需要によるのですね。

【浄空法師】:對,當前的需要,不是過去的,也不是未來的,現前的需要。現前的需要是什麼?譬如今天我們這個社會動亂,全世界動亂,需要什麼?需要倫理、需要道、需要因果,古聖先賢這三樣東西,所有宗教裡面這三樣東西,如果天天講、天天普及,這個社會馬上就太平了,這是當前需要。所以佛法裡好東西多得很。第三條是「柔和質直」,這就是做人基本的態度,這是世間人也是出了問題。我們處事待人接物,外表要柔和,內心要真誠,質直就是真誠,沒有虛偽、沒有虛假,以真誠心柔和的來待人接物。最後一條「代眾生苦」,眾生苦難太多了,你住在這個地方也得受苦受難,代眾生受苦。因為你可以不來,你為什麼來?眾生太苦。教化眾生不容易,你好心對待他,他用惡意對待你,你還得接受,你還得忍著,你才能辦事。否則的話,像阿羅漢一樣碰到這種情形,算了,我不教你了,我走了,那是阿羅漢。菩薩不是的,菩薩必須要幫助你回頭,你怎麼侮辱他,他都能承受,所以菩薩有慈悲心,阿羅漢慈悲心差一點。所以這是四,這四是性。
そうです。当面の需要です。過去や未来のものではなく、当面の需要です。当面の需要とは何でしょう?例えば今日私たちの社会は乱れています。全世界が乱れています。何が必要でしょうか?倫理、道徳、因果が必要です。古の聖賢のこの三つです。すべての宗教の中にこの三つがあります。もし毎日講義して、毎日普及すれば、この社会はすぐに平和になります。これが当面の需要です。仏法の中には良いものがたくさんあります。三つ目は「柔和質直」です。これは正に人としての基本的な態度です。これは世間の人にも問題が生じています。私たちは人間関係において、外側を柔和にして、内側の心を真誠(誠実でうそ偽りのないこと)にします。質直とは真誠であり、虚飾や虚偽はなく、真誠の心で柔和に人と接することです。最後の一つは「代衆生苦」です。衆生の苦難は多く、あなたが住んでいる場所で衆生に代わって苦難を受けることです。なぜならその人は(この世に)来なくても良いからです。なぜ来たのでしょう?衆生が苦しんでいるからです。衆生を教化するのは容易ではありません。好意をもって待ち、人が悪意を持って接しても受け入れなければなりません。耐え忍ぶことができて、ようやく事を成し遂げることができます。そうでなければ、阿羅漢と同じように、そのような状況に遭遇しても、教えることなく去ってしまいます。それは阿羅漢です。菩薩は違います。菩薩は必ずあなたが改心するのを助けます。あなたがどれほど侮辱しようと、菩薩はすべて受け入れます。菩薩には慈悲心があります。阿羅漢の慈悲心は少し劣ります。この四徳は性徳です。

【司会者】:在人世間我們如果仔細觀察,有些人具備了這四,他就是菩薩再來?
世間において私たちは細かく観察してみて、この四徳を具えている人がいれば、その人は菩薩の再来なのでしょうか?

【浄空法師】:對,是的。你細心觀察,這四真的是菩薩再來,那就不是凡人。這是基本的東西就講到此地,然後才教你怎麼樣修行、怎麼提升,那就是看破、放下。所以看破好像是在最後的,沒有前面這個你一定看不破,你也放不下,給你講看破放下,那是提醒、提醒你,不起作用的,真有前面這個底子,他就真的會看破、真的會放下。
そうです。注意深く観察して、この四徳が本物なら菩薩の再来です。それは凡人ではありません。基本的な話はここまでにして、その後ようやくどのように修行するのか、どのように向上するのかを教えます。それが看破、放下です。看破は最後に置かれます。先のそれがなければ、あなたは絶対に看破できません。また放下することもできません。看破と放下を教えるのは、注意喚起です。すぐ役には立ちません。本当に先のその基礎があれば、その人は本当に看破し、本当に放下することができます。

【司会者】:你所說的前面就是體性,體、相、用。
老法師が言われる先のものとは体性(本質)でしょうか。体、相、用。

【浄空法師】:對,前面是理,叫你統統搞清楚,然後你就曉得,為什麼叫你放下?為什麼叫你看破?這才能搞清楚,原來看破放下有這麼大的好處。
そうです。先のものは理(道理)です。あなたにすべてを明瞭にさせ、その後あなたは理解します。なぜ放下させるのか、なぜ看破させるのか、それがようやく明らかになります。看破・放下にはそれほど大きな利点があるのです。

【司会者】:有人提這樣的問題,現在災難很多,如果這個人世間真的有佛菩薩,他們為什麼不能讓這些災難不發生?
ある人はこのような問題を提起します。今は災難がとても多いです。もしこの世間に本当に仏菩薩がいるなら、彼らはなぜ災難を発生させなくできないのでしょうか?

【浄空法師】:不可以。為什麼?佛法常講「心佛眾生三無差別」,這個力量是均等的。心就是自性,這個力量很大,能生萬法;佛的力量很大,覺悟的,覺的這力量大;第三個是眾生的業力,跟這是平等的。眾生的業力如果結合到佛法問題能解決,他要是脫離不接觸的話,他自己的力量沒辦法,佛幫不上忙。換句話說,你得要接受佛菩薩力量幫忙,一結合這力量就大了,就能化解一切災難,就能消除一切業障。我們學佛就真正體會到,如果我們沒有接觸佛法,不曉得這個,我的命早就沒有了,早就死了,死了依舊搞六道輪迴去了,永遠不能脫離。所以我們不能不感恩老師,不是老師介紹,我小時候很頑固,就是堅固執著,總以為自己是對的,誰跟我說,我還有辯才,死的我能把它說成活的,很難把我說服。所以碰到方先生,真的服了,接受了。這是一個長者,那麼樣的慈悲,那麼樣的愛護,我跟他無親無故,我也沒有任何背景,遇到這個人這麼樣的愛護,所以就完全接受。接受之後真的像他所說的。所以以後我出家了,碰到他,你真幹?是!人生最高的享受,那怎麼不真幹?沒有一個不說我學佛迷了,怎麼迷得這個樣子?只有方老師說:你走對了。只有他鼓勵我,你完全對了。
できません。なぜでしょう?仏法ではよく「心仏衆生三無差別」(心・仏・衆生、この三つに差別はない)と言われ、その力は等しいものです。「」とは自性です。その力はとても大きく、万法を生むことができます。「」の力は大きく、覚りの力は大きなものです。三つ目は「衆生」の業力で、それらと平等なのです。衆生の業力は仏法と結合すれば問題は解決できます。もし離れて接触しなければ、その人自身の力ではどうしようもなく、仏も助けることはできません。言い換えれば、あなたが仏菩薩の力による助けを受け入れれば、結合してその力は大きくなり、一切の災難を解消することができます。つまり一切の業障を解消することができます。私たちは仏法を学んで本当に実感しています。もし仏法に触れなければ、このことは分かりませんでした。私の命もとうにありませんでした。とうに死んでいました。死んでいれば依然として六道輪廻にいて、永遠に離脱できません。老師に感謝しないではいられません。私は子どもの頃とても頑固で、強い執着があり、いつも自分が正しいと思っていました。誰かが私に言ったのですが、私には弁才があり、使えないものを使えるように話すことができました。私を納得させるのは大変です。方先生と出会って、本当に心服しました。受け入れました。方先生は徳のある人です。あのような慈悲、あのような思いやり。私と方先生は親類縁者でもなく、私も何の後ろ盾もないのに、先生のそのような思いやりを受けて、完全に受け入れました。受け入れた後は、本当に先生の言う通りでした。その後私が出家して先生にお会いすると、「本当に出家したのか?」と言われました。「そうです!人生最高の享受であるなら、どうして実行しないことがあるでしょうか?」 私に「仏法を盲信している」、「どうしてそうなってしまったのだ」と言わない人はいませんでした。ただ方老師だけが、「君の選んだ道は正しい」と言って下さいました。ただ方老師だけが、「絶対に正しい」と私を励まして下さいました。

【司会者】:就我們剛才這個問題,您也曾經講過,譬如說一九四五年廣島原子彈爆炸的時候,如果當年真的釋迦牟尼佛在世,這個原子彈就可能不會爆炸?
先ほどの問題ですが、老法師はかつて仰いました。例えば一九四五年に広島で原子爆弾が爆発した時、もし当時本当に釈迦牟尼仏が在世であれば、その原子爆弾は爆発しなかったかもしれないのでしょうか?

【浄空法師】:不是這樣的,眾生的業力,如果原子彈不爆炸,他們的業力永遠不能夠化解。你造作這些業,你說日本人那時候對中國,這個帳怎麼算法?所以這自作自受!你造的這些業,終有這個果報現前,這是定業。佛沒有辦法救眾生的定業,佛只能叫你覺悟、叫你自己回頭,是這樣消業的。不是說靠佛的力量就能消業,沒有這個道理,那講不通。
そうではありません。衆生の業力は、もし原子爆弾が爆発しなければ、彼らの業力は永遠に解消できません。日本人があの時中国に対してした、その債務をどう清算するのでしょうか?ですから自業自得です!あなたが造ったそれらの業は、最後にはその果報が目の前に現れます。それは定業です。仏は衆生の定業を救うことはできません。仏はただあなたを悟らせ、あなた自身を改心させ、そのように業を解消させます。仏の力に頼って業を解消するのではありません。そのような道理はありません。それでは話が通りません。

【司会者】:那怎麼來理解您過去所講過的,如果人意念的力量很大,清淨到一定的時候,他就可以讓原子彈不爆炸,這是說他的能力?
それでは老法師が以前仰ったことをどう理解すれば良いのでしょうか。もし人の意念の力が大きく、一定の清浄に達したなら、その人は原子爆弾を爆発させないことができると。これはその人の能力ではないのでしょうか?

【浄空法師】:對,這是說他的能力。雖有這個能力,但是眾生業力跟你要相結合才行,眾生要沒有回頭,沒有真正懺悔改過自新,他決定受果報。他沒有這個災難,還有別的災難。
そうです。これはその人の能力です。たとえこの能力があっても、衆生の業力がその人と結合してようやくできることです。衆生が改心せず、本当に懺悔して悔い改めないのであれば、絶対に果報を受けます。その災難がなくても、また別の災難があります。

【司会者】:那是真的佛在世也不行。
それでは本当に仏が在世であっても駄目なのですね。

【浄空法師】:不行。如果現在地球上的眾生遭這麼大的災難,佛菩薩不是不來,很多!能不能救得了?救不了,你不斷在造,你不肯回頭。佛菩薩不是用一種神力威神來保佑你,不是的,他是教學。他是把業因果報,這裡面的因緣果報給你講清楚,你明白之後,我斷一切惡修一切善,問題解決了。所以他是老師,他是教你。你這個災難怎麼來的,為什麼會有災難,是你自己不善的業因造的,所以這理上講得通,它不迷信。所以佛不是神仙,他是老師,老師指你一條路,這條路好,你向這走沒有問題;你走錯了,那一條路險道,危險。
駄目です。もし今地球上の衆生が、これほど大きな災難に遭っているのなら、仏菩薩は来ない訳ではありません。たくさんいます!救うことはできるでしょうか?救えません。あなたは絶えず業を造り、改心しようとしません。仏菩薩は一種の神通であなたを護るのではありません。そうではありません。仏菩薩は教学するのです。業因【注】、果報、その中の因縁果報を明確に説きます。あなたは理解したら、一切の悪を断ち、一切の善を修めれば、問題は解決します。ですから仏は菩薩は老師です。あなたを教えるのです。災難はどこから来るのでしょうか。なぜ災難があるのでしょうか。それはあなたの不善の業因によって造られました。これは道理が通っています。盲信ではありません。ですから仏は神仙ではなく、老師です。老師はあなたに一本の道を指し示します。その道は良いものです。あなたはこの道を行けば問題ありません。行き間違えれば、その道は険しく、危険です。
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 【注】 業因(ごういん)・・・・未来に苦楽の果報を招く原因となる善悪の行為。
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>>>人類の知らない宇宙・人生の真相10/10 につづく・・・。
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/0413b4c772eb198113e29942c8099612


人類の知らない宇宙・人生の真相10/10

2013-09-30 | 調和が危機を救う

【司会者】:有一句話叫世上沒有救世主,佛法也講這個,只能自己救自己。
ある話では、世の中に救世主はいないと言います。仏法でもそのように説かれます。自分で自分を救うしかありません。

【浄空法師】:對,佛法是這樣的。
そうです。仏法はそのようなものです。

【司会者】:那有人會提這樣的問題,現在的我、我的真心和三千多年前的釋迦牟尼佛是什麼關係?
それではある人はこのような問題を提起します。今の私、私の真心と三千年前の釈迦牟尼仏とはどのような関係なのでしょうか?

【浄空法師】:是一樣的,跟一切佛都是一個真心,就是自性,自性清淨圓明體,那就是你的真心。你今天變成這樣是迷失了真心,真心是純淨純善的,你現在變成不淨不善,這就是什麼?就是我們比喻的妄想分別執著,你就有這個東西,你把這個東西放下,你就是佛。
同じです。一切の仏とすべて一つの真心です。つまり自性です。「自性清浄円明体」、それがあなたの真心です。あなたが今日このように変わったのは、真心を見失ったからです。真心は純浄純善です。あなたは今、不浄不善に変わっています。それはどういうことでしょう?それは正に私たちが比喩としている妄想・分別・執着です。あなたにはこれがあります。これを放下すれば、あなたは仏です。

【司会者】:別人心很清淨,他造善業,他成了佛菩薩,跟我沒關係。
他人の心が清らかで、その人が善業を造って仏菩薩に成るのは、自分とは関係ないのでしょうか。

【浄空法師】:跟你有關係,他能幫助你一點,但是不能完全幫你化解。如果沒有這個關係的話,這個世界早就毀滅了。因為你是惡的念頭,他是善的念頭,它善的念頭抵銷一部分,這個恩就很大。就好像什麼?海上的海浪,那大風大浪是惡念,這是平靜的海水,它兩個一匯流,那平靜的水也起了一點浪,那大浪浪減低,就這種情形。所以善人行善幫助惡人,是這個道理。
あなたと関係があります。その人は少しだけあなたを助けてくれます。しかし完全に(業を)解消することはできません。もしこの関係がなければ、この世界はとうの昔に壊滅しています。あなたは悪の念を持ち、仏菩薩は善の念を持ち、善の念で一部分を相殺しています。この恩徳は大きなものです。何に似ているでしょうか?海の波に似ています。強風と大波は悪念です。こちらは静かな海水です。二つは一つに合流して、その静かな海水には少し波が立ち、その大波は少し低くなります。このような状況です。ですから善人は善を行って悪人を助けています。この道理です。

【司会者】:如果全世界沒有那麼多的人響應您老人家的號召,一起來念觀音菩薩聖號,然後來做這些法事,九月十三號那個海嘯,那有人就…
もし全世界の大勢の人が老法師の呼びかけに応じて、一緒に観音菩薩の聖号を唱え、そして法それらの法事【注】を行わなければ、九月十三日の津波は・・・。
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 【注】 二〇〇八年以降行われた護国息災法会のことを指す。老法師は世界各地の念仏修行者に、念仏によってこの災難を解消することを呼び掛けたという。
参考:http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/dd8149a12aead1e37ff2d816dbc673fc
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【浄空法師】:那可能有,真的可能有,巴西預言家就不會把它取消,他是在一個星期之前取消的,聲明這個沒有了。
それならあったかもしれません。本当にあったかもしれません。ブラジルの予言者【注】は取り消さなかったかもしれません。彼は一週間前に取り消したのです。その声明を出して、(津波は)起こりませんでした。
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 【注】 ブラジルの予言者・・・・ジュセリーノ・ノーブレガ・ダ・ルース(Jucelino Nobrega da Luz)のことと思われる。予知夢による特殊な予知能力を持つ。2008年の9月13日にM9.1クラスの地震によって、大きな津波が起こるという警告を出していたが、一週間前に取り消したという。
参考:http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/69e61ce19832ed1db72d7df8b8c4e3de
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【司会者】:這好像在他的預測史上也沒有過。
これは彼の予測史上でもなかったことのようです。

【浄空法師】:這從前沒有說過。
それまで言ったことはありません。

【司会者】:這個力量真的是很大。
この力は本当に大きなものです。

【浄空法師】:對,不錯。這個力量是江本博士在琵琶湖裡面做出實驗,說明什麼?境隨心轉。
そうです。その通りです。この力は江本博士が琵琶湖で行った実験です。何を証明したのでしょう?「境随心転」(環境・境地は心に随って転じる)です。

【司会者】:您老一直在教導大家,所有一切善法的基礎,是從我們老祖宗的《弟子規》開始學起的,但是現在很多人看到,包括一些學佛的人,他們還看不起《弟子規》,那這樣的人會有什麼結果,會有什麼成果嗎?
老法師はこれまで、あらゆる一切の善法の基礎は、ご先祖様の『弟子規』【注】から学び始めることだと人々を教え導かれています。しかし今多くの人に見られるのは、仏法を学ぶ人を含めて、彼らは『弟子規』を軽視しているようです。そのような人はどのような結果があり、どのような成果を得られるのでしょうか?
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 【注】 『弟子規』(でしき)・・・・儒学の祖孔子の教えを基に学生の生活規範を編成したもの。「入則孝」「出則悌」「謹」「信」「泛愛衆」「親仁」「余力学文」からなる。中国清朝の康煕年間の李毓秀(1662年~1722年)によって書かれ、もとは『訓蒙文』と言ったが、のちに清朝の賈存仁によって改定され『弟子規』と改名された。
『弟子規』日本語訳:http://blog.goo.ne.jp/fayuan/c/a722958c71e3a93383e029ee8a788c84
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【浄空法師】:這是業障,這樁事情不能怪他,為什麼?我們傳統的教學丟掉至少四代了,所以佛在《無量壽經》裡教給我們,「先人無知」,他的父母、他的祖父母、甚至於包括他的曾祖父母,「不識道」,對於這些大道、大他們不知道。所以沒有人跟他講,他做的這些事情,你就不能怪他。補救的方法?我們自己要做出成績來給他看。所以我們在湯池小鎮為什麼要做這個實驗?不做實驗,講的沒有人相信,做出來大家看到了,這是有道理,他們自己去學習都受到感化。所以教育很重要,今天這個教育如果能推廣,所以我相信,在國外我也常常講,最多一年你這個社會就安定了,你的問題都解決了。你得真幹,為什麼?用媒體,一個小鎮做的範圍是不大,如果媒體天天報導這個小鎮,這個小鎮所有活動、上課,每天用媒體報出去,那個影響就太大了。如果再有國家領導人在鏡頭上出現,也在那裡聽,那效果就非常之大。
それは業障です。この事はその人を責めることはできません。なぜでしょう?私たちは伝統の教学を失って、少なくとも四世代になります。ですから仏は『無量寿経』の中で教えています。「先人無知」(先人知ること無し)【注】。その人の両親、祖父母、更には曾祖父母まで、「不識道徳」(道徳を識らず)。それらの大道、大徳を彼らは知りません。誰も教える人がいなかったのですから、その人がそうしたとしても、責めることはできません。助ける方法はどうでしょう?私たち自身が結果を出してその人に見せることです。私たちはどうして湯池鎮で実験したのでしょうか?実験しなければ、話しても誰も信じないから、人々にやってみせたのです。これには道理があり、彼ら自身が学習して感化されました。ですから教育は重要です。今日この教育を推進できれば、国外でよく話していますが、長くても一年でこの社会は安定するでしょう。問題はすべて解決します。この小さな村のすべての活動・授業を、毎日メディアで放送すれば、その影響はとても大きなものになります。もし更に国家の指導者がカメラの前に現れ、そこで聴講すれば、その効果は非常に大きいでしょう。
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 【注】 「先人不善(無知),不識道徳,無有語者,殊無怪也」 (『無量寿経』の一節)
     先人知ること無く、道徳を識らず、語る者あること無くば、殊に怪しむこと無し。
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  所以從前帝王,你看清朝《四庫》裡頭都有,他們開國的這些帝王像康熙、雍正、乾隆,那個時候都是把儒釋道這些高人,經常不斷的請到宮廷裡面去講學,皇帝帶著嬪妃、文武大臣都在聽。今天我們國家領導人,也看到這些人來講儒釋道這些東西,也出現在底下聽,這種鏡頭播下去,我相信我們中國絕對不會超過一年,所有社會問題都解決了。上行下效,一看到國家領導人這樣子,這還得了!所以從前帝王是用這個方法治太平。
清朝の『四庫全書』の中にすべてありますが、康熙、雍正、乾隆といった国を開いた帝王たちは、その当時の儒教・仏教・道教の大家を頻繁に宮廷に招いて学習しました。皇帝は女官や妃を連れて、文武の大臣も皆聴講しました。今日私たちの国家指導者たちも、儒教・仏教・道教を講義しているのを見て、聴講する人も現れています。このような映像を放送すれば、中国は絶対に一年もせずに、あらゆる社会問題は解決できるでしょう。上が行えば、下に効果があります。国家の指導者の姿を一目見れば、大変な効果です!昔の帝王はこの方法で平和を築いたのです。

【司会者】:那個年代如果要有電視效果會更好。
その当時にテレビがあれば、更に効果的だったでしょう。

【浄空法師】:那效果更大了,那一直到今天還是大清帝國,肯定的。
それならもっと効果的でした。それなら今日に至るまで大清帝国が続いていたでしょう。間違いありません。

【司会者】:您曾講過就是《弟子規》三百六十句,一千零八十個字放在天平秤一下,它的重量和《四庫全書》平等,一樣的。
老法師はかつて、『弟子規』の三百六十句、千八十字を天秤の一方に置けば、その重さは『四庫全書』と等しく、同じであると仰いました。

【浄空法師】:這是我們國內有幾位名教授來訪問我,我為什麼要把《弟子規》看得這麼重?我就說出這個比喻,他們聽都呆了。我說為什麼?四書、五經、十三經不能落實到生活上,不如《弟子規》,這他們才恍然大悟。你那些是學術,你可以著書立說,你可以是講得天花亂墜,但是怎麼樣?與你生活不相干,你得不到受用。
これは国内の著名な教授たちが私を訪問した際に、私はなぜ『弟子規』をそれほど重視するのかと質問されたのです。私がこの比喩を話すと、彼らはそれを聞いて驚きました。なぜでしょう?四書、五経、十三経は生活で実践できなければ、『弟子規』に及びません。これで彼らは忽然と悟りました。あなた方のは学術です。書物を書いて説を立て、あれこれ飾り立てて話すことができます。しかしどうでしょう?あなたの生活とは無関係で、利益を得ることはできません。

【司会者】:您知道一些大師級的人物,您知道一些大師級的學者們,一輩子研究佛法、研究佛教,但是他不信佛,這在佛法裡是一種災難,這叫所知障是嗎?
老法師は大家と言われるクラスの人物や学者を御存知です。彼らは生涯仏法を研究し、仏経を研究しています。しかし仏を信じません。これは仏法の中のある種の災難です。これは所知障と言うのでしょうか?

【浄空法師】:不,這叫障礙。他為什麼不能進來?佛在經上講的三重障,就是三大嚴重的障礙,你雖然天天聽,聽佛來說你都不能入門。這是真的,釋迦牟尼佛當年在世天天講經說法,很多人去聽,還不相信。
違います。これは障碍と言います。その人はなぜ(仏門に)入れないのでしょう?仏は仏典において三重障を説かれています。つまり三つの重大な障碍です。たとえ毎日説法を聞いても、仏によればあなたは入門できません。これは本当です。釈迦牟尼仏は当時在世の頃、毎日講経・説法していました。大勢が聞きに行きましたが、信じていませんでした。

【司会者】:佛說都有人不信。
仏は常に信じない人がいたと言っています。

【浄空法師】:對,還是有人。
そうです。そのような人がいました。

【司会者】:佛經上有記載。
仏経に記載があります。

【浄空法師】:對,真的不是假的。這是什麼?第一個傲慢,第二個嫉妒,第三個貪欲,佛講這三重障。這三種障,佛來了都不行,何況菩薩以下的!所以這個要知道。所以佛度有緣人,這些算是沒有緣的,但是他來聽有好處,為什麼?種了善根,什麼時候他這個障礙慢慢減輕了,他就進來了。
そうです。本当の事です。偽りではありません。これは何でしょう?一つ目は傲慢、二つ目は嫉妬、三つ目は貪欲です。仏はこれを三重障(三つの重い障碍)と言っています。この三重障は、仏が来ても駄目です。ましてや菩薩以下ではどうにもなりません!ですから仏は縁のある人を済度します。これらの人は縁がないということです。しかし聞きに来たのは良い所もあります。なぜでしょう?善根を蒔いたからです。いつかその障碍は少しずつ軽減して、その人は入ることができるでしょう。

【司会者】:很多人看了我們這個節目,特別想問您老一個問題,您已經學佛這麼多年了,五十多年了,有沒有過回答不上來的問題?
多くの人がこの番組を見て、老法師にこの質問をしたいと思っています。老法師は長年仏法を学んで、五十数年になられます。質問に答えられなかったことはあるのでしょうか?

【浄空法師】:好像還沒有,但是我們不敢說,不敢說我什麼都知道,可是這五十多年來人家來問的,確實還沒有遇到過難題。
まだないようです。しかし私は何でも知っているとは言えません。しかしこの五十数年来、人に質問されたところでは、難題に遭遇したことはまだありません。

【司会者】:他們就想問,哪來的這個智慧?
彼らは質問します。その智慧はどこから来るのでしょうか?

【浄空法師】:沒有智慧,我沒有智慧,我也沒有去想,隨問隨答,我這是一番熱誠。古人說的話好,「知之為知之,不知為不知,是知也」,我知道的我跟你說,我不知道的,我也很老實說我答不出來,我不能解答。
智慧はありません。私には智慧はありません。私は考えることもしません。質問に答えるだけです。私は熱意と誠意だけです。古人は良いことを言っています。「知之為知之,不知為不知,是知也」(これを知るはこれを知ると為し、知らざるを知らずと為す。 これ知るなり)。私が知っていることはあなたに話し、私が知らないことは、正直に答えられない、解答できないと言います。

【司会者】:智慧如果一有的話,是不是就和本性就像?
智慧があれば、本性に似て来るのでしょうか?

【浄空法師】:對,不錯。實在講最重要的還是真誠,佛家講菩提心,真誠是心的本體。換句話說,真心的本體,它就是誠,就是真誠,你用真誠心,你就不會錯。
そうです。その通りです。実を言えば、最も重要なのはやはり真誠(誠実でうそ偽りのないこと)です。仏家では菩提心を重んじます。真誠は心の本体です。言い換えれば、真心の本体、それが誠、つまり真誠です。あなたは真誠の心を用いれば、間違えることはありません。

【司会者】:本體有一個特性,如果用一個詞來形容,就是真誠。
本体には特性があり、言葉を使って形容するなら、それは真誠なのですね。

【浄空法師】:就是誠,體是誠,用就是愛,起作用就是愛。父子有親就是親愛,對於整個宇宙就是一個親愛,對一切眾生也是一個親愛,這個親愛是平等的,沒有差距的,出自於真心,你就決定不會錯。你用真心去愛別人,敵人你也愛他,殺了我我還是愛他,為什麼?殺了我他是愚痴,他迷惑顛倒,我是個明白人,我再去怪他,那就錯了。不可以怪他,他殺我是應該的,你要懂這個道理。他要是明白的話,他絕對不會有這種行為,一時迷惑做錯了事,做錯事他有報。那我有沒有傷害?我沒有傷害。這身體是假的,這身體丟掉了,如果我跟這個地方有緣的話,馬上換個身體又來了。如果沒有緣,緣盡的話就到他方世界去了,哪裡有緣,哪裡現身。
つまり誠です。体は誠です。用いるのは愛です。役に立つのは愛です。「父子に親あり」とは親愛です。全宇宙に対する親愛、一切の衆生に対する親愛、この親愛は平等であり、分け隔てはありません。真心から出たものは、絶対に間違いではありません。あなたは真心を用いて他者を愛します。敵であっても愛します。自分を殺してもやはり愛します。なぜでしょう?自分を殺したのは、その人が愚かだからです。迷っているからです。自分は物を明らかにした人であり、人を責めません。それは誤りです。責めてはなりません。その人が自分を殺すのは当然のことです。あなたはこの道理を理解しなければなりません。その人が道理を理解していれば、絶対にそのような行為はしません。一時迷って間違いを犯したのです。間違いを犯せば報いがあります。それでは自分は損なわれるでしょうか?自分は損なわれません。この身体に実体はありません。この身体を失えば、もしその場所に縁があるなら、すぐに身体を換えてやって来ます。もし縁が無いなら、縁が尽きたのであれば他の世界に行きます。縁のある所で現身します。

【司会者】:在二00八年三月份,您老在講經的時候,提到過這樣一句話,「如果一代一代這樣下去的話,佛法在世間現在已經是很危急了」。因為它現在只剩下一個形式,佛法如果在這個世界上真的要是沒有的話,這個人世間會變成什麼樣子?
二〇〇八年の三月、老法師は講経の際に、「もし一代一代このように過ぎていけば、仏法がこの世に存続するのはすでに危うい」という言葉を提起されました。仏法は今では形式が残されているだけです。もし仏法がこの世界に本当に無くなってしまったら、この人の世はどうなってしまうのでしょうか?

【浄空法師】:不錯,人世間那是愚痴長,智慧就消失了,災難就多了,會更多。但是我們這麼多年來,就是運用這些科技的這種方式,我們用網際網路有十幾年了,用衛星電視也好像有六年了,我們是二00三年元旦開始用衛星電視傳播,到今年是六年,現在有六顆衛星覆蓋全球。在中國它是不能下載,可是裝個小碟就能收到,因為亞洲上空有兩顆衛星,二十四小時不中斷。現在我們跟電腦連線,所以只要有電腦就能收看衛星,所以學習的人很多,產生很大的影響。雖然我們身邊沒有認真學習的人,在電腦、在衛星電視裡頭,認真學習的人不少。所以我並不灰心,每天講得很起勁,就是因為衛星電視裡面有很多人在一起學習,這些人沒有見過面。
その通りです。人の世では、愚痴が増長して、智慧が失われれば、災難は多くなります。更に多くなるでしょう。しかし私たちは長年に渡って、科学技術を運用する方法で、インターネットを利用して十数年になります。衛星テレビを使うのも六年になるでしょう。私たちは二〇〇三年の元旦から衛星テレビの放送を開始して、今年で六年になります。今では六つの衛星が地球を覆っています。中国では受信できませんが、DVDは手に入れることができます。アジアの上空には二つの衛星があるので、二十四時間中断しません。今私たちはパソコンに接続しています。パソコンがありさえすれば衛星放送を受信できるので、学習する人は多く、大きな影響を生んでいます。たとえ私たちの身近に真剣に学習する人がいなくても、パソコンや衛星テレビでは、真剣に学んでいる人がたくさんいます。ですから私は落胆しません。毎日張り切って講義しています。それは衛星テレビの中で大勢の人が一緒に学習しているからです。それらの人に会ったことはありません。

【司会者】:那就是世界和人類的希望。
それは正に世界と人類の希望です。

【浄空法師】:對,所以還是有前途的。
そうです。ですからまだ前途があります。


―――人類の知らない宇宙・人生の真相(完)―――

訳者追記:
原稿は一部省略・編集されていますが、編集者の考慮を尊重してそのまま掲載しています。動画ではすべて閲覧できます。


両親や家族が縁起よく立ち去るために01/05

2013-08-20 | 調和が危機を救う


為了父母親人吉祥的離去 / 両親や家族が縁起よく立ち去るために
《和諧拯救危機》系列二 第四集/『調和は危機を救う』第二シリーズ 第四集

【原文】 http://ft.hwadzan.com/dv.php?sn=21-490-0004&lang=zh_TW
答記者問(第四集) 2008/11/1 香港理工大學 檔名:21-490-0004
*この原稿は一部省略・編集されています。

【業因の感応と家族の縁】

【司会者】:尊敬的老教授,再次感謝您接受我們的專訪。人類生活在這個世間,確實存在三種關係,第一種是人和人的關係,第二種是人和天地萬物的關係,第三種關係,我們上一次在節目當中沒有涉及到,但是我們發現這個關係是迴避不開的,而且它直接關係到整個人類社會的這些災難、吉凶禍福,就是人和不同維次空間眾生的關係,在儒釋道就講是鬼神。在佛法裡告訴人們,就是人一旦去世之後,他的神識會離開身體。有人很好奇這個神識到底那個時候是什麼狀態?
尊敬する老教授。独占インタビューに応じて頂きまして、改めて感謝申し上げます。この世間における人類の生活には、三つの関係が確かに存在します。一つ目は人と人との関係。二つ目は人と天地万物との関係。三つ目の関係は前回の番組では触れておりませんが、私たちはこの関係を避けることはできませんし、またこれは直接的に全人類社会の災難、吉凶禍福に関係しています。つまり人と異次元空間の衆生の関係であり、儒教・仏教・道教では鬼神と言われています。仏法では、人が死んだ後、その人の神識(意識の働き、霊魂)は身体を離れると教えています。ある人は、神識はその時どのような状態なのかに関心を持っています。

【浄空法師】:神識是佛教的名詞,在中國人不叫神識,中國人叫靈魂,現在西洋人也講靈魂。這個東西,實際上在佛法講那個魂不靈,應該還是我們老祖宗講的有道理,《易經》裡面講「精氣為物,遊魂為變」,精氣為物,那就是講山河大地是精氣變現的;動物的魂他的速度很大,他不穩定,這是有道理的,稱遊魂是很有道理的。實際上他不靈,他要是靈,他怎麼會去到畜生道?怎麼會去到餓鬼道?他怎麼選擇這些?不可能的事情。到人間來投胎,一定要投到富貴家裡,他才享福,他為什麼投到貧窮人家裡?所以可見得這不靈,確確實實迷惑顛倒。他投胎,這個事情佛在經上講得很清楚,他跟父母有緣,沒有緣的他不來。四種緣,報恩的、報怨的、討債的、還債的,就這四種緣。如果沒有這四種緣的話,絕對不會變成一家人。
神識は仏教の名詞です。中国人は神識とは言いません。中国人は霊魂と言います。現在では西洋人も霊魂を語っています。これは実際には、仏法では魂は自在ではないと説かれています。やはり私たちのご先祖様が説かれたことには道理があり、『易経』には「精気為物,遊魂為変」と説かれています。「精気為物」とは、山河大地は精気が変化して現れたものだということです。動物の魂は速度が速く、安定しません。「遊魂」と言うのはとても道理のあることです。実のところそれは自在ではありません。もしそれが自在であれば、どうして畜生道に行くのでしょうか?どうして餓鬼道に行くのでしょうか?どうしてそれらを選ぶのでしょうか?あり得ないことです。人間界に来て母体に入るなら、裕福な家に生まれて始めて福を享受することができます。それではなぜ貧しい家に生まれるのでしょう?ですから自在ではないことが分かります。間違いなく迷いがあります。母体に入ることについて、仏は経典ではっきりと説かれています。その人は父母と縁があります。縁が無ければ来ません。報恩(恩返し)、報怨(仕返し)、討債(取立て)、還債(返済)、この四種類のご縁です。もしこの四種類のご縁がなければ、家族になることは絶対にありません。

【司会者】:就不發生感應。
つまり感応が起こらない。

【浄空法師】:不會發生感應。所以統統與過去世的因有關係。如果是報恩的,這個小孩就是孝子賢孫,不教他他也孝順,他是報恩來的。
感応は起こりません。ですからすべて過去世の因と関係があります。もし報恩(恩返し)であれば、その子どもは孝行息子です。教えなくても目上の人を敬います。その人は報恩に来たのです。

【司会者】:他就要對父母好。
その子は両親に良くします。

【浄空法師】:對,他就是好,就是聽話。如果報怨的話,這小孩就很頑皮、叛逆,到最後是敗家子。
そうです。その子は言うことをよく聞きます。もし報怨(仕返し)に来たのであれば、その子どもはきかん坊で、反抗して、最後は放蕩息子になります。

【司会者】:毀壞家庭。
家庭を壊す。

【浄空法師】:對,不錯,他是來報仇的。
そうです。その通りです。その子は敵討ちに来たのです。

【司会者】:他自己可能也說不出來為什麼,但是他就要這麼做。
その子もなぜなのか説明できないかもしれません。しかしそうしようと思います。

【浄空法師】:他就是要這麼做。
その子はそうしようと思います。

【司会者】:就要罵父母。
両親に罵声をあびせる。

【浄空法師】:對,不錯。所以這是不能不知道的。
そうです。その通りです。このことは知っておかなければなりません。

【司会者】:前世的因?
前世の因?

【浄空法師】:前世業因,他內心裡頭他有這些積的恩怨,他沒有能夠捨棄掉。那討債的呢?那就看欠多少,如果欠得少的,三歲、五歲他就走了,你看你對他的付出就沒有了;如果欠得多的,還要供養他到大學畢業,他過世了,走了,那是欠得多的。這是你欠他的,他來討債的。那還債的呢?那也要看多少。如果他欠你很多,他對你物質生活就供養很豐厚;如果欠你不多,他對你物質生活照顧那就很單薄,讓你餓不死就好了,絕對沒有孝順心、沒有恭敬心,但是生活會照顧到,那是還債的。這四種緣,不是四種緣他不會到一家來,這是佛給我們說得這麼清楚,這個關係。
前世の業因です。その子の心の中には蓄積された恩と怨みがあり、それを捨てられないのです。それでは討債(取立て)ならどうでしょう?それはどれくらい借りがあるかによります。もし借りが少なければ、三歳、五歳で逝ってしまいます。あなたがその子に奉仕すると逝ってしまいます。もし貸しが多ければ、大学を卒業するまで供養すると、その子は世を去ります。逝ってしまいます。それは貸しが多い場合です。これはあなたが人に借りがあるので、その子が取立てに来たのです。それでは還債(返済)ならどうでしょう?それもどれくらい貸しがあるのかによります。もしその子に貸しが多ければ、その子はあなたに対して物質的に手厚い援助をします。もし貸しが少なければ、その子はあなたに対してあまり物質的な面倒を見ません。飢え死にしなければ良いという程度で、絶対に孝行の心、敬いの心はありません。しかし生活の面倒は見ます。それが還債(返済)に来た場合です。この四種類のご縁でなければ、家族になることはありません。これは仏陀が私たちに明確に説かれています。

  學了佛之後,或者受過聖賢教育之後,他能把這關係轉變,把家親眷屬變成了法侶,大家在一塊修行的同伴、同參道友,那就轉變了。所以教育能夠改變人生,這個很有道理,特別是聖賢的教育跟佛法的教育。你接觸了,搞明白之後,過去雖然有怨,不報了,要來報恩。你想到,不管怎麼樣,父母養你,這也是養育之恩,前面就算了,一筆勾消了,那對於這一生父母的養育那他就會報恩。所以他能夠轉變。欠債的,可以不必討了,要好好的侍奉父母,好好的做一個佛弟子,做一個社會大眾的一個好榜樣,他能轉。所以這個教育的功,這是後天的,這是產生很大的影響。
仏法を学んだ後、或いは聖賢の教育を受けた後、その人はこの関係を転じることができます。家族を法侶(仏法の仲間)に変え、皆が一緒に修行する仲間になります。それなら転じたと言えるでしょう。ですから教育は人生を変えることができます。これはとても道理があります。特に聖賢の教育と仏法の教育です。あなたがそれらに接して理解した後、以前は恨んでいても報いることなく、恩に報いようとします。どのようであれ父母はあなたを育ててくれました。それも養育の恩です。先の事は一切を帳消しにして、この一生で父母から受けた養育の恩に報いることです。その人は転じることができます。負債があっても、取立てする必要はありません。しっかりと父母に孝養を尽して、しっかりと一人の仏弟子として社会大衆の模範となれば、その人は転じることができます。この教育の功徳は後天的なものですが、これは大きな影響があります。

【類は友を呼ぶ】

【司会者】:同樣是去世,在一場災難當中,您曾講過去向不同。這個人是善人,那個人是惡人,他那個神識將來所感召來的境界一定不一樣。
同じように災難の中で亡くなっても、行き先が異なると老法師は話されました。この人は善人で、あの人は悪人だとすると、その神識が将来感応する境界は必ず異なります。

【浄空法師】:不一樣。這有個很淺顯的例子,大家一想就明白了。人有嗜好,喜歡打牌的,一定找打牌的朋友;喜歡跳舞的,一定是有跳舞的朋友,他這是俱樂部,他就往那裡去了。
異なります。これは分かりやすい例があります。誰でも少し考えれば理解できます。人には嗜好があります。トランプが好きな人は、必ずトランプが好きな友達を探します。ダンスが好きな人は、必ずダンスの友達がいます。クラブがあればそこに行きます。

【司会者】:他們互相看了也順眼。
彼らはお互いに見て気に入ります。

【浄空法師】:對,他就相應。所以說天,天的倫理道比我們人間高,修養倫理道他到哪裡?他肯定到天道去,他喜歡那個地方,那個地方的人也歡喜他,一拍即合,他絕對不會到惡道去。那鬼道是什麼?鬼道是貪婪,這貪心重的人他都跑到一起去了。地獄是瞋恚、嫉妒。哪一類他往哪一類去,這就是《易經》裡面所講的,人以群分,物以類聚。
そうです。その人は馬が合うのです。ですから天について言えば、天の倫理道徳は私たち人間よりも高いものです。倫理道徳を修養すると、その人はどこに行くでしょうか?その人は間違いなく天道に行きます。その人はその場所が好きで、その場所の人もその人が好きなので、すぐに意気投合します。その人は絶対に悪道には行きません。それでは餓鬼道はどうでしょう?餓鬼道は貪欲です。貪りの心が重い人は、一緒に駆け込みます。地獄は瞋恚(=怒り)、嫉妬です。どの類なのかによって、その類に向かって行きます。これは『易経』の中に説かれている、「人以群分,物以類聚」(人は群を以て分かれ、物は類を以て聚まる。=類は友を呼ぶ)ということです。

【司会者】:所以這個人他一世作惡的話,他那個心壞到了極處,去世之後,他那個神識感得來的境界就是極惡的。這個極惡的境界,佛經上叫地獄。
ですから人は一生悪事を働いていれば、心は極限まで悪くなります。死んだ後で、その神識の境界は極悪です。その極悪の境界のことを、仏経では地獄と言うのですね。

【浄空法師】:地獄,對!是自己感應的,不是別人建築的。
地獄です。そうです!自分で感応したのです。他人が建築したのではありません。

【司会者】:反過來就是天堂。
その反対が天国ですね。

【浄空法師】:沒錯,反過來就是天堂。所以你懂得這個道理之後,人在一生當中何必作惡?沒有必要去作惡。這一生再苦,我苦過這一生,積功累,來生是天堂。
その通りです。その反対が天国です。この道理を理解したなら、人は一生でどうして悪事を働く必要があるのでしょうか?悪事を働く必要はありません。この一生がどれほど苦しくても、自分はこの一生を苦労して過ごし、功徳を積んでいれば、来世は天国です。

【司会者】:但是您知道現在人他就是這樣,說人去世了,這個遺體擺在這裡,你們講神識,我也看不到,他去哪裡我更不曉得。那肯定死了就是一了百了,我當然要使勁的我要去盡情的享受,趁著能多活幾天。
しかし老法師もご存知のように、今の人はこうです。人が死んで、遺体がそこに安置してあります。あなた方は神識と言いますが、私には見えません。その人がどこに行ったのかなど、尚更分かりません。間違いなく死んだら何もかも終わりなのではないか。それなら当然生きている間に思う存分享受しようとします。

【浄空法師】:對,這個沒有關係,等到他斷了氣之後,他就曉得了。
そうです。それは関係ありません。その人が息をひきとった後で分かることです。

【司会者】:那不就完了嗎?
それでは遅いのではないでしょうか?

【浄空法師】:那來不及了,後悔莫及,是真的。
それでは間に合いません。「後悔先に立たず」です。これは本当です。

【司会者】:那就是不同維次空間了。
それは異次元の空間ですね。

【浄空法師】:對,沒錯。
そうです。その通りです。

【司会者】:那一會兒他是不是能看到家裡人圍著他的遺體在哭?
その時には家族がその人の遺体を囲んで泣いているのが見えるのでしょうか?

【浄空法師】:能看到。
見えます。

【司会者】:那他使勁叫也聽不到?
その人が一生懸命に叫んでも聞こえないのでしょうか?

【浄空法師】:聽不到,不錯。一般佛在經上講,神識離開最快是八個小時,斷氣之後八個小時。有的人二、三天都沒有離開,他靈魂二、三天都不離開的。為什麼?他的情執很重,捨不得離開。
聞こえません。その通りです。一般に仏が経典で説かれているのは、神識が(肉体を)離れるのは最も速くて八時間です。息をひきとった後、八時間です。人によっては二、三日離れません。その人の霊魂は二、三日離れません。なぜでしょう?その人の執着が深いので、離れがたいのです。

【司会者】:捨不得。
離れがたい。

【浄空法師】:對,不錯。
そうです。その通りです。

【司会者】:那尤其是家親眷屬一痛哭,他就……
それでは特に家族親戚が泣いていれば、その人は・・・。

【浄空法師】:對,不錯。
そうです。その通りです。

【司会者】:那個時候,佛法叫中陰身,他應該是什麼樣子?
その時、仏法では中陰身と言いますが、その人はどんな様子なのでしょうか?

【浄空法師】:跟自己人一樣,就像自己是沒有肉的這個形體,他還是一個人的樣子。那有天眼的能看到。但是身體比人小了很多,大概一般看的好像三尺高的樣子。
人と変わりません。自分には肉体と言う形体が無くなりますが、その人はまだ人の姿です。それは天眼がある人は見ることができます。しかし身体は人間よりもかなり小さくなります。大体一般的に見られるのは、三尺ほどという感じです。

【司会者】:他是飄忽不定的嗎?
その人は揺れ動くのでしょうか?

【浄空法師】:對,飄忽不定的。
そうです。揺れ動いています。

【司会者】:就像孔老夫子所說的遊魂?
ちょうど孔夫子の言われる「遊魂」のようなものでしょうか?

【浄空法師】:對,叫遊魂,飄忽不定。
そうです。遊魂と言い、揺れ動いています。

【司会者】:那他下一步要去哪裡?
それではその人は次にどこに行くのでしょうか?

【浄空法師】:去哪裡是他的業感,他的業力,也就是講他的嗜好,他喜歡什麼。
どこに行くかはその人の業感、その人の業力、またはその人の嗜好、その人は何が好きかによります。

【司会者】:那財色名食睡。
財(財貨)・色(色情)・名(名利)・食(食欲)・睡(睡眠)【注】
--------------------------------------------------------------------------
 【注】 財・色・名・食・睡のことを「五蓋」(ごがい=心の本性に覆い被さる五つの煩悩)という。
--------------------------------------------------------------------------

【浄空法師】:沒錯!
その通りです!

【司会者】:喜歡享受!
享受することを好んでいます!

【浄空法師】:喜歡這享受,他就往那一道去。那一道是什麼?那一道就是餓鬼、地獄,現的相都是那種相。進去之後就完了,他被誘惑。所以這個道理才是真的,不是什麼閻王、小鬼判你到那裡去,不是的,是你自己業力所感的。
これを享受していると、その人はその道に行きます。その道とは何でしょう?その道とは餓鬼、地獄であり、現れる相はすべてその種の相です。入ってしまえばそれまでです。その人は誘惑されます。ですからこの道理こそ真実なのです。閻魔王や子鬼があなたの行き先を決めるのではありません。あなた自身の業力によって感応するのです。

【司会者】:還有人講是佛菩薩審判,那就更不對!
ある人は仏菩薩が審判を下すと言いますが、それは尚更違います!

【浄空法師】:沒有,絕對沒有這回事情,都是業力變現的。縱然遇到閻王,也是業力變現的。
違います。絶対にそのような事はありません。すべて業力が変化して現れたものです。閻魔王に遇ったとしても、やはり業力が変化して現れたのです。

【司会者】:那如果說到世間的真相,如果說到宇宙人生的真相,這個身體是個假我,就像是一個小的旅館一樣,這個神識這一世只不過是在這住上幾十年,能這麼打比方嗎?
それではもし世間の真相に言及するなら、もし宇宙・人生の真相に言及するなら、この身体は偽りの自分であり、ちょうど小さな旅館のようなものです。この神識が今生で数十年留まるに過ぎません。このように例えることができるでしょうか?

【浄空法師】:可以。
できます。

【司会者】:那我們所做的美容,天天化妝,都是在給這個小旅館裝修。
それでは私たちがしている美容、毎日化粧をするなどは、すべてこの小さな旅館に塗装するようなものです。

【浄空法師】:沒錯。
その通りです。

【司会者】:周圍的世界就是個大旅館。
周囲の世界は大きな旅館です。

【浄空法師】:對,不錯,是這樣的,應該作如是觀。所以你就不會執著了,我是在這裡住旅館,這個地方所有權不是我的,我不必去為這個事情操心,你自然就看淡薄了。
そうです。その通りです。そのようなものです。そのように観ずるべきです。そうすればあなたは執着することはありません。私はここで旅館に泊まっていますが、この場所の所有権は私のものではなく、自分はこの事の為に心配する必要はないのです。あなたは自然に淡泊に見るようになります。

【司会者】:在佛法裡所講,這個神識還不是真正的自己。
仏法の説くところでは、この神識はまだ真の自己ではないのですね。

【浄空法師】:不是。
違います。

【司会者】:有人就想請教您,這個神識和這個自性是什麼關係?
ある人は老法師に教えを請うています。神識と自性とはどのような関係なのでしょうか?

【浄空法師】:是迷悟的關係。迷了,自性迷了就叫神識;覺悟了,神識就是自性,迷悟的關係。
迷いと悟りの関係です。自性に迷いが生じれば神識と言います。覚れば、神識は自性になります。迷いと悟りの関係です。

【司会者】:那跟人,就是他在世的時候,跟這個本性關係是一樣的?
それでは人が在世の時、この本性との関係は同じなのでしょうか?

【浄空法師】:是一樣的,就是迷悟。
同じです。正に迷いと悟りです。

【司会者】:跟這個形相沒有關係,跟生死沒有關係?
形相とは関係なく、生死とも関係は無いのですね。

【浄空法師】:沒有關係。
関係ありません。


>>>両親や家族が縁起よく立ち去るために02/05につづく・・・。
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/3af4a42b29362d2bda59796e98a7ac6a


両親や家族が縁起よく立ち去るために02/05

2013-08-20 | 調和が危機を救う

【自殺の果報の恐ろしさ】

【司会者】:在這一次金融風暴的時候,全世界有很多的人非常的悲慘,還有一些人自殺。自殺之後,這個人的情況,據說在佛經上講是最慘的,是嗎?
今回の金融危機では、全世界の人々は悲惨な状況になり、自殺した人々もいます。自殺した後、仏典によるとその人はとても悲惨な状況になるそうですね?

【浄空法師】:對。佛在經上告訴我們,無論用什麼手段自殺,他的神識是沒有辦法去投胎的,中陰的時間很長。在中陰的時候,每七天他要重新自殺一次。所以這個很痛苦。
そうです。仏陀は仏典において私たちに説かれています。どのような手段で自殺しようと、その人の神識(意識の働き、霊魂)は母胎に入って生を受けることができず、中陰(死んでから次の生を受けるまでの期間)の時間が長くなります。中陰にいる時に、七日毎に自殺を繰り返さなければなりません。これは非常に苦しいものです。

【司会者】:如果是跳樓的,每七天跳一次?
もし飛び降り自殺であれば、七日毎に飛び降りるのでしょうか?

【浄空法師】:每七天要跳一次,上吊的每七天要吊一次。所以他不曉得事實真相,曉得事實真相的時候,決定不能自殺,自殺不能解決問題,只有替自己找麻煩。所以諺語有一個話說,也許有道理,自殺要找替死鬼。他要沒有替身的話,他自己走不掉,天天在這裡等替身,等到了,他才能走。
七日毎に飛び降ります。首を吊ったなら七日毎に首を吊ることになります。その人は事実の真相を知りません。事実の真相を知っていれば、絶対に自殺することはできませんし、自殺しても問題は解決しません。ただ自分が難儀するばかりです。ですからおそらく諺には道理があるのでしょう。「自殺すれば亡霊の身代りにならねばならない」。(亡霊は)身代りがいなければ、自分でその場を離れることはできません。毎日そこで身代りを待ち続け、機会を待ってからようやく離れるのです。

【司会者】:這是真的,這不是迷信、傳說?
それは本当でしょうか?迷信や言い伝えではないでしょうか?

【浄空法師】:是真的。你看看出車禍的那個路況、那個地方,常常就在那裡出事情,那個地方有鬼在那裡等著,等替身。
本当です。交通事故が起こる場所の道路状況を見ると、その場所では、頻繁に事故が起こっています。その場所では亡霊が身代りを待っているのです。

【亡くなった同胞を悼む】

【司会者】:中國自古就有一個傳統,叫「慎終追遠,民歸厚」,也就是說對故去的先人,對亡人,要存著一分孝心和恭敬心,常常的懷念,這樣民風就會很厚道。以儒釋道的智慧來看,尤其是以佛家的智慧來看,我們應該怎樣紀念災難中這些遇難的同胞?
中国には昔から、「慎終追遠、民徳帰厚」(終わりを慎み遠きを追えば、民の徳厚きに帰せん)【注】という伝統があります。つまり亡くなった先人、死者に対して孝心と恭敬の心を持って、いつも心にかけて思うことですが、このような民間の風習はとても心温まるものです。儒教・仏教・道教の智慧で見れば、また特に仏教の智慧で鑑みるなら、私たちは災難に見舞われた同胞をどのように悼んだら良いでしょうか?
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【注】 「慎終追遠、民徳帰厚」(『論語』学而より)
  終わりを慎み遠きを追えば、民の徳厚きに帰せん。
  亡くなった人を厚く悼み、遠い祖先を忘れることがなければ、民の徳も厚くなっていくものだ。
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【浄空法師】:這就是要常常,在佛法裡面,這是誦經、念佛給他迴向,為他祈福,希望減少他的痛苦,幫助他提升。如果他有善根,像過去學佛的,再接觸到佛法就很容易,很容易覺悟,很容易回頭;沒有接觸到佛法的,聞到佛法,聞佛名,聽到佛經的音聲,他阿耶識裡面種種子,這是好事情。種子慢慢的累積多了,這印象深刻了,他慢慢就會學習。這個學習對他的幫助就很大了。佛菩薩六道裡頭都有。
これは頻繁に行わなければなりません。仏法においては、読経・念仏してその人に廻向します。その人の福を祈り、苦しみが軽減され、境地が高まることを祈ります。もしその人に善根(善を生む資質)があり、過去に仏法を学んだ事があるような人であれば、再び仏法に出会い、悟り、改心することは容易でしょう。仏法に触れたことがないなら、仏法を聴き、仏の名を聴き、読経の声を聴いて、その人の阿頼耶識に種を植えることができます。これは良い事です。種は少しずつ蓄積して多くなり、深く印象に残れば、その人は少しずつ学習することができます。その学びはその人にとって非常に大きなものです。仏・菩薩は六道のどこにでもいるのです。

【司会者】:我們這樣來紀念這些亡人,這些遇難的同胞,那也就是說我們這個心的波動的信息,他能感覺得到?
私たちが亡くなられた方、被災された同胞を悼むと、彼らは私たちの心の波動を感じるのでしょうか?

【浄空法師】:他能感到。而且他對你一定有感恩的心,因為你在幫助他。
彼らは感じることができます。また、その人はあなたに対して感謝の念を抱きます。あなたがその人を助けているからです。

【司会者】:據說眾生去世之後,這個神識比原來要聰明九倍?
聞いた話では、衆生は亡くなった後では、その神識は九倍も賢くなるそうですね?

【浄空法師】:那倒不一定。
そうとは限りません。

【司会者】:要聰明很多?
とても賢くなるのでしょうか?

【浄空法師】:那倒不一定。這完全看他自己的善根福因緣,每個人並不相等。
そうとは限りません。それは完全にその人自身の善根・福徳・因縁によります。誰もが同じではありません。

【司会者】:譬如說自己的家人在很遠以外的地方,譬如說在國外去世了,那在國內的人怎麼辦?也用這種方法?
例えば自分の家族が遠くの場所にいて、例えば国外で亡くなったとすれば、国内の人はどうすれば良いでしょうか?やはりこの方法なのでしょうか?

【浄空法師】:也一樣,因為在他們那上沒有距離,這個時間、空間距離沒有。
同じです。なぜなら彼らの世界には距離がないからです。時間、空間の距離はありません。

【司会者】:人去世之後,這個神識……
人が亡くなった後、その神識は・・・・

【浄空法師】:不錯,這三維空間突破了。
そう、その通り。この三次元空間を突破します。

【司会者】:那人一去世之後,如果他一旦明白了,他不就開始學佛了嗎?
それでは亡くなった後、もしその人が(事実の真相を)理解したなら、仏法を学び始めるのでしょうか?

【浄空法師】:對,要明白才行。但是就是很不容易明白,你要曉得,鬼神的分別執著比我們嚴重。
そうです。理解できればそうするでしょう。しかし理解することは容易ではありません。鬼神の分別・執着は私たちよりも深刻だからです。

【司会者】:他都已經親自看到他的身體壞掉了,他的神識出來。
その人が自分の身体が死んだことを自分で見届けてから、神識が出てくるのですね。

【浄空法師】:看到身體壞掉,他還想去再找一個身體,就又找父母去投胎,他還去找身體。這一樁事情,你看看美國那個魏斯博士他出了四本書,完全是從催眠當中讓這個人說出他過去生,一世、二世、三世,你就明白了。所以這個分別執著是多麼嚴重。
身体が死んだのを見て、その人はまた身体を探そうとして、再び両親を探して母胎に入るのです。再び身体を探すのです。この事については、アメリカのブライアン・L・ワイス博士が四冊本を出しています。完全に催眠の中で過去世の事を話し出し、一世、二世、三世と理解していきます。 この分別・執着はこれほど重いものなのです。

【司会者】:我們在家裡面做很多的善事,做很多好事,對這個亡人好處會很大。
私たちは家でたくさんの善行を行い、たくさん良い事をすれば、亡くなられた方にとってたくさんの恩恵があるのですね。

【浄空法師】:對,加他的福報。
そうです。その人の福報を増やします。

【司会者】:譬如說我們做了善事,他有福報,原因是因為這個事情起因是他。
例えば私たちが善行を行うことで、他者に福報があるとすれば、その原因は他者に起因するのでしょうか。

【浄空法師】:對,你是因為他才做的,他沾這個光,如果沒有他,你就不做了。在《地藏經》上很明顯,那個婆羅門女不是度她的母親嗎?如果不是她母親墮地獄,造惡墮地獄,她就不會修行了,不會那麼認真去念佛了。因為她要救,母親墮地獄,她要救她的母親,所以就拼命真幹。這真幹的時候,她一天一夜,她就能夠得到念佛三昧。這個功夫可了不得,得念佛三昧,最低限度是阿羅漢的地位,那她母親得大利益。所以她就有這個能力,地獄現前,她去遊地獄。你看鬼王見到她稱她菩薩,妳為什麼事情到這個地方?這個地方只有兩種人可以來,一個是菩薩,一個是受罪的人,除這兩種人之外,他見不到地獄。所以她就來問她的母親。他說妳母親是誰?她說帝利女。他說她三天前就生天了,聽說她一個孝順的女兒給她念覺華定自在王如來,她就已經生天了。她不是為這個事情,她自己不會那麼用功。
そうです。あなたがその人の為にするのであれば、その人はそのお蔭を被ります。もしその人がいないなら、あなたは行いません。『地蔵経』には明確に説かれています。あのバラモンの女性は母親を済度したのでしたね?もし彼女の母親が悪業によって地獄に堕ちていなければ、彼女は修行することはなかったでしょう。あれほど真面目に念仏することはなかったでしょう。彼女は地獄に堕ちた母親を救いたくて、必死に修行したのです。彼女は一日中修行して、念仏三昧(の境地)に達しました。その技量は大したものです。念仏三昧に達したなら、最低でも阿羅漢の位ですから、彼女の母親は大きなご利益を得ることになります。彼女はその(阿羅漢の)能力を得て、地獄を見ることができ、地獄に行けるようになります。鬼王は彼女を見て菩薩だと思いました。彼女は何の為にここに来たのでしょう?そこは二種類の人だけが行く事ができます。一人は菩薩、もう一人は罪業のある人です。この二種類の人の他に、地獄を見ることはできません。彼女は母親に会いに行きました。鬼王は、あなたの母親は誰かと尋ねました。彼女は、悦帝利罪女だと言いました。鬼王は言いました。「彼女は三日前に天界に転生した。聴いた話では、彼女の親孝行の娘が覚華定自在王如来(かくげじょうじざいおうにょらい)を念じたので、天界に転生したらしい」 彼女はこの為でなければ、あれほど努力することはなかったでしょう。

【司会者】:就有這麼大的力量?
それでそれほど大きな力を得たのですね?

【浄空法師】:對!所以你自己的成就多大,亡人得利益多大。
そうです!あなた自身の大きな成就は、亡くなった人に多大なご利益をもたらします。

【司会者】:不在於自己掏多少錢放到寺廟裡面去?
お寺にいくらお金を持って行くかではないのですね?

【浄空法師】:那個不相干,那個沒有用處的。你看還有一個光目女,光目女也是為她母親祈福,但是她的功力比婆羅門女就差很多。所以她的母親也脫離地獄,又到人間來投胎,又變成小孩了,在她家裡。
それは関係ありません。それは役には立ちません。他にも光目女の例があります。光目女もまた彼女の母親の幸福を祈りました。しかし彼女の力量はバラモンの女性よりもかなり劣っていました。ですから彼女の母親は地獄を抜け出しましたが、また人間界に来て母胎に入り、子どもになりました。彼女の家族になったのです。

【司会者】:這樣看來一個家庭,有一、二個做善事的、學佛的人,大福報!
このように見ると、一つの家族に、一人か二人善行を行い、仏法を学ぶ人がいれば、大きな福報ですね!

【浄空法師】:大福報。
大きな福報です。

【司会者】:對父母來說。
両親にとってみれば。

【浄空法師】:真是大福報,對一家人都有福報。
本当に大きな福報です。家族全員に対して福報があります。

【司会者】:我們擴大來說,一個民族或者是一個國家,做善事的、慈善的人士或者學佛的人士愈多,那這個國家……
私たちは更に広い目で見れば、一つの民族、或いは国家が、善行を行い、慈善活動をし、或いは仏法を学ぶ人が多ければ多いほど、その国は・・・・

【浄空法師】:國泰民安。
国は泰平になり、民の暮らしも平安になります。

【司会者】:這個民族的先人會更好?
その民族の先人は更に良くなるのでしょうか?

【浄空法師】:沒錯。而且現前確實是國泰民安,真是消災免難。
その通りです。しかも、現前の国家が泰平になり、民の暮らしも平安になり、本当に災難を解消することができます。

【司会者】:這佛法在中國是最興盛的,很長時間。如果中國那麼多的人口,這個人數加,做善事的、學佛的人加,對這個世界那影響就太大。
仏法は中国で最も盛んになり、その時間も長いです。もしこれほど多くの人口を抱える中国で、善行を行う人、仏法を学ぶ人が増えれば、この世界に対する影響は大きなものですね。

【浄空法師】:很大,非常非常大。
大きいです。非常に大きなものです。


>>>両親や家族が縁起よく立ち去るために03/05につづく・・・。
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両親や家族が縁起よく立ち去るために03/05

2013-08-20 | 調和が危機を救う

【因果は三世に通じる】

【司会者】:這是一張世界知名的新聞照片,這張照片當時曾經感動過、震動過很多的人。這個女孩子很小,還不到十歲。這個女孩子因為一次災難,火山爆發,因為這個災難,被埋在這個水坑的下面。她的身體被這些建築物都卡住了,她不能出來,周圍那些人圍著她,救不出來。當時是八十年代,八十年代的事情。這個小女孩就是這樣望著周圍的人,一直這樣望著,大概有一、二天的時間,周圍的人也救她不出來,最後這個女孩子就這樣死掉了。那這張照片真的是感動了也震動了很多人。現在有人就提出這樣的問題來,這個小女孩才幾歲大,她又沒有造過什麼惡業,她為什麼會有這樣的一個果報,這麼悲慘的就死掉了?
これは世界的に知られた報道の写真です。この写真は当時多くの人を感動させ、また震撼させました。この少女はまだ十歳にもなっていません。この少女は火山の噴火に遭い、その災難によって水たまりの中に埋まりました。彼女の体は建物(の瓦礫)に挟まれて出ることができません。周囲の人々は彼女を囲みながら、助けることができません。当時は八十年代です。八十年代の出来事です。この少女はこの(写真の)ように周囲の人を見ていました。ずっとこのように見ていました。だいたい一日二日の時間が過ぎて、周囲の人も彼女を助けられず、結局その少女はそのまま亡くなりました。この写真は本当に多くの人を感動させ、また震撼させました。今ある人はこのような問題を提起します。この少女はたった数歳で、何の悪業も働いていません。彼女はなぜこのような果報があり、これほど悲惨な死を迎えたのでしょうか?

【浄空法師】:對,這個果報是前世的。
そうです。この果報は前世のものです。

【司会者】:前世的?
前世のものですか?

【浄空法師】:不是她這一生的。因果通三世,她前世如果沒有惡因的話,她這一生當中不會遇到這個災難。所以人在這個世間,沒有偶然的,我們只看到這個一面,沒有看到過去,也沒有看到未來。
彼女のこの一生のものではありません。因果は三世(前世・現世・来世)に通じています。彼女の前世に悪因が無ければ、彼女はこの一生でこの災難に遭うことはありません。ですから人はこの世間において、偶然というものはありません。私たちにはこの一面しか見えません。過去は見えません。また未来も見えません。

【司会者】:假如說,我們做這樣的一個假設,譬如說也是這個女孩子,她學過佛法,在這個時候她應該做什麼?
例えばこのように仮定してみます。例えば、この少女が仏法を学んでいたなら、その時に何をすべきだったのでしょうか?

【浄空法師】:念佛。
念仏です。

【司会者】:念阿彌陀佛?
阿弥陀仏を唱えるのですか?

【浄空法師】:對。她念佛,一個是得救,一個是往生,那個果報完全不一樣。如果說是她要在中國,旁邊人都是念佛的,那所有的人大家都是念佛讓她聽,叫她跟著念佛,她果報就不一樣了。
そうです。彼女が念仏していれば、一つには救いが得られ、一つには往生します。その果報は完全に異なります。もし彼女が中国にいて、近くの人が皆念仏する人であったなら、皆で念仏して彼女に聴かせ、彼女にも続いて念仏させれば、その果報は異なります。

【司会者】:如果她壽命還沒到,她一定能救出來。
もし彼女の寿命がまだ尽きていないなら、必ず救い出されるはずです。

【浄空法師】:對,沒錯。
そうです。その通り。

【司会者】:如果她真的是壽命到了?
もし彼女が本当に寿命が尽きたならどうでしょう?

【浄空法師】:壽命到的時候,她就走了。
寿命が尽きた時、彼女は逝きます。

【司会者】:她的神識去好地方?
彼女の神識は良い場所に行くのでしょうか?

【浄空法師】:不錯,對,不錯。這個完全不一樣。
その通りです。そうです。これは完全に異なります。

【最後の一念】

【司会者】:我記得您還曾經講過這樣的話,就是發生在美國的九一一,在那個九一一的事件當中,有的人是跳樓,選擇這個方式逃生。我記得您曾經講過,這個跳樓的人就是在半空中念佛,念阿彌陀佛,他也能來得及往生。
私は老法師がかつてこのように話されたのを覚えています。アメリカで9・11が発生した時です。あの9・11事件の時、ある人はビルを飛び降りて逃げる選択をしました。老法師はかつて、その飛び降りた人が空中で念仏すれば、阿弥陀仏を唱えれば、その人は往生するのに間に合うと話されました。

【浄空法師】:能,能,真能,因為往生是最後一念,最後一念真誠心,沒有雜念,是阿彌陀佛,決定得生。
できます。できます。本当にできます。往生は最後の一念が真誠(しんせい:真心、至誠)の心で、雑念が無く阿弥陀仏だけであれば、必ず往生できます。

【司会者】:臨斷氣前最後一念?
息をひきとる前の最後の一念?

【浄空法師】:對,最後一念。
そうです。最後の一念です。

【司会者】:是阿彌陀佛?
それが阿弥陀仏であれば?

【浄空法師】:沒錯。那個最後一念是決定你到哪裡去。最後一念還是貪生怕死的時候,到鬼道去了;還是瞋恨心,要報復的時候,地獄道去了;一念的善心的時候,人天。
その通りです。その最後の一念はあなたがどこに行くかを決定します。最後の一念が生を貪り死を恐れているなら、餓鬼道に行きます。怒りと恨みの心、報復する心であれば、地獄道に行きます。一念の善心であれば、人天(人間道、天道)です。

【司会者】:還是糊裡糊塗,那就是畜生道?
愚かであれば、それは畜生道でしょうか?

【浄空法師】:那就是畜生道,對。
それは畜生道です。そうです。

【司会者】:那一念阿彌陀佛就是……
その一念が阿弥陀仏であれば・・・・。

【浄空法師】:那就到極樂世界去了。
それなら極楽世界に行きます。

【司会者】:為什麼最後這一念這麼關鍵?
なぜ最後のこの一念がそれほど重要なのでしょうか?

【浄空法師】:最後一念是決定來生。所以他只有一念。我們念佛,天天念佛,是為了怕最後那一念忘掉了,他養成習慣。
最後の一念は来世を決定します。ですからたった一念だけです。私たちが毎日念仏するのは、最後の一念を忘れないように、習慣を養っておく為です。

【司会者】:這一輩子念這個?
一生これを唱えるのですか?

【浄空法師】:沒錯,就是千日練兵,打仗就是那一次。
その通りです。つまり千日兵を訓練して、戦うのはその一度だけです。

【司会者】:就是為了了生死,出六道?
つまり生死を明らかにして、六道を出る為ですね?

【浄空法師】:沒錯,沒錯。
その通り。その通りです。

【司会者】:這是最大的受益!
これは最も大きなご利益です!

【浄空法師】:最大的受益,就是最後一念。
最も大きなご利益、それこそが最後の一念です。

【司会者】:一般的受益就是身體好,健康。
一般的なご利益は身体に良いということ、健康ですね。

【浄空法師】:沒錯,沒錯。
その通り。その通りです。

【司会者】:這個不是根本目的?
これは根本の目的ではないのですね?

【浄空法師】:對,不是根本目的。最後一念的時候,那就是極樂世界。所以要能夠保證最後一念,你對於現在這個世間,這種種五欲六塵這種要看得很淡很淡,不能受它的誘惑。你受它誘惑,你臨終的時候,這個習氣又冒出來的話,就去不了了,佛號就忘掉了。
そうです。根本の目的ではありません。最後の一念の時、それが極楽世界です。ですから最後の一念を保証したいなら、今のこの世間の五欲六塵【注】などを淡泊に見て、その誘惑を受けてはなりません。その誘惑を受けていると、あなたは臨終の時に、その習気(じっけ。身に染みついた良くない習慣)が吹き出せば、(浄土に)行けなくなります。仏号を忘れてしまいます。
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 【注】五欲六塵(ごよくろくじん)
  五欲(ごよく)・・・・目、耳、鼻、舌、身の五つの感覚器官(五根)が、それぞれ色、声、香、味、触の感覚対象に対して起こす欲望のこと。または、財欲、色欲、飲食(おんじき)欲、名欲、睡眠欲のこと。
  六塵(ろくじん)・・・・・色、声、香、味、触、法の、煩悩を起こさせる六境のこと。
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【位牌の意味】

【司会者】:我們看到在給亡人做超度的時候,在佛像前有很多的牌位,上面寫著亡人的名字,還有他們的冤親債主。這個牌位在佛法裡講,到底是個什麼意思?
私たちは亡くなった人を済度する時に、仏像の前にたくさんの位牌を置き、そこに亡くなった人の名前と、それから彼らの縁のある人の名前が書かれているのを見ます。この位牌は仏法においては、いったいどのような意味なのでしょうか?

【浄空法師】:牌位是個象徵。
位牌は象徴です。

【司会者】:象徵?
象徴?

【浄空法師】:也等於說是給他立了一個座位。
その人に座席を与えるのと同じことです。

【司会者】:座位?
座席ですか?

【浄空法師】:歡迎他進來。你沒有這個牌位的話,他沒有座位的話,他進不來。起作用,也是分別執著,他要沒有分別執著,他就不受這個拘束。
その人が来るのを歓迎します。この位牌が無く、その人の座席が無ければ、その人は入れません。役に立ちますが、それもまた分別、執着です。その人に分別、執着がなければ、その束縛を受けません。

【司会者】:他進不來的原因是什麼?
その人が入れない原因は何でしょうか?

【浄空法師】:因為有護法神,這是真的,有護法神。你裡頭立牌位的時候,他裡頭有名字他就會放你進來,沒有牌位他進不來,這種事情我們經歷很多。
護法神(仏法を守護する善神)がいるからです。これは本当です。護法神がいます。位牌を立てて、その人の名前があれば中に入ることができます。位牌が無ければ入れません。私たちはこのような事をたくさん経験しています。

【本当の親孝行】

【司会者】:面對這麼多的災難、這麼多去世的人,大家愈來愈多有一個體會,救災要在人活著的時候去救他,何必等到他中陰身,去世之後,再去給他念佛,再去給他超度。老人家們應該在在世的時候,就是這些老人家們,譬如說家裡的父母、爺爺、奶奶,就要勸他們念佛,在這個時候就要救他們。
これほど多くの災難、これほど多くの亡くなられた方を目の当たりにして、被災者を救済するのは人が生きている時でなければならないと、皆がますます身に染みて感じるようになっています。その人が中陰身になり、亡くなってから、ようやく念仏して済度する必要がどこにあるのでしょうか。お年寄りたちがこの世にいる時、そのお年寄りたちというのは、例えば家の両親や、お爺さんお婆さんのことですが、その家族に念仏を勧めなければなりません。その時に家族を救わなければなりません。

【浄空法師】:沒錯,這才叫真正孝順子孫。而且自己學佛,決定要孝順父母。如果說《弟子規》不能在家裡落實,那個學佛就不是真的。佛是最孝順的,你看佛在教導我們「淨業三福」,那是佛教共同要遵守的三條,第一句就是「孝養父母,奉事師長,慈心不殺,修十善業」。所以不孝父母的話,念佛求生極樂世界去不了。
その通りです。それでこそ本当に親孝行な子孫といえます。しかも自分が仏法を学ぶなら、必ず親孝行しなければなりません。もし『弟子規』を家で実行できないなら、その仏法を学ぶ人は本物ではありません。仏は最も孝順(両親に孝行を尽くすこと)です。仏陀は私たちに「浄業三福」を教えています。それは仏教で共通して遵守すべき三箇条で、第一句が正に「孝養父母,奉事師長,慈心不殺,修十善業」(父母に孝養し、師長に奉事し、慈心にして殺さず、十善業 を修す)です。ですから両親に不孝であれば、念仏して極楽世界に生まれることを求めても、行くことはできません。

【司会者】:連起碼人的那個本性都做不到,做人的資格都沒有,不可能作佛。
最低限の人の本性さえできなければ、人としての資格もなく、仏に成ることは不可能です。

【浄空法師】:不可能。
不可能です。


>>>両親や家族が縁起よく立ち去るために04/05につづく・・・。
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両親や家族が縁起よく立ち去るために04/05

2013-08-20 | 調和が危機を救う

【自然環境と鬼神】

【司会者】:所有的宗教,幾乎所有的宗教都講,這個山有山神,而水有水神,樹有樹神,這些神到底是什麼?
ほとんどすべての宗教では、山には山の神がいて、水には水の神がいて、樹には樹の神がいると説いています。これらの神とはいったい何でしょうか?
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 【注】 自然界の諸事物に精霊が宿っているとするアニミズムの考え方は、世界各国に見られるという。日本の神道では八百万の神といわれ、北欧の国々でもキリスト教が入る前には同様の認識があったという。
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【浄空法師】:這個就是人的靈魂,他沒有投胎,附著草木,以這個為他的家,他就住在這個地方,時間久了就變成樹神,他住在這個樹上他就變成樹神,住在那個山上就變成山神。
これは要するに人の霊魂です。その人は母体に入らず、草木に附いて、そこを家としています。その人はその場所に住んで、時間が経つと樹の神に変わります。その人が樹の上に住んでいれば、樹の神に変わり、山の上に住んでいれば山の神に変わります。

【司会者】:他們為什麼會這樣?
彼らはなぜそうなるのでしょうか?

【浄空法師】:人有喜歡山水的,他有這個興趣,有這種愛好,他就會到那一道去了,都是感應,這能想得通的。
人には山水を好む人がいます。その人にその関心があり、そのような嗜好があるので、その道に進んで行くのです。すべて感応です。これは話が通ります。

【司会者】:那在六道裡面,這是屬於鬼道?
それは六道の中では、鬼道に属するのでしょうか?

【浄空法師】:屬於鬼神道。有時間很長的,你看我們那時候聽說北朝鮮,山神,有三百多個山神,想到中國來找一個法師去領導他們念佛。在中國遇到了一個法師,法師問他,你們做山神多少年了?三千年了。三千年前釋迦牟尼佛在世,你為什麼不找他?他說那時候我們不相信,現在我們相信了。
鬼神道に属します。時間はとても長いです。私たちが聞いた話では、北朝鮮には三百以上の山の神がいて、中国に行って法師に念仏を指導してほしいと考えたそうです。中国で一人の法師と出会い、法師は彼に、「あなた方は山の神になってどれくらいになるのですか?」と聞きました。三千年です。三千年前なら釈迦牟尼仏が在世でした。どうして釈迦牟尼仏を探さなかったのでしょう?彼は「その頃は信じていなかったが、今では信じている」と言いました。

【司会者】:他們在鬼神道三千多年了?
彼らは鬼神道に三千年以上いるのですか?

【浄空法師】:對。你就曉得他多麼執著,他喜歡那個地方,他不離開。
そうです。その人がどれほど執着しているかが分かるでしょう。その人はその場所が好きで、離れません。

【司会者】:如果山河大地、草木叢林是他們家的話,那我們現在在天天毀壞他們的家。
もし山河や大地、草木や林が彼らの家なのであれば、私たちは今毎日彼らの家を壊しています。

【浄空法師】:這個就造成了怨恨,他們報復,所以山崩地裂是他們製造的。還有這些鬼神,如果統統出來之後,把我們的磁場搞亂了,人的思想迷迷糊糊的,糊裡糊塗,這是鬼神擾亂我們的磁場。
これは怨み辛みを造り出しています。彼らは報復します。ですから山が崩れ、地面が裂けるのは、彼らが起こしたものです。またそれらの鬼神が、もしすべて出てくれば、私たちの磁場は乱されます。人の思想はぼんやりとして、愚かになります。これは鬼神が私たちの磁場を乱しているのです。

【司会者】:他這樣做是報怨的意思?
彼がそのようにするのは報怨(仕返し)という意味でしょうか?

【浄空法師】:是報怨,讓你糊裡糊塗,讓你做錯事情。
報怨です。あなたを愚かにさせ、間違った事をさせます。

【司会者】:做糊塗事,做傻事?
出鱈目なこと、愚かなことをさせるのですね?

【浄空法師】:沒錯!所以他有影響。所以我們每天誦經給他們迴向,就是希望他們平平安安,不要擾亂社會。
その通りです!ですから影響があります。私たちは毎日読経をして彼らに廻向しています。彼らが平穏無事で社会を乱すことがないように願います。

【司会者】:我們注意到有些地震的災區周圍,密密麻麻遍布著四百多個大大小小的水庫和大壩。每修建一個,就要開山鑿石,毀壞大量的山石叢林,還有就是整個的縣城一下沉到了水底。那確實都是鬼神的家,那這個怨結怎麼化解,跟他們?
私たちはある地震の被災地の周囲には、四百以上の大小様々な貯水池、ダムが密集していることに気づかされます。どれを建設するにも、山を切り開き、石を砕いて、大量の石や林を破壊しなければならず、また町全体を水の底に沈めています。それが確かに鬼神の家であるなら、その恨み辛みはどのように解消すれば良いのでしょうか?

【浄空法師】:很麻煩,非常非常麻煩,他們的怨恨很深。
面倒なことです。非常に面倒なことです。彼らの恨み辛みはとても深いのです。

【司会者】:如果那是人家幾百年的家?
もしそれが数百年住んでいた家ならどうでしょうか?

【浄空法師】:對,我遇到過,他們來訴怨。所以我勸導他,給他做皈依。但是他們還好,都能接受。我說這個開山,做這些水壩,是少數人的事情,你不能夠在這裡,這點怨恨你要把這個壩毀掉,要造成洪水,多少生命財產受到這個災難,他們是冤枉的,對你沒有好處。我們這樣勸導他,他也能懂得,我說決定不可以做這個事情。我說我如果將來能有這個機緣,我給你們建龍王廟。
そうです。私は遇ったことがあります。彼らが怨みを訴えに来たのです。私は彼に、(仏法に)帰依するように勧めました。彼らは良い方で、すべて受け入れました。私は、「山を開き、ダムを建設したのは少数の人間がしたことです。あなたがここで恨み辛みからダムを壊し、洪水が起きれば、どれほどの生命と財産が災難を受けるでしょうか。人々が怨みを持てば、あなたに良い事はありません」と言いました。私たちがこのように勧めると、彼は理解しました。私は、絶対にこのような事をしてはならないと言いました。私はもし将来その機縁があるなら、あなた方の為に龍王廟を建てると言いました。

【司会者】:龍王廟過去是他們的一個……
龍王廟は昔彼らの・・・・。

【浄空法師】:水神,長江不是水神嗎?黃河的水神都是龍王。那他現在水壩做起來的時候,他的廟淹掉了,所以他有怨恨。
水神です。長江は水神ではありませんか?黄河の水神は龍王です。現在ダムをつくる時に、彼の廟は水に沈んでしまいます。だから彼は恨みを持っているのです。

【司会者】:過去民間那些龍王廟也好,那都是對另外一個維次空間眾生的一種恭敬?
昔の民間の龍王廟などは、すべて別の次元空間の衆生に対する恭敬なのでしょうか?

【浄空法師】:對,沒錯,是的。他們也真的有依附在那個地方,所以他那個神廟,一般人去拜還有靈驗。這就是有過去學佛的,學佛的時候對於名聞利養沒有放下,就跑到那裡去了。
そうです。その通りです。彼らも本当にその場所に附いています。ですから彼の神廟に一般の人が参拝に行くと霊験があります。これはつまり過去に仏法を学んでいた頃に名聞利養を放下しなかったので、そのような所に行ったのです。

【司会者】:實際上在佛法看起來,這樣分析起來,不同維次空間的眾生不神祕。
実際に仏法でこのように分析してみると、異次元空間の衆生は神秘的ではありません。

【浄空法師】:不神祕。
神秘的ではありません。

【司会者】:就跟空氣當中那些細菌一樣。所以有些人說怕鬼,那細菌就沒人怕,他無非就是看不見的眾生而已。
つまり空気中の細菌と同じです。ある人たちは鬼が恐いと言いますが、細菌を恐がる人はいません。それは目に見えない衆生に過ぎません。

【浄空法師】:不錯。諺語說得好,「人怕鬼三分」,人有三分怕鬼,鬼有七分怕人,你怕他幹什麼?你不怕他,他就怕你,就跑掉了。你一怕他,這個比我膽子還小,可以欺負他,跟他開開玩笑。
その通りです。良い諺があります。「人は鬼を恐れること三分」、人は三分鬼を恐れますが、鬼は七分人を恐れます。あなたは恐がってどうするのでしょう?あなたが恐がらなければ、彼らはあなたを恐れて逃げ出します。あなたが彼らを恐がれば、この人は自分より度胸が無いと思って悪ふざけをしたりします。

【司会者】:人是不應該有害怕他們的心,但是應該有敬畏自然的心。
人は彼らの心を恐れるべきではありません。しかし自然に対する畏敬の念を持つべきですね。

【浄空法師】:對,不錯。
そうです。その通りです。

【宿世の業力】

【司会者】:我們這個節目馬上就要結束了,還有最後這麼一個問題。「和諧拯救危機」這一套節目,讓很多人非常對您老感恩,對佛法感恩。
この番組はもうすぐ時間になります。最後にこのような質問があります。この「和諧拯救危機」(調和が危機を救う)という番組に対して、多くの人が老法師に感謝し、仏法に感謝しています。

【浄空法師】:不敢當,不敢當。
恐れ入ります。

【司会者】:這套節目的出資人,非常遺憾她沒有能夠看到後來的節目,包括今天的節目。我過去跟她也認識,她的葬禮是我主持的。現在我很想替那些對佛法有些疑問這樣的人來提這樣的一個問題,就是說她學佛十年,而且心地善良,和一般人比起來她捐的錢已經很多了,還捐過寺廟,印過法寶,她為什麼四十二歲就有這樣的一個果報?
この番組の出資者は、残念なことに今日の番組を含めて、今後の番組を見ることができません。私も以前彼女と面識があり、彼女の葬儀は私が取り仕切りました。今私は仏法に疑問を持っている人たちに代わって、この問題を提起したいと思います。つまり彼女は仏法を学んで十年になり、しかも心は善良で、一般の人よりも寄付したお金も多く、また寺院にも寄付して、法宝(経典)を印刷しています。彼女はなぜ四十二歳でこのような果報があったのでしょうか?

【浄空法師】:她是信心不足,我一直幫助她。她如果有「山西小院」那些人的信心,她什麼事都沒有了。
彼女は信心が足りませんでした、私はずっと彼女を助けていました。彼女に「山西小院」【注】のあの人たちの信心があれば、何ともなかったでしょう。
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 【注】 「山西小院」・・・・2005年9月に山西省大同市で撮影された、不治の病に侵された人々が『地蔵菩薩本願経』の読誦を通して重病を克服する映像ドキュメンタリー。病を克服した仏教徒40名の実際の記録映像。この対談の司会者、CCTV中国中央テレビの陳大恵氏が番組の解説を務めている。
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【司会者】:信心,學了十年信心不足?
信心ですか。十年学んでも信心が足りないのでしょうか?

【浄空法師】:信心不足。你看那時候我們大家都念佛幫助她,她不念佛,她天天想著我這個病能好嗎?這個就問題嚴重了,讓我們幫不上忙。如果她堅定的信心,妳的病決定會好,意念能夠轉變。她的意念就是常常念著,我這個病還會好嗎?這怎麼勸她都回轉不來,勸她的時候,點頭,但是我們離開她的病房的時候,她的念頭又起來了,又問別人,我還能好嗎?
信心が足りません。あの時私たちは皆で念仏して彼女を支えましたが、彼女は念仏しませんでした。彼女は毎日病気が良くなるのかどうかを考えていました。これでは問題は深刻です。私たちには助けることはできません。もし彼女に揺るぎない信心があれば、彼女の病は必ず良くなります。意念で転じることができます。彼女の意念はいつも病が良くなるかどうか心配していました。これはどのように勧めても転じることはできませんでした。彼女に勧める時には頷いていても、私たちが病室を離れると、彼女の思いがまた起こって、自分の病気は良くなるのかと人に聞いていました。

【司会者】:那出了家都不行,也轉不過來?
それでは出家しても駄目で、転じることができなかったのですね?

【浄空法師】:不行,轉不過來。所以這個意念很重要。她還是什麼?佛法底子不深,聽經太少。
駄目です。転じることはできません。ですからこの意念はとても重要です。彼女はどうでしょう?仏法の基礎が浅く、経を聴く時間が少な過ぎました。

【司会者】:她曾經親口對我們講過這樣的話,就是說您老人家曾經在電話裡勸告過她,要放下貪瞋痴慢,看她還有救。她說她就哇哇大哭說,我如果不去掙錢,我怎麼生活?
彼女はかつて私に直接このように話しました。老法師は電話で彼女に、「貪瞋痴慢を放下すれば、まだ救いがある」と勧告されたことがあります。彼女は声をあげて泣き出して、「お金を稼がなければ、私はどうやって生活すればいいの?」と話しました。

【浄空法師】:是!這個錢不需要去掙,你真的能夠依照佛法。所以佛法講錢從哪裡來的?布施來的。你多做好事,多幫助別人,你的錢財源源不斷而來,不是賺來的。要賺來,佛都下海去賺錢了!
そうです!お金を稼ぎに行く必要はありません。本当に仏法に従うことが大事です。仏法ではお金はどこから来ると言っているでしょうか?布施から来るものです。あなたが良い行いを多くして、他人を多く助けていれば、あなたの財源は絶えることなくやって来ます。稼いで来るのではありません。もし稼いで来なければならないなら、仏陀も転職してお金を稼ぎに行かなければなりません!

【司会者】:那能不能說一邊賺錢又一邊學佛的人,還是半信半疑的人?
それでは一方でお金を稼ぎ、また一方で仏法を学んでいる人は、まだ半信半疑の人だと言えるのでしょうか?

【浄空法師】:對!不需要,你要堅定的信心。
そうです!必要ありません。あなたは揺るぎない信心が必要です。

【司会者】:這樣學佛好像是不是意義不大?
このように仏法を学ぶのはあまり意味がないのでしょうか?

【浄空法師】:不是意義不大,她力量達不到。
意味がないのではなく、彼女の力が達しません。

【司会者】:力量達不到?
力が達しない?

【浄空法師】:對,力量達不到。
そうです。力が達しません。

【司会者】:就是信心、信念……
つまり信心、信念が・・・・。

【浄空法師】:沒錯,她信念達不到。
その通りです。彼女の信念が達しません。

  要是往深處講是有宿業,宿世的業力。在這一生當中,她從事的行業不是純善的。佛家是戒酒的,她是宣傳勸人喝酒,你看看《戒經》裡面你就曉得。
深い所から話すなら、宿業があるということです。宿世の業力です。この一生で、彼女が従事した業界は純善ではありませんでした。仏家では酒を戒めています。彼女は人に酒を飲むように宣伝しました。『戒経』を読めば理解できます。

【司会者】:五重戒。
五重戒。

【浄空法師】:對,你看看這個東西就曉得。另外她演這個戲也有問題。
そうです。これを見れば理解できます。その他にも彼女が演じた劇にも問題があります。

【司会者】:那您說有什麼問題?
それでは老法師は何が問題だと仰るのでしょうか?

【浄空法師】:它是屬於色情,因為表演的時候,人家看到,他會動這個淫欲的念頭。
それは色情に属します。演じる時に、人がそれを見ると淫欲の意念を動かします。

【司会者】:看到這個形象,很多人會起這個男女之心?
その情景を見て、多くの人が男女の心を起こす?

【浄空法師】:對!它會激發這種,這都不是好事情。所以這是在歷史上,你細心去觀察,凡是做色情這些東西,好像幾乎都沒有好下場。
そうです!そのような事をかき立てます。これは良い事ではありません。ですから歴史的にも、注意深く観察してみれば、およそ色情に関する物を作れば、ほとんど良い末路はありません。

  所以你念《了凡四訓》你就知道,你看《俞淨意公遇灶神記》裡面就講得很清楚。俞淨意先生,你看灶神特別指定他,雖然你沒有淫,你有意淫,你有念頭,你的念頭沒斷。雖然是沒有這個緣分,在形式上沒有,你念頭有。
ですから『了凡四訓』を読めば分かります。『俞淨意公遇灶神記』の中に明確に説かれています。灶神(=かまどの神様)は特に俞淨意先生を指定しました。あなたが淫らでなくても、あなたには意淫があります。あなたには意念があり、意念を断っていません。この縁が無くても、形式上無くても、意念があります。

【司会者】:就是看到這些畫面,或者看到這些人,動了男女的心,也是造惡業?
つまりその映像を見て、或いはそれらの人を見て、男女の心を動かせば、それも悪業を造ることになるのですね?

【浄空法師】:不錯,不錯。
その通りです。

【司会者】:那這樣的節目,或者是這樣的電影、電視,流通出去之後,那造的業就太大了。
それではこのような番組、或いはこのような映画、テレビは、流通した後とても大きな業を造ることになります。

【浄空法師】:是!所以這是一般人不曉得。
そうです!これは一般の人には理解できません。

【司会者】:一般人覺得那是愛情。
一般の人はこれを愛情だと思っています。

【浄空法師】:對,不錯,是愛情,不錯!愛情不是個好事情,「愛不重不生娑婆,念不一不生淨土」。
そう、その通りです。愛情です。その通りです!愛情は良い事ではありません。「愛不重不生娑婆,念不一不生淨土」(愛重からざれば娑婆に生まれず、念一にあらざれば浄土に生まれず)。

【司会者】:這個「愛不重不生娑婆」就是男女之心?
この「愛不重不生娑婆」(愛重からざれば娑婆に生まれず)とは、男女の心のことでしょうか?

【浄空法師】:就是六道輪迴,六道輪迴就是男女之愛,你就出不了六道輪迴。
つまり六道輪廻です。六道輪廻とは正に男女の愛欲であり、あなたは六道輪廻を出られません。

【司会者】:那我表演這些節目是加你的六道心?
それではそれらの番組を演じれば、六道の心を増やすことになるのですね?

【浄空法師】:沒錯,是的,就是長你的輪迴心,障礙你出輪迴。
その通りです。そうです。正に輪廻の心を増長させ、輪廻を出る障碍となります。


>>>両親や家族が縁起よく立ち去るために05/05につづく・・・・。
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/ba73460fabea432bf59d97ba934b2e48


両親や家族が縁起よく立ち去るために05/05

2013-08-20 | 調和が危機を救う


【司会者】:那現在我們看看很多企業家,他們做的這些產品,做的這些生意?
それでは現在の多くの企業家を見てみると、彼らはそれらの商品を作り、商売をしていますね?

【浄空法師】:沒錯,所以今天這個世界這麼混亂,災難這麼多,你要曉得,原因在哪裡?你看這個媒體傳播的,總的來說,就是暴力、色情、殺盜淫妄,天天宣傳這個。
その通りです。だから今日この世界はこれほど混乱し、災難がこれほど多いのです。あなたは理解しなければなりません。原因はどこにあるのでしょうか?このメディアが放送しているのは、総じて言えば、暴力、色情、殺生、窃盗、邪淫、妄語、毎日これを宣伝しています。

【司会者】:那看來佛家的這些衣服也是一種教學的工具。
見たところ仏家のそれらの衣服もまた一種の教学の材料のようですね。

【浄空法師】:是教學。
教学です。

【司会者】:讓人看了之後,心生覺悟的心、清淨的心。
人はそれを見て、心に悟りの心、清浄の心を起こします。

【浄空法師】:不錯,飲食起居他都是清心寡欲。
その通りです。日常生活は清浄にして寡欲です。

【司会者】:那像我們很多記者、主持人穿的這些西裝,讓人看了之後生貪愛心,那造這些名牌的,來做這些表演的,都有惡業?
それでは私たちのように、多くの記者や司会者が着る洋服は、人が見ると貪愛の心を起こさせます。それではこれらのブランドを作り、それを来て演技するのは、すべて悪業なのでしょうか?

【浄空法師】:沒錯,都有惡業,都在造惡業,所以這個社會它怎麼能會好?你說問題多嚴重。
その通りです。すべて悪業があります。すべて悪業を造っています。それでこの社会はどうして良くなるでしょうか?この問題は相当に深刻です。

【司会者】:那我們這些都需要懺悔。
それでは私たちは懺悔しなければなりません。

【浄空法師】:是,是應該要求懺悔。
そうです。懺悔を求めるべきです。

【飲酒について】

【司会者】:現在有很多企業家非常的發達,他做的很多產業可以說遍布全球,這裡面有一些產品似乎和佛法的教導是相矛盾的,譬如說賣酒,幫助別人賣酒,這個有什麼問題沒有?
現在多くの企業家は非常に発達していて、彼らの多くの産業は全世界に流布しています。その中の商品には仏法の教えに矛盾するようなものがあります。例えば酒を売ることです。人に酒を売っています。これには何か問題があるでしょうか?

【浄空法師】:有問題。
問題があります。

【司会者】:有問題?
問題があるのですね?

【浄空法師】:有問題。中國在古時候,好像是禹王,大禹王,儀狄造酒的時候,他嘗了一口之後,他就很感嘆,這個東西會叫人家喪家破產,家破人亡,於是他就拒絕了。
問題があります。中国ではその昔、おそらく大禹王の頃です。儀狄(ぎてき)という人が酒を造った頃、禹王は一口味見をした後、「これは人に家を破産させ、一家を没落四散させる」と溜め息をつきました。そして彼は拒絶しています。

【司会者】:治水的大禹。
治水の大禹ですね。

【浄空法師】:對,不錯,好像是禹王。酒容易亂性,酒醉了之後就會造出殺盜淫妄。所以酒本身沒有過失,佛家五戒裡頭有酒戒,酒叫遮罪,不是性罪。殺盜淫妄,你不持戒,你造也是罪,也犯罪;酒不是的,酒醉之後,犯殺盜淫,它是媒介,讓你犯殺盜淫。所以酒也列入重戒之一,道理在此地。
そうです。その通りです。おそらく禹王でしょう。酒は本性を乱し易いものです。酒に酔った後で、殺・盗・淫・妄(殺生、窃盗、淫事、妄語)が起こります。ですから酒そのものには過失はありません。仏家の五戒の中には酒戒があります。酒は遮罪(しゃざい)と言われ、性罪(しょうざい)ではありません。殺・盗・淫・妄を持戒せず、あなたが犯せば罪であり、犯罪です。酒は違います。酒に酔った後、殺・盗・淫を犯せば、それは媒介です。あなたに殺・盗・淫を犯させます。だから酒も重戒の一つに並んでいるのです。道理はここにあります。

【司会者】:它是個導火索?
それが導火線になると?

【浄空法師】:沒錯,你看看你只要稍微留意,現在社會上這些重大的案件,刑事案件,你細心去觀察,都是喝酒之後幹的。
その通りです。少々注意してみれば、今の社会における重大な刑事事件は、よく観察してみれば、ほとんど酒を飲んだ後で起こっています。

【司会者】:那我們知道現在很多國家,他們這些做領導的是天天都要喝酒,都有應酬,那不是天天都在危險中嗎?
それでは現在多くの国では、指導者たちは毎日酒を飲んで、客を接待しています。それでは毎日危険の中にあるのではないでしょうか?

【浄空法師】:對,這種喝酒的應酬是反常的。古時候酒是禮,禮節,但是那個酒裡頭摻水,它沖淡了。
そうです。そのように酒を飲んで接待するのは異常なことです。昔の酒には礼、礼節がありました。その酒には水を混ぜていました。薄めていたのです。

【司会者】:沒有現在這麼猛烈。
現在のように猛烈ではありませんでした。

【浄空法師】:沒有,他一定要把度數降低。而且酒不能過度。你看從前這個酒杯叫「爵」,它不是兩根柱子一樣嗎?他喝的時候這就擋住了,決定沒有辦法說乾杯,你只能嘗一點點,它就把你擋住。這做酒杯的時候就用意很深。
そうです。必ず度数を低くしなければなりません。その上酒は度を越してはなりません。昔の酒の杯は「爵」【注】と言いますが、それは二本の柱のようではないですか?飲む時に遮られます。絶対に乾杯することはできません。少し嘗めるだけで、飲むのを遮られてしまいます。これは酒の杯を作る時に、深い心遣いをしているのです。
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 【注】 爵(しゃく)・・・・中国古代の青銅で造られた酒器。雀のような形をした三本足の杯で、飲み口の近くに二本の突起が付いている。文末の写真参照。
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【司会者】:老祖宗的智慧。
ご先祖様の智慧ですね。

【浄空法師】:智慧。所以這是一種禮節,但是決定不能夠過量。
智慧です。ですからこれは一種の礼節です。絶対に度を越してはなりません。

【司会者】:如果那些領導們他們經常喝酒,天天喝酒的話。
もし指導者たちが毎日のように酒を飲んでいれば・・・。

【浄空法師】:對身體健康決定有損耗。
体の健康に絶対に害があります。

【司会者】:那後面那幾種殺盜淫妄也很容易去造?
それではその後で、殺・盗・淫・妄(殺生、窃盗、淫事、妄語)を犯しやすいのですね?

【浄空法師】:很容易去造。
犯しやすくなります。

【司会者】:那地方老百姓就倒楣了。
それでは地方の庶民は不運な目に遭います。

【浄空法師】:對,很容易去造。所以佛家對酒是嚴格的禁止。但是它開緣也很多,譬如在中國醫藥,中藥裡面,用酒做藥引,用酒做配方,那都是許可的。還有在飲食裡面,用酒做佐料、做配料,都是許可的。酒燒在菜裡面,取它的味道,那個不會喝醉的,吃不醉的。總而言之,是老祖宗想得很圓滿,想得很周到。
そうです。容易に犯してしまいます。ですから仏家では酒を厳格に禁じています。しかし多くの縁を開いています。例えば中国の医薬、中薬(=漢方薬)においては、薬を用いて補助薬とします。酒を使って調剤します。それは許されています。それから飲食においては、酒を調味料として使います。それもすべて許されています。酒を料理の中で焼くと、その味が取れて酔わなくなります。食べても酔いません。総じて言えば、ご先祖様は円満であり、とても周到に考えているのです。

【司会者】:我們看到佛經上有這樣的話,造酒的、幫助賣酒的、酗酒的,將來墮地獄。
私たちは仏典にこのような話を見ることができます。酒を造り、酒を売るのを手伝い、酔って暴れる者は、将来地獄に堕ちると。

【浄空法師】:對,確實是如此。
そうです。確かにそのようです。

【司会者】:去世之後是那個果報很慘。
世を去った後、その果報は惨いものです。

【浄空法師】:果報很慘。所以酒不可以不謹慎。
果報は惨いものです。ですから酒は慎まなくてはなりません。

【喫煙について】

【司会者】:還有我們看到就是抽煙,這個香煙盒上都有這樣的話,譬如說我們能看到香港政府忠告市民,吸煙有害健康。很多科學家也做過這實驗,這一口煙裡面有三千多種化學物質,全都抽到肺裡去了。每一支煙能縮短二十五個小時人的壽命,能縮短二十多個小時,抽這一支煙。那如果按照佛法來講,佛法講的是規律,講的是定律,是必然會發生的,如果按照佛法來講,那這是不是殺生?
それから私たちは煙草を吸う人を見ます。煙草の箱にはこのような言葉が書かれています。例えば私たちは「喫煙は健康に害があります」という、香港政府の市民に対するという忠告を見ることができます。多くの科学者も実験をしています。一息の煙には三千種類以上の化学物質が含まれていて、全部肺の中に吸い込まれます。一本の煙草は人の寿命を二十五時間縮めるそうです。一本吸うと、二十時間以上縮まります。それでは仏法に照らして言うなら、仏法で重んじるのは規律であり、定律です。必然的に生じるものです。もし仏法に照らして言うなら、これは殺生ではないでしょうか?

【浄空法師】:這是自殺,慢性的自殺。
これは自殺です。慢性の自殺です。

【司会者】:自己抽煙是自殺。
自分で煙草を吸うのは自殺。

【浄空法師】:不錯,是自殺。
その通りです。自殺です。

【司会者】:那我送煙給別人?
それでは自分が煙草を人に贈るのであれば?

【浄空法師】:而且,你送煙給人,你還害人。
さらに人に贈れば、あなたは人を害します。

【司会者】:那我敬煙,我們大家?
それでは煙草を勧めるのはどうでしょう?

【浄空法師】:這個最好不要敬這些東西。佛法,煙沒有定在戒律裡面,沒有正規的條文。但是佛的戒有三大類,律儀戒裡頭沒有,律儀戒有文字記載的,這一條沒有,但是不是律儀戒裡頭,有原則,凡是對身體有傷害的,你就要拒絕。那酒對人、煙對人的身體沒有好處,是有傷害。
このような物を勧めるべきではありません。仏法では、煙草は戒律の中に定められていません。正規の条文にはありません。しかし仏の戒には三つの類があります。律儀戒の中にはありません。律儀戒は文字の記載があり、この一条はありません。しかし律儀戒の中になくても、原則があります。およそ身体を傷つけるものは、拒絶しなければなりません。酒や煙草は人の身体にとって良い所はありません。傷つけるものです。

【司会者】:壽命縮短。
寿命が縮まります。

【浄空法師】:對,不錯。它給你帶來疾病。
そうです。その通りです。それはあなたに病気をもたらします。

【司会者】:我敬給別人一支煙,就是在縮短別人的壽命,我這是在殺生。
私が煙草を人に勧めれば、人の寿命を縮めることになります。これは殺生していることになります。

【浄空法師】:對,是!所以這個是不好。
そうです。そうなのです!これは良くないものです。

【司会者】:所以他們有人就講,大家經常敬煙,來來,抽一支煙,抽一支煙;有人講就是來來來,少活一天,少活一天。這一支煙能縮短二十五個小時,這是在造殺業。
ある人は言います。皆はいつも煙草を勧めて、煙草を一本どうぞ、と勧めます。ある人は言います。これは、一日少なく生きて、と言うのと同じです。一本の煙草が二十五時間縮めるのなら、これは殺生の業を造ります。

【浄空法師】:對,不錯。
そうです。その通りです。

【司会者】:好的,我們今天這個節目就到這裡,非常感恩您。
分かりました。今日の番組はこれで終わります。老法師に感謝致します。


―――両親や家族が縁起よく立ち去るために(完)―――

*青字の小見出しは、内容を把握しやすくする為に筆者が加筆したものです。

訳者追記:
原稿は一部省略・編集されていますが、編集者の考慮を尊重してそのまま掲載しています。
動画ではすべて閲覧できます。


<参考>
(しゃく)・・・・左上が飲み口。飲み干そうとすると二本の柱が顔に当たるようになっている。 
 
昨年(2012年)、上野の東京国立博物館で開催された「中国王朝の至宝」展では実物の「爵」が展示されていた。二本の突起は長いものと短いものがあるらしいが、このような古代中国の青銅器職人の工夫を思うと感慨深い。

東京国立博物館
http://www.tnm.jp/
東洋館ではインドや中国の数千年前の芸術作品と対面できます。


千古不変の真理 ― 因果の定律01/06

2013-07-22 | 調和が危機を救う


千古不變的真理-因果定律 / 千古不変の真理 ― 因果の定律
《和諧拯救危機》系列二 第三集/『調和は危機を救う』第二シリーズ 第三集

【原文】 http://ft.hwadzan.com/dv.php?sn=21-490-0003&lang=zh_TW
答記者問(第三集) 2008/10/31 香港理工大學 檔名:21-490-0003

【因果の定律】

【司会者】:非常感恩您,能夠再次接受我們的專訪。我們這個節目的開始,是從牛頓定律開始的,三百多年前一只蘋果從樹上掉下來,一個定律就誕生,就是「萬有引力」。但是這個定律不能說是牛頓發明,應該說是他發現的,因為在牛頓之前,蘋果也會掉到地上來。
再び独占インタビューに応じて頂きまして、感謝申し上げます。番組はニュートンの定理から始めたいと思います。三百年以上前、一つのリンゴが樹から落ちて、一つの定律が誕生しました。それが「万有引力」です。しかしこの定律はニュートンが発明したとは言えません。彼が発見したと言うべきものです。なぜならニュートンの前にも、リンゴは地上に落ちていたからです。

【浄空法師】:不錯。
その通りです。

【司会者】:之所以說它是定律,就是因為它是個規律。現在就產生一個問題,有人就說學佛的人他們相信因果定律,這是釋迦牟尼佛發明的。所以說這裡面就出現了這樣一個問題,就是有人說「信則有,不信則無」。
そのためこれは定律と言われます。それは法則だからです。ここで一つの疑問が生まれます。ある人は、「仏法を学ぶ人は、因果の定律を信じている。それは釈迦牟尼仏が発明したものだ」と言います。ここにこのような疑問が生まれます。つまり、ある人は「信じればあり、信じなければ無い」と言います。

【浄空法師】:這樁事情不是釋迦牟尼佛發明的,因為印度婆羅門教現在世界上一般公認,比釋迦牟尼佛要早五千年,就是它有八千五百年的歷史,佛教才二千五百年,因果是他們講的。
この事は釈迦牟尼仏が発明したのではありません。インドのバラモン教は現在世界で一般に公認されているところでは、釈迦牟尼仏よりも五千年早くからあり、八千五百年の歴史があります。仏教はようやく二千五百年です。因果は彼らが説いたものです。

【司会者】:最早不是釋迦牟尼佛講的。
一番最初は釈迦牟尼仏ではないのですね。

【浄空法師】:不是。印度教自己本身說他們有一萬多年歷史,但是印度人不重視這文字記載,所以我們可以相信。因果的定律是很早就有了,就存在了。我講經的時候也提示過,因果什麼時候發生的?從宇宙發生那天發生的,同時發生的。在佛經上我們談到,宇宙怎麼來的?是從自性變現的。這個講起來就很深,講起來時間很長,但是我們在《華嚴經》裡面可以說講得相當詳細,是從起心動念,是非常微細的波動,波動的時候宇宙就發生了。宇宙為什麼發生?因為自性裡頭本來具足,它本來就是這樣的。你沒有動它沒有發現,就是不動的時候你不能說它沒有;動的時候發現了,你也不能說它真有。所以真的真相,事實真相非空非有、亦空亦有,你可不能執著,執著就迷了,不執著就是覺悟。所以因果定律出現在六道裡面是非常明顯,那就有善惡,善因善果,惡因惡報,這是幾乎所有印度宗教統統都說,佛是在最後。雖然他們了解這個果報,但是為什麼會有這個果報?這種所以然的道理他說得不清楚。所以釋迦牟尼佛出現之後,就把這個所以然的道理說出來,說明白了。
違います。ヒンズー教では彼ら自身は一万年以上の歴史があると言っています。インド人は文字の記載を重視しませんが、私たちは信じることができます。因果の定律は早くからあり、存在しました。私は講経の時にも提示したことがあるのですが、因果はいつ発生したのでしょうか?宇宙が発生したその日に発生しました。同時に発生したのです。仏経において、宇宙はどこから来たと説かれているのでしょうか?自性【注1】から変化して現れたものです。これは話すとなればとても深く、長い時間がかかります。しかし私たちは『華厳経』の中で相当に詳しく解説しています。起心動念(=思考の働き)であり、非常に微細な波動であり、波動が動いた時に宇宙は発生しました。宇宙はなぜ発生したのでしょうか?自性の中に本来備わっているので、それは本来正にそのようなものです。あなたが動かなければそれは現れません。しかし動かない時それが無いとは言えません。動いた時に現れます。しかし本当にあるとも言えません。真の真相、事実の真相は「」でも「」でもなく、「」でもあり「」でもあり、あなたはそれに執着することはできません。執着すれば迷い、執着しなければ悟ります。因果の定律は六道【注2】の中では非常にはっきりと現れます。それには善悪があります。善因善果、悪因悪果。これはインドの宗教のほぼすべてで説かれており、仏は最後です。彼らはこの果報を理解していますが、なぜこの果報があるのか、そうなる理由は明確に説かれていません。釈迦牟尼仏が現れた後で、そうなる道理を説かれました。明瞭に説かれました。
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 【注1】 自性(じしょう)・・・・各人に内在する真如(しんにょ=宇宙の根源的な存在、永久不変の真理)、真心のこと。本来具えている性質。
 【注2】 六道(ろくどう)・・・・衆生が業によっておもむく六種の世界。生死を繰り返す迷いの世界。地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道のこと。(=六趣、六界)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E9%81%93
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【司会者】:就是說古印度教,他們最先發現了因果定律,但是為什麼不知道,然後釋迦牟尼佛講清楚,回答這個問題。
つまり古代ヒンズー教が最初に因果の定律を発見しました。しかしなぜなのかは理解できず、その後釈迦牟尼仏が明確に説いて、この問題の解答を出した。

【浄空法師】:對,才把它說清楚,講清楚。
そうです。ようやく明瞭に説いたのです。

【司会者】:這很像佛法上所講有求必應,如果沒有這個疑問也不會來回答這個問題。
これはまるで仏法で言う「有求必応」(求めれば必ずかなえられる)のようです。もしこの疑問が無ければ、この問題に答えに来ることはなかったかもしれません。

【浄空法師】:對,不錯。所以在印度,佛陀在世的時候嚴格的講,佛他不是一個宗教,他是教學,所以他學生裡面有很多不同的宗教。你看你們念《地藏經》,《地藏經》婆羅門女,很多,這遍行外道,像《華嚴經》上說的都是其他宗教徒,像學瑜伽的、學數論的這個人都很多。所以佛是像孔子一樣,來者不拒,去者不留,有教無類,無論你是不同的國籍、不同的宗教、不同的族群,他都平等教導。
そうです。その通りです。ですからインドでは、仏陀が在世の頃に厳格に説かれました。仏は宗教ではなく、教学です。彼の学生には多くの異なる宗教をもつ人がいました。『地蔵経』の婆羅門女など、仏教以外の教えを信じる人はたくさんいました。『華厳経』には異なる宗教の信徒も多く、ヨガを学ぶ人や整数論を学ぶ人も多くいました。ですから仏陀は孔子と同じように、来る者は拒まず、去る者は追わず、どのような人にも等しく教えていました。異なる国籍でも、異なる宗教でも、異なる民族でも、彼は平等に教え導きました。

【心の波動と物質の感応】

【司会者】:您說古印度人有這個疑問,那現在人也有這個疑問。
老法師は古代のインド人にはこの疑問があったと言われましたが、現代人にもこの疑問があります。

【浄空法師】:對。
そうです。

【司会者】:因果定律最簡單的講,種善因,就做善事得善果、得善報,相反的就是惡報惡果。現在人也想請教您老人家為什麼?
因果の定律は簡単に言えば、善因を蒔いて、つまり善行をすれば善果、善報を得ます。反対であれば悪報悪果です。現代人も老法師にお伺いしたいと思っています。これはなぜなのでしょうか?

【浄空法師】:這是一種自自然然的反應,善與善相感。你就是拿江本博士的水實驗,那就很明顯,水是礦物,他發現的它也有見聞覺知,我們用善意對待它,你看它反應的結晶就非常之美;用惡意的念頭我討厭你、我恨你,反應的這就很難看。從這裡說我們發出的信號這是因,它的反應就是果。
これは一種のごく自然な反応です。善は善と感応し合います。江本博士【注】の水の実験で、それは明らかです。水は鉱物です。彼は水に見聞覚知(見ること・聞くこと・覚ること・知ること)があることを発見しました。私たちが善意を用いれば、水が反応した結晶は非常に美しくなります。悪意を用いて、嫌ったり、恨んだりすれば、反応した結晶の見栄えは悪くなります。ここから言えば私たちが発する信号、それが因であり、その反応が果です。
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 【注】 江本勝博士・・・・水や波動の研究者。その研究は日本よりもむしろ海外で広く注目されている。著書に『水からの伝言』等多数。水の結晶の実験について、浄空法師は説法の中で頻繁に語っている。また台湾でも高性能の顕微鏡を使った同様の研究が行われているという。
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【司会者】:我注意到您用的詞就是發出去的信號。
気がついたのですが、老法師は信号を発するという言葉を使われましたね。

【浄空法師】:對,沒錯。
そうです。その通りです。

【司会者】:我們現在來做這麼一個比方,比如說就像您所說的,這是一杯水,日本的科學實驗也在證明。比如說現在我跟這杯水發出去一個信息一樣,就是說我對它心裡有個意念,或者我說出來,我很感謝它,我很感謝你,我很愛你、很感恩,真心誠意的來發出去。
このような比喩を使ってみます。例えばこの一杯の水ですが、老法師が仰るように、日本の科学的な実験でも証明されています。例えば今私がこの水に一つの情報を送るのと同じです。私が水に対してある意念を持つ、或いは声に出して「ありがとう」「愛しています」「感謝します」と言います。真心と誠意を込めて発します。

【浄空法師】:對,不錯,對。
そうです。

【司会者】:那這是個什麼樣的信號?因為您剛才用了這麼個詞,信號。
これはどのような信号なのでしょうか?先ほど老法師は、信号という言葉を使われました。

【浄空法師】:對,是的,這是能量的信號,就是一種波動。我心裡的波動去感它,感觸它,這一杯水你喝下去一定非常美好。
そうです。これはエネルギーの信号です。つまり一種の波動です。心の波動でそれと感応します。

【司会者】:我喝非常好。
飲むととても美味しいです。

【浄空法師】:對,沒錯,為什麼?你善意。如果你討厭,我討厭它,我恨你、怨恨你,這水是苦水。所以我們這飲食起居,江本博士說宗教都是前面對飲食祈禱,他說很有道理。他祈禱的時候能夠把你飲食,我們中國人講色聲香味統統都長。
その通りです。なぜでしょう?善意だからです。もしあなたが水を嫌ったり、恨んだりすれば、この水は飲めません。ですから飲食をする際、江本博士が言うには、宗教で食事の前にお祈りをするのはとても理に適っていると話されました。お祈りをする際に、中国人の言う「色声香味」がすべて増えます。

【司会者】:不好吃的也變成好吃了。
美味しくないものも美味しくなるのでしょうか。

【浄空法師】:對,不錯。如果你是心情很不愉快的時候,再好的東西吃的時候,都是很容易生病的,為什麼?你的意念已經把所有食物都變壞了。所以你明白這個道理,廚房裡面的廚師要對他好,他在做菜他心情很快樂的時候,那不一樣,同樣的佐料做出來的味道決定不一樣。
その通りです。もし気分が不愉快な時には、どれほど良いものを食べようと、病気になりやすいものです。なぜでしょう?あなたの意念はすでに食物を悪くしているからです。この道理を理解すれば、厨房の料理人が気分良く料理をすると、同じではありません。同じ調味料で作っても味は絶対に同じではありません。

【司会者】:您講的這個原理超出了一般人的認識。
老法師の仰るこの原理は、一般人の認識を超えています。

【浄空法師】:對,不錯。
そうです。

【司会者】:就是心它會有一種能量,它會有一種波動。
つまり心にはある種のエネルギーがある。ある種の波動があると。

【浄空法師】:不錯,而且這個能量不可思議,太大了。
その通りです。しかもそのエネルギーは不可思議です。とてつもなく大きなものです。

【司会者】:直接作用到這個水上。
直接この水に作用するのですね。

【浄空法師】:對,直接作用到一切萬物上,我們對人也是如此,為什麼不用善心、真誠心對人?反應是善的、是自然的,對整個宇宙萬物。所以我們在澳洲種菜,我們很大的菜園,我們對於這些蔬菜,我種了十幾種蔬菜,還有水果,每天都是以愛心善意的能量反射給它,所以蔬菜的品質,連我們超級市場這些賣菜的人看到都羨慕,「你們用什麼方法種出來的?」我們沒有農藥、沒有化肥,用愛心、用意念跟它溝通。
そうです。直接的に一切の万物に作用します。私たちは人に対してもそうします。なぜ善心、誠実な心をもって人に接しないのでしょうか?そうすれば反応は善です。自然です。宇宙万物すべてに対してです。私たちはオーストラリアの大きな菜園で、野菜の栽培をしています。私は十数種類の野菜と果物を植えましたが、毎日愛の心と善意のエネルギーを野菜に反射させています。ですから野菜の品質は、スーパーで野菜を売っている人にも「どんな方法で育てたのですか?」と羨ましがられます。私たちは農薬や化学肥料ではなく、愛の心、意念を用いて野菜と意思疎通をします。

【司会者】:那您老跟江本勝博士是見過的?
それでは老法師は江本勝博士と会われたことがあるのですね?

【浄空法師】:很熟。
よく知っています。

【司会者】:他是個科學家?
彼は科学者でしょうか?

【浄空法師】:對。
そうです。

【司会者】:他知道這個答案嗎?
彼はこの答えを知っているのでしょうか?

【浄空法師】:他是碰到我之後,我才告訴他。原先他是純科學,他不搞宗教,他怕人家說他是迷信。碰到我之後我才告訴他,我說你玩這一套,佛經上全有。他就呆了,怎麼全有?我說你才實驗了佛經上一小部分,你才實驗看到色相,佛經上講它還有香氣、還有味道、還有音聲,色聲香味。
彼とお会いした時に、私が彼に言いました。もともと彼は科学者で、宗教者ではありません。彼は人から迷信だと言われるのを心配していました。お会いした後で私は彼に、「あなたが研究しているものは、仏典にすべてありますよ」と言いました。彼は驚いていました。どうして全部あるのでしょう?私は「あなたが実験したのは仏典の一部分に過ぎません。あなたは実験して色相を見ただけです。仏典には更に香り、味、音があると説かれています。色・声・香・味があります」と言いました。

【司会者】:這個水,您說的是水?
老法師はこの水のことを仰っているのしょうか?

【浄空法師】:對,不只有色聲香味,任何物質都有色聲香味。
そうです。色声香味だけではありません。如何なる物質にもすべて色声香味があります。

【司会者】:這個水還有聲音?
この水には音があるのでしょうか?

【浄空法師】:有。
あります。

【司会者】:還有它的氣味?
更に香りがあるのでしょうか?

【浄空法師】:對,不錯。
そうです。

【司会者】:還有它的味道?
それから味もあるのですね?

【浄空法師】:不錯。你還都沒有實驗出來,我說你努力要把它實驗出來,肯定有。
その通りです。まだ実験できていません。私は「努力してそれを実験すれば、必ずあります」と言いました。

【司会者】:他沒有儀器現在,沒有發明出來。
計測の器具がありません。まだ発明されていません。

【浄空法師】:慢慢再來!所以我告訴你這個信息,色聲香味,現在你第一個色,你看到了。
気長にやりましょう!私は彼にこの情報を伝えました。色声香味、今あなたは一つ目の「色」を見つけたのだと。

【司会者】:如果說我對這杯水發射這樣一個,就是我心有這麼個意念對著它,很善的一個意念,它的色聲香味這四種都有變化。
もし私がこの水に対して、善の意念を向ければ、色声香味はすべて変化があるのですね。

【浄空法師】:統統都有,不錯,統統都有。不但是水,任何物質,一粒沙子都有。你不要以為只有這個水你看到,所有一切物質你慢慢好好去研究。
すべて変化します。その通りです。水だけでなく、いかなる物質、一粒の砂もすべて変化します。水だけに見られると思ってはなりません。あらゆる一切の物質を少しずつ研究してみることです。

【司会者】:我們不要說太遠的,就每天身體,我們帶著走到哪,就是我們這個身體,我心如果是很瞋恨的,它們首先會變化。
あまり身近でない話をしなくても、私たちは毎日身体を使っています。私たちのこの身体は、恨み辛みの心を持っていれば、まず最初に変化します。

【浄空法師】:會變化,所以就不正常。如果你身體是純淨純善,人怎麼會生病!這健康的,沒有生病的道理。病從哪來的?貪瞋痴慢。
変化します。不正常になります。もしあなたの身体が純浄純善なら、どうして病気になるでしょうか!これが健康で病気にならない道理です。病はどこから来るのでしょう?貪瞋痴慢(とん・じん・ち・まん)【注】です。
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 【注】 「貪」は貪り、「瞋」は怒り、「痴」は愚かさ、「慢」は傲慢さのこと。
 貪瞋痴(とんじんち)は三毒と言われる。
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【司会者】:一開始細胞都是正常的,後來都變成了癌細胞。
最初は細胞も何もすべて正常ですが、後から癌細胞に変わります。

【浄空法師】:對,不錯,就會變。
そう。その通りです。変わるのです。

【司会者】:是因為心一開始出問題了。
それは心に問題が生じたからなのでしょうか。

【浄空法師】:不錯,如果你心感染癌細胞的時候,你心地再恢復正常的話,它又會變回來。
その通りです。あなたの心が癌細胞に感染したとしても、心を正常に戻せば、それは変化します。

【司会者】:這就是治病,病好了。
これが病を治すということですね。病気が良くなった。

【浄空法師】:山西小院不就這個道理嗎?我看了那個東西之後我講了一個小時,就講裡面道理,他為什麼會改變。
山西小院【注】は正にこの道理ではないでしょうか?私はあれを見た後、なぜ変わるのか、その道理を一時間話しました。
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 【注】 「山西小院」・・・・2005年9月に山西省大同市で撮影された、不治の病に侵された人々が『地蔵菩薩本願経』の読誦を通して重病を克服する映像ドキュメンタリー。病を克服した仏教徒40名の実際の記録映像。この対談の司会者、CCTV中国中央テレビの陳大恵氏が番組の解説を務めている。
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【司会者】:那概括起來能不能是「境由心轉」這四個字?
それを総括すると「境由心転」(環境は心によって転じる)の四字になるのでしょうか?

【浄空法師】:沒錯,就是這個原理,這是永遠不變的一個真理,境隨心轉。
その通りです。正にこの原理です。これは永遠に変わることのない真理です。「境随心転」(環境は心に随って転じる)。

【司会者】:江本博士可能他不知道這個原理,但是他只是看到了現象,他只是證明出來,但是為什麼都不知道。
江本博士はおそらくこの原理を知らないかもしれません。彼はただ現象を見て、証明して見せました。しかしなぜなのかは分かりません。

【浄空法師】:沒錯。他的實驗室我去過三次,每次去他都給我做詳細報告,所以我們也變成老朋友。
そうです。私は彼の実験室に三度行ったことがあります。毎回彼は詳細に説明してくれました。ですから私たちも親しい友人に変わりました。

【司会者】:這在佛法解釋起來,這是再正常不過的事情,是自然的反應,就是因果是自然反應。
仏法で解釈するなら、これはこの上なく正常な事であり、自然の反応です。つまり因果は自然の反応です。

【浄空法師】:沒錯,是自然的反應,你身體如此。你看人喜的時候,你看那個面孔多好看;人在生氣的時候,那個面孔多難看。你歡喜、生氣那是因,你反應出來是果。
その通りです。自然の反応です。あなたの身体も同じです。人は喜んでいる時、とても良い表情をします。人は怒っていると不機嫌な表情になります。あなたが喜んだり、怒ったりするのが因であり、反応したものが果です。

【司会者】:這一杯水的實驗,真的可以推廣到我們的家庭、族群,我們的社會。
この一杯の水の実験は、本当に私たちの家庭や民族、社会に押し広げることができますね。

【浄空法師】:沒錯,所以宇宙是和諧的。
その通りです。ですから宇宙は調和が取れています。


>>>千古不変の真理 ― 因果の定律02/06につづく・・・。
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千古不変の真理 ― 因果の定律02/06

2013-07-22 | 調和が危機を救う

【人の意念と周辺環境】

【司会者】:您知道現在人口很多,比如中國我們有十幾億人,他們的心,每天他們的心念很多。
老法師もご存知のように今は人口が多くなり、例えば中国では十数億人います。毎日人々は心の念をたくさん起こしています。

【浄空法師】:複雜。
複雑です。

【司会者】:如果要是以貪瞋痴慢為主?
もし貪瞋痴慢が主体になればどうなるでしょうか?

【浄空法師】:他這個複雜的波,就把整個環境也搞複雜。所以人為什麼胡思亂想,不是沒有緣故,有緣故的,受別的波的干擾,所以這個地方難修行。你有定功你就不受干擾,你沒有定功,你怎麼能不受干擾?
それは複雑な波です。環境全体も複雑になります。ですから人がなぜあれこれ妄想するのかといえば、原因がない訳ではありません。原因はあるのです。他の波の障害を受けるからです。この環境は修行し難いのです。あなたに禅定の技量(定功)があれば障害を受けません。禅定の技量がなければ、どうして障害を受けずにいられるでしょうか?

【司会者】:我的心很亂,我胡思亂想,往往還是因為別人。
自分の心が乱れ、あれこれ妄想するのは、往々にして他人が原因になっているのですね。

【浄空法師】:對,不錯,是的。
その通りです。そうなのです。

【司会者】:別人胡思亂想也影響?
他人があれこれ妄想するのも影響するのでしょうか?

【浄空法師】:對,影響你,怎麼會不影響?它宇宙是一體的,哪有不影響的道理?所以佛菩薩也不少在此地。佛菩薩發的是正常的,跟眾生不正常的兩個互相抵消,要沒有這個那還得了?那不得了!
そうです。あなたに影響します。影響しないことがあるでしょうか?宇宙は一体なのです。影響しないという道理がどこにあるのでしょうか?ですから仏菩薩もこの地に少なくありません。仏菩薩のものは正常ですから、衆生の不正常のものと相互に相殺されています。もしそれが無ければどうなるでしょうか?大変なことになります!

【司会者】:比如說您的心念每時每刻都是善的,我的心念每時每刻都是惡的,這是兩種波動,用您的解釋,這兩種波動。
例えば老法師の心の念がいつも善で、私の心の念がいつも悪だとします。この二つの波動は、老法師の解釈では・・・。

【浄空法師】:衝擊之後會抵消,會什麼?我這個地方會有你的,你的那裡也接受我的。
衝突して相殺されます。なぜでしょう?私の場所にはあなたのものがあり、あなたの場所でも私のものを受け入れているからです。

【司会者】:它就抵消掉。
それは相殺されて無くなる。

【浄空法師】:不錯。
その通りです。

【司会者】:就是兩種力量,然後它就平衡下來。
つまり二つの力は、後から釣り合いがとれるのですね。

【浄空法師】:對,兩種平衡不錯。
そう。二つは釣り合いをとります。その通り。

【司会者】:如果說兩個人都是惡的?
もし二人とも悪ならどうでしょう?

【浄空法師】:那麻煩就大了,就會有衝突。
それはとても面倒なことです。衝突するでしょう。

【司会者】:那周圍的山河大地什麼的?
それでは周囲の山河や大地等は?

【浄空法師】:都有,都會受影響,所以這是科學沒法子解釋的。
すべて影響をうけます。ですからこれは科学では解釈しようがないのです。

【司会者】:江本博士做的是液體的實驗,就是水的實驗,那比如說像桌子、椅子?
江本博士が行ったのは液体の実験です。水の実験です。それでは例えば机や椅子などはどうでしょう?

【浄空法師】:一樣,都一樣,所有物質。你看彌勒菩薩不是講得很清楚嗎?「念念成形」,就是念頭變成了物質。這現在科學發現,物質從哪裡來的?無中生有,它說出這麼一句話,就跟佛法講的很接近,是從意念變成了物質。物質裡面它就有心、就有受想行識,為什麼?自性裡頭有受想行識,受想行識不生不滅,在任何物質裡頭統統有。用現在的話來說,就是整個宇宙是個有機體,找不到一樣東西是無機的,找不到。
同じです。全部同じです。あらゆる物質です。弥勒菩薩は明確に説かれているではないですか?「念念成形」(すべての念は形を形成する)。つまり意念は物質に変わるのです。これは今科学で発見されています。物質はどこから来るのでしょうか?無から有が生まれました。科学の言うこの話は、仏法が説くところと非常に近いものです。意念から物質に変わります。物質の中に心があります。つまり受想行識があります。なぜでしょう?自性の中に受想行識があるからです。受想行識は不生不滅であり、如何なる物質にもあるものです。現在の言葉で言うなら、宇宙全体は有機体であり、無機であるものは一つもありません。

【司会者】:您還說過整個宇宙是一體。
老法師は宇宙全体は一体であると話されたことがあります。

【浄空法師】:整個宇宙是一體,沒錯,真是一體。
宇宙全体は一体です。その通りです。本当に一体です。

【司会者】:也許有一天很多人聽了您的教導之後,他會豁然大悟,明白這杯水、這個茶杯,實際上跟我是一回事。
もしかすると老法師のご指導を受けた多くの人が、ある日忽然と大悟して、この水、この茶碗は、本当に自分と同じなのだということを理解するかもしれません。

【浄空法師】:是,對,它這是一體,佛法講得很清楚,只要你能夠把起心動念、分別執著徹底放下,你就證得。
そうです。それは一体です。仏法には明確に説かれています。起心動念(=思考の働き)、分別、執着を徹底して放下できれば、あなたは証得することができます。

【司会者】:我們打個具體的比方,比如說我做了一個善事,就一件好事,他為什麼會得到一個好的果報?就是這個事情它真的會出現,波動是看不見,但是事情它是看得到的。
具体的な例を挙げてみますと、例えば私が一つ良い事をしたとします。それでどうして良い果報が得られるのでしょうか?なぜ果報が本当に現れるのでしょうか?波動は見えません。しかし現象は見ることができます。

【浄空法師】:對,不錯。
そう。その通りです。

【司会者】:所以您這裡面用了一個詞就是感召、感應,這是什麼意思?
ですから老法師はここに感化、感応という言葉を使われています。これはどういう意味でしょうか?

【浄空法師】:感應也都是自然的,善與善相感,惡與惡相應,善不會感到惡,惡也不會感到善。
感応はすべて自然なことです。善は善と感応し、悪は悪と感応します。善は悪とは感応しません。悪も善とは感応しません。

【司会者】:這也是自然的。
これも自然なのですね。

【浄空法師】:是自然的,自然這是自性裡頭本來就是這樣的,所以佛經上用一句話說,叫「法爾如是」,法就是講這些事,它自自然然就是這樣的,沒有理由解釋的,它本來就是這樣。
自然です。自然であり、自性とは本来このようなものなのです。ですから仏教では「法爾如是」という言葉を使っています。法とはこのような事を言います。それは極自然にそうなのです。解釈する理由はありません。それはもともとこのようなものなのです。

【司会者】:我們還記得毛主席說過一句話,「天要下雨,娘要嫁人」,這是自然的,沒辦法好解釋。
私たちは毛主席の言葉を思い出します。「天は雨を降らせ、娘は人に嫁ぐ」。これは自然なことですから、何とも解釈しようがありません。

【浄空法師】:是,對,這沒法子解釋的。
そうです。これは解釈しようがありません。

【司会者】:就是只要有一天真正徹底明白,他就知道。
ある日本当に透徹して明らかになれば、その人は理解できるのですね。

【浄空法師】:對,就明白了。所以放下就明白,最重要是你放下。佛給我們講得很清楚,我們自己還沒有放下,我們也知道這些事情,知道這些事情之後你要去把它證實,你才得受用,所以叫悟後起修。佛給你講清楚,覺悟了起修,修是什麼?修就是放下。首先把所有不善的念頭放下,不善的行為放下,也就是從哪裡學起?從斷惡修善學起。斷惡修善做到,純善沒有惡,再往上提升,那就是什麼?染淨。染淨就高一層,把所有一切染污,就是會受外面影響這個放下,做到什麼?做到不受污染。也就是不會再受外面境界的干擾,那功夫就高一層,這菩薩功夫。最後連起心動念沒有,那就完全回歸自性,回歸自性這就稱之為佛陀。
そうです。理解できます。放下すれば理解できます。最も重要なのは放下することです。仏は明確に説かれています。私たちはまだ放下していません。私たちはこれらの事を知っています。これらのことを知った後、あなたがそれを実証すればご利益を得ることができます。ですからこれを「悟後起修」と言います。真理を悟ってから修め始めます。何を修めるのでしょう?放下することを修めます。まずすべての不善の念を放下します。不善の行為を放下します。つまりどこから学び始めるのでしょう?悪を断って善を修めることから学び始めます。悪を断って善を修めることができれば、純善には悪はなく、更に向上します。それは何でしょう。染浄です。染浄は一段高い境地で、あらゆる染汚(ぜんま)、つまり外から受ける影響を放下します。何を成し遂げるのでしょう?染汚の影響を受けないことです。つまり二度と外界の障害を受けません。その技量は更に一段高く、それは菩薩の技量です。最後は起心動念さえもなくなり、そうなれば完全に自性に回帰します。自性に回帰することを仏陀と言います。

【司会者】:剛才您說到斷惡修善,這是第一步,就是先和那些惡的東西。
先ほど老法師は悪を断って善を修めること、これが第一歩であると仰いました。まず最初に悪を断つこと。

【浄空法師】:最下面,最下面一層。
一番下の段階です。

【司会者】:先和那些惡的東西先絕緣,不能跟它再發生感應,這是每個家庭、每個人都可以做到的。
まず悪いものと絶縁して、それと感応を起こさないことですね。これはどの家庭でも、誰でもできそうです。

【浄空法師】:不錯。人以惡念、惡行對我,我不可以以惡行、惡念對他,這個很重要。
その通りです。人が悪念・悪行をもって自分に接しても、自分は悪行・悪念をもってその人に接してはなりません。これはとても重要です。

【司会者】:因為我做了也會感召來惡的。
なぜなら自分が行えば悪を引き寄せるからですね。

【浄空法師】:對,不錯,你一定要從這裡下手,慢慢之後自自然然對你不好的人,也會回心轉意對你很好。
そう。その通りです。必ずここから着手しなければなりません。あなたに辛く当たる人は、少しずつ自然に改心して良くなります。

【司会者】:現在有很高級的物理學家,來證明這麼個意思,就是比如說這個人打在牆上有十斤的力量,這個牆會給手面一個十斤的反作用力,一個相等的反作用力,他用這個來解釋因果。我們不知道是不是能這麼講,在佛法裡是不這是相通的?就是心的力量出去如果是十公斤的,回來的一定是一個反作用力也是十公斤?
現在高度な物理学者がいて、この事の意味を証明しています。例えば人が十斤の力で壁を叩くと、この壁は手に十斤の反作用の力を与えます。一つの等しい反作用の力です。その人はこれを用いて因果の解釈をしています。私たちはこの解釈で良いのか分かりませんが、これは仏法に通じるでしょうか?つまり心の力が十キロであれば、反作用の力が働いて、必ず十キロの力で戻ってくるのでしょうか?

【浄空法師】:對,是這樣的。
そうです。そのようなものです。

【司会者】:只不過心的這種能量和力量,現在還沒有被科學所證明。
心のエネルギーと力は、今はまだ科学的に証明されていません。

【浄空法師】:不錯。佛法對這個講得很多,也非常重視,為什麼?特別是在六道、在十法界裡面,意念是主宰。但是這個還不是真的,真的那是宇宙的主宰是自性,自性沒有痕跡,你無法想像那是宇宙的主宰。迷了之後,我們的自性就變成了意念。
その通りです。仏法ではこのことをたくさん説いています。また非常に重視しています。なぜでしょう?特に六道、十法界【注】の中では、意念が支配しています。しかしそれはまだ真実ではないのです。本当に宇宙を支配するのは自性です。自性には痕跡が無いので、あなたはそれが宇宙を支配していることを想像しようがありません。迷いが生じた後、私たちの自性は意念に変わります。
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 【注】 十法界(じっぽうかい)・・・・仏界・菩薩界・縁覚界・声聞界・天界・人界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界の総称。
 【悟界】(四聖法界)
   ・仏界、菩薩界、縁覚(えんがく)界、声聞(しょうもん)界
 【迷界】(六道輪廻)
   ・天上界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界
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【人生酬報】

【司会者】:我們花費這麼大的精力來請教您,來做這個探討,其實很多觀眾,真是用了很長時間聽您來教導,很重要一個原因,大家就是希望避免災難,這是他們最純樸的一個想法。
私たちはこれほど大きな労力を使って老法師に教えを請い、このように討議しています。実のところ多くの聴衆が長い時間をかけて老法師のご教導に耳を傾けている、一つの重要な要因は、皆が災難を回避したいと思っているからです。これが聴衆の最も素朴な考えです。

【浄空法師】:對,不錯。
そうです。その通りです。

【司会者】:他們有的時候也會問一個問題,就是說我這一輩子有很多問題得不到答案,七十歲、八十歲也沒有人告訴他,就是我來到人世間,這一輩子起起伏伏,這一輩子很不容易,為什麼會有這些經歷?
聴衆は時にこのような質問をします。自分はこの人生で多くの問題に解答が得られません。七十歳、八十歳になっても誰も教えてはくれません。自分はこの世間に来て、この一生で様々な起伏がありました。この人生は簡単ではありません。どうしてこのような経験をするのでしょうか?

【浄空法師】:這佛在經上有一句話回答了。
これは仏が経典の中で、一言で回答されています。

【司会者】:為什麼會有這麼多果報?有善報、有惡報,有人對我好、有人害我,這都是果報、因果,這是怎麼來的?
どうしてこれほど多くの果報があるのでしょうか?善報があり、悪報があり、ある人は自分に親切で、ある人は自分を害します。これらはすべて果報、因果です。これはどうして来るのでしょうか?

【浄空法師】:這佛法講的「人生酬業」。
これを仏法では「人生酬業」と言います。

【司会者】:人生酬業。
人生酬業。

【浄空法師】:對,酬是報酬,業就是你過去所造的,你過去所造的因,你這一生來感受果報。你過去造的善因,你來享福;你過去造的惡業,那你現在來受罪。所以整個六道就是一個因果的循環,你明白這個道理,那我們就很容易就解決,我再也不做惡業,我完全做善的。那好,你這果報就完全改變,你的惡業就消掉,你所受的那就是我們今年所寫的「幸福美滿」。
そうです。「」とは報いること、「」は過去に造ったものです。あなたは過去に造った因の果報を、この一生で受けます。あなたが過去に造った善因は、福として享受します。あなたが過去に造った悪業は、今苦難として味わいます。六道全体は一つの因果の循環です。この道理を理解すれば、容易に解決することができます。自分は二度と悪業を為さず、完全に善を行います。それなら、あなたの果報は完全に変わります。あなたの悪業は消えてしまい、あなたが受けるものは私が今年書いた「幸福美満」(幸福円満)です。

【司会者】:完全可以改變。
完全に変えることができるのですね。

【浄空法師】:完全可以改變,冤家對頭你都可以把他變成親家,只要你以真誠心去待人,冤業可以化解。過去做錯事情,真誠懺悔、道歉,後不再造,他也會受感動,所謂化敵為友,化怨為親這高等。可不能樹敵,樹敵冤冤相報沒完沒了,那不是苦一輩子,生生世世。
完全に変えることができます。仇敵の間柄は家族のように変わります。あなたが至誠をもって人に接すれば、業を解消することができます。過去に間違いを犯したなら、心から懺悔して、謝罪し、今後二度としないことです。その人も感動します。いわゆる敵を感化して友と為す、仇敵を感化して味方にする。これは高等です。敵を作ってはなりません。敵を作れば相互に恨み合ってきりがありません。それでは一生苦しみます。生まれ変わる度に苦しみます。

【司会者】:樹敵就是往外發射惡的波動、惡的能量。
敵を作ることは外に向かって悪の波動、悪のエネルギーを発することですね。

【浄空法師】:對,不錯,是,對。
その通りです。

【司会者】:它一定會作用到我自己的身上嗎?
それは必ず自分の身に作用するのでしょうか?

【浄空法師】:不錯,害人決定害自己,為什麼?我殺他,他來生來殺我,我再殺他,他又來殺我,這報到什麼時候才完了?哪一輩子覺悟了才畫上句點。如果沒有覺悟還有怨恨,那就永遠報下去,這個事情很麻煩。你偷盜、佔人便宜,你來生要還錢,所謂欠債還錢,殺人償命,殺畜生也是如此。所以真正通達之後不再吃眾生肉!為什麼?不跟眾生結冤仇。我們為什麼菩提道上冤親債主這麼多?還不都是過去吃牠的、殺牠的、害牠的,這是找上身來,這都是真的,都不是假的。所以不可以有不善的心,不可以有傷害眾生的心、念頭,真的要從這裡下手。
その通りです。人を害すれば必ず自分を害します。なぜでしょう?私が人を殺せば、その人は来世で私を殺し、私がまたその人を殺せば、その人はまた私を殺しに来ます。この果報はいつになったら終わるのでしょうか?いつかどこかの一生で悟って、ようやくピリオドを打つのです。もし悟ることなく恨みが残っていれば、永遠に報い続けます。これはとても面倒な事ことです。盗みを働いたり、人からうまい汁を吸えば、あなたは来世で返さなければなりません。いわゆる借金の返済です。人を殺せば命で償います。畜生を殺しても同じです。ですから本当に道理に通じていれば、二度と衆生の肉は食べません!なぜでしょう?衆生と仇敵の縁を結ばない為です。私たちは菩提道において、なぜこれほど恨みを持っている人が多いのでしょうか?それは過去に肉を食べられ、殺され、害された衆生が、この身体を探しに来ているのです。これは本当です。偽りではありません。ですから不善の心、衆生を害する心、気持ちを持ってはなりません。本当にここから着手しなければなりません。


>>千古不変の真理 ― 因果の定律03/06につづく・・・。
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千古不変の真理 ― 因果の定律03/06

2013-07-22 | 調和が危機を救う

【四種類のご縁】

【司会者】:您老曾經講過,一個家庭它是有各種因緣才湊在一起,就是我為什麼做他的孩子,為什麼做他的父母,這都是有原因的,才會有這種結果。
老法師はかつて、一つの家庭には様々な因縁が重なっていると話されました。つまり私はなぜ子どもとして生まれたのか、なぜこの子どもの両親なのか。そのすべてに原因があり、それでこのような結果になっていると。

【浄空法師】:對。我是一九七七年第一次到香港來講經,前兩個月在中華佛教圖書館,後面兩個月在藍塘道的光明講堂,壽冶老和尚的道場。講堂上有一副對聯就寫這個事情,「夫妻是緣,有善緣,有惡緣,冤冤相報」;下聯是「兒女是債,有討債,有還債,無債不來」。這個對聯給我印象很深,這講家庭關係,是來幹什麼?報恩、報怨、討債、還債。你看父子關係,如果子女孝順,他是報恩來的;如果兒女是虐待父母、是傷害父母,報怨來的;有人對父母生活照顧很周到,沒有孝順心,還債來的;有很多父母對兒女很疼愛,大學剛念畢業,他死了,討債來的,你還清他走了。佛說這四種緣,這家庭,然後這四種緣擴大,我們在社會上遭遇到一些朋友,甚至於長官、同事、同學,都是這四種關係。
そうです。私は一九七七年に初めて香港で講経しました。最初の二箇月は中華仏教図書館、後の二箇月は藍塘道の光明講堂、壽冶老和尚の道場です。講堂には対聯があり、この事が書かれていました。「夫婦は縁である。善縁があり、悪縁があり、互いに恨みを報い合う」。下聯には「子どもは負債である。取り立てに来る者あり、返済に来る者あり。負債なければ来はしない」と書かれています。この対聯はとても印象深く、家庭の関係を説いています。何をしに来たのでしょう?恩返し、敵討ち、取り立て、返済です。親子の関係を見るなら、もし子どもが親孝行なら、その子は恩返しに来たのです。もし子どもが両親を虐待し、傷つけるなら、敵討ちに来たのです。ある人は両親に対して生活の面倒を見ますが、孝行する気持ちはありません。その子は返済しに来たのです。多くの親は子どもを可愛がります。しかし大学を卒業すると、子どもは死んでしまいます。これは取り立てに来たので、あなたが清算し終わると逝ってしまうのです。仏はこの四種類の縁を説かれました。これは家庭ですが、この四つの縁を広げて、社会で出会う友人たちや、役人、同僚、同級生に至るまで、すべてこの四種類の関係です。
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 【注】 親子関係、人間関係には報恩(恩返し)、報怨(仕返し)、討債(取立て)、還債(返済)の四種類の縁があるとされている。
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【司会者】:有些人很想請教您老這個問題,單位的同事或者社會上的朋友,無緣無故他就陷害我,我對他非常好,他恩將仇報,這是一種什麼樣的原因,造成的果報?
老法師にこのような質問をしたいという人がいます。会社の同僚や或いは社会での友人が、何の理由もなく自分を陥れることがあります。自分はその人に良くしているのに、その人は恩を仇で返します。これはどんな原因から起こる果報なのでしょうか?

【浄空法師】:這也是過去生中的業因。
これも過去世の中の業因です。

【司会者】:這一世找不出來原因。
この一生では原因は見つからない。

【浄空法師】:這一世找不出,一定是在前世。有一個方法,你看美國現在不是有好多心理醫生,用催眠的方法找到前世,這前世的關係,他的病就好了。
この一生では見つかりません。間違いなく前世です。一つ方法があります。アメリカでは現在多くの心理療法士が、催眠の方法を使って前世との関係を探し出し、病を治しています。

【司会者】:就知道以前的原因是什麼了。
以前の原因は何かを知るのですね。

【浄空法師】:不錯,就是這個原因從哪裡來的,現在外國人心理醫生的案例很多,報告很多。
その通りです。つまりこの原因はどこから来るのか。現在外国人の心理療法士の事例・リポートがたくさんあります。

【司会者】:但是在佛法就不用了,一看來罵自己的就知道,原來我罵過人家;來騙我錢的,肯定是我以前騙過他。
しかし仏法では必要ありません。自分に悪口を言いに来る人を見れば、自分が以前その人の悪口を言ったからだと認識し、お金を騙し取る人が来れば、自分が以前その人を騙したことがあるのだと認識します。

【浄空法師】:不錯。
その通りです。

【司会者】:這在佛法是叫感召、感應,就是您說的。
これを仏法では感化・感応と言います。老法師のお話しされたことです。

【浄空法師】:對。所以遇到這種情形,歡歡喜喜,一點不要計較,為什麼?化解了。比如說人家騙我錢,笑笑,算了,這就化解。
そうです。ですからこのような状況に遭遇したら喜んで、細かい計算などすることはありません。なぜでしょう?解消されるからです。例えば人が自分のお金を騙し取ったら、笑って済ませます。これで解消されます。

【司会者】:那不化解?就是我一定要打官司?
では解消できなければどうでしょう?絶対に訴訟を起こすとなれば?

【浄空法師】:不化解,下一次他還找你,你不是麻煩嗎?何必?
解消できません。次にその人はまたあなたを探します。それでは面倒ではありませんか?そのようなことをしてどうするのでしょう?

【司会者】:然後他又來找我,我又找他。
その後でその人はまた自分を探に来て、自分もまたその人を探す。

【浄空法師】:對,是,到此就結案了這多好,以後就沒有了。你以怨恨對我,我以感恩的心對待你,真的要感恩。你就饒他就算了,你何必還要感恩?感恩,為什麼?成就我忍辱波羅蜜。我自己修行功夫到什麼程度不知道,他來試驗一下我就知道了。他傷害我,他欺騙我,我還對他有沒有怨恨心?沒有了,好,我功夫到達一層,都來試驗的。所以你這麼一想的時候,天下沒有一個不是恩人,害我的都是恩人。
そうです。ここで決着しておけば良いのです。その後はなくなります。人が自分を恨んでも、自分は感謝の心でその人に接します。本当に感謝します。その人を許して、更に感謝する必要があるのでしょうか?感謝します。なぜでしょう?自分の忍辱波羅蜜を成就させるのです。自分の修行の技量はどの程度なのか自分では分かりません。その人が試しに来ることによって知ることができます。その人が自分を傷つけ、自分を騙しても、自分は怨みの心を持たないかどうか。無ければ一定の技量に達しています。試験をしに来るのです。ですからそのように考える時、天下には一人として恩人ではない人はいなくなります。自分を害する人もすべて恩人です。

【司会者】:在日常生活中,比如說這個人是個大壞蛋,我們也要抱著感恩的心對待他?
日常生活の中で、例えばその人が極悪人であったとしても、私たちは感謝の心をもって接するべきなのでしょうか?

【浄空法師】:那不是這樣的,是可以抱感恩的心,為什麼?的確他成就我們自己的行,提升我們的行。所以夫子說得很好,我相信夫子這個話是古人所說的,因為夫子講過他老人家一生,「述而不作」,這古聖先賢造的,「三人行,必有我師」。三個人自己一個、一個善人、一個惡人,善人是什麼?跟他學習;惡人是自己一面鏡子,常常反省我有沒有過失,有則改之,無則嘉勉。所以兩個都是老師,兩個都是恩人。
それはそうではなくて、感謝の心を持つべきなのです。なぜでしょう?確かにその人は私たちの徳行を成就させ、私たちの徳行を向上させるからです。孔夫子は良いことを言っています。私は孔夫子のこの言葉は、古人が言ったものだと思っています。なぜなら孔夫子は生涯に渡って「述べて作らず」(古人の教えを語り伝えるだけで、新たな創作はしない)と言っています。これは昔の聖賢が行ったことです。「三人行けば、必ず我が師あり」。三人のうち一人は自分、一人は善人、一人は悪人です。善人がいればその人に学びます。悪人は自分の鏡として、常に自分に過失がないかどうかを反省します。過失があれば改め、無ければいっそう努め励みます。ですから二人とも教師であり、二人とも恩人です。

【司会者】:就是不能恨他。
その人を恨むことはできません。

【浄空法師】:對,不錯,為什麼?這個善人從正面教導我,惡人從反面教導我,兩方面的教導我都接受,成就了自己,他怎麼不是恩人?所以你從這個角度去看,佛經上講的兩句話,「日日是好日,時時是好時」;我續了兩句,「人人是好人,事事是好事」。就看你用什麼眼光、用什麼角度去看,世界沒有一個惡人,你的心多舒服,你多快樂、多坦然!這是你的享受。
そう。その通りです。なぜでしょう?この善人は正面から自分を導き、悪人は裏側から自分を導いてくれます。二つの側面の導きをすべて受け入れて、自分を成就させます。その人が恩人でない事があるでしょうか?このような見方で見ることです。仏経には「日日是好日,時時是好時」の二句があります。私はこれに二句を続けました。「人人是好人,事事是好事」。あなたがどの見方をするか、どの角度で見るのかによるのです。世界には一人も悪人はいません。あなたの心は心地良く、満ち足りて、泰然としています!これはあなたの享受です。

【司会者】:我們今天在世界上很難遇到這樣的人,就是在他眼裡面人人都是好人,事事都是好事,每天都是好日子。
私たちは今日世界的にもこのような人に遇うのは極めて稀です。つまり誰もが良い人に見え、どのような事も良いことだと思い、毎日が良い日だと思っている人です。

【浄空法師】:你不要說去遇到那個人,這個人是誰?是自己,不是別人。
そのような人に出会う必要はありません。その人は誰でしょう?自分自身です。他人ではありません。

【司会者】:自己完全做得到。
自分でできるのですね。

【浄空法師】:不錯,自己完全做得到,那就其樂無窮,你沒有煩惱,沒有憂慮,長智慧不生煩惱。這世間人他不懂這個,他天天生煩惱、不長智慧;你反過來的時候長智慧、不生煩惱。所以智慧能解決一切問題。
その通りです。自分でできます。そうなれば喜びは尽きません。あなたには煩悩も憂慮もありません。智慧が生じて煩悩は起こりません。この世間の人はこれを理解せず、毎日煩悩を起こして、智慧は生まれません。反対に智慧が生じれば、煩悩は起こりません。ですから智慧は一切の問題を解決することができます。

【命の中の財源】

【司会者】:現在很多人都喜歡做生意,現在做生意的人很多,他們有個感嘆,有的人又笨,又不勤奮,但是他的錢賺得比誰都多;有的人跟他做同樣的行業,腦子他絕對是非常聰明,但是掙不到錢,找不到答案。
今多くの人が商売をしています。商売をしている人はたくさんいます。彼らは感嘆します。ある人は頭が悪くて、しかも勤勉でないのに、誰よりも多く儲けています。ある人はその人と同じ業界にいて、頭は非常に聡明ですがお金を稼げず、その答えが見つかりません。

【浄空法師】:有答案。
答えはあります。

【司会者】:有答案。
答えはあるのですね。

【浄空法師】:你命裡頭沒有財庫,你的財庫空空的。
その人の命の中に財源が無いのです。財源が空っぽなのです。

【司会者】:這一生沒有這個果報。
この一生ではこの果報がないのですね。

【浄空法師】:對,你做什麼事業都會虧本,你沒有錢。
そうです。どのような事業をしても損をします。お金はありません。

【司会者】:因是什麼?
因は何でしょうか?

【浄空法師】:因是你過去沒有修財布施。那個很笨的人他幹什麼都賺錢,他命裡頭財庫很多。你看我們這香港首富李嘉誠,我是聽陳朗老先生告訴我,前幾年過世的,那是個看風水算命的專家,他也常常聽我講經,所以跟我很好。他就告訴我,李嘉誠三十歲剛起步的時候,他就認識他,他給他看,給他算命。他就問他「你希望將來你有多少錢就滿足?」那時候李嘉誠說「我有三千萬就滿足。」陳老先生就告訴他「不止,你將來是香港首富,你的財庫是滿滿的,滿的。」那是什麼?過去世修得多。所以陳朗從那個時候就一直是李嘉誠的,等於說顧問一樣,大小事情他都問他。我跟李嘉誠認識,是陳朗介紹的。
因は過去世で財施を修めなかったからです。その愚かな人は何をしてもお金を稼ぎます。彼の命の中に財源がたくさんあるからです。香港で一番の富豪である李嘉誠について、私は一昨年に亡くなった陳朗先生から聞いたことがあります。陳朗先生は風水算命の専門家で、彼もよく私の講経を聴いていたので、仲が良かったのです。彼が言うには、李嘉誠が三十歳で事業を始めたばかりの頃に占ってあげたことがあるそうです。彼が李嘉誠に「将来いくら稼げば満足しますか?」と尋ねると、「三千万で満足します」と言ったそうです。陳先生は彼に、「それどころではない。あなたは将来香港一の富豪になります。あなたの財源は満ち満ちています」と言いました。それは何でしょう?過去世で多く修めたのです。ですから陳朗先生はその頃からずっと李嘉誠の顧問として、大小様々な事を相談されていました。私は李嘉誠を知っています。陳朗先生が紹介してくれたのです。

【司会者】:那也就說不見得這一生修財布施,這一生報,能得到這樣的結果,有的時候是下一生。
この一生で財施を修めても、この一生で果報が得られるとは限らず、時には来世なのかもしれないのですね。

【浄空法師】:對,他是過去生中修的。
そうです。彼は過去世で修めたのです。

【司会者】:這一生沒有得到財富,很有可能是過去的這些苦難還沒有受夠,是這樣解釋嗎?
この一生で財産を得られないのは、過去の苦難を受け終わっていないからだと、そのように解釈するのでしょうか?

【浄空法師】:對,他有障礙,所以不能現行。
そうです。その人には障害があるので、現れないのです。

【司会者】:一定要等障礙消掉之後,善報才能會出現。
必ず障碍を解消し終わった後で、善報が現れるのですね。

【浄空法師】:對,不錯,是這樣的,它這緣重要,有因再加上緣。所以李嘉誠無論做什麼生意他都賺錢。你去跟他學,做同樣的,他賺錢,你不賺錢,道理在此地。所以佛把這個理說清楚之後,我告訴你,我們現在命裡頭沒有財庫,可不可以修?可以。你就修布施,愈捨愈多,這是什麼?這是章嘉大師教給我的。因為我命裡頭沒有財庫,財庫空空,所以幹什麼都賺不到錢,搶也搶不到,偷也偷不到,為什麼?命裡沒有。那個偷來、搶來的還是命裡有的,你說冤不冤枉?
そうです。その通りです。その縁は重要です。因があり、更に縁が加わります。ですから李嘉誠はどのような商売をしても稼ぐことができます。あなたが彼に真似して同じようにしても、彼はお金を稼ぎますが、あなたは稼げません。道理はここにあります。ですから仏はこの道理を明確に説かれました。あなたに言っておきます。私たちは命の中に財源が無い場合、修めることはできるのでしょうか?できます。あなたは布施を修めて、できる限り多く手放します。これは何でしょう?章嘉大師が私に教えて下さったことです。私の命には財源は空っぽだったので、何をしてもお金を稼げませんでした。奪おうとしても、盗もうとしても駄目なのです。なぜでしょう?命の中に無いからです。盗んだり奪ったものでも、やはり命の中にあるものなのです。あなたはそれを羨ましく思うでしょうか?

【司会者】:比如說我貪污了五百萬,我現在正在享受它,我跟別人講「你看我還是貪得對!」其實這個本來就是我自己的。
例えば私が五百万横領して、今それを享受しているとします。私が人に「見なさい、私は正しかった!」等と言っても、実はそれは元々の自分のものだったのでしょうか。

【浄空法師】:對,不錯,對,命裡有的,而且怎麼樣?打對折了。譬如你命裡面有一百個億,因為你用不正常的手段你得來,你頂多只能得一半,五十個億,一百個億已經少一半了,你還洋洋自得:我有本事。其實你不止!
そうです。命の中にあったのです。その上どうでしょう?半減しています。もしあなたの命の中に百億あったとすれば、あなたが不当な手段を使って得た為に、多くて半分の五十億しか得られません。百億はすでに半分に減っています。それでも自分に実力があると得意満面になっています。実はそれどころではないのです!

【司会者】:因為其中作惡已經折損了
その中で悪事を働いたので、差し引かれたのですね。

【浄空法師】:不錯,這虧折了,如果你的手段又惡劣的時候,虧折的折扣就愈大。
その通りです。これは損をしています。あなたの手段が悪ければ、更に多く差し引かれます。

【司会者】:我們確實看到過這樣的人,他也去貪污,他也去用非法手段獲得財富,剛一獲得之後馬上就被抓起來,這個錢全部被沒收了。
私たちは確かにこのような人を見たことがあります。その人は横領をして、不当な手段で財を得て、得たと思ったらすぐに捕まって、財産を没収されるというものです。

【浄空法師】:那算命裡沒有。
それは命の中に無かったのです。

【司会者】:命裡沒有的時候你使用什麼手段。
命の中にない時は、どんな手段を使えば良いのでしょうか?

【浄空法師】:不行,命裡沒有得不到。
駄目です。命の中に無ければ得ることはできません。

【司会者】:那個錢也得不到。
お金も得られませんか。

【浄空法師】:得不到。所以古人講的一句話有道理,「君子樂得作君子,小人冤枉作小人」。
得られません。ですから古人は道理のある言葉を説いています。「君子は泰然として君子となり、小人は苦悩して小人となる」。

【司会者】:小人就是不懂得因果道理的人。
小人とはつまり因果の道理を理解していない人ですね。

【浄空法師】:對,不錯,是,他用非法的手段他獲得了財富,他冤枉作小人,還是命裡有的。你命裡沒有的時候你貪貪不到,那你何必要貪?
そう。その通りです。小人は不当な手段で財を獲得します。小人は苦悩して小人となりますが、それでも命の中にあるのです。命の中に無ければ、あなたは貪ろうにも貪れません。それならどうして貪る必要があるのでしょうか?

【司会者】:孔老夫子講的「知天命」,應該就是通曉這些道理,人不再會做傻事。
孔夫子が言う「天命を知る」は、これらの道理に精通して、二度と愚かな事をしないということです。

【浄空法師】:沒錯,明白這些道理,對,不錯。所以你想,命裡沒有財你就修財布施;不夠聰明智慧,你修法布施;身體多病,你就修無畏布施,全部都能改過來。所以「佛氏門中,有求必應」,它有道理的。
その通りです。これらの道理を理解することです。命の中に財源が無ければ財施を修めることです。聡明な智慧が足りなければ法施を修めることです。多病であれば無畏施を修めることです。全部改めることができます。ですから「仏師門中,有求必応」(仏門においては、求めれば必ずかなえられる)というのは、道理のあることなのです。
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 【注】 財施(ざいせ)・・・・金品の施しをすること。法施(ほうせ)・・・・仏法を説いて聞かせること。無畏施(むいせ)・・・・衆生の恐怖を取り除くこと。 因果の法則により、財施をすれば財を得られ、法施をすれば聡明な智慧が得られ、無畏施をすれば健康長寿が得られるという。中国では無畏施には、動物の肉を食べない菜食も含まれる。
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【司会者】:您知道說到佛法的因果定律,很多的人都提一個共同的問題,他們說不相信,為什麼?惡人作惡,但是我們看到他在享福;善人做善事,但是他們家裡很貧苦,沒有看到善有善報。
老法師もご存知のように仏法の因果の定律の話になると、多くの人は共通の疑問を持ちます。彼らは信じられないと言います。なぜでしょう?悪人が悪事を犯しているのに、私たちはその人が福を享受しているのを見ます。また善人が善を行っているのに、善の果報が見られません。

【浄空法師】:不,那個果報不是你這麼簡單看到的。惡人作惡還享福,他過去的福報太大了,雖作惡抵消掉了,抵消百分之九十,他還有十分的福報,那個福報比你還強多了;善人修善,他過去生中做的惡,他已經抵消掉,抵消掉的時候他還有餘殃在。所以你看到他還是沒有感到受果報,但是他的業障消掉之後,他的福報會現前。這因果講三世,但是三世自己真修的,一世就能看到果報,這你要相信,你認真幹。
いいえ。その果報はそれほど簡単に見えるものではありません。悪人が悪事を犯してまだ福を享受しているのは、彼の過去世の福報が非常に大きいからです。悪事を行って90%相殺されても、彼にはまだ十分な福報があり、この福報はあなたより遥かに多いということです。善人が善を修めれば、彼の過去世の中の悪は相殺されます。相殺されても彼には余殃が残っています。ですからその人は果報を受けていないようでも、業障を解消した後で福報が現れます。因果は三世を説きますが、三世に渡って本当に修めていれば、一世で果報を見ることができます。信じて真面目に実行することです。

【司会者】:就是種的因很強烈、很大。
つまり蒔いた因が強烈で、とても大きい。

【浄空法師】:不錯,很強烈,晚年果報就現前。
その通りです。とても強烈なのです。晩年に果報が現れます。

【司会者】:所以您老今年八十二歲高齡。
老法師は今年八十二歳のご高齢です。

【浄空法師】:對,我是真的章嘉大師救了我,告訴我這個道理,要不然我完全不知道。
そうです。本当に章嘉大師が私を救って下さいました。この道理を教えて下さいました。そうでなければ完全に知らなかったでしょう。

【歓喜心と美容

【司会者】:我們繼續向您請教,您知道現在很多人愛美,他們看到這兒就會請教您,老教授您慈悲,告訴大家怎麼才能相貌美好?尤其是女觀眾,這佛法裡有嗎?有答案嗎?
引き続き老法師にお伺い致します。老法師もご存知のように、現在多くの人は美を好んでいます。彼らはこれを見て老法師に質問します。皆さんにお聞かせ下さい。どうすれば容貌が美しくなるのでしょうか?特に女性の視聴者です。これは仏法の中にありますか?答えはあるのでしょうか?

【浄空法師】:有,不但佛法有,連這些算命看相的都懂得「相隨心轉」。你的心地清淨,你的體質、相貌就清淨;你的心地善良,你的相貌、體質就善良。所以你要想自己相貌好,要常生歡喜心,相貌就好。
あります。仏法だけでなく、算命や人相見をする人も「相随心転」(相は心に随って転じる)ことを理解しています。あなたの心が清らかであれば、あなたの体質・容貌は清らかになります。あなたの心が善良であれば、あなたの容貌や体質は善良になります。ですから自分の容貌を良くしたいと思えば、常に歓喜心を起こせば、容貌は良くなります。

【司会者】:常生歡喜心。
常に歓喜心を生じる。

【浄空法師】:歡喜心,對,你要用歡喜心對一切人、對一切事、對一切物。所以慈悲心那相貌就好!
歓喜心です。そうです。歓喜心ですべての人、すべての物事に接することです。ですから慈悲心があれば容貌は良くなります!

【司会者】:我們中國古人講,一看到這個人光彩照人,這個光彩好像不是畫出來的。
中国の古人が言うには、光彩を放つ人を見ても、その光彩は絵に描けるようなものではないようです。

【浄空法師】:對,這個光彩是容光煥發,是你自己的心現在你的臉上,這是真的。譬前面講江本博士實驗就如此,你的善心善意流露在哪裡?流露在你的面貌,流露在你的體質。
そうです。その光彩は容貌の輝きです。その人の心が表情に現れているのです。これは本当です。例えば先にお話しした江本博士の実験が正にこれです。あなたの善心・善意はどこに流露するでしょうか?あなたの容貌に流露します。あなたの体質に流露します。

【司会者】:因為他們的結晶已經變得非常美好。
その人たちの結晶はすでに美しくなっているからですね。

【浄空法師】:沒錯。
その通りです。

【司会者】:現在很多人每個月幾萬、十幾萬去美容。
今多くの人は毎月数万、十数万かけて美容院に行っています。

【浄空法師】:不是好事情,它有副作用,你當時看到適合,但是下妝之後就見不得人,面目全非。如果長年下去之後,大概我相信十年,她就等於說衰老十年。如果是四十歲,你看上去是五、六十歲,五十歲你就看成七、八十歲,這是絕大的錯誤。所以美容是要美心,先叫心美然後容自然就美,這個不需要化妝。
良いことではありません。それには副作用があります。その時には良いように見えても、化粧を落とせば人に見せられなくなり、一変してしまいます。もし長い時間が経てば、おそらく十年もすれば(実年齢より)十年老けて見えるでしょう。もし四十歳なら、五、六十歳に見え、五十歳なら七、八十歳に見えるでしょう。これは大きな間違いです。ですから美容には美しい心が必要です。まず心を美しくすれば、その後で自然に美しくなります。それには化粧は要りません。

【司会者】:這符合科學實驗,水實驗的那個道理。
これは科学の実験に適合しています。水の実験の道理です。

【浄空法師】:對。
そうです。


>>千古不変の真理 ― 因果の定律04/06につづく・・・。
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/9b3c130e7aad4e367efaba5936419dcb


千古不変の真理 ― 因果の定律04/06

2013-07-22 | 調和が危機を救う

【仏教は積極的】

【司会者】:如果這樣說起來的話,命運是可以改變的,可以獲得財富、智慧、相好、健康長壽。
もしこのように言うなら、運命は変えることができ、財産、智慧、相好、健康長寿を得ることはできるのですね。

【浄空法師】:對,可以,不錯。
そう、できます。その通りです。

【司会者】:這都是佛法教給的。
これは仏法が教えることですね。

【浄空法師】:不錯。
その通りです。

【司会者】:那佛法應該是最積極的,不是最消極的。
それでは仏法は最も積極的なものですね。最も消極的なものではありません。

【浄空法師】:最積極的,不是消極的,確實改造了命運。無論從事哪個行業,如果你懂得佛法的話,智慧運用上去,沒有不發達的。
最も積極的です。消極的ではありません。確かに運命を変えることができます。どのような事業に従事していようと、仏法を理解しているなら、智慧を運用して発展しないものはありません。

【司会者】:因為這個因果定律它講的是避免災難的。
この因果の定律は災難を回避させるものだからですね。

【浄空法師】:對。
そうです。

【司会者】:如果要是一個家庭或者是一個民族,掌握了這個定律世代不衰的話,那就是永遠沒災難。能這樣說嗎?
もし一つの家庭、或いは一つの民族が、この定律を把握して代々絶やさなければ、永遠に災難に遭わない。このように言えるでしょうか?

【浄空法師】:對,永遠沒災難,真的是這樣,能這樣說,為什麼?他周邊的環境,山河大地統統都產生變化。所以我們現在所謂是自然災害,不會有的。
そうです。永遠に災難はありません。本当にそのようなものです。そのように言うことができます。なぜでしょう?その人の周辺の環境、山河や大地はすべて変化するからです。ですから私たちが今言うところの自然災害などは起こりません。

【司会者】:其實山河大地,就好像人心的這張臉一樣。
山河や大地は、表情に人の心が現れるのと同じことなのですね。

【浄空法師】:沒錯。
その通りです。

【司会者】:這就很好解釋,水災、風災、火災和地震的原因了。
これは解釈しやすいです。水災、風災、火災と地震の原因です。

【浄空法師】:對,人沒有貪婪,就不會有水災;人不發脾氣,不會有地震,溫度不會上升;人不愚痴就不會有風災,這很有道理的。
そうです。人に貪欲が無ければ、水災はありません。人が癇癪を起こさなければ地震は無く、温度も上昇しません。人が愚かでなければ風災は起こりません。これは道理のあることです。

【司会者】:就是大地這個身體、大地這張臉,就不會壞。
つまり大地という身体、大地という顔は、壊れることがないと。

【心のエネルギーの性質】

【浄空法師】:不錯,所以遇到災難的時候,學佛的人懂得,集合大家同參道友在一起念佛、誦經迴向,往往災難會減輕,雖然不能避免,會減輕,如果力量很強大的話那災難就沒有了。
その通りです。ですから災難に遭った時、仏法を学ぶ人には分かります。皆で集まって一緒に念仏し、読経を廻向すれば、災難は軽減されます。回避することはできなくても、軽減することはできます。もし力が強ければ災難は無くなります。

【司会者】:您說心的波動它有方向嗎?
老法師は心の波動には方向性があると仰るのでしょうか?

【浄空法師】:它是四面八方方向走,也能集中。
それは四方八方に広がります。また集中することもできます。

【司会者】:那比如說我專門給災區迴向,專門給災區念佛這個心的力量?
それでは例えば私が被災地に廻向し、被災地だけに念仏すればその力はどうなるでしょう?

【浄空法師】:可以,不錯,它那個力量就更大,它在那方面力量就更大,因為你是有目標的、有方向。
できます。その通りです。その力はより大きくなります。その方面の力はより大きくなります。なぜならあなたには目標があり、方向性があるからです。

【司会者】:就是心的這個能量也有指向性。
つまり心のエネルギーにも方向性があるのですね。

【浄空法師】:有,有指向。
あります。方向性があります。

【司会者】:也可以專門在一個地方。
一つの場所だけにもできるのですね。

【浄空法師】:可以,這江本做過實驗,他在他辦公室放一杯水,打電話給法國、英國許多的同道,在同一個時間你們都發出一個意念,一個善念對著我辦公室桌上這杯水,就產生變化。
できます。これは江本博士が実験しています。彼はオフィスに水を置いて、フランス・イギリスの協力者に電話して、同じ時間に一つの意念を発すると、デスクの上の水に変化が生じます。

【司会者】:雖然你看不到,你意念在那兒。
たとえ意念がどこにあるのか見えなくても。

【浄空法師】:對,幾千里路之外,四面八方的人就等於說來祝福,這個意念它收到。
そうです。数千里の彼方でも、四方八方の人が等しく祝福すれば、水はその意念を受け取ります。

【司会者】:然後大概多長時間就起了變化?
その後およそどれくらいの時間で変化するのでしょうか?

【浄空法師】:它大概是一個小時,這個水一個小時之後,它就在結晶,顯微鏡底下看圖案就出來了。
それはだいたい一時間ほどです。その水は一時間後に結晶になり、顕微鏡で見ることができます。

【司会者】:還是江本勝博士做過這麼一個?
やはり江本博士はこの実験をしたことがあるのですね?

【浄空法師】:對,做過。
そうです。したことがあります。

【司会者】:還是江本勝博士,曾經說過有這樣一個實驗。
それでは江本博士は、このような実験について話されたことがあるのでしょうか。

【浄空法師】:對,不錯,有。
そうです。その通りです。あります。

【司会者】:就是在湖水邊上。
それは湖畔でのことでしょうか。

【浄空法師】:那是琵琶湖,不錯。
それは琵琶湖です。その通りです。

【司会者】:有些僧人,因為這個湖很不好。
その湖は良くないので、ある僧侶たちが・・・。

【浄空法師】:一個僧人。
一人の僧です。

【司会者】:一個僧人?
一人の僧?

【浄空法師】:一個僧人,還有信徒,信徒大概有一百五十多個人。
一人の僧、それから信徒です。信徒はだいたい百五十人余りです。

【司会者】:這個湖水據說是很不好的。
この湖水は良くなかったようですね。

【浄空法師】:對,湖水很多年髒、臭,氣味很難聞,因為它是一個灣區,那個地方是死水。所以他就用這個做實驗,請一個老和尚,大概將近九十歲一個老和尚,帶著一百多個信徒去祝福。就一句話,大家整個妄念都放下,只有一個念頭,什麼念頭?「湖水乾淨了,湖水乾淨了」,就這一句話。
そうです。湖水は長年汚れて、嫌な臭いがしていました。湾になっているので、その場所の水は動きません。ですから彼はそこで実験したのです。おそらく九十歳近い和尚さんに頼んで、百人以上の信徒を連れて福を祈りました。言い換えれば、皆がすべての妄念を放下して、一つの意念しかありません。どんな意念でしょうか?「湖水はきれいになった。湖水はきれいになった」。この一言だけです。

【司会者】:就想那個。
それだけを考えるのですね。

【浄空法師】:對,就是想著這個,口裡說著這個湖水乾淨了。大概做了不到一個小時,做完之後,三天之後湖水真乾淨,氣味沒有了,保持了六個月。
そうです。これを考えながら、口で「湖水はきれいになった」と言います。だいたい一時間弱ほど行い、終わった後三日後に湖水は本当にきれいになり、臭いも無くなり、六箇月保たれました。

【司会者】:我提這個問題,是因為中國很多湖泊、很多河流都出了問題,受了重大的工業污染,各種污染,也可以用這個做個實驗?
私はこの問題を提起させて頂きます。中国ではたくさんの湖、たくさんの河川で問題が起きています。重大な工業汚染、各種の汚染を受けています。やはりこの実験を使うことはできるでしょうか?

【浄空法師】:工業污染就很難,為什麼?那是人為的,那是有意的。它這是積的水,它是這水不能夠流通,這個小灣是個死灣,它不是工業污染。工業污染如果你這樣做的話,污染繼續不斷的在加,那你就沒辦法。如果說是工業污染停止,你去做會有效。
工業汚染では難しいです。なぜでしょう?それは人為的なもので、意図的だからです。湖水の水は動きません。その湾は流れない湾です。それは工業汚染ではありません。工業汚染にそのようにしてみても、汚染は絶え間なく増えているので、どうにもなりません。工業汚染を止めれば効果があるでしょう。

【司会者】:這因為不需要錢吧?
これはお金が要りませんね?

【浄空法師】:不需要錢,這是精神意志力量。
お金は要りません。これは精神・意志のエネルギーです。

【司会者】:佛法裡還有最高級的、最簡便的環保的方法。
仏法にはこの他にも最も高級で、最も簡単な環境保護の方法があるのでしょうか?

【浄空法師】:有,頭一個保護自己身體。
あります。第一に自分の身体を保護します。

【司会者】:這環境。
この環境ですね。

【浄空法師】:對,這身體環境,頭一個要保護自己,你自己保護不了的話,你就沒有法子保護外面的,所以第一個是要保護自己。
そうです。この身体の環境です。第一に自分を保護します。あなたは自分を護れなければ、外界を保護することはできません。ですから第一に自分を保護することです。

【司会者】:有的人聽到說佛法這麼好,他就有自己很多的想法和欲念,比如說有貪財的人、有貪色的人,他想我這輩子能得到更多的享受才好。我們知道這個想法跟佛法是相違背的。
ある人は仏法がこれほど良いものだと聞くと、自分で様々な考えや欲念を起こします。例えば財貨を貪る人、色情を貪る人です。そのような人は今生で更に多く享受したいと考えます。私たちは、この考え方は仏法と相反するものだと理解しています。

【浄空法師】:對,得不到。
そうです。得られません。

【司会者】:以這個心去燒香拜佛,去求佛菩薩保佑,他會得到什麼樣的果報?
このような心で焼香し、仏を拝み、仏菩薩のご加護を求めると、その人はどのような果報を得るのでしょうか?

【浄空法師】:他得不到,他所得到的還是他的業報。
その人は得られません。その人が得るのはその人の業報です。

【司会者】:這是惡報?
それは悪報でしょうか?

【浄空法師】:業報。
業報です。

【司会者】:業報?
業報?

【浄空法師】:就是他該享福的他得福報,他該受罪的他有災難,沒有辦法改變。佛菩薩不會受賄賂的,你怎麼可以談條件?真的佛菩薩實在講,佛菩薩並不是真的保佑人,是你自己念頭轉過來,你自己保佑自己。
つまりその人が享受すべき福報を得て、その人が受けるべき災難を受けます。変えることはできません。仏菩薩には賄賂はありません。どうして条件の交渉などできるでしょうか?真の仏菩薩は実のところ本当に助ける人ではなくて、あなた自身が心を入れ替えて、あなた自身が自分を助けるのです。

【司会者】:從自己的真心。
自分の真心から。

【浄空法師】:這是真的跟你說,這是佛菩薩教導你的,他用什麼保佑?用教導。你肯相信、你肯做,那你就受到果報。
これは本当の事です。これは仏菩薩があなたを教え導くものです。仏菩薩は何を使って助けるのでしょうか?教え導くという方法を用います。あなたが信じて行えば、あなたは果報を受け取ります。

【司会者】:能不能說是我們的真心在保佑我們自己?
私たちの真心が私たち自身を護るのだと言えるでしょうか?

【浄空法師】:沒錯,一點都沒錯,但是佛菩薩不教給我們,我們不知道。
その通りです。まったくその通りです。しかし仏菩薩が教えなければ、私たちには分かりません。

【司会者】:因為有人聽到佛法能教人得財富、得智慧、得相好。
ある人は、仏法は財を得て、智慧を得て、相好を得るものだと聞いています。

【浄空法師】:對,它教你得財富,教你財布施,你真肯布施,它就真來了。你不肯布施,你天天拜他、求他升官發財,這是假的,這不是真的。
そうです。仏法はあなたに財を得ることを教えます。あなたに財施を教えます。あなたが本当に布施をすれば、本当にやって来ます。あなたが布施をしないなら、毎日礼拝して出世して金持ちになることを願っても、それは偽物です。それは本物ではありません。

【司会者】:他跟這個方法違背。
その人はその方法に背いているのですね。

【浄空法師】:違背,所以求佛菩薩是如理如法的求,你那個求不合理、不如法的時候,那白求了,那沒有用處的。
背いています。ですから仏菩薩に求めるのは、理に適い法に適って求め、理に適わず法に適わなければ無駄なことです。それは何の役にも立ちません。

【司会者】:有很多人這一生很不幸,比如說遭遇了車禍、遭遇了意外過世了,很悲慘的去世了。生老病死這是很難免的,這些意外也是果報嗎?
多くの人はこの一生でとても不幸です。例えば自動車事故に遭遇したり、不慮の死に遭遇したり、とても悲惨な死を迎えたりします。生老病死は避け難いものです。これらの不慮の事故は果報なのでしょうか?

【浄空法師】:果報。
果報です。

【司会者】:不是意外?
不慮の事故ではない?

【浄空法師】:確實不是偶然的,統統都是有業因果報。
確かに偶然ではありません。すべてに業因果報があります。

【司会者】:前因後果。
先に因、後に果。

【浄空法師】:對,沒錯,絕對不可能說是純粹有個意外,與因果關係沒有的,那一個找不到。
そう。その通りです。絶対に純粋な不慮の事故ということはありません。因果関係のないものは、一つとしてありません。

【司会者】:這裡邊講出來最清楚、最明瞭的,都在佛法裡。
ここで最もはっきりと、最も明瞭に話されました。すべて仏法の中にあるのですね。

【浄空法師】:佛法裡有,實際講道教裡也不少。
仏法の中にあります。実のところ道教にも少なくありません。

【司会者】:我如果不希望我們家庭將來出什麼意外,我個人將來有什麼意外的話,就得看這些書才能知道。
もし家庭に不慮の事故を望まないなら、また私自身に不慮の事故を望まないなら、それらの書物を読んでようやく知ることができます。

【浄空法師】:對。
そのとおりです。

【司会者】:按這個方法去做。
この方法に沿って実行します。

【浄空法師】:不錯。
その通りです。


>>千古不変の真理 ― 因果の定律05/06につづく・・・。
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