擊鐘聲功 / 鐘をつく功徳
文摘恭錄—淨土大經解演義(第二三七集)2010/1/4
幫助眾生,這佛家常講,幫助有緣眾生。什麼是有緣?他相信,他能接受,他依教奉行,他就能得到這個受用,他就能了解事實真相。
衆生を助けること。これは仏様がよく説かれていることです。縁のある衆生を助けること。縁がある(有縁)とはどういうことでしょうか?その人が信じて受け入れ、その人が教義に沿って実行すれば、その人は利益を享受することができ、事実の真相を理解することができます。
明白這些道理,你才曉得這個擊鐘聲它功的由來,它為什麼有功。這個地方在講經,在說教,在教學,我們在座的人聽懂了,我們肉眼看不見的眾生很多,在,我們明白了,這點點滴滴的物質,桌椅板凳、這個房子每一粒的微塵,現在科學講每一個原子、每一個電子、每一個小光子,它都在聞法,這都是我們無法想像的,真正不可思議。
これらの道理が分かれば、あなたは鐘をつく功徳の由来や、なぜ功徳があるのかを理解することができます。ここで経典を説き、説教をし、学んで、私たちは理解しています。私たちの肉眼では見ることのできない衆生はたくさんいます。それらが存在することを私たちは知っています。このわずかな物質、テーブルや椅子、この部屋の一粒一粒の微塵(脚注1)、現代科学で言う一つ一つの原子、電子、光子、それらはみな法を聞いているのです。これは私たちが想像することのできない、本当に不可思議なことです。
效果呢?就像《還源觀》上所講的,起心動念、言語造作,「周遍法界,出生無盡,含容空有」,真的一點都不錯。這樣子我們就想到,一切三惡道的眾生聽到鐘聲,他的苦,那個痛苦就暫停。所以寺廟早晚敲幽冥鐘一百零八,道理在此地。如果這個道場真正是修道,天天在修學,那個功多大!縱然沒有這個鐘聲,也給這些鬼神帶來暫時的止苦,離苦得樂,擊鐘聲它功的由來。
(見えない衆生に聞かせる)効果はあるでしょうか?『還源観』で説かれているように、心の起こりや意念の動き、言語や動作は、「周遍法界、出生無尽、含容空有」(全宇宙に限りなく広がる)(脚注2)のであり、それは間違いではありません。このようなところから私たちは、すべての三悪道(脚注3)の衆生に鐘の音が聞こえれば、彼らの苦しみを一時でも止められる、ということに思い至ります。お寺で朝晩一〇八回鐘をつくのはこのような道理からなのです。もしこの道場が本当に修道に励み、毎日修学していれば、その功徳はどれだけ大きいことでしょう!(そのような功徳があれば)たとえ鐘の音がなくても、それらの鬼神の苦しみを少しだけ止めてあげられます。苦しみを離れて安楽を得ること。これが鐘をつく功徳の由来です。
<脚注>
1.微塵(みじん)・・・・物質の最小単位である極微(ごくみ)を中心に、上下四方の六方から極微が結合してできた極めて小さい単位。
2.「周遍法界、出生無尽、含容空有」(法界に遍く周り、出生尽きること無く、空有を含容す)・・・・心の起こりや意念の動き、言語動作はすべて、全宇宙に波動として広がり、尽きることなく生じ、実体の有無までもすべて包含している。(解釈:筆者)
3.三悪道(さんあくどう)・・・・「地獄」、「餓鬼」、「畜生」という悪業の結果人が堕ちていく三つの道。