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アフガン横断 その1 出カブール

2006年10月06日 | Around the world 2005-2007
私は移動をする時に二つのルールを設けている。
まず大西洋に達するまでは「飛ばない」。
そして一度行った町に「戻らない」だ。一回、バンコクに戻ってしまったことがあるが、それ以来は、馬鹿馬鹿しいがわざわざルートを工夫して戻らないルートを作ってきた。
今回の移動も一度カブールに戻らずにバーミヤンから直接マザリシャリフに行きたいと思っていたが、バーミヤンから北部へと向かう車を見つけることはできなかった。2、3台の車が行くといったが、それらは全てチャーターで、400~500ドルの料金はとてもじゃないが払うことはできない。
確実なのはカブールに戻ることだった。カブールからならマザリシャリフ行きは多数ある。それにメジャーでない道をたどり、ヒッチをせざるを得なくなったとき、治安面での不安もあった。カブール、バーミヤンでの安穏とした日々はアフガンの治安に対する認識を確実に甘くしていた。料金のこともあったが、安全のためにも一旦、カブールに戻ることにした。
カブールに戻り、すぐにでも、マザリシャリフに行こうと思ったものの、実際にはまだ迷いがあった。それはカブールからイランに近いヘラートに行くにあたって北部、南部どちらのルートをたどってアフガンを横断するかだ。
戻ってはしまったものの、飛行機を使うことだけは選択肢に完全に無かった。南部ルートは道路も整備されており、2日でヘラートまでいける。アフガン人がバスでヘラートに行く時は通常このルートを通ることからも車の往来は相当あるようだ。しかし南部はタリバン勢力が多数存在し、いまだに戦争状態にある地域であり、治安面で相当な不安が残るカンダハルを経由していく。料金も安く、移動も楽ではあるだろうが、あまりにリスクが高い。
北部ルートはマザリシャリフまでは簡単にいけるとわかっていたが、しかし、そこから先は車があるかどうかもわからず、仮にあったとしても2、3日間、ひどい悪路を走るらしい。その上、山賊が出る可能性もあるとのことだった。
いずれにしても、陸路を取る以上はどちらにしてもリスクがあるのは間違いなかった。

カブールに戻って3日目、いよいよ明日、マザリシャリフに行こうと思っていたとき、一人の日本人旅行者と出会った。話を聞くと、つい先日、アフガン中部に位置し、世界で2番目に高いミナレットがあるジャムに行ってきたという。そして、その人の話によれば、今までないと思っていたが、中部ルートでもヘラートまで行くことはできそうだった。ジャムのミナレットには特別な興味を持っていなかったが、最新の確実な情報であり、治安面でも相当な確信が得られため、即、そのルートを取ることを決定した。

所要日数5日間、費用はカブール、ヘラート間の飛行機代と同じ50ドル。移動だけで考えれば全く何のメリットもない中部ルートだったが、きついかわりにきっとここでしか体験できないことばかりだった。
今回から3話は中部ルートによるアフガン横断編です。


アフガンの朝は早い。バーミヤンに行く時も、帰ってくる時もそうだったが、バスは大体、早朝4時から5時ぐらいに出発し始め、6時にもなると大方の車は出払ってしまっている。今回も前日に予約をしておいたタウンエースは5時半に出発する。まだ日が昇っていない深夜のカブールを車が出るカブール郊外のポリホシュカに向けて出発した。
大体の相場から150AF程度だろうとにらみ、捕まえたタクシーの運転手に行き先の住所と交渉対策でまずは100AF札を見せると、よくわかっていないようだったが、乗れといってくる。タクシーの車内から最後のカブールを眺めた。これで本当にこの町ともお別れだ。
運転手は案の定、場所をよく理解していなかった。私は場所を知っていたので身振り手振りで伝え、何とか到着し、運転手に100AFを渡すと、なんだこれはとさらに200AFを要求してくる。住所を正確にわかっていないくせに乗せる方が悪い。払う気はさらさらなく、立ち去ろうとすると、私のバッグをひったくろうとしてくる。ひと気のない場所だったが、恐ろしく力の強いアフガン人とつかみあいをしながら、お互い怒鳴りあっていると、人が集まってきた。仲裁が入り、そのうちの一人が運転手と話し始めた。誰も英語がわかる人はいなかったので、推量になるが、運転手は最初から300AFだといっていたらしい。仮にそういっていたにしろ、距離からしても彼はボル気まんまんだったという訳だ。
アフガン人は基本的に皆、かなり親切だが、結構、ぼってくる。外国人料金の概念があって、宿などは最初から高めの設定をしてあるし、野菜やジュース、タバコなどでも1、2AFと細かくぼってくる。特にタクシーなどの運転手は、これはどこの国でもどうだが、質が悪い。バーミヤン行きで乗った車も到着後に「荷物代だ」と私のバッグを蹴りながら100AFを追加で要求するというわけの解らないことをしてきた。
仲裁者はシャーリー・ナウからここまでで300AFは高すぎるだろうという感じのことを言っている。それをいわれると運転手も返す言葉がないらしい。ぶつくさと文句を言っていたが、いずれにしろ100AFは少し安いようだ。仲裁者も外国人だからいいだろうと、もう100AFを払えといってきた。これ以上、事を荒立てるのも面倒くさくなり、100AF払い、その場は収まったが、これから大移動だというのに幸先が悪い…。
仲裁者はバス会社の人間だった。彼に前日、別の人に書いてもらった紙を見せると、それはもう出たといってくる。前日、予約をしたいなら100AF払えといわれ、レシートももらっていた。長距離用のタウンエースは席が埋まると発車する交通機関なので、おそらく、乗客が早々に集まったために私のことなど関係なく、出発したようだ。ふざけている、何のための予約金だ。「今日はもうだめだ、明日ね」といっているが、しつこく食い下がっていると「しょうがねえな」という感じで別の場所へと連れて行かれた。


 
 まずはアフガン中部の主要都市、チャクチャランへ向かう。料金は1500AF。所要3日間。
 写真は今回、乗った車、5列シートのハイエースと運転手のおっさん。6時15分に荷物を車に載せたが、ここからが長かった…。


出発時間を聞くと最初は10時だといっていた。10時を過ぎても出る気配がないので、また聞くと今度は12時だという。12時を少し過ぎた頃、車は動き出した。しかし、意味不明の行動を取り出す。出発地と最初に行った場所を2往復し、途中のチャイハネで再び停車した。全く理解ができなかった。幸い、一人、英語が堪能な人がいたために理由を聞くと、警察対策、つまり、賄賂を避けるために出発は16時になるという。それならそれで最初から言えばいいじゃないか、君たちはインド人か…。


 
 バス会社にいた兄弟。二人とも外で寝ていた所を見ると親はいないのかもしれない。
 早朝、仕事を始めるために邪魔になっていた弟を兄がたたき起こすと、弟は泣きじゃくった後、隅のほうで放心状態になっていた。
 あまりに動きがないし、兄のほうは忙しく動き回っていたので、相手をしてやろうとしたが、何をやっても関心を示さない。
 しばらくして、見てみると兄と普通にじゃれあっていた。二人で強く生きているんだな。


16時を過ぎ、ようやく車は出発した。結局、10時間もカブールを出るのにかかってしまった。待ちくたびれて、車が動き出すとすぐに眠りに落ちてしまった。
中部ルートは途中までバーミヤンに行く道と同じ道路を走るようで、目覚めると見覚えのある風景が見えた。ちょうど18時になる前でこの日のラマダン終了に備えて、皆、リンゴを買い、そして、夕方の礼拝をしていた。再び車は走り続け、20時過ぎに、これもやはり見覚えのあるチャイハネに止まり、この日の移動は終わった。
アフガンのチャイハネはただの喫茶店ではなく、食堂であり、簡易宿泊所でもある。食事をすると、無料で雑魚寝ができるシステムだ。
食事を終えると皆、思い思いの方法で夜を過ごす。チャイを飲みながら、雑談をする人もいれば、TVをかじりつくように見る人もいる。早々に毛布に包まり、眠りにつく人もいた。TVからは爆撃や砲撃の音を聞き続けて、耳がおかしくなっているんじゃないかと思わせるほどの音量がでていたが、私も明日に備えて寝袋に入り込んで眠ることにした。