ふじの里人  里地里山を「エコロジー」「コミュニティ」「エネルギー」と 多面的に追求する生き方

生木工法 Live tree Method 
・手彫り 木のマグカップなど
・ゴブレット(ワイングラス等)製作 

外からの学び

2022-08-02 12:43:57 | その他


日常は、木工小屋との行き来に終始をしています。

それがひとたび外へ出る事から得られるものは少なくは
無いのだな~と、改めて考えました。

先週末は、数年ぶりに遠征の出展へ行って来ました。


その際に、さっと食べて出展へ向かえる様な場所。
いわゆるファーストフード店にて食事をしました。

私の日常に外食の機会はほぼありません。
そもそも里山には店舗がありません🙃

ですから外食もファーストフード店での食事の機会も
とても久しぶり。

たまたま隣り合わせた若い方。
運ばれて来た食事を目の前にして、両手に箸を揃え
きちんと[いただきます]の動作をしました。
"えっ?!"と、すこし感動。

しばらく後に、たまたま僅かな食べ物を
テーブルの下に落としてしまったらしく・・・
すぐにそっとそれを拾いあげ、きちんと紙に包み
それをお盆の隅にそっと始末をしていました。

"あの・・・年齢で?!"
"あの・・・若さで?!"

"あの・・・風貌で?!"

ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい😓

流行り?なのかな?どうなのでしょう?
軽快?気軽?
私の若かりし頃には考えられない様な風貌でしたので
つい・・・ ・・・ ・・・ ごめんなさい。

[人は見かけに・・・]という言葉を知ってはいるのですが
その人の食事の前の仕草。粗相に対しての後始末の仕草。
ごめんなさい、そのさりげない仕草には品位があり
風貌とのバランスの違いに、つい・・・感動をしてしまいました。

出展の際には、様々な人との出会いがあります。
それなりの時間に渡り作品の説明をしても何も言わず
さっと消える様に立ち去ってゆく人。

そうかと思えば「どうもありがとうございました。」と
丁寧な挨拶を残してゆく人。

驚いたのは、小学生。まだ低学年だったかもしれません。

一緒にいた保護者の方からの挨拶はなく、けれど
その小学生は大きな声できちんと
「どうもありがとうございました!」と言葉を掛けてくれました。


里山での日々。
慣れている場所。割となんでも好きな様に出来ます。
少なくとも、人からのストレスは皆無に近い。


それでも学びは決して多くは無いのかもしれません。
いわゆる実体験の学び。


若くとも
幼くとも
年齢を重ねていても
全ての人は、その人間性のみ。

頭ではわかっていると思っていた事に、改めて気がついた次第。
面目ございません。

今回の出来事を覚えておきたくて、つい、ここに書いてしまいました。





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