ふじの里人  里地里山を「エコロジー」「コミュニティ」「エネルギー」と 多面的に追求する生き方

生木工法 Live tree Method 
・手彫り 木のマグカップなど
・ゴブレット(ワイングラス等)製作 

~もっとたのしく・もっと自由に~自然への敬意を評し、木工屋の端くれとして[これらのもの]の発信を始めます

2024-06-29 08:22:11 | 材料調達作業
[長所と短所は裏返し]という言葉が古来よりあります。
その存在を知ってはいてもその内容や意味するところについては未だ腑に落ちることはなく、会得をしているとは言い難いままにここまで来ていました、
恥ずかしながら。

植物、例えば[たんぽぽ]。季節になればあちこちで目にする機会があります。
けれど果たして[ネジバナ]これについては知っている見たことがあるという方は格段に少なくなってくるように思えるのです。
さて[たんぽぽ]どこにでもあるということは様々な環境で育ちやすく目にする機会が多く、ゆえに親しみを覚えやすいという利点があり、
つまりそれを裏側から見るのなら[珍しくない][どこにでもある] [勝手に増える=雑草]と捉えられてしまうこともあり
一方[ネジバナ]の利点は[珍しい]、
けれどそれは[育つ環境を選ぶ=その存在を保護しなくてはならない]、つまりは[手が掛かる]という短所にもなりえるのであり、
どの植物についても[長所と短所は裏返し]という言葉は、あてはまるのではないでしょうか?  
要は、それぞれが持って生まれた特性のどの点へ焦点を合わせて捉えるのか、
それにより、どのような特性もいつでも長所となったり短所となりうるのでしょう。

今さらと言われてしまえば、それまでなのですが、それでも、ここですこし視点を変えてみようという思いが生まれています。

私の手がけている木工品は[器]が主です。木、それは植物。植物は人のために生まれたわけではなく、ましてや器になるためではありません。

器としての自分の作品は[飲用としての活用に耐えうるもの]、それ以外はすべて発信すべきでは無いと、
これまで長らく自らそう定めそれを守り、これまでの活動をしてきていました。

けれど、はて? それで良いものなのかどうかという疑問が、今更ながらに生じて来たのです。

木、それにはそれぞれに持って生まれた個性・特性があります。
それゆえに生じる様々な点を[見ないもの・無いもの]にしているのでは無いかと。





たとえば・・・飲用の器としての活用はできなくとも、その木が本来持っている他の木には無い
[えも言われぬような美しい模様]が有るのだから、[この良さ]こそを発信するそういう選択も有って然るべきなのではと。






たとえば・・・飲用の器としての活用はできなくとも、たとえ割れが生じていたとしても
[その木から生まれ出る自然なままの割れの存在感]それこそを活かし花をしつらえる器として、
花をより一層美しくみせる額縁のような使い方だって十分に有って然るべきなのではと。




そもそも私はいつでも『どうぞ自由に使ってください。』と、自ら、そう言い続けて来ていたのです。

富士北麓で長い長い年月に渡り林業への従事を続けている知人によればたとえ同じナラの木ではあっても、
その木が育った環境等により、その見た目・性質は異なる場合が有ると。
その通りです、当たり前です。木の場合と捉えるからどこか特別なもののような気がして来るのであり、
それを同じ自然界のもの人に例えて考えるのであれば簡単な話。
たとえ同じ地域で育ったひとであっても親などの環境等により、それぞれが唯一無二の個性を備えた存在となりうるのですから。

すみません、ここまでは難い話ばかりになってしまったでしょうか? 

やっと、ここからが本題です。器の作品の中で[飲用に耐えうることができないもの]は作品として発信をしないという、
これまでに自ら定めてきたルールの撤廃をしようと思うのです。
こう書くと、まるでこれはおおごとのようですが、本来こちらの方が当たり前なぜなら、木は器になるために生まれ育ったのではありません。
自然界に生まれ育っていた木の力を借りて、それを私の作品として発信をして来た、元々それに過ぎないのですから、
木のそれぞれの特性をこれまでよりも前面へと引き出し、その特性から自然に現れている、
その美しさや存在感をみなさまにもっと知って頂き、それらのものと出会うその機会を得て頂けるような形へと、
これからすこしずつ変えてゆこうとそう思っているのです。

いつのまにか、そんなつもりはなくとも、あたまでっかちになっていたのかもしれません。
器はこうでなくてはいけないと。木はこうでなくてはいけないと。
この
[かたいものさし]から、外れているものは、皆ダメなものであると。

『ゴメン、木よ、ゴメンな。』とちいさな声で述べつつ、新しい発信への宣言とさせて頂きます。
ご賛同くださる方がひとりでも居られましたなら、心強く思うばかりであります。まずは一歩、踏み出してみます。                    

この夏の課題、わたしの宿題として。


新境地 探求中

2024-05-13 16:28:45 | 里山グッズ製作


左・黒漆  右・赤漆 

新境地です。
これまでの作品に塗布していたのは、黒漆・それを[拭き漆仕立て]に
していました。
今回はじめて、赤漆を塗布してみました。

写真では、これが限界。

実物は、それぞれに仕上がりが異なります。木の性質により、赤の強いもの。
そうでは無いものも、あります。

いずれにしても、木目と杢の味わいは楽しめる仕立てにする、この方針は
今のところ、揺るがすつもりはありません。せっかく、様々な木を扱っているのですから、
さまざまな木のそれぞれの良さを楽しんでいただきたいと思っているからです。

まだまだ、これから探求を重ねてゆきます。すくなくともブドウの木から
生まれた食器に漆を塗布した作品は、ここにしか無いと思います。

今日、こちらで披露をした作品は、真夏の出店の時には、出品ができる予定です。


一番、かも・・・しれません

2024-04-11 09:25:16 | 里山グッズ製作


昨日、そして今日も、木取りをしています。

木取りとは、丸太の状態の木を、作品を作る為の素材として有効に活用のできる形へと、切ってゆく作業のこと。
この作業は又、素材を適切な形で保存をする為にも、有用なものであります。

おそらく私の製作作業の中でも、最も過酷なもの。

およそ数十キロに及ぶ、丸太を手製の製材器の上へ、両手で抱えて持ち上げ適切に設置。
それを電動のチェーンソーですこしずつ目標とする形へと製材をしてゆきます。

重たい丸太を抱え、製材機へ載せ、チェーンソーで切り、切り終えたものを定位置へ運び、
そしてまた重たい丸太を・・・ ・・・ ・・・ ・・・ひたすらその作業の繰り返し。
腰に・・来ています。ちょっと、ちょっとね😅

がんばりすぎず、よくばらず、けれどこつこつこつこつひとつずつ。

なにぶんにも、ひとりですから、すこしずつ、安全にきちんと確実に。

進みます、進むしかありません。ひたすら、進む、進むのであります😌



朗報、来たる!! いざ、出動!!

2024-02-14 09:51:40 | 材料調達作業
『木、要りませんか?』という連絡を、突然に頂きました。


雪の重みで二手に分かれた木の枝の、大きな枝が折れてしまったので、それを
お譲りしたいという、こちらにとっては願ってもいないお話に
チェーンソーを手に、大急ぎで伺ってきました。

素晴らしい美しさを誇る木。

一番太い枝で、直径39cm。しつこいようですが、これは枝です。

枝で直径39cm!! これを支えている幹がどれだけ太いものなのかは、ぜひ
ご想像ください。

素材として活用するために、十分な太さ。

ありがたい、ことです!!

二手に分かれた木、その木の枝の折れてしまったところには、これ以上の
傷みが進まない様に、専用の薬が塗布してありました。残った🌸山桜の木🌸から
まもなくの春に、美しい花がきっと咲きます様にと今はそう願うばかり。


と、言うわけで・・・
ここしばらく関わっていた組み木のアブストラクトの作業は一旦休止。
まずは、このお宝の木の手当てを最優先にします。自然素材の状態変化に
待ったは掛けられません。

木をみどる、木の状態を見極め、傷みがあり使えないものと良いものとを選分け、活用を出来るものを、最上の状態で確保をできるようにすること。

そして私の仕事は、昨日お譲り頂いた木を大切に何らかの良い作品へと転身をさせること、これのみ、これしか、ありません!

空から降って来るのは・・・

2024-02-05 09:17:13 | その他
雪か。

明日はこちらにも雪が降ると天気予報は告げています。タイヤはスタッドレス。
雪道走行の経験は、とてもたくさんあります。ホワイトアウトの中の走行経験も
あります。

大雪と、天気予報は告げています。

大雪? それに気を取られ詳細を確かめ、つい笑ってしまいました。
どうやらこちらでは積雪5cmを超えると大雪との指定になっているらしいのです。

5cm=大雪。いやいやいくらなんでもそれはと思いますよ、5cm。

雪国にお住まいの方々に笑われてしまうでしょうね、いやはや。

仲間のひとり曰く『雪が降るのではありません。降って来るのは⛄️雪だるま。』
なんのことやらとまたしても、その話の中身を詳しく尋ねてみると
『天気予報に記されているのは⛄️雪だるまです。⛄️雪だるまが降って来ると
考える。その方が、さぞかし楽しいでしょう。』と言うのが、当人の言い分。

もちろん他愛の無い冗談。けれど、あそびごころが満タンではありませんか?

日常の中には逃れようの無い雑事があれこれとあるものですけれど
その最中に、こんなことをふらっと差し込んでくる、そもそもこういうことを
思いつく、そんな[ささやかなあそびごころ]を忘れたくは無いものです。

大人だからこそと、そう思う次第、よろしかったら、どうぞご一緒に。