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社員全員の日誌

暑さも峠を越した様

2011-08-19 12:18:47 | Weblog
今朝テレビを見ていたら、今年の暑さは昨年よりは平均気温の上では低いのだそうですね

唯、暑さにむらがあったのだそうです、むらのある暑さ故、余計に暑さを感じるのだそう

です。今日からは雨模様?多少は楽に過ごせる様に成るかも知れませんね?

お盆の、休暇を利用して、戦時中疎開をした、信州の鉱山の跡地に行って見ようと思い

家内と出掛けました。長野県の須坂から群馬県の万座温泉に向かっての山道をどんどんと

登って行って(何しろ昔は途中の牧村と言う所から歩いて4里半の道のりを獣道の様な細い

山道を、数人の人達が纏まると登って行くと言う様な記憶がありました。)何時頃出来た

のか、今ではかろうじて車が通れる(但し対向車が来たらどちらかがバックをして譲り合

う位の)道路が出来ていると聞いて行きはしましたが、途中はずっと切り立つ山の尾根を

ひたすら、脱輪をしない様に切り替えしを繰り返しながら、家内には、怖いから引き返そ

うと言われてもそのような、余裕のある道路では到底ありません、唯前に進むしかなく

時の経つのも考える余裕すらなく、とうとう着きました。この山の頂上では、何人の人達

が亡くなったか、当時の記憶を思い出し乍ら今来た山の麓の方を眼下に見下ろし当時を、

偲びました。反対側の群馬県側を見れば、はるかこれまた眼下に浅間山が見下ろせるの

です。この山の頂から僅か下った処から、鉱山の労働者及びその家族のみが生活をする

住宅(長屋)が何十棟と広がりその一番下に校舎と僅かばかりの校庭がありました。

私は、小学校2年の7月でした、終戦までは、幾らも無い時期に疎開をしたのです。

短い夏が過ぎるとすぐに雪の時期になり、長屋の屋根のうえを、スキーで学校に通うのです。

スキーはすぐに覚えました、春が来るのが5月に成らないと地面が見えないのですから

スキーが出来なければ何も出来ない半年の暮らしでした。唯5月に成って一斉に花が咲き

植物の実が出来、短い夏を迎える時期の記憶は、何とも言えない感慨がありました。

4年生の夏には、この山を降りて、東京に戻りました。

今も、鉱山の名残の索道の一部が残って居たのがとても感慨でした。

帰りは、万座温泉側に下って来ましたら割合楽な道幅でした。長野県と群馬県の違いを

痛切に感じた次第です。

頂上に居た人達は、当時を知るすべも無くキャンピングカーで来ている人も居て、ラジ

コンで飛行機を飛ばして居る人が多く居ました。

                               O・M












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