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日本人として日々の暮らしの中で思うこと、知りたかったこと

「産む選択」と出生前診断の現実

2019-05-29 00:41:33 | 時事
昨日の仙台地裁の判決で「旧優生保護法」による「不妊手術」は違憲であるとしつつも、原告らの賠償請求の訴えは退けられた。

これに関連し、昨晩のNHKの「ニュースウオッチ9」で、二つのケースの女性達が取り上げられていた。いずれも本人が障害を抱えながらも「旧優生保護法」という制度への反発と、本人の強い意志で敢えて出産し子供を設けておられるケース。

一人目は「骨形成不全症」という優生遺伝性疾患(子に2分の1の確率で遺伝)で指定難病のケースで、児も同じ障害を引き継いでいることが判った上で、(つまり将来自分と同じ障害を抱えることになる子供であることも承知の上)敢えて出産したケース。

二人目は「Ⅰ型糖尿病(家族性糖尿病=遺伝性である)」の網膜症合併によって全盲になりながら、子供を出産したケース。

一人目のケースは、ご本人が大変ポジティブな女性で、ソーシャルワーカーになることを目指し若い頃に海外に留学した経験をもち、「障害者が普通に暮らせる社会の実現」を希望したいという趣旨のことを語っておられた。

そのご本人は既に病状の進行から、床に就いたままインタビューに応じておられ、同じく「骨形成不全症」と(出生前に)診断されながら(母親の強い意志で)出産してもらい、生まれてきた娘さんは現在母と同じ夢のためにニュージーランドに留学なさっておられるということだった。母と娘の二人が会話の中で、「あのとき(優生保護法の堕胎手術を自分が受けていたら)あなたはこの世に生まれてこなかったんだよ」と笑って語っておられた。

二人目のケースでは、女性が40歳のとき、「(高齢出産に加え糖尿病の)病状が悪い時期での出産となるので、今回は見送りましょう」と医師から言われたものの、ご本人の強い意志で出産したケース。妊娠による糖尿病の悪化で、失明したのか、それよりも前に失明なさっておられたのかは不明。

印象的だったのはその女性の母親が当時複雑な思いだったと語っておられたこと。「正直喜べなかった」と。そしてそのことで女性は母親に対してわだかまりを感じた、という感想を語っておられた。

この女性の母親は顔を(モザイクでぼかした上で)TVインタビューを受けておられたが、「(娘の妊娠出産を)正直喜べなかった」と述べている。殆ど全盲になってしまった娘が産む孫を、娘か(祖母である)自分が育てなければならないのは、(全盲の娘を抱えた上に更に負担が重くなるため)正直喜べなかった」と赤裸々に語っておられたのだ。

「『優生保護法』よる(障害者への)不妊手術は、女性達から「産む選択」を奪うもの」であり、そこには、母体の負担を減らす(母体適応)と育児などの負荷を減らす(社会適応)という「善意に潜む『差別』があるのだ」というのが、この女性達の主張であった。

しかし、このインタビューに登場したケースにも垣間見えたように「旧優生保護法」という制度で不妊手術を受けた女性達の周囲には、女性の思いとは異なる、肉親達の思いがあったというのもやはり事実ではないだろうか。

「旧優生保護法」から、胎児適応(両親の遺伝性疾患の遺伝)という項目は、制度的に(「母体保護法」に改正されたときに)削除されたので、妊婦が障害をもっていても、更に言えば、胎児に遺伝性疾患であることが出生前診断でわかったとしても現在では産むという選択ができるのが「母体保護法」である。

しかし現在「出生前診断」で胎児の遺伝性疾患を診断するのは、胎児の生命予後を救うため、というよりも人工妊娠中絶を「母体適応」という名目で行うためである場合が殆どというのが現実。

顕著な例を出すと、NIPTでダウン症児の出生前診断を35歳以上の高齢出産の女性達が受けた場合に胎児がダウン症であることが判ると、仮に一人目のときは産んでも、二人目にダウン症であることが判明した場合はほぼ100%堕胎しているのが現実なのだ。


もっといえば「一人目」であっても堕胎するケースが殆どのよう。だから「NIPTの遺伝カウンセリングは心が折れる」とある現場の産婦人科医が率直な感想をもらしていた。

もうひとつ更に顕著な例を出すと、難病の「ハンチントン病」のように、本人が発症前の保因者であった場合、この病気は「優性遺伝」といって児に2分の1の確率で遺伝し、しかも発症年齢が35~40歳なので、保因者である妊婦本人が発症しておらず、妊娠時に出生前検査を受けて胎児に遺伝していることが判った場合に、その女性は「産む」という選択が果たして出来るのであろうか。

発症すれば、脳・脊髄・抹消神経と全ての神経が不可逆に変性し、人格は荒廃する上、身体の自由も徐々に奪われていく疾患なのだ。子を育て成長を見届けることは恐らく本人には出来なくなってしまうわけである。


このような場合でも社会や肉親達が障害者の人生まるごとを引き受けながら、遺伝によって疾患を受け継ぐ可能性のある胎児も含めて受け入れられる「差別のない社会」が実現できるならば、「旧優生保護法」の制度を利用した「不妊手術」を受けなければならなかった女性達は生まれなかったのかもしれない。


残念ながら、当時の日本社会では、「障害者福祉の制度と意識の上でのノーマライゼーション」がそこまで進んでいなかったという現実があって、今も「社会と個々人の『意識』におけるノーマライゼーション」はまだ進んでいないように思う。


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2 コメント

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倫理の問題 (泉城)
2019-05-29 20:07:59
現行法では遺伝性疾患がある胎児を産む選択ができるのは本人の自由と言うことですが、生まれた子にとっては自らの意志による選択ができないので、本当にその誕生が親子双方の幸せなのかどうか、また健康な胎児であっても生まれる選択はできないのでそこまで推し量れるのかどうか私にはわかりません。ただ、生まれたときから決定的なハンディキャップを背負う運命を我が子に与えるのは、私には考えられないことです。
こういう場合、法律で不妊を強制するのではなく、かといって本人の意思だけで決めるのも違うような気がします。
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神の領域 (kamakuraboy)
2019-05-29 23:57:40
よく「生命倫理は神の領域」と言われ、人間が意志決定するのはおこがましいことというとらえ方もされますね。だからこそこの問題には「答えを保留」している人々も多いのかもしれません。

最も頻度の多い例としては、ダウン症に特化した出生前診断のNIPTを、だから敢えて行わない、積極的には取り入れない大学病院も結構あるようです。

ダウン症児は現代の医療では以前よりも生命予後が良くなりましたので、産む産まないの選択を迫られることは、母親ならば一層辛いと思います。

フランスなどでは公費負担でダウン症をチェックして堕胎しているそうですが、公費負担してでも障害者を抱えることの社会負担を減らしたいという考えのようです。

NIPTを受ける親御さん達の思いは、仰るように「生まれたときからの決定的なハンディキャップを背負う運命を我が子に与えたくない」という思いなのでしょうか。
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