美と知

 美術・教育・成長するということを考える
( by HIGASHIURA Tetsuya )

若い先生方へ

2009年03月11日 | 学校・教師考
英語、数学、国語などの教科学習は大学受験に直結していくため、中学校段階から高校にかけて、カリキュラムの中で膨大な時間数が費やされることとなります。

「英数国の生徒の学力アップを目指せ!」
となった時、まず言われるのが、
「授業時間数を増やせ」ということです。

「学校としてこれだけの時間を割いて、英数国の実力アップを目指していますよ」ということにもなりますし、カリキュラム表を見れば、A学校よりもB学校のほうが英語の授業時間数が多い・・・Bのほうが英語に力を入れている・・・
という単純な見方もできるからです。

しかし、教師の意識が深まらないまま授業時間数が増えても生徒の学力はそんなにアップしないものです。
生徒に心に届くものがそんなには変わらないからです。

やらされている勉強である限り本当の力にはなりません。

本当の実力に結びつく勉強とは、自ら進んでやる勉強のことです。
非常に単純なことなのです。

家に帰ってご飯を食べて、自由な時間が少しあります。
その自由な時間を自分の将来のために、今何をやるべきだろうと考えて、
「よし、英語に力を入れて頑張ろう!」とか、
「コンピューターで~をしたいから、今数学をしっかりとやっていこう!」とか、「本を読みたい!」とか・・・
家庭学習の内容と質が決まってきます。
動機付けや目標が持てたときに人は頑張れます。

「週4時間しかないから、授業ではココまでしかできない。もう1時間あればもう少し突っ込んだところまでできる・・・」は、教師の都合のいい解釈に過ぎません。
もし、生徒自らが週4時間の授業だけど「もう少しココを調べてみよう・・・」とか、「次の授業までにココまで自分で完成させておこう・・・」とかいうように、もっと学びたいという方向に動機付けと、家庭学習において有機的に教科学習が展開できるような課題の与え方がされたならば、週当たりの時間数を1時間増やすよりはるかに有意義な学習が展開できると思うのですが・・・

そんな授業工夫と方法論を見つけ出すために、教科教師はとことん悩んで努力しチャレンジしてほしいと願います。

「自分は頑張ってこれだけいい授業をしている。
学力が十分つかないのは時間数が足りないから・・・
生徒が十分に勉強しないから・・・」
なんて考える教師は要りません。

与えられた時間数の中で、本当に最大限の工夫と努力をして生徒の学力を高めようと、のた打ち回っている先生ともっと出会いたいです。

絶対的な授業なんてありません。
生徒の質
生徒の雰囲気
生徒たちの目指すところ
学校の目指すところ
教科担当者の目指すところ
教科担当者の実力
・・・などの複合的要因の中で、「授業で何処まで目指すか・・・」
ということが決まってくると思います。

私学は人間教育ということを必ず熱く語ります。
「教科学習と人間教育のバランス」を具体的にどう実践していくのかが私学の実力です。

関西学院の中学部・高等部の『キャンプ』『礼拝』『土曜講座』や『様々な行事』はすべて、学力ではとらえきれない人間教育の実践のために教育活動として培われてきたものです。
そこに込められた意味を先生方はしっかりと理解していますか?日々のホームルーム活動と積極的に結びつけて活かそうとしていますか?

「教科学習」を充実させるために、その他の何かを削ろうという発想を安易にしてほしくありません。
生徒の学力保証という点では先に書いたような、授業における教師一人一人の大きな努力とチャレンジが絶対に必要です。

関西学院の教師だから悩まなければならないことがあります。
そこから決して逃げずに、とことんこだわりましょう。
すべては生徒のために!
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