Weekend Turf ~お馬歳時記~

週末の競馬場を見るために平日があり、1年52週は回っている・・・そんな「お馬づくし」のささやかな歳時記です。

【想い出は競馬と共に②】「○○コール」はアイネスフウジンから~

2006-06-11 21:00:53 | 日曜恒例・想い出は名馬と共に・・・
2006年5月29日、午後3時50分。メイショウサムソンが
たった今先頭でゴールインしたコースを戻ってくる。1コーナーのカーブに
さしかかり、小さな姿が少しずつ大きくなってきた時どこからともなく
「マ~モ~ル、マ~モ~ル!」の大合唱。
恥ずかしそうに石橋騎手が手をスタンドに向かって挙げる。
 いつも見る風景、府中のGⅠレースではレース後に必ず見られる恒例のシーン。
今年のウイニングランは、いつもより増して感動を誘う、すがすがしい一幕。
馬券結果の○も×も全て消え去ってしまいそうな気持ちの良いウイニングラン
だった。
 
 「ウイニングランの○○コールって、その起源はいつ、どこから?」

 帰りの電車の中でそんな話題をしている大学生達のグループがいたが、
「多分それは1990年の日本ダービーだよ」って会話に加わりそうになった。


 1990年5月27日15時30分発走の第9レース日本ダービー。
未だ破られていない府中競馬場の入場人員レコード、196,517名が
見守る中、アイネスフウジンが1周目のゴール板を通過していった。
 午後のレースから異様な混雑ぶりで、ぐずぐずしていた7Rは馬券の購入が
間に合わなくなる事態に。1レース棒に振ってその先のレースの馬券を購入する
なんていまどき考えられない話。馬券は窓口におばさんがいて、口頭で
あれとこれと・・・という時代だから仕方ないかもしれないけれど、当時は
昼ごはん食べたらすぐに馬券を買っておくというのが、習慣みたいなもの。
特に大きなレースは馬券を頼まれる事も多く、それらの購入が午後一番の
優先業務だったように思う。

 一番人気はメジロライアン、2番人気はハイセイコーの仔、皐月賞馬の
ハクタイセイ。若かりし頃の横山典弘と武豊がそれぞれに騎乗して、
なんとなく一騎打ちムードが高まる。3番人気の逃げ馬アイネスフウジンは
中野栄治騎手が騎乗、失礼ながら、岡部・柴田(政)・郷原・菅原・・・
関東リーディングを争う騎手からは勝ち星も劣る地味目のジョッキー。
その中野騎手が先導して1990年のダービーの馬群は向こう正面に向かう。
マルゼンスキーの仔ダイイチオイシが2コーナーで故障のため置いていかれ、
アイネスフウジンを追いかけていた先行集団が少しづつ遅れだす馬も出て、
先頭集団が第4コーナーを回る。ハギノカムイオーの産駒カムイフジが
アイネスフウジンに並びかけて一瞬突き抜けたようにも見える。ハクタイセイが
それについてアイネスフウジンに接近。しかし、アイネスフウジンの脚は衰えず、
さらに2番手以下を突き放す。
 メジロライアンがホワイトストーンと共にようやく追い込んで2番手に
上がってきたときは既に遅し、1馬身ちょっとの差を保ったまま、中野騎手の
アイネスフウジンは先頭でゴールインした。鮮やかな逃げ切り。1975年の
ダービー馬カブラヤオーのようにブッちぎって逃げ切ったのではなく、常に
2番手を直後に従え絶妙のペースでのハラハラする逃げ切り。

 観客19万を超すスタンドのどよめきは、向こう正面で方向をくるりと
方向転換したアイネスフウジンを確認すると大きな歓声に変わる。
 2コーナーから1コーナーへ、ゆっくりと勝利を噛みしめるように中野騎手が
戻ってくる。やがて1コーナーからゴール板に近づいてきたとき、
どこからともなく掛け声が起こる。

 「ナ~カ~ノ、ナ~カ~ノ・・・」
 
 次第にその『ナカノ・コール』は大きな輪となって観客席全体に広がる。
ゴール板を少し離れたところにいた僕の前あたりで恥ずかしそうに小さく手を
挙げる中野騎手。ウイナーズサークルへ向かうアイネスフウジンと中野騎手の
後姿が遠ざかる。その背中に「ナ~カ~ノ、ナ~カ~ノ・・・」が追いかける。
スタンドは5月の青空に向かって振りかざした白い筒状に丸めた競馬新聞が
『ナカノ・コール』と共に揺れている。右には緑の絨毯の上で小さく映る
アイネスフウジンと中野騎手、左は白い筒の群れが大合唱と共に波打つ・・・。
 
 僕の立っている位置から見える左右に二分した風景は、もはや競馬場ではなく、
今まで見たことの無いゾクゾクしてくるシーンだった。
 一緒にいた友人はこれが初の生ダービー。魂が抜けた抜け殻のような状態で
そのシーンを呆然と見守っていた。(彼はこれがきっかけで以後、ダービー
だけはどんなことがあっても府中に来ている・・・)当日のシーンは夕方の
ニュースでもレースよりウイニングランの『ナカノ・コール』が取り上げられ
結構話題になったと思う。

 以降オグリキャップラストランの「オグリコール」、ナリタブライアンの
ダービーでの「南井コール」など、感動的なゴールシーンのあとは定番となった。

 でもそのルーツは1990年の日本ダービー、快晴の府中競馬場で起こった
19万人の『ナカノ・コール』の大合唱がルーツとなる・・・・。


 今年の『マモル・コール』はそれに近かったような気がするのは、あの時、
スタンドに居た者なら誰もがそう感じているのかもしれない。



コメント (3)
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