肺がん末期の母

2011年1月末に肺がん末期と診断された母のことを綴っていこうと思います。

店にいるときの母

2011-02-04 09:39:49 | 2011年2月
土曜日も夜中居酒屋のバイトへ。

母は店に出ていないと思っていたが
店に出ていて、数店舗を歩き色々話していた様子。

9日より入院したらの話をしていたのかな?

保険を一度きちんと見直す必要があるなぁ。
店の売り上げもどうしていくのか
考えなくては。

店にいる母は気丈で痛いとは言うが元気に見える。
仕事人だな(笑

母の店

2011-02-04 09:36:39 | 2011年2月
日中母からのTELはなし。

夜は母の店のひとつでもある居酒屋にバイトへ。
店の人たちからは特別何か聞かれることもなかったが
常連でもあり、母のことを母のように慕う人が
心配してきていてくれた。

店の方は同じく癌で療養中のKさんが
また店に出てくれることになり
入院中・治療中母の替わりに店をまとめてくれようと
女の子たちと来てくれた。

こうなって本当にどの人がどれだけ母を心配し、
助けてくれようとしているのかがよく分かる。

ありがたい。

2回目の検査「脳のMRI」

2011-02-02 09:10:30 | 2011年2月
私の娘が1日の夕方より熱を出す。
37度くらいの熱だが、インフルエンザが流行っているので
もしそうなら母の元へはいけないと思うと悔しくなった。
本日朝熱を計るとまた37度。
上がってはいないからインフルエンザではないだろうと
ほっとし、病院に連れて行き、学校を休ませる。

癌かどうか不安な母を1人で病院へ行かせるのは
私としてはどうしようもないくらい不安で・・・。
義母に話しをしてみた。

病気の娘を預けて検査にいくの?と怒られるかな?と
不安だったが聞いてみると
「私はかまわないよ。
 こんな時だからこそお母さんの傍へ
 行ってあげなさい。」
と言ってくれた。

本当に温かな義母だなぁ・・・と涙が出た。
娘にも申し訳なく思うが、今は母の傍にいたい。

義母に娘を預けて母の元へ。
体の痛みは楽そうに見えて
「今日は薬効いてるの?」と聞くと
「前病院からもらった座薬の痛み止めを入れたから^^」
と、無邪気な笑顔を見せる母。

ううーん・・・。
がんセンターの薬と併用していいんだろうか@@

脳のMRIをとって今日は終了。
帰りにコーヒーが飲みたいというので11Fのレストランへ。
コーヒーを飲みながら
「タバコ吸いたいなーー」って笑う母。
心と口は元気なのに体はやはり痛いようで
顔をしかめる姿が辛い。

帰りの車中pm6時を過ぎそうなので
義母にTELすると、母が替わってというので
替わった。

「いつもすいません。娘(私の娘)のこととか・・・
 迷惑かけて・・・」
と謝る母に
「こんな時こそ、こっちは旦那(義母にしたら息子)と娘(義母にしたら孫)のことは面倒見るから、Jちゃん(私)に甘えてくださいね!!」と言ってくれたそうな。
優しい言葉に涙が出ると泣き出す母。
良いところへ嫁いだね。
そう言って感謝しながら泣きじゃくった。

人の優しさ、温かさってこんな時
本当によくわかるよね。
ありがたい。
感謝の一言です。

1回目の検査「CT」

2011-01-31 08:59:41 | 2011年1月
~31日までの母は日に日に痛みの範囲が広がっているという。

初診の頃は肋骨の右下部分(差込)が痛いと言っていたが
その範囲は広がり、背中にまで来ていた。

癌だとしたらそんなに進行はやいわけないから!w
っと、母に言うと
「本当にいたいんだって!w」っと母も笑っていた。

いたって冷静。
母はかなり落ち着いている。
その落ち着きが逆に怖かった。

10年前、胃癌かもしれないといわれたときは
かなり動揺していたのに・・・。
今回は冷静すぎる。

なんだか嫌な予感がぬぐえず。
そうなる覚悟の話を母としながら検査1日目を迎えた。

1日目の検査はCT。
検査だけのつもりだったが先生に痛み止めが切れたことを
伝えてもらうと面会したいといわれ、面会することに。

CTを見ながら先生からの説明をうける。
右肺に5cm程度の腫瘍。
右胸膜全体に転移している。
骨への転移もあるかもしれない。

とのことだった。
PET検査を終えるまでははっきりとは言えないが
悪性の場合最悪で余命1-2ヶ月とのことだった。

この言葉を聞いて初めて涙が出た。
母が居る前で涙は見せたくなかったが
ぶわっとあふれ出てしまった。

最悪でも余命1年半はあると思っていたからだ。

「完治するんですか?」
と聞く母に
「完治はありません。
 腫瘍を小さくしたり、痛みを抑えて
 癌と付き合って生きていく方法を探すことになると思います」
と、はっきり言う先生の言葉に
ますます涙は止まらなかった。

その言葉が出るということは
ステージⅣは確定だと思ったから。

まだ60歳なのに。
なんで?
なんで?と頭がぐるぐる。
母は冷静にこれからのこと考えなくちゃねっと
前向きだった。

癌センターへ

2011-01-26 08:50:39 | 2011年1月
1/26(水)

前の病院から2日後に予約が取れたというので
不安がよぎった。
普通がんセンターへ紹介してもらっても
初診してもらえるのが数日、数週間後と聞いていたからだった。

前の病院は古くからある有名な病院で
同じ地域に新しく出来た県立がんセンターだから
早かったんじゃないかな?
なんて呑気に母と話していたけど、
内心不安でいっぱいだった。

早く紹介してもらえる=悪性なんじゃないかということ。

嫌な予感は当たらないほうがいいけど、
考えていても仕方ない。

1人で行かせては不安だろうからと私も付き添う。

8:15の予約。
まずは呼吸器内科のM先生と問診。
症状を話すと明るくケラケラ笑う先生になんだか
安心するものの、癌かどうか聞くと
「7割癌でしょう。」とのこと。
癌は癌なのか・・・。
と、軽くショックは受けたが、治らないといわれたわけではない。

4つの検査(血液・肺活量・レントゲンなど)をし、
今後癌なのかどうか、癌だとしたらどこに転移しているのかを
判断する大きな検査を4つ予約して帰宅。

まずは
*タバコをやめること!
これが第一。

肺気腫は小さいながらも発見されており、
80歳代の肺をしているとのこと。

タバコはなかなかやめられない。
自分も吸うのでよくわかる。

100害あって一利なしなのにね。