25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

思い出すことなど

2015年06月24日 | 日記
 昔、万華鏡ペンダントを作ったことがある。万華鏡そのものはいいのだが、ネックレスの部分が問題だと実用新案を出している会社からクレームがきた。ネックレスにそんなものがあるなどとは思わなかった。すぐに引き下がって、製作を中止した。
 デザインされた銀製の筒と穴の空いた蓋、レンズ、黒紙、スワロフスキーのガラス、光ファイバー、丸い画像になるのに苦心し、接着剤にも苦心した。
 エッセンシャルオイルをいれることのできるペンダントも作った。これはある業者から頼まれたものだった。

 思えば、いろいろなことをしてきた。それが実になれば嬉しいことはないが、そこに至るまでの過程がおもしろい。ある時期から自分のそういう性格に気づき、事業を維持するという固執する考えは捨てた。成功した事業は売却してしまう方針をとった。
 レストランもした。建築物から、料理、ドリンクにいたるまで関わった。マティーニをつくるにもロンドンマティーニがあり、ニューヨークマティーにがあり、様々な独自のマティーニがあるので、そういうことも研究した。バーテンダーもオリジナルカクテルをもってきては味をみてくれという。シェフにはいろいろなものを食べさせて、中身の分析をさせた。例えば、帝国ホテルの「クラブサンドウィッチ」は美味しいので、食べてもらうとそのバワというシェフは見事に分析し、翌日には同じものを作ってみせた。
 雑貨屋もした。90ものホテルのショップに開発したものを置いてもらい、売ってもらっていたので、アンテナショップとして、雑貨点を開き、それを「るるぶ」で紹介してもらった。
 そんなことをしている間に、対葉豆という植物を発見した。これを日本に持ち帰り、分析してもらった。するとこの植物は薬草ではないが、便秘やアトピーに効能があることがわかった。すると、「週刊新潮」や「健康」という雑誌で紹介された。

 これまでやってきたことで、戦勝は10勝9敗というところかもしれない。アジア雑貨市場は見事に失敗した。木彫りマグネットは真似がでてきた。
 浮き漁礁も失敗だった。浮かべたとたんに台風がきた。台風にもつかと思ったがもたなかった。レストランと雑貨屋は爆弾テロの被害にあった。

 最もお金を使ったのは、CD-ROMにとぎれることなく話す音声を一語一語自動的にトラック分けし、そのトラックにインデックス、さぶインデックス、通しでも聞ける、というソフトウェア開発だった。当時、圧縮されたデータをプリントする(今ではどんなものにみついているが)ソフトも必要だったので、それも開発した。国の創造法にも認定されたが、相棒のソニーの製品が10時間ほどかけると止まってしまうという事態が生じて、ソニーは撤退し、足元をすくわれた。この失敗は大きかった。
 以後、一人自由行動を方針とし、雇われない、縛られないで生きてきた。
 写真撮影のコーディネーターもしたし、建築物の材料手配などもした。

 そう決めてから18年になる。ひとりでやっていくのはそれなりの覚悟がいる。不動産の解決屋もした。交渉の代理もした。その間、からだのことについては毎日勉強した。本もいっぱい読んだ。その間に敬愛している池波正太郎が死に、司馬遼太郎も死んでしまった。いつもこころの支えとなったのは吉本隆明の発言だったが、彼ももういない。
 夏目漱石に関するものは全部というほど読んだ。村上春樹のものもほとんど読んだ。本だけは欠かさず読み、ブログもほぼ毎日のように書いた。書く事は自己慰安である。

 今、僕は仕事において一段落している。スクールも著作権も売却した。ふつふつと何かが湧いてくるのだが、まだ真剣に考えていない。とりあえずは、「砂漠の活用化」をする。そのモデル地区をつくる。しかしそのことに1日の何時間もとられるわけでもない。フツフツ、フツフツと脳は言っている。
 脳の中の誰かが、もうこれ以上するな、とも言っている。


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