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25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

バリオスと伊藤若冲

2015年01月10日 | 音楽
 1885年に南米のパラグアイに生まれたアグスティン・バリオスについて、ギターリストのジョン・ウィリアムスが言うには「彼はギターのショパンだ・・・・・。彼ほどギターという楽器と一体化した、しかも多彩な音楽を生み出し得た作曲家はほかにいない。ヴィラ・ロボスのギター曲もたしかに独創的だし秀れているが、ギターの性能を多面的に生かしきっているという点ではバリオスが優る。

 こう解説にあるバリオスのギター曲をジョン・ウィリアムスの演奏で聴いてみた。
 哀愁が溢れるメロディ、その繊細さ、しかも高度な技術である。あの6本の弦でこれほどのことができることにまずびっくり、というより、CDに入っていた最初の曲のメロディーにうっとりしてしまい、技術のことはあとで思ったのだった。

 南米の作曲家と言えば、ビラ・ロボス(ブラジル)と思うが、ウルグアイにもこんな天才がいたんだ、とすごいもんだ、と思う。
 彼は300曲ほどを作ったらしいが、無欲な彼は楽譜を人にあげてしまい、出版することもなく、コンサート活動で流浪していた。楽譜は散逸し、今日残っているのは、少ない。だが、バリオスを研究するものたちの努力により、集められた楽譜で、1976年頃ロンドンで録音されたジョン・ウィリアムスによる「オール・バリオス LP 」で、バリオスは復権した。

 伊藤若仲の話とよく似ている。若冲の作品も骨董店を仲介として散逸してしまっていた。ところがあるアメリカの青年が車を買いにでかけたところ、道端の骨董店で若冲の絵に釘付けにされた。石油王の息子でもあり、お金も十分あった彼は、車の代わりに若冲の作品を集めることにした。若冲が死んでからもう150年以上は経っている。若冲は生前、絵は売れなかったが、100年後、200年後の人ならわかる、と黙々と動植物を描いていたのである。それがアメリカ人によって再発見され、美術館までアメリカにできてしまった。

 8年ほど前に京都で伊藤若冲展があったとき、たいへんな若い人の行列であった。その目と技術には圧倒された。若冲の絵画本も多く出た。テレビでも日曜美術館などが扱った。そのアメリカ人の収集家のおかげである。

 いいものをちゃんとこの世界に残していこうとする人々は後世の世界にいる。このバリオスもそうだ。ゴッホもそうだったように。
 バリオスのギターの腕はたいへんなものだったらしいので、自分で弾いて聞かせることに活動の中心にしたらしい。この世限りの人だったのだろう。
 パラグアイの首都アスンシオンに、パラグァイ日本センターと名付けられた立派な音楽ホールをもつ近代的な白い建物がある。1988年、日本政府の名で寄贈されたこの建物はパラグァイと日本の「文化交流、人的資源の相互開発」をモットーとしている。バリオスが死んでから50年。ここで、バリオスを愛する人たちが心を砕き、コンサート開催までこぎつけたという。


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