25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

三島由紀夫 二つの謎

2018年11月18日 | 文学 思想
 一昨日、朝日新聞の広告で、「三島由紀夫 二つの謎」という本が集英社新書ででたことを知った。早速アマゾンで注文したら、翌日にはここ三重県の紀伊半島の端っこでも、夕方には届いていた。
 三島由紀夫について論じるのが難しいのは、大衆小説、純文学小説と書き分けながら、戯曲も作る知性の持ち主だったのが、なぜ、1970年11月25日に市ヶ谷駐屯地で、あのような愚行をやったのか、その知性と愚行の落差をどう解釈したらよいのか、という困難さがいつもつきまとってくる。三島由紀夫の成育歴からみれば、病気の絶対的権力の祖母からの偏愛、母を祖母に奪われた生い立ちからみれば三島由紀夫はいずれ死ぬしかないだろう、という感想をもってしまう。
 著者の大澤真幸は三島由紀夫の事件を小学生のときの職員室での重苦しい教師たちの雰囲気で知ったという。そして小説の方は高校生のときに「金閣寺」を初めて読んだのだという。

 ぼくの場合、これまで読んだ小説の中で、三島由紀夫の「豊饒の海」を一番に挙げる。つづいて中上健次の「千年の愉楽」であり、津島佑子の「夜の光に追われて」を挙げる。
 ぼくは、三島は「切腹した」と言われ、切腹が強調されるが、自殺したことのほうに重きをおいてみている。彼の知性からしてみれば、あのバルコニーからの演説で自衛隊員が決起するはずもないことはわかっていることである。ぼくは小説と彼の最後の行為を一応分離して考えている。
 さて、小説は自殺決行の日の朝の日付にして第四巻(最終巻)を脱稿している。
 漸くに四巻まで読みすすめたぼくは、最後の1ページで驚愕の虚無の穴に落ち込むことになる。
 輪廻転生など夢幻であったのではないか、輪廻転生した若者たちを見続けてきた本多繁邦の人生とは何であったか。
 ぼくは相当なショックと小説の圧倒感でしばらく声もでなかったことをおぼえている。読むときにあの切腹した三島由紀夫だと思って読んでいない。

 大澤真幸はこのラストを謎だとしている。ラストを「それはないだろ」と読んだらしい。切腹自殺も切腹に力点が置かれていて「それはないだろ」と判断している。そこからこの2つの「それはないだろ」の謎を解いていくのが彼の挑戦である。二つの謎はきっと繋がっていることだろうと仮定して論をすすめている。
 この時期世の中でなにがあったかというと、70年安保、全共闘運動が大学をわたってあり、下火になりかけた頃であった。やや若者たちが急速に既存の社会に吸収されていくのだった。前年に三島由紀夫も東大にでかけ、学生を前に演説し、「君らが天皇陛下万歳とただ一言言ってくれたら、ともに闘えるのに」というようなことを言ったのをぼくはおぼえている。ぼくは三島由紀夫らの事件を大学の食堂で知ったのだった。
 吉本隆明は「掘り下げて勉強しよう、学問しよう」と言っていた。「自立の思想」を宣言した頃であった。

 ぼくは心情的に、「楯の会」のような活動を嫌い、吉本が言うような掘り下げて勉強していく姿勢の方に寄った。
 48年経って、対峙するには難しい三島由紀夫作家論が出てきた。
 楽しみにして読むつもりでいる。どうでもいいや、とは彼の小説を読んでいて言えないのだ。その感想はまた書こうと思っている。 


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