25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

密陽

2019年07月30日 | 映画
絶対に自分では借りないDVDを息子がもってくるので、付き合いしてみている。「へそくり社長」もそうだったが、「シークレット サンシャイン」(密陽という町の名前の英語直訳題名である)にも付き合った。韓国映画である。2007年公開の映画である。夫が事故で死に、夫の育った町密陽に主人公と子供がやってくる。ピアノ教室を開く。優しくしてくれる男性が現れる。この男性の演技がとってもよいのだが、名前まで覚えられない。またこの男がいつもそばに来て付かず離れずして親子を気にかける。女性の子供が誘拐され、子供は死体となって発見される。この事件もさらりと淡々と描かれる。誘拐殺人事件がテーマではないのだ。この女性はあるキリスト教系の新興宗教団体に入信する。それでこころの安定を得、殺人犯をも許しに刑務所までいくのだが、殺人犯も同じ宗教を信じ、神は許してくれると信じている、と逆に言われたりする。
 宗教の中にいる人も嘘くさく見えてくる。嘘くささを確かめようと長老といわれる男を誘惑してみる。すると宗教的信念よりも性欲を抑えられない男だとわかる。そういう中でも常に女を近くで見守る男。決してこの映画的時間の中では結ばれるわけでもないが、不器用な「男性の優しさ」が宗教よりも「希望」のように思えてくる。

 韓国映画を見ていると、日本の三十年ほど前のような感覚がある。言葉使いがそうである。女性への言葉、視線、卑猥な言葉などから、そんな感じがある。もうひとつ国境が地続きにあって、虐げられてきた歴史もあって、いざのときの狂気のような怒りや反抗の言葉が現れる。

 これが韓国映画の復讐映画などになるとぼくは見ておれないのだ。憤怒が強すぎて。日本列島で育ったぼくなどはやわいものだ。安穏を1950年以降暮らしてきたというものだ。


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