25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

佐川元理財局長をどうみるか

2018年03月25日 | 文学 思想
 マスコミの人は財務省の官僚を「超頭がよい」「財務省に入る人は天才的」「各省のなかでもトップ」という言い方をするが、マスコミも情けないものである。この言い方では財務省やそれに憧れる人や、物事を上や下でみる価値観と同じである。価値観のひとつには上下を分けるということがある。ぼくは古い価値観であると思っている。
 思うに一般社会にいる街の声のほうが進んでいて、上下の価値観などくそくらえと思っている人も多いはずだ。その点では政治家も官僚もマスコミ人間も時代的に遅れてしまっているよう思える。だれであれちょっと考えればわかるはずだ。官邸の誰かから指示があったと思うのが普通だろう。
 東大を出たからと言って、頭がよいわけではない。自慢することでもない。記憶力だけがいいのかもしれないし、努力の積み重ねなのかもしれない。嘘をつき通すのはどこで学んだのだろう。あけっぴろげに言ってしまう肚がない。本当のことを言えばよいのに、忖度、遠慮、自己保身をする。刑事訴追を受けるかもしれないので、経緯については申し上げられませんの連発。それはそのまま自分に不利なので答えられない、と言っているようなものだ。この男はどうしてしまったのだろう。
 最も納得のいく答え方を佐川元理財局長は知っていることだろう。
 日本会議、日本青年協議会との関連もマスコミにはやってほしい。迫田元理財局長、安倍昭恵夫人、ファックスを送った谷さえこ氏も証人喚問するべきである。谷氏に聞けば核心的なことが訊けるのではないか。

 剣道や柔道の上下は納得がいく。段位が上がっていくにはそれら武道の技と精神性が求められる。相撲の格付けも納得がいく。オリンピックでの金メダルや銀、銅メダルもまあ納得する。ところが財務省に入ったからといって何が上で何が下なのかさっぱりわからない。公僕である。マスコミもいちいち「超エリート」を羨むように言い続けるのは劣等感か、古い価値観に縛られているからだと思う。おそらく一般社会で日々を過ごす人はそんな価値観を捨ててしまっている人が多くなっていると思う。定年退職した人で、元の肩書に拘る人と元の肩書などおくびにもださず、素の個人で退職後を過ごしたい人もいる。芸能人セレブは上昇志向が強そうであるが、情けないことよ。
 森友問題は長引きそうである。
日本は徐々に普通の人々が先に進み、知識人が後を追う格好になってきているようだ。知識人は、故西部暹も小林よしのりも含めて彼らは一般の人々を把握できないのではないか、と思ってしまう。保守とリベラルの区別はつかないが、あったとすればどちらの知識人もダメなのではないか、と思う時がある。上下、強弱の価値観が揺らいでいるのだ。

 


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