大通りの中央分離帯にイチョウの巨木が並んでいますが、
中央分離帯としてはありえない大きさです。何故でしょうか。
正解は、中央分離帯に残ったというのが正しく、かつてここは
正面に見える華階寺(けかいじ)の境内でしたが、昭和43年に
境内をまたぐように都市計画道路が整備されました。
銀杏の木がちょうど中央分離帯に残っていることから、
きっと敢えて残されたのでしょう。
本堂は鉄筋コンクリートであり、デザインからしても道路整備
された当時に建て直されたものと思います。
そしてこの残された銀杏の木は1532年に植えられたと
伝えられており、本堂の代わりに歴史を伝え続けています。
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2008.12.14
背後に比良山系を望む、矢橋帰帆島近くの夕方の湖岸風景です。
手前にはボートが係留され、周辺はヨシ原が広がるのどかな
場所です。
このすぐ近く、今まで一帯が田んぼだった所に巨大なショッピング
モールが昨年建設されました。南側の萱野浦一帯に加え、
今後益々商業エリアとして発展していきそうです。すぐ周辺には、
今でも本当にのどかな農村地帯が残っていますが、このショッピング
モール建設を機に急速に減っていくでしょう。
ここは地球にやさしいショッピングモールと謳っていますが、
のどかな田園地帯を商業地に変貌させ、太陽電池パネル設置と
少しの植樹程度の”エコ”で、本当にそうと言えるのか疑問です。
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2008.05.04
【リンク:大津の町並み79(2007年01月)】
に続き、2008年11月に同じ位置からモノクロで
描いたものです。
【リンク:大津の町並み46(2006年7月)】
とも比較すると、定点観測のようになり、2006~2007年
には建設中だったマンションが成長していく様子が見られます。
比較してみると意外とおもしろいものです。
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2008.11.06
切妻平入りの町家が並んでいる所を描きました。
庇の裏まで漆喰で塗り込められた塗屋造りが特徴的です。
この地区は車が通るには道幅が狭いため、建物との接触防止
にポールが立てられていますが、環境を考慮してか背の低い
ポールになっていました。
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2008.04.29
【寺内町の塗屋造の例】
垂木が漆喰で塗り固められているため、太陽光が庇の裏
まで回り込みやすく、明るい印象を受けます。
内部がどうなっているかは、
倉敷美観地区の町並み
を参考に。
【塗屋造ではない例】
京都松原の輪違屋(置屋)
富田林の寺内町は、中世末期に南河内石川の畔に寺院の境内、即ち、
寺内町として誕生した宗教自治都市です。
江戸時代には物資の集積地として商業が発展し、在郷町として栄えました。
国の重要伝統的建造物群保存地区にも指定されています。
寺内町は他の町と比べても区割りが大きく、京都などは間口の狭い切妻の
町家が並んでいるのに対し、入母屋造りの豪華で大規模な町家が連なって
おり、一帯が邸宅地のような感じを受けました。
18世紀後半に建てられた橋本家です。
背後に見える板塀や樹木も同じ敷地内らしく、寺内町で見られる典型的な
入母屋造りの非常に大きな町家です。かつては酒造業を生業としていたそうです。
この地区に住む方に話しを聞きましたが、若い人にとっては住みにくく、
息子達は出て行ってしまい、年を経て引退するころにまた戻ってくるそうです。
こんな大きな家に住むのは凄くうらやましい気もしますが、実際には
色々と大変なのでしょう。
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2008.04.29
橋本家の装飾 【持ち送り】
水切りのための庇を支えるために取り付けられていますが、
デザイン性の高い漆喰で塗り固められた持ち送り(左上)と、
標準的な木製の持ち送り(下部)
寺内町ではよく見かけられます。