今朝は、透明度の高い水色の空が広がって
我が家の窓からは…雲のひとかけらも見えません。
気分のほうは…いつもの「曇りのち晴れ」というところでしょうか~?
昨日は、余裕のペースで登校したkirikouを見送って、
予定通り「マザーテレサ・メモリアル」の映画を観に出かけました。
地図もプリントアウトして、
京急線の黄金町が一番近いと確かめてありましたので
おそらく桜並木と思しき川沿いの道を横目で見ながら
大岡川を渡ってから、ほとんど迷わずに到着できました。
(途中にあった手作りパン屋さんで、美味しそうなパンをいくつか買って…)
10時半から入れ替え制で2本の映画を観ることにしました。
マザーの世界各地で活動する映像と
マザーご自身のお話やシスターのインタビューがつながれていました。
2本目は、マザーの亡くなった際の映像と
生前のマザーのインタビューとで構成されていました。
マザー・テレサがなさったことの原動力がどんなものであったのか
その一端が、私なりに見えたような気がしました。
人を信仰に向かわせるもの…その力は、計り知れないものに思われるけれど
今の私には、そのことに対してある距離を感じる…
客観的な対象に見える…ような気がしました。
けれど、マザーの実践なさったこと、そして遺された言葉と
どんな困難なことに直面しても笑顔を忘れない…柔和さを保つという力は
とても大きく私の心を動かしました。
そして…いくつもの大切なことを教えてくださったことに
感謝したいと素直に思うことができました。
いま私にできることは…ちっぽけでも、その小さなことが積み重なった先に
きっと、私なりに見えてくるものがあるような…そんな勇気をいただくことが出来ました。
帰り道・・・古本屋さんがあって、始めは外にあるワゴンの文庫本が目について
つい、中に入ってしまいました。
中央には、コミックの並んだ棚が幅を利かせていましたが
左手の壁側にチョッとしっかりした本が置かれていました。
(kirikouの帰る時間までに少しだけ余裕があったので)
上のほうから順にゆっくりと背表紙を眺めていきました。
手にとって見るほどの気になる本は、あまりありませんでしたが
狭い通路を後ろに振り向いて、もうひとつの棚の一番下にあった…
「穏やかなる死 死を迎えうつ人生とは……納得の死を考え、納得のいき方を考える」
という雑誌が目に留まりました。
表紙をめくると大きな木の写真とMarcusAureliusの言葉が書かれていました。
「つかの間、自然の摂理に身をゆだね静に旅の終わりを迎えるがよい
オリーブの実が熟して落ちる時
支え続けた枝を祝福し命を受けた幹に感謝をささげるように」
何か…美しいくもの巣の糸がつながれる瞬間のような
かすかな震えとともに、私の手の中にすっぽりと納まるような…感覚がしました。
店番をしているおじさんに「コチラは、おいくらでしょうか?」と伺うと
ひとしきりページをめくって探したところ
小さく「800」と書かれた数字を見つけてくださいました。
「それでしたら…いただいていきます。」ということで
また気になる本に出会ってしまいました。
さて…その往き帰りに携えて、電車の中で読んでいた本は
クリシュナムルティ著「学校への手紙」です。
コチラもだいぶ前に購入したままになっておりましたが
本の「はじめに」にも書かれているように
『これらの手紙は、少し時間のあるときにざっと目を通すためのものではありません。また娯楽のためのものでもありません。真摯な気持で書きましたから読もうとするときには、述べられていることをよく調べるようにして読んでください。花を調べる時、その花びら、柄、色、香り美しさなどを、注意深く見るようにです。これらの手紙は、それと同じように、よく吟味されなくてはなりません。朝読んで、その日のうちに忘れてしまうような読み方ではいけません。時間をかけてとりくみ、問い、ただ受け入れるのではなく、探求するのです。しばらくのあいだ、それを生きるのです。書かれていることが、手紙を書いた私のものではなく、読むあなたのものになるまで、じっくりと味わってみてください。
クリシュナムルティ』
私がクリシュナムルティの本と出会ってから、もう30年近く経ちました。
いまだに…到底、捉えられないくらいの高みと深さを持った世界を
示しているように感じないではありませんが
もしかしたら…それは私が見ようとしていない…
見えていないだけなのかもしれない…
と思う瞬間もあるように、近ごろは想うこともあります。
ブログを始めて、いつの間にか2年が経ちました。
身近なkirikoとのアレコレを書き綴るなかでも
いつもそのことが心のどこかにひそんでいることを気づきつつも
なかなか言葉に出来ない私がいます。
そんな想いを、皆様に少しでも解っていただけるように伝えられないもどかしさを抱えつつ
ゆっくりと少しずつ…これからも、もう少しの間お話をさせていただきたいと思っております。
今、私の抱えている様々なものたちとの会話とその有様を
皆様方にも一緒に見守っていただいていることが
何よりの支えに感じられることが、一番のシアワセに思えます。
アーシュラ・K・ル=グウィンの作品の
「いちばん美しいクモの巣」を紡ぎだすクモのリーゼが
窓の外へ飛び出して…
『どこまでもつづく庭で、葉っぱから枝へ、うれしそうにからだをゆらしながら
夜にはいつも、自分の思うままのクモの巣を編みました。そして、いつもの朝がきます。…』
リーぜの作り出す巣のようには、うまくいかなくて…拙くって…不恰好でも…
私の紡いだ言葉のかけらたちが、ささやかな光を放ちながら…
いつか、皆様のもとにも届きますように…
我が家の窓からは…雲のひとかけらも見えません。
気分のほうは…いつもの「曇りのち晴れ」というところでしょうか~?
昨日は、余裕のペースで登校したkirikouを見送って、
予定通り「マザーテレサ・メモリアル」の映画を観に出かけました。
地図もプリントアウトして、
京急線の黄金町が一番近いと確かめてありましたので
おそらく桜並木と思しき川沿いの道を横目で見ながら
大岡川を渡ってから、ほとんど迷わずに到着できました。
(途中にあった手作りパン屋さんで、美味しそうなパンをいくつか買って…)
10時半から入れ替え制で2本の映画を観ることにしました。
マザーの世界各地で活動する映像と
マザーご自身のお話やシスターのインタビューがつながれていました。
2本目は、マザーの亡くなった際の映像と
生前のマザーのインタビューとで構成されていました。
マザー・テレサがなさったことの原動力がどんなものであったのか
その一端が、私なりに見えたような気がしました。
人を信仰に向かわせるもの…その力は、計り知れないものに思われるけれど
今の私には、そのことに対してある距離を感じる…
客観的な対象に見える…ような気がしました。
けれど、マザーの実践なさったこと、そして遺された言葉と
どんな困難なことに直面しても笑顔を忘れない…柔和さを保つという力は
とても大きく私の心を動かしました。
そして…いくつもの大切なことを教えてくださったことに
感謝したいと素直に思うことができました。
いま私にできることは…ちっぽけでも、その小さなことが積み重なった先に
きっと、私なりに見えてくるものがあるような…そんな勇気をいただくことが出来ました。
帰り道・・・古本屋さんがあって、始めは外にあるワゴンの文庫本が目について
つい、中に入ってしまいました。
中央には、コミックの並んだ棚が幅を利かせていましたが
左手の壁側にチョッとしっかりした本が置かれていました。
(kirikouの帰る時間までに少しだけ余裕があったので)
上のほうから順にゆっくりと背表紙を眺めていきました。
手にとって見るほどの気になる本は、あまりありませんでしたが
狭い通路を後ろに振り向いて、もうひとつの棚の一番下にあった…
「穏やかなる死 死を迎えうつ人生とは……納得の死を考え、納得のいき方を考える」
という雑誌が目に留まりました。
表紙をめくると大きな木の写真とMarcusAureliusの言葉が書かれていました。
「つかの間、自然の摂理に身をゆだね静に旅の終わりを迎えるがよい
オリーブの実が熟して落ちる時
支え続けた枝を祝福し命を受けた幹に感謝をささげるように」
何か…美しいくもの巣の糸がつながれる瞬間のような
かすかな震えとともに、私の手の中にすっぽりと納まるような…感覚がしました。
店番をしているおじさんに「コチラは、おいくらでしょうか?」と伺うと
ひとしきりページをめくって探したところ
小さく「800」と書かれた数字を見つけてくださいました。
「それでしたら…いただいていきます。」ということで
また気になる本に出会ってしまいました。
さて…その往き帰りに携えて、電車の中で読んでいた本は
クリシュナムルティ著「学校への手紙」です。
コチラもだいぶ前に購入したままになっておりましたが
本の「はじめに」にも書かれているように
『これらの手紙は、少し時間のあるときにざっと目を通すためのものではありません。また娯楽のためのものでもありません。真摯な気持で書きましたから読もうとするときには、述べられていることをよく調べるようにして読んでください。花を調べる時、その花びら、柄、色、香り美しさなどを、注意深く見るようにです。これらの手紙は、それと同じように、よく吟味されなくてはなりません。朝読んで、その日のうちに忘れてしまうような読み方ではいけません。時間をかけてとりくみ、問い、ただ受け入れるのではなく、探求するのです。しばらくのあいだ、それを生きるのです。書かれていることが、手紙を書いた私のものではなく、読むあなたのものになるまで、じっくりと味わってみてください。
クリシュナムルティ』
私がクリシュナムルティの本と出会ってから、もう30年近く経ちました。
いまだに…到底、捉えられないくらいの高みと深さを持った世界を
示しているように感じないではありませんが
もしかしたら…それは私が見ようとしていない…
見えていないだけなのかもしれない…
と思う瞬間もあるように、近ごろは想うこともあります。
ブログを始めて、いつの間にか2年が経ちました。
身近なkirikoとのアレコレを書き綴るなかでも
いつもそのことが心のどこかにひそんでいることを気づきつつも
なかなか言葉に出来ない私がいます。
そんな想いを、皆様に少しでも解っていただけるように伝えられないもどかしさを抱えつつ
ゆっくりと少しずつ…これからも、もう少しの間お話をさせていただきたいと思っております。
今、私の抱えている様々なものたちとの会話とその有様を
皆様方にも一緒に見守っていただいていることが
何よりの支えに感じられることが、一番のシアワセに思えます。
アーシュラ・K・ル=グウィンの作品の
「いちばん美しいクモの巣」を紡ぎだすクモのリーゼが
窓の外へ飛び出して…
『どこまでもつづく庭で、葉っぱから枝へ、うれしそうにからだをゆらしながら
夜にはいつも、自分の思うままのクモの巣を編みました。そして、いつもの朝がきます。…』
リーぜの作り出す巣のようには、うまくいかなくて…拙くって…不恰好でも…
私の紡いだ言葉のかけらたちが、ささやかな光を放ちながら…
いつか、皆様のもとにも届きますように…