Little Tree

日々のいとなみのなかで感じた子どものこと、季節の移ろいやこころに映る風景

4年に1度の・・・

2008-02-29 11:45:08 | Weblog
2月29日とのことですが、
前回の2004年と言えば…一体、何をしていたのやら~?

日記もつけておりませんでしたので、全くの「忘却のかなた」です。

指折り数えてみるに…kirikouの小学校入学を控えたドキドキとバタバタと…

幼稚園の卒園準備委員をしておりましたので
その準備などに追われていた…のではないでしょうか~?

記念写真の整理なども、どうも不得意なので
日々のてんやわんやに紛れつつ、アレヤコレヤに追われて
いまだに、どこかに山積みになっているような…気がしています。

そんなことを重ねつつ…
アノ頃のほんとうに「訳ワカランチンのkirikou」の姿も
幼子の面影とリンクして、なんだか懐かしさを伴って思い浮かんで参ります。

楽しいこと、悲しいこと、辛かったことのアレコレも
いつの間にやら淡いぼかし模様のかなたに、ひっそりと眠っていたようで
時には、取り出して埃を払って眺めてみるもの、オツなもの…かもしれませんね。


さて…ちょっとノスタルジックな雰囲気になったわけは…

先ほど読了した福岡伸一著「生物と無生物のあいだ」の
エピローグのせいかもしれません。

先日、BS週間ブックレビューでお話を伺ってから購入して、
途中まで読みかけたままになっておりましたが

2月24日付の神奈川新聞に福岡さんのインタビューが載っていたのをきっかけに
先ほど第8章から残りを一気に読みました。

内容は、皆様もよくご存知かもしれませんが、専門的なお話とご自分の実体験を淡々とけれど血の通った人としての情感の漂うつぶやきのような言葉で
綴っていらっしゃった…と想います。

新聞記事の「記者の一言」による「“理系脳と文系心”を持った人だ。」
との記述が、とても興味を引きました。

(そうそう…茂木先生の「思考の補助線」にも
「理系」の知と「文系」の知を分けて考えることについての異議(?)が書かれていましたっけ。

もうひとつお話の飛びついでに…同じ神奈川新聞の書評欄に

コチラも興味深い…山極寿一著「暴力はどこからきたか」についての
竹内薫さんの文章がありました。)


そこで私が思い出したのは…(以前にもお話しようと想って探していた)

大村はま先生の言葉です。

大村はま記念の会(2005年8月10日)
大村はま国語教室の会会報「はまゆう」より転載。

「やさしいことばで」 大村はま (はまゆう第3号 昭和56年10月15日発行)

『竹内均博士によって、新しい科学雑誌「ニュートン」が7月に創刊された。その八月号に、「宇宙科学研究所大林研究室を訪ねて」の記事があった。(中略)
 その記事を読みながら内容のおもしろさはもちろんであるが、驚きと喜び、共鳴を感じたことがあった。それはこの研究室の大林先生の指導方針である。「どんなことでもわかりやすく、人にアピールする話し方をするように」ということである。そして、実際にその訓練が徹底的にされていて、大林先生とはもちろん、助教授の西田先生とでも、ちょっとでもむずかしいことばを使ったり、むずかしい話し方をすると、―もちろん専門の話を―きびしく注意されるのだそうである。一般の人に話すときにというのではなく、研究者どうしの専門の話でも、むずかしい言い方はたしなめられるということである。(中略)
 こうして、高い専門知識を、一般の人に理解されるように説明しようとする苦心、内容とともに、それと同格に表現を大事にされていることに感激した。
 戦後まもなく、初めて手にした国定教科書で、「やさしいことばで」という教材を学習したとき、「これからの日本は文化国家として生き返っていくほかないのだ。それにはいろいろのむずかしいことのわかった人が、そういう学問をしていないみんなに、ほんとうにわかりやすく話したり書いたりしてくれなければならない。わかっている人が、やさしいことばで話したり書いたりしてくれなくてはどうしようもない。高いこと、深いことを、表現を低くして、みんなのものにしてくれなくてはいけない。」と興奮して話しあったことを思い出した。
 一人のすぐれた、いわゆる理科系の生徒とその子の書いた作文について話しあっていたことがあった。私は、「あなたのような人に、特別、筆まめになってほしい。作文上手になってほしい。ぜひ、わかりやすい、魅力のある文章の書き手になってほしいと願っている。うんと勉強して、その成果を、そんな勉強のすることのできないみんなにわからせてほしい。そしてみんなを高いレベルにつれていってほしい。」と、一生けんめい話たことを思い出した。』


(はま先生の教え子でいらした苅谷夏子さんのお話を見つけましたのでリンクしておきます。)


私の知らない「すぐれた書き手」が、きっとまだたくさんいらっしゃると想いますが
福岡先生も、そんな方のお一人でいらっしゃることを強く感じました。

(私自身も学部生として、ほんの1年間の生物系の研究室にいた際の
ひたすら…実験動物の世話をしていた苦くてせつない想い出や
今も研究に携わっている多くの方々のお顔が浮かびつつ…)

科学という窓から見える未来の景色が、
きっと明るいものになっているることを、心より願ってやみません。


というところで…チョッと気分を変えて…このところのkirikouクン情報です。

昨日は、1時間目の終わりごろに、家から一人でナントカ登校して
午後は、元気に通級指導教室に向かいました。

昨日を含めてあと3回の指導になり、来週は個人面談が予定されています。

先日の療育センターの臨床心理士さんとの面談でも

「通級の経過指導」=「通級に毎週通わずに在籍校での指導を主に、
年に3回ほどの通級を行う」ことに当っての注意事項を話し合ってきました。

「通級に通ってできるようになったことの確認とプラスの評価をして
5年生になってからの目標や課題について」kirikouも含めたカタチで

通級の先生と親とで話し合う場を設けてください、とのことでした。

親としても、これからの課題の重さを感じないではありませんが
在籍校でできることを模索しつつ、
万が一の場合は、また通級指導に戻ることを念頭に入れて
今後の方針を決めようと思っています。

なんと言っても「本人の納得」が大切で「本人の意識づけ」を
その都度、明確にしていくことが必要ということですね。

そして…今日は、一時間目に「来年5年生で行われる『イネの栽培』について
5年生の先生(?)だか生徒さんから、4年生がお話を聞くことになっている」とのことです。

昨晩から「イネのことは、ボクに任せてくれ~!!」と言って

興奮気味で、なかなか寝付けなかったkirikouですが

そういう目的意識がはっきりとしているときは…

サッと目が覚めて仕度もできて、遅刻もせずに
颯爽と階段を駆け上がっていく…とは、なんとも解りやすいヤツですね!!

そうそう…昨秋、kirikouの収穫したお米のことですが…
私の両手で掬うと、ちょうど一杯になるくらいの籾が取れました。

実は、籾のままで食べるつもりもなさそうで
kirikouの机の上に置いてあります。

私も、どこか似ているところがあるかもしれませんが

何かを集めたり…ということには、それほど熱心ではなくって
その過程のようなもの…育てたり、観察したり…ということが
案外、好きなのかもしれません。

集中力があるようでいて、意外に執着がない…ような

解らないことに対しては、しつこく付き合うけれど…
だから…といって、納得したあとどうこうするということは、あんまり気にしない…

まぁ…オカシナところばかりが気になるのは…私だけかもしれませんけれど。


さてさて…いよいよ明日から、弥生の3月。

いまは、梅も花盛り…もうすぐ桃の節句で、いよいよ次は桜ですね~!!

卒業、進学、進級、そして就職、転勤、転職などなどと、

子どもも大人もいつもながらの日々の変化に加えて、大きな環境の変化も加わります。

新しいことに向かうことは、うれしいことばかりではなくて
時には、様々な不安や心配も伴いますね。

けれど、坂道を上ったり下ったりの行ったり来たりの中で
短い時間の中では「一喜一憂」しがちですが

大きな時間軸を取ってみると、
案外ゆったりと全体を眺める余裕も、少しは生まれるかもしれません。

私自身も、kirikouとの毎日のやりとりでは、ウマクいかないことだらけですが
ふと振り返ってみると、
kirikou自身のそれなりの変化の中で、ずいぶんと成長してきたことに気がつきました。

それは…私も同じこと。

年齢を重ねていくことに、まったく不安がないといったらウソになります…

けれど、その変化についても一つ一つ受け止めつつ、認めつつ…

まぁ、なるようになるさぁ…の精神で、
もう少しのあいだ、できることにトライしてみたいと想います!!


皆様も、それぞれの季節を思う存分に生き生きとお過ごしくださいね~~!!


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2 コメント

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おじゃまします。 (銀鏡反応)
2008-03-01 23:28:27
久方ぶりに、こちらにおじゃまさせていただいております。

東京も、もうすっかり春ゆえ、夜になってもひところよりは寒気がゆるくなってきたようです。

昨日は4年に一度の2月29日だったんですね~!で、前回の2004年、私自身、何をしていたか?といえば…アテネオリンピック(でしたよね?)が近づいていて、何処へ行ってもオリンピックに向けて盛り上がっていたと、ぼんやりながら記憶しています。

理系・文系の立てわけ(区別)が時代遅れでナンセンスなのは茂木博士をはじめ、本当に優秀な理学者の方々の、共通の見かたなのかもしれません。

福岡伸一さんの「生物と無生物のあいだ」を昨年の夏に読みましたが、本当に文学的センスに溢れ、しかも読みやすい文章に、まず魅了されました。それから生物学の専門的なエピソードが、流れるように紹介され、震えるような気持ちになりました。

私達一般人にはわかりにくい、非常に難解な専門知識は、やはりそれを知っている人がわかりやすく伝えるのがスジなのかとやはり思いますね。

それでは、このへんで失礼します…!
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オリンピック・イヤー! (風待人)
2008-03-02 02:29:30
銀鏡反応さま

ようこそ、お越しくださいました!

いろいろな方々のそれぞれの語り口や文章の流れを感じられると
ほんとうにワクワクしますね~!

ことばによる表現に限界を感じつつも
その中にも、何か大切なことのあることを期待しています。

ムズカシク感じること、解らないことにも
ひたすら・・・マジメに向かってみたいと想う今日この頃デス。

銀鏡反応さまも、とっても一生けんめいな方だと思っています。
またお会いできたら、いろいろとお話しましょうね!!
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