Little Tree

日々のいとなみのなかで感じた子どものこと、季節の移ろいやこころに映る風景

私のこだわり・・・?

2008-03-17 09:06:24 | Weblog
今朝は、「具合が悪いから…遅れる」と言いながら
先ほどkirikouがナントカ家を出て登校して行きました。

あともう一息…のところで失速してしまう、いつもの月曜日のパターンでしょうか~?

そうそう何もかもがウマク行くことはないのが、世の常と半ば諦めつつ
けれど「また、明るい未来のあることを想わずにはいられない…」

コレが人のサガと言うものでしょうか…


今朝の出だしは、どうも低空飛行になりましたが
このまま皆様にお付き合いいただくのも、どうにも気が引けますし

ただ、このところの「私にとってのこだわり」を言葉にしてしまうと
お聴きになりたくない方もおいでかと案じつつも

けれど、どうしてもそのことが頭の中をアレコレとめぐってしまい
いつか言葉にして表に出してしまわないと

どうにも次の一歩が進めそうにないような…心持になっています。

そのこと=「死」に対するこだわりは、おそらく消えることはなく

あえて、いつも意識していくことになるかもしれないと覚悟したうえで

それでも、何か自分なりの納得を求めてやまない…気持が湧いてきます。

ブログという場で、こんな整理のつかないひとり言を書いていくことの賛否もあるとは想いますので
お聴きになりたくない方には、前もってそのことをお詫びさせていただきます。


さて、昨日から読んでいたカール・ベッカー/坂田昌彦著『「死」が教えてくれること』
「生と死のケアを考える」の中で

医療や介護、また「いのちの教育」などを通じて、様々な場面での
人の死についての思いや経験について紹介されていました。

そのどれもが、家族の方やご本人にとっての一回きりの「死と向き合う」時間を
語っていらっしゃったと想います。

それから、今朝覗いたRYO様のブログ『雑念する「からだ」』の記事に
『此処にいない人へ』というお話がありました。

その中の(2006年7月30日記事「ユダヤと大人の時間軸」 より抜粋)されたお話にあるように、(以下引用)

『「死」から眼をそらし「死者」を無きモノとして扱うようになれば、“まだ”死んでいる者、つまり、 これから生まれてくるであろう者たちに対しても、その気配を感じることは難しくなる。
「死者」に対する空想力(メメント・モリ)は、そのまま「これから生まれてくる者」に対する空想力でもある。』(引用ここまで)


私にとっての身近な人の死にまつわる記憶や私にとっての疑問を抱えていくことと

自分自身の死に対する感情…
おそらく不安や恐怖なども含めた言葉には仕切れない思いについても
できる範囲で明らかにして観たいと想います。

今は、何故そんなことをしようと想うのか…という理由は問わずに
お話を始めさせてください。


私にとって、一番遠い昔の記憶からひも解いてみると…

それは、4歳にもならないくらいの幼い私が暗い中に立っていて

着ていたチェックの洋服(ワンピースだった?)の柄と
なんとも重苦しい雰囲気の記憶がよみがえってきます。

ことばとして思い浮かぶのは、おそらくその出来事のずいぶん後に母か父から

「○○子の小さいとき亡くなった○○のおばあちゃんのお葬式に連れて行ったあと
なんだか興奮したのか、なかなか寝付けなかったことがあったね…」という出来事です。

覚えているのは断片的な映像と感覚だけで、そのシチュエイション自体は
おそらく親からの後付による記憶だと想いますが

その時の独特の雰囲気だけは、どうにも忘れられない記憶となっているような気がします。

その後、私が4年生くらいの時におじいちゃんふたりが相次いで亡くなって
その時は、お葬式の記憶のみがかすかにあるくらいで
寂しいとか悲しいという感情は、それほど感じていなかったような
「死」の持つ意味に、はっきりとは気づいていなかったような…気がします。

次に、思い出すのは…

大学生になった頃でしたでしょうか?
小学校の同級生が、亡くなったことを噂に聞いて、「何故~?」と言う気持ちが強くって
どうにも実感が湧かなかったことを記憶しています。

結婚する30歳前とその後に
父方と母方のおばあちゃんやいつもお世話になっていた伯父さんが亡くなって

ほんとうに身近な人が逝ってしまうことが、現実味を帯びて感じられるようになりました。

そして…夫のおばあちゃんが亡くなった次の年の秋に、kirikouが生まれて

それと前後して、夫の父の病気が見つかって…

私にとっては、人が生まれて…いつか死に向かっていくことが

ほんとうに、自分の生活の中にあるものとして実感するきっかけになったように想います。

おじいちゃんの病状は、比較的ゆっくり進んでおりましたが
2005年のお正月に、突然発熱して肺炎で入院する出来事がありました。

その際のおじいちゃんの意識の混乱やおばあちゃんの不安を観て
今後の介護の実際のフォローや精神的な支えの必要性をつよく感じました。

がんセンターの主治医の先生からも、
それとなくでしたが、在宅で最後まで過ごすことについての示唆がありました。

ただ、その時点ではおばあちゃんにはそのことの本当の意味は伝わっていないことを
一緒に診察に付き添っていた私は、感じておりましたので

私なりに主治医の先生のHPを見つけて、メールでそのことをご相談したり
いくつかの在宅介護についての本を探して、わかる範囲で勉強をしました。

(参考までに…玉地任子著「在宅死」押川真喜子著「在宅で死ぬということ」など)

そして、偶然近所の本屋さんで手に取ったのが

小澤竹俊先生のお書きになった「苦しみの中でも幸せはみつかる」でした。

近くにある緩和ケア病棟のお医者さまでいらして、HPを見つけて
早速、講演会に伺えないかお問い合わせをいたしました。

ちょうど「緩和ケア研究会」のような会だったかと想いますが
医療者向けの勉強会があるとのことで、伺ってお話を伺いました。

休憩時間だったか、フロアでお声をかけさせていただくと
とても柔らかな微笑をたたえて、お話を聞いてくださいました。

それから…1年ほど経って、ヘルパーさんにお手伝いいただいたり
地域の訪問看護ステーションから看護婦さんにきていただいたりしながら

夫の姉と妹も、時間を見つけては手伝いに来てくれましたし
なんといっても、おばあちゃんの献身的な看病がありましたが

2006年の夏に入って、いよいよ食事が想うように摂れなくなってしまいました。

かかりつけのお医者様とがんセンターの担当の先生も、とても親身に診て下さってはいましたが

私としては…最後を看取ることと、おばあちゃんの精神面のケアと言う点で
できれば、専門的なフォローが必要だと感じて
小澤先生に診ていただくことを、家族に相談しました。

8月半ばの時点では、かかりつけのお医者様にお願いしたいという母の希望があって
小澤先生に診ていただくのは、断念しましたが

9月に入って、おじいちゃんの体力の衰えも見えてきて
ほんとうに辛そうになってきた頃、
おばあちゃんと姉と私とで小澤先生にお話を伺いに行きました。

(当時は、まだめぐみクリニックを開かれる直前でした。)

その時のお話は、おばあちゃんには辛いものがあったかもしれませんが

ある意味での「覚悟」につながるものだったかと想います。

今後に考えられる症状に対する的確な指示と処方をしていただいて
そのすぐ後に、家のほうに往診にいらしてくださいました。

先生は、おじいちゃんの手を握って、ゆっくりと声をかけてくださいました。

その後で、もう一回いらしてくださったと想いますが
私としては、ナントカおじいちゃんのことを
家で家族みんなで見守っていくことができるかもしれない…
という安心のヒカリが少し見えたような気がしたのかもしれません。

そして、呼吸も苦しくなってきたある晩
kirikouと私と夫で見舞った後、
夫がおじいちゃんのベットの置いてある部屋に泊り込んで、
おじいちゃんと一夜を過ごしました。

次の日は…朝からほんとうに良いお天気で
kirikouは、おじいちゃんに会ってから学校に行きました。

おばあちゃんとおばさんと姉と妹と私とで交代でおじいちゃんを見守るなか

お昼過ぎに、仕事の合間に夫から携帯電話がかかったちょうどその時に…

ふっと最期の呼吸が止まりました。


ほんとうに、一生けんめいに命の限りを生ききって
おじいちゃんは逝ってしまいました。



(おじいちゃんが亡くなったあと、小澤先生にお礼を申し上げに伺った折

おばあちゃんのことがとても心配だと想っていましたが
実は、私自身が「おじいちゃんを家で見送ることに大きな不安を抱いていた」ことに
気づかされたことを、思わず小澤先生にお話していました。)


実際に経験したから申し上げられることかもしれませんが

在宅で病状の重い方を見守り、そして見送ることは
容易なことではないかもしれません。


しっかりしたケアの体制の整備や、家族などのサポートが必要になりますし

ご本人の死を迎えるに当っての精神的な支えとなるもの…
それはその人それぞれにとっての大切なものが身近にある(感じられる)かどうか…

他にも、その都度起こる様々なことに対応していかなければならないと想います。

そのそれぞれの方にとって、少しでも安らかな穏やかな最期を迎えられることが
できますことを心より願っています。


さらに、不慮の事故や未だお若い方の死を伺うとき
身近な方々の心に背負う荷の重さは、想像を絶するものと想います。

何もお声のかけようのない無力さを抱えつつ、
いつか心の平安の訪れることを、ただひたすらに祈るばかりです。



さて…

こんな「私のこだわり」をつらつらとお話してまいりましたが

いざ、自分はどのような死を迎えることができるのか…なんてことは

結局、なかなか言葉にはできそうにもありません。

以前にも、できればジタバタせずに迎えられたら…などと申し上げましたが

実際の場面では、きっとそんな覚悟など吹き飛んでしまうかも知れませんし。

なんといっても、kirikouのことが気がかりで…

まだまだ、この世に未練がありすぎて、安心して死を迎えることなどできそうにもありません。

こんな悩み多き母ですが…

あとどれくらいあるのかも、解らない残りの人生を

とりあえず、ナントカカントカ言いながら一生けんめいやってみようと想っており
ますので

どうぞ、よろしかったら皆様に応援していただけますと

なにやら、『勇気百倍 元気が一杯』もりもりと湧いてきそうです!!


ずいぶんと重たいお話をしてしまいましたが…
おかげさまで、いつもの調子が出てまいりました。


みなさまも、限りある人生を

思いっきり、生きてみるのはいかがでしょうか…?


   
    冬越えて櫻のつぼみの膨らむを友と眺める心強さ

                     
                      風待人


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2 コメント

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死を死にきる (RYO)
2008-03-17 20:45:06
風待人さん、お久しぶりのコメントになりますね。
先ほどはトラックバックありがとうございました。

死のことは、ふとした瞬間に何気なく想ったりするものですが、
いざその場面に直面すると平静を装いながらも
自分の内面のさざ波立つような動揺ぶりに驚かされます。
やはりあまりにもリアルに生々しすぎる現実ですね。

最近、私は「死は個人のものではありえないのだろうか」と疑問に思うことがあります。
死という出来事は、どうしても「死んでしまう本人」よりも「残される人々」にとっての意味が大きい。
そうするとどうしても死が社会的な、世間的なものになってしまう。
本人も考えざるをえないし、周りもそのことを望む。
とするとその死はいったい誰のものなのだろうか、と。
それが悪いと言っているわけではありませんが、よく考えてみる必要はないだろうかと、そう思うのです。
個人にとっての死がどうあるべきかということは、まだまだ本質的なところで問われていないような気がいたしますが、これからもっと考えていくべきものかもしれません。
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結局、書ききれないままですけれど・・・ (風待人)
2008-03-17 21:07:00
RYOさま

コメントありがとうございます。

こんなことを敢えて口にすることが良いのかどうか・・・
ずいぶんと迷うこともあったのですが

なぜか言葉にすることに駆られるように書いてしまいました。

結局、捕らえきれないことは重々わかっていたのですが

それでも、そのことを意識せずにはいられない自分のことを
客観的に取り出すことは、少しだけできたような気がします。

純粋に自分の死を捕らえきる瞬間をもしも感知できたとしても
それを言葉にすることは、やはりむずかしいのでしょうか?

藪の中・・・に入ったまま、それもそれ・・・なのかもしれませんね。
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