Little Tree

日々のいとなみのなかで感じた子どものこと、季節の移ろいやこころに映る風景

お彼岸の入り前・・・

2008-03-16 19:17:27 | Weblog
2008年の暦によると、明日の3月17日が「お彼岸の入り」とのこと。

家から車で15分ほどのところにあるお寺にお墓を立てたのは…
kirikouが、幼稚園に上がる前でしたでしょうか?

おじいちゃんの育った鹿児島のお墓をお引越しする際に
わけワカランチンのkirikouも初めて飛行機に乗って

おじいちゃんおばあちゃんと一緒に鹿児島に行きましたっけ。

夫の実家には、夫のおじいちゃんやおばあちゃんのお位牌が祭られたお仏壇がありますので
一般的なお家よりは、いわゆる信仰心に篤いということがいえるかもしれませんが
日頃から、毎日のご飯やお茶やお花や頂き物をお供えしたりする習慣が
当たり前のように行われております。

さりとて、お経を上げたりなどという宗教的な雰囲気よりは
いつもそこにあって見守ってくれる存在という感じでしょうか?

私の父は四男でしたので、
結婚するまでは、たま~に三島と沼津にあるおじいちゃんの家に行った時に
お墓参りする程度の関わりしかありませんでした。

結婚して、20数年たって
いつも身近にいた夫のお父さんが亡くなった頃から
お仏壇に向かって、自然に手を合わせたり
時おり話しかけたりする・・・そんなことが増えました。

『人が手を合わせて祈る』という心情やその背後にあるものについて
このところ、気にかかることが多いこともあり

自分自身についてさえ、なかなかコレといった確固としたものは見つけられないままですが

イロイロな方々それぞれにイロイロな思いをもっていらっしゃることを思うたびに
人の思いの複雑さと奥深さを感じずにはいられません。


サテ…ちょうど、明日がお彼岸の入りなので
今日の日曜日には、みんなでお墓参りに行く予定にしておりました。

(そんな折、おばあちゃんの大親友が亡くなったとのお知らせが一昨日届きました。)

お昼過ぎにお墓参りをしてから、チョッと遠方なので車で出かけて
おばあちゃんと夫がお通夜に参列することにしました。

お墓参りの帰りがけにkirikouとふたりで車を降りて、
おばあちゃんの家によって、頼まれていた庭のお掃除をしました。

おじいちゃんにお線香をあげてから、
ふとおじいちゃんの亡くなった日のことをふたりで話しました。

「あの日は、kirikouがなかなか学校に行けなくて
おじいちゃんの家に寄って「頑張って、行ってきます!」って
あいさつをしてから中休み頃に行ったよね…覚えている?」

「う~~ん、そうだったっけ?」って口ごもっていましたが
きっとあの時のことは、kirikouの記憶に深く刻まれているような気がします。


私にとっては、言葉にできそうでいて…
なかなかことばとして出てこない想いが、どこかに渦巻いていて…
どうにも胸がざわつきます。

どうしてこんな気持を持ち続けるのか…不思議な気もしますが

身近に感じていたおじいちゃんのことは、
そのくらい…簡単には整理のつかないものなのでしょうか?


今年も、春のお彼岸がめぐってきて、お盆を過ぎたら3回忌の法要です。


一人の人が生きていたこと、そして旅立っていくことの重さを

ふと噛みしめてみる…春の夕暮れでした。



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