Little Tree

日々のいとなみのなかで感じた子どものこと、季節の移ろいやこころに映る風景

「気持ちが、口からこぼれる」・・・

2007-01-12 20:06:20 | Weblog
水曜日は、また遅刻ギリギリ一歩手前で、kirikouが元気に登校していき

その後姿を見送ってから…

プラスチックゴミを捨て家に入って、テレビのスイッチを入れたところ
ちょうど、連続テレビ小説「芋たこなんきん」をやっていました。

たま~に見る程度なので、お話の流れはほとんどつかめておりませんけれど
モデルになっている田辺聖子さんのお人柄や
これまでのさまざまなエピソードが、おそらくとても面白く再現されていて
主役の藤原直美さん、夫役の國村隼さんや他の俳優さんの素晴らしい演技もあいまって
その時々のセリフに、なるほど~と感じることが、よくありました。

そんなところも、よくできた脚本やドラマということかもしれませんね。


さて、その日の放送時間も残りあと少しのところで
主人公の藤山直美さんとお姑さんのふたりがビールを飲みながら
お話をしているシーンのことでした。

その前のシーンのつながりから、どうも深刻な雰囲気が伝わってきました…

以前、何かの折にお義母さんがふともらした言葉について問いかけると

小さいときに亡くした子どものことを、不意に思い出してしまったこと

そして、ずっとどこかにふたをして、しまいこんでいた気持ちが、ついつい…

「つい、気持ちが口からこぼれてしまったの…」

というようなセリフがありました。(細かいところは、正確ではないかもしれません)

その言葉の意味や、言わんとしていることが
このところ、なんとなくですが、私が考えていることに近いような…
どうも、そんな気がしてなりませんでした。


皆さまにも、時にそんな経験がおありでしょうか?

意識して、言葉にすることもあれば、なにげない、何の意識もしていない時に

ふと、何かの拍子にポロっと、そんな「言葉がこぼれること」もあるような…

そのときの状況や、話し相手の方とのやり取りの中で

それまで、ふたをしていたこころの中の「気持ち」=「感情」のようなものが
ふと、湧き上がってきたり、さらには言葉として、表に出てきたり…

というようなことが、あるものなのでしょうか?

そんな時、それは、いま自分が抱えている課題についてだったり
それまでに、自分の中で上手に処理できていない、わだかまりや感情のようなものだったり
それは、ほんとうに様々なもの・ことに関係しているように思われます。

そのきっかけや、状況は、きっと様々なのでしょう。

私の場合は、こんな風にブログに書いたり、お友だちとお話したりする中で

意識しないうちに、そんな作業がすすんでいる…ことがあるように
最近になって、改めて感じることがあります。


さらに、kirikouに、思ったことや感じていることを

「ことばにして、伝えたほうがいいよ。」

「ことばにして言わないと、伝わらないし、相手には、わからないよ。」と言っています。

けれど、逆に言うと、私自身にしても

「言葉で伝えること」のみならず「気持ちを言葉にすること」自体が

実は、いかにむずかしかったり、なかなか上手にできないでいるのか…ということでしょうか。


実はもうひとつ、それとは別の視点から観ると、kirikouのような子どもたちは

きっかけになる何らかのもの・ことに対して、とても敏感に反応してしまったり

「時と場合」を考えたり、それに対応することが苦手だったりということから

「その状況においては、ふさわしくない」ような発言をついついしてしまう…
ということが、しばしばあります。

例えて言うと…(ぴったりするような例を見つけるのもむずかしいんですけれど)

授業中に、先生がおっしゃったことに、すぐに反応して

「それって~~なんだよね~。」「それ、知ってるよ~。」というように
何度も、発言してしまうということがあるようです。

また、教科書的かもしれませんけれど、外見で見たとおり、感じたままに
あまり親しくない人に対しても「太っているね。」と言ってしまったり

何かを戴いたときなど、フツウでしたら「ありがとうございます。」と申し上げるところ

自分には要らない物だったり、気に入らないようなとき
はっきりと「ぼく、これは要らない。」とか「こんなの欲しくない。」みたいなことを
相手の気持ちなどに無頓着に、言ってしまったりすることがあります。


もちろん、本人には、ほとんどの場合、ふざけようとか
わざと困らせようという意図はないことが多く、悪気はないんですけれど
どうしても、そのように反応してしまうことがあります。

また、最近は減りましたが、kirikouの場合、こちらの問いかけに対して
うまく答えられないときや、なんて言ったらいいのかが分からないときなど

私が、話しかけた言葉を「そのまま、繰り返したり」するということもありました。
(これを、いわゆる「オウム返し」というのかどうかは、よくわかりませんけれど)

このような、子どもたちについては、通級でも、言葉のやり取りについて本人に自覚させたり
いろいろなやり取りの中で、そのことに気づいて修正していけるような指導をしています。

私の観たところ、反射的な行動のように見える部分もあるので

応用行動分析的なアプローチも、もちろんとても大切ですが
なかなか、すべてに有効かどうかは、むずかしいところもあるような印象です。

こんな風に観てみると「人の言動」というのも、
ほんとうにいろいろな様相を示しているもので

その理由やら原因にしても、ほんとうに複雑で
ひと言では言い切れないようなものなのでしょうか?

実際には、皆さまは、そんなことをわざわざ考えたりしなくても
当たり前のようにして身につけて、日常生活を送っていらっしゃるんでしょうか?

そんなことが、ふと思い浮かびました。


kirikouの登校していったあとに、久しぶりに一人の時間ができたとたん

ふと、テレビの中の何気ないセリフが気にかかってしまい

ついつい、アレコレと考えてしまいました…


子どもとの関係やその成長も、さらには自分自身のことにしても

ほんとうにいろいろなことが、その時々に立ち現れてくるもののようですね…



(追伸といいましょうか…ご存知かと思いますけれど

 BS2で土曜日の朝9時半から、一週間分の「芋たこなんきん」を見られますので
 もし、気になる方は…ぜひ、どうぞ!

 ほんとうに、ウルウルと泣けてしまう…こころが震えるようなシーンでした…)

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2 コメント

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学習 (RAM)
2007-01-13 19:10:37
私自身も随分世間知らずでして、ようやくこの歳になり、なんとか何を言うべきか判断がつくようになりました。場面への対応が不得手だと自覚していたら、もう少し意識的に言葉を選んだかな?と思います。
社会での様々な経験、体験がPDDの子達にとって貴重な生きる糧などでしょうね。
返信する
場面への対応・・・ (風待人)
2007-01-13 23:31:41
RAM さま

私は、自分ではずっと、周囲にずいぶん気を使っているほうだと思ってました。

それが、30歳ころ勤めていたところで
(そのときにたまたまだったのかは、不明ですけれど)

「自分の言ったことば」の周囲とのズレに、突然に気づいたことがありました。

そんな風に、自分の発言を、ある意味で客観視できたことで
最初は、かえって臆病になってしまって
人との関わりをもつことを、避けるようになった時期もありました。

それが、つい最近になって、自分でも驚くくらい
積極的に、いろいろな場面で話すことができるようになりました。

どこかで「意識すること」が、できるようになったのでしょうか?

子どもは、これから「たくさん失敗したり経験しながら」
自分なりのやり方を見つけていけるといいんですけれど。

ちょうど良い加減の負荷の中でやっていければ・・・
なんて、親としては思ってしまいますけれど
実際は、やはり厳しいこともあるんでしょうね?

なんとか、そのあたりを乗り越えていって欲しいと切望してしまいます。

RAM さまのお話は、ほんとうに私にとってタイムリーで、
ほんとうに、うれしくなってしまいます!!
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