「正解のない問題」という、茂木先生のお声を聴きながら…
どのあたりにフォーカスを、当てようかしら~?なんて
しばし、窓の外に目を向けてみましょう…
(「強化学習」「報酬系」「関係性欲求」「ミラーニューロン」等々
気になるキーワードが、次々と聴こえております。
オバサン道まっしぐらの(人によって定義も、それぞれだとは想いますけれど)
私的には、異論・反論も…大いにうなずくこともありつつ
活きの良い、元気一杯の茂木先生のお話は、何度伺っても聞き惚れますね。
会場でお聴きになっている方々は、学校の先生方のようです。)
私の場合、アチコチに気を散らしつつ、文章(?)をつないでいくという…
どうも、ヘンな癖があるようで
「よし!」と、大きく一歩ジャンプして
思いつくままに、タイトルやエッセンスを「ものづくし風」につなげていって
その先に、もしかしたら何かが見えてくるような…そんな方向で行ってみましょうか~?!
10月の最初の土曜日は、先ほどもご紹介した星槎教育研究所のセミナーで
「 第4回 算数障害への支援
『算数・数学につまずきを示す子どもたちの理解と評価について』
伊藤 一美先生のお話を伺いました。
(資料が見つからなくって…以前のスクーリング資料を参考にして)
小学校就学前に、数の取り扱いや多少判断、大きさの比較形の弁別等
算数のつまずきにつながる傾向などを把握して、
その子の持っている力や得意な認知特性のアセスメントを元に
適切な指導方法を見つけていくことが大切です。
kirikouの塾の先生ともお話しましたが、5年生で習っている
「少数の計算や割合」が出てくるあたりも、ひとつの山場のようです。
内容も、抽象的になっていきますし
文章問題にしても、出題の意図や問われていることの理解も難しくなってきます。
できれば「何のために、算数を学ぶのか?」についての
そのお子さんなりの納得のいく説明と目的意識などを
保護者も先生も、なるべく具体的に伝えていくことで
モチベーションを持たせながら、その子なりの学習方法を見つけていけると良いですね!
(そうそう、大人の方や大学生でも
算数や数学が苦手という方が、少なくないとか?
何のために・・・例えば、科学や論理的思考を学ぶためとか?
経済関係やコンピューターのお仕事をするためとか?
日常のお買い物やお料理ができれば良いのか?などなど、
目的も目指すレベルも様々です。)
「 第5回 教育現場と家庭での支援
いいところ応援計画をみんなで実践~通常学級・家庭・特別支援室」
阿部 利彦先生のお話も、タイトルがそのまま内容を表しています!
(この回は行けませんでしたが、昨年阿部先生のお話は伺いましたっけ。)
「苦手な部分」に対しては、メガネをかけるように周りも丁寧にサポートをしつつ
そのお子さんの持っている「いいところ(=得意なことなど)を見つけて」
最大限に伸ばしていくこと、そこから本人のやる気や自信を引き出していこう!!
ということが、大切なポイントですネ!!
そして、10月5日(日)には、(冷やかし半分…といったら申し訳ありませんが)
歩いていける公会堂で開かれたA新聞の催しで
「プレジデントファミリー」の編集長の鈴木さんのお話を伺ってまいりました。
「中学お受験事情」については、ごく身近にサンプルがありましたので
大体のことは見えておりましたが
経済雑誌の購読者層をターゲットにしたファミリー誌を作る側の方の言葉は
とても興味深く感じました。
『「考える力」が求められる』「ビジネスマンのスキルが変わってきた」
「教育と社会のつながり」
「知識の詰め込みが学力となって現れるのか?」「基礎学力とは何か?」
「自分の考えを持てるか?」が大事であり、そのためには「実体験」が大切。
「その考えを言えるか?書けるか?」は、後天的に身につけることは可能。
「中学受験は『山登り』に譬えられる」「家族のありようを見つめるきっかけになる」
などなど、なかなかオモシロい切り口で、お話して下さいました。
私といたしましては…『子どもに、どんな人生を歩ませたいのか?』
『どんな人になって欲しいのか?』と、親自身も自らに改めて問い直すのと同時に
その時『子どもは、何を想い何を考えているのか?』
その、もしかしたらコトバにすらならないかもしれない表現を、
いかに汲み取っていくことができるのか?
など、「親の想い」と「子どもの想い」の行き着く先に何が見えてくるのだろう?
ただ「学力」と言っても、その表しているものは様々ですから
その中で、まずはその子その子の実態を、複数の視点によって把握しながら
可能性の見出せる方向性を模索していくことが、大切のように感じました。
どちらにしても、どんな場合でも
その子が生きていくのは、「その子の人生」だと想います。
モチロン「親の願いや想い」は、いろいろにあるとしても
いかにして「その子自身のやりたいこと、興味関心のあることを引き出して
伸ばしていけるのか?」
そして、そのために「より良い環境を、いかに提供するか」ということが
とても大切だろうなぁと感じました。
サテ…
私の中では、障害がどうのこうのという線引きをあまり意識していないので
お聞きくださっている方には、時には???という部分もあるかとは想いますけれど
「子育てに対する、大元の心構えについては、なんの変わりもない」と
最近、強く思うようになりました。
いわゆる普通の方でも、それぞれに「得意なこと、苦手なこと」やら
性格も、ほんとうに「千差万別」だと想いますし。
最後にご紹介いたしますのは、雑誌「そだちの科学」11号で
特集は、ズバリ「自閉症のこころのそだち」デス。
(この雑誌の第1号の中の滝川一廣先生の発達障害についての文章に、とても惹かれて
どうしても、お話を伺いたくって
去年でしたか?人間学アカデミーで、やっとお話を伺うことができました。)
(特集によせてより、以下に一部引用)
「 『こころの科学』から枝分かれするようにして本誌が誕生して早や五年が経過した。(中略)
本来、人間のこころの問題に対して我々が非力ながらも援助の手を差し伸べることができるとすれば、われわれ自身のこころを通してしかその術はないはずである。たとえ薬物や道具などを用いようともそれを用いる人と彼らのあいだに起こるこころの動きを捨象することはできない。このようなこころの動きを考慮に入れた援助のあり方をも広義の精神=心理療法に含むとするならば、たとえ自閉症という障碍をもつ人に対してであっても、精神=心理療法は不可欠ではないか。
過去の心因論に対する反動もあって自閉症に対する精神=心理療法は久しく真正面から取上げられることはなかった。今日、彼らの脳だけを見て(実際には脳も見ていない人々が大半であるが)こころを見ようとしない臨床現場があまりにも多いことを考えると、ここに改めて「自閉症とこころのそだち」を特集として取上げるのも時代的要請ではないかと思う。特集名を精神=心理療法でなく「こころのそだち」としたのは、彼らのこころに対する働きかけは原理的に養育的関与、すなわち「子どもを育てる」営みと相通ずるものだからという思いを込めたからである。…」
たくさんの方々のお話が掲載されていますが…
直接に、お話を伺ったことのある
田中康雄先生の「特別支援教育の中の自閉症」
大塚晃先生の「発達障害者支援施策の現在」をまず読みました。
滝川一廣先生の『大学生における「アスペルガー症候群」の理解と対応』では
いくつかのケースに対して、適切でかつ本人たちの不安や生きづらさに寄り添った優しい言葉をかけて下さっています。
最後の一文を引用いたしますと
『 以上、どの例をとっても、結局、安心の持てるまわりからの関わりがポイントだとわかります。人と関わる力の弱さは、相手から理解不足や不適切な関わりや扱いを受けたとき、それに対して相手に働きかけて修正を求め、より的確な理解やより適切な関わりを相手から引き出す力の弱さをも意味します。そのため、まわりからの理解不足や不適切な扱いから身を守れず、そのつど大きなダメージを強いられやすい人たちです。そのことに深く留意しなければなりません。ここでは立ち入りませんでしたが、このダメージの反復が深刻な心理失調をもたらすケースが稀ならずあります。』(引用ここまで)
滝川先生の言葉は、全てのライフステージに渡って言えることですし
発達障害だけでなく
今、いろいろな生きづらさをお感じの方々にも通ずることに思えてなりません。
それから、大日向雅美先生の連載「親と子がともに育つということ」も
いろいろと考えさせられる記事で、オススメです。
そうこうするうちに、オレンジ色のお日さまが西の薄い雲の中に沈んでいき
先ほど、kirikouも元気に帰ってまいりました。
「今日は宿題がないから、プレゼントの○ー○グリーンを出して~!!」とのこと。
前もってお約束を確認した上で、○ー○ボーイのゲームソフトを渡しました。
そして、火曜日は
「プロフェッショナル仕事の流儀」の「脳活用スペシャル」でしたね!!
先週の柳家小三治さんの「やっている人は、今のことで夢中だと思います。」という言葉は、
とっても深いことをおっしゃっていたような気がします。
子育ても、やっているときは、ほんとうに無我夢中で…
あとから振り返ってみると、ア~すれば…コ~すれば…ということの連続です。
その一日一日を、懸命に積み重ねるうちに
案外、子どもも親も育っていくものなのかもしれません。
ツラツラと書きながら…
自分のありようを、ふと想い起してみる私でした。
どのあたりにフォーカスを、当てようかしら~?なんて
しばし、窓の外に目を向けてみましょう…
(「強化学習」「報酬系」「関係性欲求」「ミラーニューロン」等々
気になるキーワードが、次々と聴こえております。
オバサン道まっしぐらの(人によって定義も、それぞれだとは想いますけれど)
私的には、異論・反論も…大いにうなずくこともありつつ
活きの良い、元気一杯の茂木先生のお話は、何度伺っても聞き惚れますね。
会場でお聴きになっている方々は、学校の先生方のようです。)
私の場合、アチコチに気を散らしつつ、文章(?)をつないでいくという…
どうも、ヘンな癖があるようで
「よし!」と、大きく一歩ジャンプして
思いつくままに、タイトルやエッセンスを「ものづくし風」につなげていって
その先に、もしかしたら何かが見えてくるような…そんな方向で行ってみましょうか~?!
10月の最初の土曜日は、先ほどもご紹介した星槎教育研究所のセミナーで
「 第4回 算数障害への支援
『算数・数学につまずきを示す子どもたちの理解と評価について』
伊藤 一美先生のお話を伺いました。
(資料が見つからなくって…以前のスクーリング資料を参考にして)
小学校就学前に、数の取り扱いや多少判断、大きさの比較形の弁別等
算数のつまずきにつながる傾向などを把握して、
その子の持っている力や得意な認知特性のアセスメントを元に
適切な指導方法を見つけていくことが大切です。
kirikouの塾の先生ともお話しましたが、5年生で習っている
「少数の計算や割合」が出てくるあたりも、ひとつの山場のようです。
内容も、抽象的になっていきますし
文章問題にしても、出題の意図や問われていることの理解も難しくなってきます。
できれば「何のために、算数を学ぶのか?」についての
そのお子さんなりの納得のいく説明と目的意識などを
保護者も先生も、なるべく具体的に伝えていくことで
モチベーションを持たせながら、その子なりの学習方法を見つけていけると良いですね!
(そうそう、大人の方や大学生でも
算数や数学が苦手という方が、少なくないとか?
何のために・・・例えば、科学や論理的思考を学ぶためとか?
経済関係やコンピューターのお仕事をするためとか?
日常のお買い物やお料理ができれば良いのか?などなど、
目的も目指すレベルも様々です。)
「 第5回 教育現場と家庭での支援
いいところ応援計画をみんなで実践~通常学級・家庭・特別支援室」
阿部 利彦先生のお話も、タイトルがそのまま内容を表しています!
(この回は行けませんでしたが、昨年阿部先生のお話は伺いましたっけ。)
「苦手な部分」に対しては、メガネをかけるように周りも丁寧にサポートをしつつ
そのお子さんの持っている「いいところ(=得意なことなど)を見つけて」
最大限に伸ばしていくこと、そこから本人のやる気や自信を引き出していこう!!
ということが、大切なポイントですネ!!
そして、10月5日(日)には、(冷やかし半分…といったら申し訳ありませんが)
歩いていける公会堂で開かれたA新聞の催しで
「プレジデントファミリー」の編集長の鈴木さんのお話を伺ってまいりました。
「中学お受験事情」については、ごく身近にサンプルがありましたので
大体のことは見えておりましたが
経済雑誌の購読者層をターゲットにしたファミリー誌を作る側の方の言葉は
とても興味深く感じました。
『「考える力」が求められる』「ビジネスマンのスキルが変わってきた」
「教育と社会のつながり」
「知識の詰め込みが学力となって現れるのか?」「基礎学力とは何か?」
「自分の考えを持てるか?」が大事であり、そのためには「実体験」が大切。
「その考えを言えるか?書けるか?」は、後天的に身につけることは可能。
「中学受験は『山登り』に譬えられる」「家族のありようを見つめるきっかけになる」
などなど、なかなかオモシロい切り口で、お話して下さいました。
私といたしましては…『子どもに、どんな人生を歩ませたいのか?』
『どんな人になって欲しいのか?』と、親自身も自らに改めて問い直すのと同時に
その時『子どもは、何を想い何を考えているのか?』
その、もしかしたらコトバにすらならないかもしれない表現を、
いかに汲み取っていくことができるのか?
など、「親の想い」と「子どもの想い」の行き着く先に何が見えてくるのだろう?
ただ「学力」と言っても、その表しているものは様々ですから
その中で、まずはその子その子の実態を、複数の視点によって把握しながら
可能性の見出せる方向性を模索していくことが、大切のように感じました。
どちらにしても、どんな場合でも
その子が生きていくのは、「その子の人生」だと想います。
モチロン「親の願いや想い」は、いろいろにあるとしても
いかにして「その子自身のやりたいこと、興味関心のあることを引き出して
伸ばしていけるのか?」
そして、そのために「より良い環境を、いかに提供するか」ということが
とても大切だろうなぁと感じました。
サテ…
私の中では、障害がどうのこうのという線引きをあまり意識していないので
お聞きくださっている方には、時には???という部分もあるかとは想いますけれど
「子育てに対する、大元の心構えについては、なんの変わりもない」と
最近、強く思うようになりました。
いわゆる普通の方でも、それぞれに「得意なこと、苦手なこと」やら
性格も、ほんとうに「千差万別」だと想いますし。
最後にご紹介いたしますのは、雑誌「そだちの科学」11号で
特集は、ズバリ「自閉症のこころのそだち」デス。
(この雑誌の第1号の中の滝川一廣先生の発達障害についての文章に、とても惹かれて
どうしても、お話を伺いたくって
去年でしたか?人間学アカデミーで、やっとお話を伺うことができました。)
(特集によせてより、以下に一部引用)
「 『こころの科学』から枝分かれするようにして本誌が誕生して早や五年が経過した。(中略)
本来、人間のこころの問題に対して我々が非力ながらも援助の手を差し伸べることができるとすれば、われわれ自身のこころを通してしかその術はないはずである。たとえ薬物や道具などを用いようともそれを用いる人と彼らのあいだに起こるこころの動きを捨象することはできない。このようなこころの動きを考慮に入れた援助のあり方をも広義の精神=心理療法に含むとするならば、たとえ自閉症という障碍をもつ人に対してであっても、精神=心理療法は不可欠ではないか。
過去の心因論に対する反動もあって自閉症に対する精神=心理療法は久しく真正面から取上げられることはなかった。今日、彼らの脳だけを見て(実際には脳も見ていない人々が大半であるが)こころを見ようとしない臨床現場があまりにも多いことを考えると、ここに改めて「自閉症とこころのそだち」を特集として取上げるのも時代的要請ではないかと思う。特集名を精神=心理療法でなく「こころのそだち」としたのは、彼らのこころに対する働きかけは原理的に養育的関与、すなわち「子どもを育てる」営みと相通ずるものだからという思いを込めたからである。…」
たくさんの方々のお話が掲載されていますが…
直接に、お話を伺ったことのある
田中康雄先生の「特別支援教育の中の自閉症」
大塚晃先生の「発達障害者支援施策の現在」をまず読みました。
滝川一廣先生の『大学生における「アスペルガー症候群」の理解と対応』では
いくつかのケースに対して、適切でかつ本人たちの不安や生きづらさに寄り添った優しい言葉をかけて下さっています。
最後の一文を引用いたしますと
『 以上、どの例をとっても、結局、安心の持てるまわりからの関わりがポイントだとわかります。人と関わる力の弱さは、相手から理解不足や不適切な関わりや扱いを受けたとき、それに対して相手に働きかけて修正を求め、より的確な理解やより適切な関わりを相手から引き出す力の弱さをも意味します。そのため、まわりからの理解不足や不適切な扱いから身を守れず、そのつど大きなダメージを強いられやすい人たちです。そのことに深く留意しなければなりません。ここでは立ち入りませんでしたが、このダメージの反復が深刻な心理失調をもたらすケースが稀ならずあります。』(引用ここまで)
滝川先生の言葉は、全てのライフステージに渡って言えることですし
発達障害だけでなく
今、いろいろな生きづらさをお感じの方々にも通ずることに思えてなりません。
それから、大日向雅美先生の連載「親と子がともに育つということ」も
いろいろと考えさせられる記事で、オススメです。
そうこうするうちに、オレンジ色のお日さまが西の薄い雲の中に沈んでいき
先ほど、kirikouも元気に帰ってまいりました。
「今日は宿題がないから、プレゼントの○ー○グリーンを出して~!!」とのこと。
前もってお約束を確認した上で、○ー○ボーイのゲームソフトを渡しました。
そして、火曜日は
「プロフェッショナル仕事の流儀」の「脳活用スペシャル」でしたね!!
先週の柳家小三治さんの「やっている人は、今のことで夢中だと思います。」という言葉は、
とっても深いことをおっしゃっていたような気がします。
子育ても、やっているときは、ほんとうに無我夢中で…
あとから振り返ってみると、ア~すれば…コ~すれば…ということの連続です。
その一日一日を、懸命に積み重ねるうちに
案外、子どもも親も育っていくものなのかもしれません。
ツラツラと書きながら…
自分のありようを、ふと想い起してみる私でした。