2023年9月9日から1泊2日で山陽道(岡山県内の街道)歩きをしてきました。2日とも暑かったですが、体調を崩すことなく、元気に本日(10日)の夕刻に帰宅できました。ちょっと、疲れました。
青春18切符(残り2回分)の使用可能日(夏は9月10日が最終日)が迫っていたので、歩き旅をしてきました。何とか、ぎりぎり「切符を無駄に」しないですみました。(笑) まだまだ暑かったのですが、かなりの距離を歩くことができました。1日目の歩行数は43323歩で(約25.9km)歩きました。2日目は、15990歩で、(約9.5km)でした。もっとも「街道歩き」そのものの距離は、このデータよりも少なくなります。1日目でかなり疲れたので、2日目は無理をしないで「軽めの歩き旅」にしました。もうあまり無理はできませんから。
昨日(9日)は、午前8時前に家を出て、岡山へ向かいました。列車の中で、吉備地方の山陽道(街道筋)に近いところにどんな古墳があるのだろうか・・・と、何となく持参していた地図に目を通していました。そこで、目にとまったのが、角力取山(すもうとりやま)古墳でした。吉備地方で最大の方墳(四角形の古墳)とのことで・・・、(どんな古墳なんだろうな?)と、つい行ってみたくなりました。好奇心に動かされました。
岡山駅に着いた後、JR桃太郎線に乗り換え、東総社駅で降りた。東総社駅から歩きで、角力取山古墳の方向を目指した。途中、日本で10番目に大きい作山古墳(前方後円墳)の側を通り、山陽道の街道筋にもたどり着いた。「すもうとり山」と書かれた標柱を見つけることができたので、(やっと着いたぞ!)と、ほっとした。到着が、予想していた時間よりも、遅くなったので。
吉備地方最大の方墳とのことで、興味深く近づき、登ってみた。高さは10m以下だったが、墳頂からの眺めは遠くまで見渡せ、感慨深かった。墳頂部の松の木が巨木になっていた。そして、大きな灯篭のようなものが設置されている古墳だった。規模は小規模の古墳だったが、満足できた。
角力取山古墳見学後、山陽道(街道筋)に戻った時刻は12時30分になっていた。「さあ、いよいよ街道歩きだ!」と、気合を入れて歩きだした。1時間ほど歩いたころ、食事場所が見つかったので、昼食。昼食後、どんどん街道を歩き、清音(きよね)村を通過した。広い川幅の高梁川を渡り切った地点が、川辺宿だった。本陣や脇本陣などの建物はなく、「川辺本陣跡」の石碑だけが設置されていた。江戸時代は高梁川の「川止め」の際に、賑わったようなことが(ある資料に)書かれていた。高梁川は、岡山県でも巨大な川なので、参勤交代においては渡り切るのが大変だったに違いない。大きな川の近くの宿場はどこも、「川止め」が藩の収入につながったようである。特に東海道の大井川近くの「島田宿」は利用者も多く、莫大な収入源になったらしい。
川辺宿を過ぎたあたりから、山陽道は直線的な街道になり、歩きやすかった。しかし、広い道路ゆえに車の交通量も多く、トラックが通るときは少し恐い箇所もあった。高梁川の支流になっている「小田川」に沿って、山陽道は続いていた。
矢掛宿に、予定では午後5時過ぎに到着したかったが、遅くなってしまった。暑さと連続歩きで疲れていたらしく、到着時刻は午後6時50分になっていた。到着予定が、大幅にずれてしまった。もう若くはないなあ、と感じた日になった。
ホテル到着後、万歩計を見たら、43323歩でした。久しぶりの「4万歩超」でした。道理で、疲れたはずだと、納得しました。風呂に入り、足をしっかりもみほぐし、晩御飯を食べて、しっかり眠りにつきました。
矢掛宿の見学は、明日、ゆっくりしようと思いました。
2日目。朝7時から朝食をいただいた。矢掛宿のビジネスホテルとはいえ、古い蔵を改装したホテルで泊まることができた。朝の食事としては、手の込んだ品が多く出された。おいしくいただいた。安価な値段のホテルだったので、朝食に期待はしていなかったが、10品ほどが並べられていたので、びっくりした。
朝食後、ゆっくりと矢掛宿の街並みを見て回った。本陣の内部を見学したかったので、開館時刻の午前9時まで、じっくりじっくり、街並み散歩。9時前になったので、本陣入り口へ。
本陣受付の方が来られたので、入れてもらえた。じっくりと各部屋や台所などを見ることができ、案内のスイッチを押すと放送が流れた。詳しい説明を聞きながら見学することができた。
街並み散歩と本陣見学を終え、矢掛宿に大満足。もう思い残すことはないので、2日目の「山陽道歩き」をスタートさせた。
1日目は、4万歩以上歩いていたので、2日目はその疲れが足に残っているようで、あまり歩きたくはなかった。「軽めの歩き旅」にすることにした。
(私鉄の)井原鉄道に沿っての山陽道だった。「いはら」なのか「いばら」なのか、迷ったが「いばら」という読み方だった。矢掛宿から約6km先に井原鉄道・小田駅があった。矢掛街並み散歩に加えて6km先までと、(2日目は)短かった「山陽道歩き」を終えることにしました。井原鉄道に乗ってみたくなったからです。井原鉄道はすべて線路が高架になっていて、窓からの見晴らしもよさそうでした。一般の路面電車とは違って、一般道と交差する個所のない、踏切もない線路でした。「こういう地方鉄道は珍しいなあ!」と思いながら、広島県のJR福山駅まで乗りました。いい思い出になりました。
2日目は短い距離の歩き旅でした。福山駅から3度乗り換えて、大阪駅に到着。姫路駅からは新快速に乗れましたので、早く帰宅できました。おかげさまで夕食は自宅でとれました。
一泊二日の山陽道歩き旅を満足して終了。
さて、明日から、また畑作業です。 (今回のブログのまとめは以上です。2日目は簡単なまとめに。)
山陽道 街道筋から100mほど北部に全国第10位の作山古墳(吉備地方最大・全国4位の造山古墳ほど大きくはないが、吉備地方では2番目に大きな古墳)が見えていた。とにかく吉備地方には多くの古墳があります。
旧山陽道 南に「すもうとり山」への標柱があり、古墳はすぐ近くでした。昔は古墳横に土俵もあったようですが、現在はありませんでした。
角力取山(すもうとりやま)古墳 それほど大きな古墳ではなかったが、吉備地方最大の方墳(四角形の古墳)でした。高さは10メートル未満で、規模も小さかったのですが、全国的に方墳は数が少ない(多いのは円墳と前方後円墳)ので、珍しく感じて登ってみました。墳頂からの眺めは良かったですよ。
大きな川 高梁川にかかった橋(歩行者・自転車用の橋がありました。)この日、歩いて渡っていたのは私一人でした。私以外に誰も歩いていなのに、橋は超立派でした。もっと細くてもいいのに・・・と、思いながら渡りました。岡山県は橋建設にお金をケチっていないのかな?
右手の橋が自動車専用で、歩行・自転車は禁止になっていました。この橋の個所が旧山陽道で、江戸時代、橋はなく、大雨だと「川止め」もあったとのことです。
江戸時代、「川止め」の時は栄えた宿だった。川辺宿の本陣は跡の碑だけになっていました。本陣や脇本陣などの建物はまったく残されていませんでした。全国的に「本陣」の建物が残っている宿は少ないですね。時代の流れなのでしょうか・・・。
矢掛宿 説明板と標柱
矢掛宿本陣(重要文化財) 立派な建物が保存されていました。中にも入れました。見学しやすいように、案内の音声も流れていました。各大名ほか、篤姫も宿泊していました。すごい本陣の建物でした。たぶん、山陽道一の建物かも?(まだ下関まで歩いていませんが…)
こちらは脇本陣の建物(こちらも重要文化財に指定されていました。)本陣、脇本陣ともに国の重要文化財になっている宿場は、全国でもここだけのように思いました。どちらも保存状態がよく、すごい宿場だと感激しました。
本陣、脇本陣以外の建物群も街並みとして美しく、電柱は一切見えなくしている点も、素晴らしい! 「ペイペイ」の旗は不釣り合いですが・・・。
矢掛宿などのある山陽道は「高梁川水系小田川」に沿っていました。2日目歩いたルートも小田川に沿っていました。井原鉄道・線路の大部分も小田川に沿っているようでした。(井原鉄道は瀬戸内海から離れたやや山手に敷設された私鉄でした。総社駅~福山駅の単線の私鉄でした。私が乗ったのは1輌のワンマン列車でした。何とか廃線にならずに頑張っているように思いました。昼間はほぼ1時間に1本でした。駅はすべて階段を上ってホームへ。そういう構造になっていました。踏切がないので、交通事故が起こりにくい仕組みになっていました。感心しましたよ。がんばれ! 井原鉄道! 料金はやや高いと思いましたが・・・、応援しています。